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第一話『勝者の朝、借金の壁』

【第2章:悪徳の準備 開幕】


裁判で最強の検察官を論破し、勝利を掴んだ翔一たち。

しかし、現実は非情でした。


「勝訴しても、金がなければ飯は食えない」


英雄から一転、無一文の極貧生活へ!?

最強の資格『代弁人』を目指し、旅の資金と装備を整える「悪徳な資金稼ぎ」が始まります。

 ドサッ、ドサドサドサッ!!

 早朝七時。

 目覚まし時計代わりの轟音と、全身を襲う物理的な衝撃によって、俺の意識は暴力的に覚醒させられた。

「ぐっ……!? 」

 呼吸が止まるかと思った。

 俺の腹の上に、胸の上に、および顔面の上に、質量を持った「知識の塊」が降り注いでいたからだ。

 俺は呻き声を上げながら、顔に乗ったハードカバーの分厚い本を払いのけた。背表紙には、俺には読めないミミズのような文字――この世界の法典が刻まれている。

「……朝っぱらから、殺す気か……」

 俺が寝床として使っているのは、事務所の入り口付近にある、革が擦り切れて中の詰め物(藁)が飛び出し、硬い木枠が背中に当たる客用の長椅子だ。

 そして、そのすぐ横には、部屋の主、リンネアの居住スペース(ベッド)との境界線として築かれた『理性の壁』――うず高く積まれた法律書の山――がそびえ立っていたはずだった。

 だが今、その壁はバランスを崩して自然崩落し、雪崩のように俺を埋め尽くしている。


 俺は痛む体を起こし、本が崩れてできた隙間から、壁の向こう側(聖域)を覗き込んだ。


 そこには、一人のエルフがいた。

 三百二十歳にして『星付き』の称号を持つ、高潔なる上級弁護士、リンネア。

 法廷では霜柱のように厳格な彼女だが、今の姿はどうだ。


 ベッドの上で大の字になり、掛布団を豪快に蹴り飛ばしている。

 白金の髪は鳥の巣のように乱れ、半開きの口元からは、ツツーッと一筋のよだれが垂れて枕を濡らしていた。


「……異議ありぃ……」

 彼女は幸せそうな顔で、ふにゃふにゃと寝言を漏らした。

「……その『蜜漬けの紫蜜果プルメル』は……重要証拠物として……私が、没収しますぅ……あむ」


 パク、と空気中の見えない甘味を咀嚼する動き。

 俺は呆れを通り越して、乾いた笑いを漏らした。

 プルメル? 聞いたことのない名だが、その蕩けたような幸せそうな顔を見るに、今の俺たちには手の届かない高級品なんだろうな。

 夢の中でくらい、いい思いをさせてやるか。今の俺たちの現実は、岩のように堅い黒パンと塩スープだ。


「……平和なツラしやがって。こっちは全身打撲だぞ」


 俺はぼやきながら立ち上がり、散らばった本を適当に積み直し始めた。

 ふと、視線が部屋の隅へ流れる。

 そこには、脚のガタつく小さな丸椅子がぽつんと置かれているだけだった。


 俺は手を止め、舌打ちをした。

 裁判までの数日間、あの獣人の子供――ポポロは、いつもそこに座って、不安そうに膝を抱えていた。

 俺が少しでも動けば、ビクリと肩を震わせ、すがるような目でこちらを見ていた。

 その視線の記憶が、まだ部屋に残っている気がしたのだ。


 裁判の終わった夜。

 あいつは俺の服の裾を掴んで離さなかった。

『……僕、翔一についていく。誰かの役に立ちたいんだ』

 そう訴える子供に対し、俺は冷たく突き放した。


『却下だ。俺たちは慈善事業をやってるんじゃねえ。金のない俺たちに、ガキ一人養う余裕はない。帰れ』


 ポポロは泣きそうな顔をしていたが、最後には渋々、孤児院の院長に手を引かれて帰っていった。

 ……それでいい。あいつはただの依頼人(守る対象)だった。案件が終われば他人だ。


 俺は余計な感傷を振り払うように頭を振り、硬くなった体をボキボキと鳴らした。

「……よし。飯にするか」


 ***


 朝食は、木皿に盛られた堅い黒パンと、具のほとんどない塩スープだった。

 この世界の黒パン(鉄麦製)は、焼くと水分が抜けて石のように硬くなる。スープに浸してふやかさなければ、歯が欠ける代物だ。

 石造りの基部に木造が増築されたこの街の建物は、窓が小さく、昼でも薄暗い。


「……いろいろあって聞きそびれていましたが」

 優雅に紅茶(出がらしだが)を啜りながら、リンネアがふと切り出した。

「落ち着いた今だからこそ、改めて問います。あなたは何者なのですか?

 あの森の結界を抜け、見たこともない服を着て、文字も読めないのに、悪魔のような法知識を持っている……」


 彼女のエメラルドの瞳が、俺を射抜く。

 俺はパンをスープに浸しながら、短く答えた。


「……日本というクニで弁護士をしていた。ある夜、裁判で負かした相手に腹を刺され……気づいたらあの森にいた。それだけだ」


「ニホン……? 」

 リンネアは眉をひそめ、首を傾げた。

「聞いたこともない名ですね。その『クニ』というのは、あなたの故郷の都市マチの名ですか? それとも領地シマや、氏族イチゾクの名でしょうか?」


 俺は答えなかった。説明したところで、この世界の住人には「国民国家」という概念自体が通じないだろうと悟ったからだ。


 リンネアは、俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、記憶の糸を手繰るように続けた。

「まあ、場所はどこでも構いません。特徴は一致しますから。

 以前読んだ古い文献『東方異聞録』に、遥か東の果てには、あなたのように漆黒の髪と瞳を持つ『人間族』がいると記されていました」


 彼女は、納得したように言った。

「なるほど。東方の果てで何らかのトラブルを起こし、刺されて命からがらこの地まで逃げ延びてきた……。

 あなたのその、人の恨みを買うような『勝ち方』を見れば、刺されるのも自業自得という気がしますが」


「……(まあ、説明する手間が省けたか)。好きに解釈しろ」

 俺は否定も肯定もせず、スープを飲み干した。


「それより、約束はどうなった?」

「約束?」

「『竜の聖域』への地図だ。俺が代弁人になるための目的地だろ」


 俺が手を差し出すと、リンネアはあきれたようにため息をついた。

「……言っておきますが、そんなもの書けませんよ」


「あ?」


「『竜の聖域』は伝説上の場所です。おとぎ話には出てきますが、現代の地図には載っていません。場所を知る者など、この街には一人もいないでしょう」


「……おいおい。じゃあどうやってそこへ行くんだ。当てずっぽうで荒野を彷徨うのか?」


「だからこそ、まずは情報が必要です」

 リンネアは、窓の外、遥か北の方角を指差した。

「ここから北へ、街道をひたすら進んだ先に、『大図書館都市』と呼ばれる独立都市があります。

 そこは、古今東西のあらゆる書物、地図、知識が集積された『大陸の頭脳』です。

 もし、失われた聖域への手がかりが存在するとすれば……世界で唯一、そこの大書庫だけでしょう」


「なるほど。まずは宝の地図を探すところからってわけか……」

 俺は納得し、指を鳴らした。


「決まりだ。俺たちはその『大図書館都市』へ行く。そこで手がかりを見つけ、聖域を目指す」


「……なぜ、そこまでこだわるのです? 資格なら、時間をかければこの街でも……」


「俺には時間もコネもねえ」

 俺は即答した。

「正規のルートで『星付き』になるには十年かかるんだろ? そんな悠長なことをしている間に、またギデオンのような連中とぶつかれば、次は門前払いだ」


 俺は、自分の手のひらを見つめた。

「それに、俺は前の世界でもプロ(弁護士)だった。

 この世界でも、俺のやり方が通用することは証明しただろ?

 だったら、この世界でも一番効力の強い『資格』を手に入れて、好きに生きる。……それが俺の流儀だ」


 リンネアは息を飲んだ。そのあまりに合理的で、揺るぎない自信。

 彼女はカップを置き、まっすぐ俺を見た。


「……私も行きます」


 即答だった。俺は顔をしかめた。

「は? お前はここにいろ。ギデオンも手出しはしねえだろ」


「勘違いしないでください。あなたの保護者のためだけに行くのではありません」

 彼女は、毅然と言い放った。

「文字も読めず、地理も知らない。そんなあなたが『大図書館都市』へ辿り着くには、私の知識と『目』が不可欠でしょう?

 私がいないと、あなたは最初の分かれ道で遭難するのがオチです」


「……ぐっ」

 痛いところを突かれた。確かに、案内人なしでの旅は自殺行為だ。


「それに……今回の裁判で、私は思い知らされました。私の信じてきた『正しい法』だけでは、ギデオンのような悪意ある権力者には勝てないのだと」


 彼女は悔しそうに拳を握りしめ、そして顔を上げた。その瞳には、法律家としての矜持と、隠しきれない好奇心の光が宿っていた。


「あなたの振るう『異界の法』……嘘もハッタリも使うその毒が、本当にこの世界の正義になり得るのか。

 そして、法の創造主である竜が、あなたという存在をどう裁くのか。

 ……『星付き』として、古代の叡智に触れ、それを見届ける義務があります」


 それは、彼女なりの「自分への言い訳」かもしれない。

 だが、その言葉には、俺という劇薬を野放しにはできないという責任感と、未知の世界への「憧れ」が滲んでいた。


「……それに」

 リンネアは急に顔を赤くして、咳払いをした。

「じ、実は、この部屋……今月いっぱいで出なければならないんです」


「……は?」


「あのポーションを売って、広い事務所に移転するつもりで、契約更新を断ってしまっていて……。

 ポーションがなくなった後、慌てて大家さんに『やっぱり更新したい』と頼みに行ったのですが……」


 リンネアはガックリとうなだれた。

「時すでに遅し、でした。『もう次の借主が決まって、手付金も入金済みだ。法的に契約は成立している』と、門前払いです。

 ……つまり、ここに残っても私はホームレスなんです!」


 彼女は涙目で俺を睨みつけた。

「こうなったら、翔一くんもちゃんと仕事をして稼ぎなさい。

 元はと言えば、あなたが『聖域』で瀕死の重傷を負って倒れていたのが全ての始まりなんですからね!

 『私たち』の旅費を稼ぐまでは、この街から一歩も出しませんよ!」


 ……なるほど。背に腹は代えられないってわけか。

 俺はため息をつき、最後の一片のパンを口に放り込んだ。


「……分かったよ。稼ぎに行くぞ。

 まずは今日の飯代だ」


(第二章 第一話 完)

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