第十七話『虎の檻』
「ご立派な演説、感動しましたよ。あんた、検察官より詐欺師に向いてるんじゃないか?」
その第一声に、法廷中の空気がピタリと止まった。
「……詐欺師だと?」
ギデオンは眉をひそめる。傍聴席からは「なんだあの態度は!」という怒号が飛ぶ。
翔一は、その怒れる群衆のただ中に立ち、あろうことか肩をすくめてため息をついた。
「やれやれ。あんたたちの税金も、無駄に使われているもんだな」
その意外な言葉に、野次が一瞬止まる。
翔一は、わざとらしく検察席の資料の山を指差した。
「検察官様は、俺を『国家への反逆者』と呼んだ。国家の危機だとな。
……だが、よく見てみろ。ここに立っているのは、剣の一本も持たない『ただの無職』と、非力な女性弁護士の二人だけだ」
翔一は両手を広げた。
「対して、俺を取り囲んだのは、辺境伯自慢の精鋭部隊、一個分隊(約十名)。
いいか? 完全武装した兵士が十人で束になってかかって、武器を持たない無職一人を取り逃がし、あまつさえ『国家への反逆だ!』と泣きついて、こんな大げさな裁判を開いている」
彼は、ニヤリと笑い、傍聴席の市民たちに問いかけた。
「これを『無能』と言わずして、何と言う?
あんたらの血税で養われている『鉄の規律』とやらは、たった一人の素人に崩されるほど、脆いものだったのか?」
ざわ……。法廷の空気が変わった。
「悪対正義」の構図が、「有能な納税者対無能な役人」という損得勘定へとすり替わったのだ。
「――弁護人は、扇動をやめなさい!」
ドワーフの裁判長が慌ててガベルを叩いた。だが、ギデオンの作った熱狂的な空気はすでに霧散していた。
ギデオンが、スッと立ち上がる。
「……戯言はそこまでだ。事実を見れば、貴様の詭弁など吹き飛ぶ」
ギデオンは、手元の書類の束から一枚を抜き出し、廷吏を通じて弁護席に届けさせた。
「これは現場の兵士長が記した『捜査報告書』の写しだ。目を通すがいい。
裁判長、検察側証人の入廷を求める」
翔一の手元に書類が置かれる。だが、彼には読めない。
隣でリンネアが、即座にその書類に目を通し、小声で囁いた。
「……翔一くん。ここです。『被疑者との接触距離、およそ三杖』。『問答無用で魔法を行使された』とあります」
「三杖……?」
翔一は眉をひそめた。
「おい、それはどれくらいの距離だ? ここから見て、どのあたりだ?」
リンネアは法廷内を見渡し、小声で答えた。
「そうですね……。ここから、あの検察官がいる席あたりまでの距離です」
(……なるほど。だいたい十メートルといったところか)
「十メートルか。……上等だ」
翔一はニヤリと笑った。
リンネアという「目」が読み取った情報を、翔一という「脳」が瞬時に論理の弾丸へと変換する。
法廷の扉が開き、現れたのは、包帯で片腕を吊り、大げさな松葉杖をついた男――あの鼻に大きな傷のある兵士長だった。
彼は証言台に立つと、悲痛な面持ちで語り始めた。
「……あの男は、悪魔です」
彼は演技がかった声で訴える。
「我々は法に従い、凶暴な密猟者を捕獲しようとしました。ですが、あの男が現れ、未知の『暗黒魔法』を使ったのです」
「ほう。魔法、ですか」
右陪席の人間裁判官が身を乗り出す。
「はい。私の部下たちは、奴にひと睨みされただけで金縛りに遭い、ある者は泡を吹いて倒れました。
それはまるで、南方のジャングルに生息する『夢幻蜘蛛』の麻痺毒を受けたかのような……不可避の精神攻撃でした」
兵士長は、実在する「魔獣」の脅威を引き合いに出し、自らの無能を「不可抗力」へとすり替えた。
これには傍聴席も息を呑む。魔獣の恐ろしさは、彼らにとって身近な恐怖だからだ。
「異議あり!」
翔一の声が響く。
「証言に矛盾がある。今しがた頂いた報告書によれば、当時の距離はおよそ三杖以上。
……リンネア先生。この距離で、魔法を使う条件について教えてやれ」
水を向けられたリンネアが、すっくと立ち上がった。
「はい! 魔法学の常識として、人間が魔法を行使するには『詠唱』や『触媒』による準備動作が不可欠です。
魔獣ならともかく、人間が『無詠唱』かつ『予備動作なし』で、しかも三杖も離れた十人を同時に無力化する広範囲魔法など、宮廷魔導師クラスでも不可能です!」
まっとうな論理。だが、右陪席裁判官は言い放った。
「異議を却下する」
「……は?」
「却下だ! 被告人は黙っていなさい! 兵士長だけでなく、現場にいた部下全員が同じ証言をしているのだ! 数の上でも、彼らの証言には十分な信用性がある!」
これが、アウェイ。理屈ではない、権力と数の壁。
だが、翔一は絶望しなかった。むしろ、その口元には獲物を見つけた獣のような笑みが浮かんでいた。
(……なるほどな。そういう『ルール』か)
翔一は、ゆっくりと証言台へと歩み寄った。
「では、反対尋問を行う」
このとき、兵士長はまだ知らなかった。
自分が、虎の檻に足を踏み入れてしまったことを。
翔一は、兵士長の目の前まで近づくと問いかけた。
「なあ、兵士長さん。さっき『暗黒魔法』って言ったよな? 具体的には、どんな魔法だったんだ?」
兵士長は鼻を鳴らす。
「視覚的なものではない! 貴様が俺を見た瞬間、空気が鉛のように重くなり、恐怖で体が動かなくなったんだ! 間違いなく精神干渉の呪いだ!」
「ほう。睨まれただけで、動けなくなったと」
翔一は頷いた。
「つまり、『自分たちが弱かったからビビった』のではなく、『魔法を使われたから不可抗力で負けた』のだと」
「そうだ! 俺たちが遅れを取るわけがない!」
その瞬間。翔一の表情が消えた。
法廷の温度が一気に氷点下まで下がった錯覚。
翔一は、兵士長の顔を至近距離から覗き込んだ。そこに浮かんでいるのは、現代日本の裏社会で修羅場を潜り抜けてきた、本物の「悪徳」の瞳。
殺気。威圧。および、底知れぬ暴力の予感。
「――『こういう風』にか?」
ドスッ、と見えない重圧が兵士長の心臓を鷲掴みにした。森での記憶がフラッシュバックする。
「ひっ……!! 」
兵士長は悲鳴を上げ、証言台にしがみつきながら後ずさった。
「そ、それだ! その目だ! 裁判長! 見てくれ! こいつは今、神聖な法廷で魔法を使っている!!」
絶叫が響き渡る。傍聴席がざわめく。「魔法?」「結界があるのに?」
翔一は、瞬時に殺気を消し、爽やかな笑顔に戻ると、裁判官席に向き直った。
「裁判長。今の証言、記録していただけましたね?」
翔一は、黒革のスーツの襟を正し、朗々と告げた。
「証人は今、私の威圧を『魔法だ』と断言し、『今まさに使われた』と叫びました。
……ですが、皆さんご存じの通り。
この法廷には、絶対的な『魔法無効化の結界』が張られているはずです」
しん……と、法廷が静まり返る。
「結界の中で再現できた。……ということは、これは魔法ではありません。
単なる、私の『目つきが悪いだけ』であり、兵士長殿が『勝手にビビって腰を抜かしただけ』だということが、物理的に証明されました」
数秒の沈黙の後、爆発のような笑いが法廷を揺るがした。恐怖の「魔獣」の演出も、今やただの笑い話だ。
兵士長は顔を真っ赤にして反論しようとするが、もう遅い。彼の最大の嘘は粉砕された。
「魔法の件は嘘だと分かった。……なら、他の証言も怪しいもんだな」
そのとき。ガタッ、と検察席の椅子が鳴った。
ギデオンが静かに立ち上がっていた。
「……証人の混乱が見られる。本人の名誉のため、これ以上の尋問は無意味だ。裁判長、次の証拠提示に移ることを提案する」
強引な幕引き。だが、その目ははっきりと翔一を捉えていた。
(小賢しい真似を……)
翔一もまた、不敵な笑みでそれを受け止める。
(まずは一勝だ、ジジイ)
二人の視線が火花を散らす中、次の局面へと移る。
老獪な検察官の手元には、次なる、および決定的な「証拠」が用意されていた。
(第一章 第十七話 完)




