表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/49

第十六話『開廷』

 翔一の「行くぞ」という言葉と共に、重厚な扉が押し開かれる。

 その瞬間、地鳴りのような「うねり」が、物理的な圧力を伴って二人に襲いかかった。


 足を踏み入れた翔一の足が、わずかに止まった。


 (……マジかよ)


 彼の視界に飛び込んできたのは、日本の地方裁判所にあるような慎ましい小部屋ではなかった。

 そこにあったのは、巨大な「円形劇場コロシアム」だった。

 すり鉢状に競り上がった客席は、ドーム球場のように遥か頭上まで続き、そこを千、いや二千を超える群衆がびっしりと埋め尽くしている。

 天窓から降り注ぐ光が、中央の法廷をスポットライトのように照らし出していた。


――『万民の法廷』。

 かつて『古き盟約』が結ばれた際、「密室での裁きが種族間の不信を生む」という教訓から作られた巨大空間。

 だが今の辺境伯にとって、この「透明性」は好都合だった。己に逆らう者が社会的に抹殺される様を見せつけるための、壮大な「処刑台」として利用できるのだから。


「引っ込め!」「罪人め!」

 ドッ、と波のように押し寄せる罵声と敵意の圧力。

 本来なら静粛を命じるべき警備兵たちは、壁際に直立したまま、この集団リンチのような光景を黙認している。


 翔一は、震える指先を握りしめ、口元を歪めた。

 (……ゾクゾクしやがる)

 それは恐怖ではない。武者震いだ。これだけの人間が、俺の敗北を願っている。

 ならば、ここから逆転したときのカタルシスは、どれほどの味だろうか。


 翔一は、わざとらしく悠然とした足取りで歩き出し、被告人席へと着く。


「――あっ!」

 隣に座ったリンネアが、小さく悲鳴を上げた。

 彼女の視線の先。法廷の脇に設けられた、鉄柵で囲まれた重々しい「特別証言台」。

 本来は猛獣や凶悪犯を収容するためのその場所に、小さな影があった。


 ポポロだ。

 彼は大人用の無骨な椅子にぽつんと座らされ、怯えたように身体を丸めていた。すぐ背後には武装した兵士が仁王立ちしている。


「ポポロ……! なぜ!?」

 リンネアが駆け寄ろうとするが、衛兵が槍を突き出して制止する。

「席に戻れ、被告人。証人との接触は禁じられている」

「証人ですって!? あの子はまだ子供ですよ! ついさっき、教会に預けたはずなのに!」


「『特例』だ」


 冷ややかな声が、法廷の喧騒を切り裂いた。


 翔一が視線を転じる。

 法廷の反対側、検察席。そこに、その男はいた。

 エルフだった。だが、白髪は一筋の乱れもなく撫で付けられ、片目にはモノクル。その容貌は若々しくも、瞳の奥には千年の時間を宿したような昏い静寂がある。


 辺境伯領・首席法務官、ギデオン。


 ギデオンは、虫でも見るような無感情な瞳で二人を一瞥した。

「獣人族は早熟だ。生存本能と識別能力においては人間に劣らん。故に、本件の『原因』となった彼には、重要参考人として特例的に出廷してもらった。

 ……つい先ほど、教会へ『召喚状』を執行させてもらったよ」


「ギデオン様……!」

 リンネアが唇を噛む。

 翔一たちが目を離した隙を狙い、合法的な召喚状でポポロを無理やり引きずり出したのだ。翔一たちへの、見せしめと揺さぶりのために。


「久しいな、リンネア。君の師が死んで以来か」

 ギデオンの声は、砂のように乾いていた。

「君が、薄汚い獣の弁護ごっこに興じていると聞いてな。師の名誉のために、私が直々に引導を渡しに来てやったのだよ」


「……あなたが、法の精神を歪める側に回るとは」

「法とは秩序だ。秩序なき理想など、世を乱す毒に過ぎん」


 会話はそこで途切れた。廷吏の声が響き渡る。

「――総員、起立!」


 法廷内の空気が一変し、水を打ったような静寂が支配した。

 裁判官席の扉が開き、三人の影が現れる。


 中央には、事務的で冷徹な目をしたドワーフの裁判長。

 右側には、翔一たちを睨みつける、恰幅の良い人間の男。

 および左側には、リンネアの方を見ようともしない、神経質そうな女性エルフ。


 見事なまでの、完全アウェイ。

 中央の裁判長が、木槌ガベルを手に取り、翔一を見下ろした。


「これより、被告人リンネア、および氏名不詳の男に対する、公務執行妨害事件の審理を始める!」


 裁判長の視線が、翔一を射抜く。

「まず、人定質問を行う。そこの男、名を名乗れ」


 翔一は、ふてぶてしく胸を張った。

「タナカだ。タナカ・ショウイチ」


「……タナカ・ショウイチか。奇妙な響きだ。

 職業、および住所は?」


「住所不定。無職だ」


 法廷がざわめく。「無職だって?」「浮浪者かよ」

 裁判長は眉をひそめたが、事務的に記録係に頷いた。

「よかろう。被告人を特定した。

 ……検察官、冒頭陳述を」


 続けて、ギデオンがゆらりと立ち上がった。

 彼は片眼鏡の位置を直し、講義を始める老教授のような足取りで、法廷の中央へと進み出た。


「裁判官、並びに、ここに集いし良識ある市民諸君。

 ……まず、諸君に問いたい。『法』とは、何だ?」


 ギデオンは、宙を見上げ、切々と語り始めた。

「我々が住むこのリムガーレは、中央の温室とは違う。一歩外に出れば、飢えた魔獣が徘徊し、無法者が獲物を狙う、過酷な『辺境』だ。

 故に、この地における『法』とは、理想ではない。『生存』と『現実』だ。

 領主様が定めた鉄の規律こそが、我々の日常を混沌から守っている『防波堤』なのだ」


 傍聴席から同意の頷きが見える。ギデオンは、民衆の不安と秩序への渇望を的確に刺激している。


「だが!」

 ギデオンの声が鋭く跳ね上がった。彼は杖を突き出し、その切っ先を翔一たちに向けた。

「この二人は、その防波堤を、自らの浅はかなエゴで破壊しようとした!」


 彼は獲物を追い詰める蛇のように言葉を紡ぐ。

「被告人、自称タナカ・ショウイチ。身元不明、住所不定、職業不詳。

 どこから湧いたかもしれぬこの男は、神聖なる公務の執行中であった兵士たちに対し、狡猾な弁舌と暴力で混乱をもたらし、あまつさえ重大な密猟の容疑者である獣人を強奪した。

 これは単なる公務執行妨害ではない。この国の安全保障に対する、明確な『国家への反逆』である!」


 (……テロリスト扱いかよ。大きく出たな)

 翔一は表情を崩さずに内心で舌を巻いた。


「検察側は、被告人両名に対し、領内からの永久追放、および秩序回復のための最大限の厳罰を求刑する。以上だ」


 爆発のような拍手と歓声が巻き起こった。

 千人の群衆の心が、完全に検察側に傾いた瞬間だった。


 裁判長が事務的な声で告げる。

「……静粛に。

 検察側の主張は以上の通りである。

 被告人、および弁護人。今の公訴事実に対し、何か申し開き(罪状認否)はあるか?」


 すべての視線が、嘲笑と軽蔑を孕んで翔一に集まる。

 さあ、どう言い訳をするんだ、と。


 翔一は、ゆっくりと席を立った。

 彼は隣で震えるリンネアの肩を、ポンと軽く叩く。

 (顔を上げろ。ここからは、俺のターンだ)


 彼は黒革の鎧を翻し、法廷の中央へと歩み出た。

 その口元には、獰猛な笑みが浮かんでいた。


「さあ、反撃の時間だ」


(第一章 第十六話 完)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ