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第二話『騒音と熱と、悪徳の報酬』

 裁判所前の広場は、熱気と砂埃に包まれていた。

 中世の交易都市を思わせる石畳の広場には、人間、ドワーフ、獣人など、多種多様な種族が行き交っている。

 日干し煉瓦で作られた巨大な掲示板には、市民からの依頼や相談事が書かれた木札や羊皮紙が、所狭しと貼り付けられている。


 リンネアの説明によれば、本来、この世界で弁護士に仕事を頼むには、高額な『依頼金』が必要になるらしい。

 だが、この『市民掲示板』は、金のない庶民が法的救済を求めるために裁判所が設置した、いわば「貧者のための相談窓口」なのだとか。

 報酬は安いが、今の俺たちには選り好みしている余裕はない。


 俺は、その掲示板の前で立ち尽くしていた。

 そこにあるのは、無数の情報の山だ。だが、俺の目には、それらがただのミミズののたうち回ったような幾何学模様――――『流文字リュウモジ』の羅列にしか見えない。


 (…………チッ。分かっちゃいたが、不便極まりないな)

 森で出会った時の不可解な現象のおかげで「会話」はできるが、「文字」は読めない。情報の遮断は、現代社会で情報を武器に生きてきた俺にとって、手足を縛られたも同然の屈辱だった。


「翔一くん、これはどうでしょう?」

 隣でリンネアが、一枚の依頼書を指差した。

「『迷子の猫を探してください』。報酬は…………依頼人の畑で採れた野菜です」

「却下だ。俺たちは八百屋じゃねえ」


「じゃあ、こっちは? 『職人街の揉め事仲裁。報酬・銀貨十枚』…………安すぎますね」

「銀貨十枚か…………」


 俺は、その古びた木札に目を止めた。

 (…………銀貨十枚か)

 俺は脳内で素早く計算した。

 今朝の食事――――岩のような黒パンとスープ、あれで二人分、銀貨一枚と言っていたな。俺の感覚じゃ、あの粗末な朝食はワンコイン、五百円ってところか。

 なら、銀貨一枚は五百円。銀貨十枚で、五千円。


 たったそれだけだ。弁護士が動く額じゃない。

 だが、俺の鼻が微かに反応した。職人の揉め事。そこには、「焦り」と「金」の匂いがする。


「それだ。詳細は?」

 俺が促すと、リンネアは木札に書かれた文字を読み上げた。


「依頼人は『ガラス職人シルビア』。

 内容は『隣のドワーフ族、鍛冶屋ガルドによる、常軌を逸した騒音と熱への苦情』。

 場所は…………『職人区・赤熱せきねつ通り・八番地』です」


「行くぞ。飯代くらいにはなる」

「え? でも、銀貨十枚ですよ?」

「行ってみなきゃ分からねえ相場ってのもあるんだよ」


 ***


 職人街の一角に足を踏み入れると、そこは灼熱の空気に支配されていた。

 通りの名前の通り、炉の熱気が石畳から立ち上っている。


 俺は通りの入り口から建物を数え、目的の場所を見つけた。

 入り口の柱に『八』と刻まれた真鍮のプレートが打ち付けられている。この世界の数字は、元の世界のそれと似ていて助かる。


 現場は、石造りの一階部分を共有し、木造で増築された二階部分が複雑に入り組んだ長屋だった。


「うるさい! うるさい! うるさーいっ!!」


 左側の工房から、悲鳴のような金切り声が響いてきた。

 出迎えたのは、神経質そうな細面の女性エルフだ。彼女は目の下に濃い隈を作り、手には割れたレンズの破片を握りしめている。


「あんたが依頼人のシルビアか?」

 俺が声をかけると、彼女はすがるような目でこちらを見た。


「ええ! あなたたちが弁護士さん!? なんとかしてください!

 隣のドワーフ――――ガルドが、今日から新しい『大型鞴ふいご』を導入したんです! その振動のせいで、私が磨いていた魔道具のレンズにヒビが入ってしまったわ!」


 彼女の指差す先、壁の向こうからは、ズシン、ズシン、という地響きのような重低音が響いている。

 俺たちが隣の工房を覗くと、そこには筋骨隆々のドワーフが、全身から湯気を立ち上らせながら、巨大な機械仕掛けの送風機を動かしていた。


「あぁ!? なんだてめえらは!」

 ドワーフの親方――――ガルドは、俺たちを見るなり吠えた。

「俺は遊んでるんじゃねえ! 『辺境伯の兵団』から急ぎの剣の発注が入ってるんだ! この新型を使わなきゃ、今週末の納期に間に合わねえんだよ!」


「それが迷惑だと言っているのです!」

 シルビアも負けじと叫ぶ。

「あなたの出す振動と、壁から伝わる熱気のせいで、こちらの作業部屋はサウナ状態よ! 繊細な研磨作業なんてできやしない!」


 完全な膠着状態デッドロック

 リンネアが進み出た。

「お二人とも、落ち着いてください。『王都建築法』に基づき、互いの受忍限度を…………」

「やかましい! 法律で納期が守れるか! 帰れ!」


 ガルドの怒鳴り声に、リンネアが怯む。

 だが、俺は見逃さなかった。彼の額に浮かぶ脂汗。および、作業台に積まれた、未完成の剣の山を。


 (…………なるほど。「今週末まで」か。あと数日しかないのに、進捗は半分以下ってところか。尻に火がついてやがるな)


 俺はニヤリと笑い、一歩前に出た。


「おい、ガルドさんよ。大変そうだな」

「なんだ若造、冷やかしなら…………」

「今、依頼を受けてな。隣のエルフが裁判所に『操業停止の仮処分』を申請するそうだ。そうなれば、あんたの作業は即座にストップだ」


「なっ…………!? 」

 ガルドの顔色が、ドス黒く変わった。

「待て! 作業が止まったら『兵団への納期』は守れねえ! 違約金はいくらになると思ってんだ! 金貨二十枚か? 三十枚か? 信用もガタ落ちだぞ!」


 図星だ。今の彼にとって、作業が止まることは死を意味する。


「…………ま、待て!」

 ガルドが叫んだ。

「じゃあ、どうすりゃいいんだ! 振動を止めたら鞴が動かねえ! 鞴がなきゃ納期に間に合わねえ!」


 俺は振り返り、指を二本立てた。

「俺たちが、作業を止めずに隣のエルフを黙らせてやる。

 ただし、特急料金だ」


 俺はニヤリと笑って言い放った。

「成功報酬、『金貨二枚』だ。

 兵団への違約金(金貨三十枚)に比べりゃ、安い保険料だろ?」


「き、金貨二枚だと!? 足元を見やがって…………!」

 ガルドは唸り、葛藤し、背に腹は代えられないと悟った。

「…………ちっ! 分かったよ! 解決できるなら払ってやる!」


 交渉成立。報酬の二重取り。

 リンネアが「被害者を救うだけじゃなく、加害者からもふんだくるなんて…………」と呆れた顔をしているが、これがビジネスだ。


 俺はシルビアの方へ向き直った。


「さて、シルビアさん。あんたの依頼(銀貨十枚)だが…………少し条件を変えさせてもらう」

 俺は彼女の工房を見回しながら言った。

「問題解決のために、俺たちが労働力を提供する。力仕事だ。

 だから、報酬は『銀貨三十枚』に色をつけてもらおうか」


「えっ…………でも、予算が…………」


「心配するな。今から提案する方法なら、半年で元が取れる。

 燃料代が『タダ』になるからな」


「…………タダ?」

 シルビアの目の色が変わった。


 一件落着どころか、ここからが本番だ。

 俺は二人の間に立ち、両手を広げた。


「さて、取引だ。

 ガルド。お前、熱が伝わりやすくて、加工しやすい金属パイプの在庫はあるか?」


「あぁ? 『赤銅しゃくどう』の管なら、倉庫に転がってるが…………」

 ガルドがいぶかしげに答える。


「それだ。今すぐ弟子を使って、その赤銅のパイプを煙突に巻き付け、隣の工房の水槽と繋ぐ配管工事をしろ」

「はあ? 工事だと? そんなことしてる暇は…………」


「暇はある」

 俺は断言した。

「今の劣悪なサウナ状態でダラダラやるより、今日一日を工事に潰してでも、室温を下げた方がいい。

 明日からの作業効率が倍になれば、納期には十分間に合う計算だ」


 ガルドはハッとして、自分の汗だくの体と、作業場の温度計を見た。

「…………確かに、この暑さじゃ集中力が続かねえ。…………分かった、やる価値はある」


「仕組みはこうだ。

 ガルドが捨てている『排熱』で、シルビアの冷たい水を温める。

 そうすれば、ガルドの部屋の熱気は水に吸われて涼しくなる。

 シルビアは、レンズ洗浄用の温水が、燃料代ゼロで使い放題になる」


 俺はニヤリと笑った。

「それから、壁だ。燃料代が浮いた分で、壁に『振動を吸収するマット』を貼れ」

「マット…………?」


 俺はリンネアを振り返った。

「おい、この世界にコルク…………いや、音や衝撃を吸うような素材はあるか?」


「ええと…………それなら、『防音樹の皮』を加工したパネルが建材店に売っています」

 リンネアが即答した。


「よし。それを買ってきて、俺たちが壁一面に貼ってやる。DIYだ。

 …………どうだ? 騒音の慰謝料代わりに、光熱費がタダになると思えば、我慢できるんじゃないか?」


 シルビアが、指先で空中に計算式を描くように考え込んだ。

「…………燃料代が、ゼロ…………。浮いた金で防振工事をしても、数ヶ月で元が取れる…………。それに、温水なら研磨剤のノリも良くなるわ…………」


 彼女の表情が、怒りから商売人の顔に変わった。

「…………悪くない提案ね。銀貨三十枚、払うわ」


 ガルドも腕を組んで唸った。

「ふん。作業場が涼しくなって、納期に間に合うなら…………金貨二枚も安いもんか」


 ――――交渉成立。

 法律も、魔法も使わない。

 ただの物理法則と、損得勘定による解決。


 リンネアが、信じられないものを見る目で俺を見ていた。

「…………翔一くん。あなた、本当に性格が悪いですね。人の欲と欲をぶつけて解決するなんて」

「褒め言葉として受け取っておくよ。さあ、工事だ」


 ***


 帰り道、俺のポケットには金貨二枚と銀貨三十枚が入っていた。

 慣れない肉体労働(防音マット張り)で体はバキバキだが、懐が暖かいのは悪くない気分だ。

 市場で、少しだけ上等な肉と、新鮮な野菜を買った。


「…………翔一くん。あくどすぎます」

 リンネアはまだ納得いかない顔をしている。

「ですが、対立する双方から金を取って、自分が一番儲けるなんて…………」


「双方の代理人になる『利益相反コンフリクト』なんて、まともな弁護士なら御法度だがな。

 だが、ここは異世界だ。それに、結果的に全員がプラスになった.文句あるか?」


「…………ぐぬぬ。結果オーライなのが腹立たしいです」


「人聞きが悪いな。これで旅費の五十分の一…………いや、二十分の一か。先は長いぞ」

 俺は手の中の硬貨を弄びながら、ため息をついた。

「この程度の稼ぎじゃ、今月中になんて到底無理だな」


「時間だけなら、私にはたくさんありますけどね」


 軽口を叩きながら、事務所への階段を上った。

 ドアを開ける。

 そこには、俺たちの知る惨状とは違う光景が広がっていた。


「…………おい」


 今朝、俺が崩壊させたまま放置した本の山が、綺麗に積み直され、分類されていた。

 床に散らばっていた羊皮紙は種類ごとにまとめられ、薄汚れていた床は水拭きされて黒光りしている。


 そして、部屋の中央にある小さなテーブルの上。

 そこには、縁の欠けたコップが置かれ、そこに一輪の白い野花が生けられていた。


 殺風景な、男と女の貧乏くさい同居部屋に、そこだけ不釣り合いなほどの、清廉で、健気な「彩り」。


「…………あの子ですね」

 リンネアが、愛おしそうにその花に触れた。

「孤児院を抜け出して、お掃除に来てくれたみたい。…………少しでも、翔一くんの役に立ちたくて」


 俺は、無言でその花を見つめた。

 ポポロ。あの狐の子供。

 あの裁判の後、俺たちは奴を孤児院へ帰したはずだ。「金のない俺たちに養う余裕はない」と、追い返したのに。

 それなのに…………あいつは、こっそりとここへ通い、俺たちがいない間に勝手に働いていたのか。


 (…………健気なこった)


 俺は、ぶっきらぼうに吐き捨てた。

「…………余計な真似を。掃除をしたって、金にはならねえぞ」


「翔一くん…………」


「だが、頼まれても連れて行く気はねえ。旅は過酷だ。足手まといになる」


 口ではそう言いながらも、俺はその花を捨てようとはしなかった。

 コップの水は澄んでいる。あいつが、小さな手で一生懸命汲んできた水だ。


 俺はジャケットを脱ぎ、椅子にかけた。

 夕日の中で、花が微かに揺れた気がした。


(第二章 第二話 完)

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