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第十一話『職人の街、鉄の掟』

 気まずい沈黙のまま、三人はパン屋の軋む木製の階段を降り、表へと出た。

 階下のパン屋『黄金の麦穂』から漂う、焼きたての甘い香りが鼻腔を満たす。

 翔一はそこで初めて、自分が寝泊まりしていた建物の全貌と、この街の「通り」というものをまじまじと見ることになった。


 建物は、木骨に藁を混ぜ込んだ土壁を塗り固めた様式に近い。だが、その一階部分は頑丈な石造りになっていた。かつて異民族との抗争が絶えなかった時代の名残だと、リンネアが教えてくれた。

 店の前に広がるのは石畳の道だ。馬車が二台、ようやくすれ違えるかどうかという道幅だが、ひっきりなしに人々が行き交い、圧倒的な活気に溢れていた。


 (……混沌カオスだ。だが、無法地帯じゃない)


 翔一は、思わず足を止め、その光景に見入っていた。

 耳に飛び込んでくるのは、様々な言語の怒鳴り声のような会話と、荷車を引く獣のいななき、およびどこかの店から聞こえてくる陽気な弦楽器の音。その全てが混じり合い、喧噪がまるで一つの生き物のように街を満たしていた。


「こっちです。目的の鍛冶屋は、大通りを抜けた先にあります」

 リンネアはさっさと歩き出す。ポポロが慌ててその後を追った。

 リンネアの後に続きながら、翔一はまるで初めて海外旅行に来た田舎者のように、周囲を見回さずにはいられなかった。

 熊のような大柄な獣人が、巨大な樽を軽々と担いで人混みを割って進んでいく。その横を、蛇のようにしなやかな鱗を持つ配達人が駆け抜けていく。


 建物の屋根の上では、職人が瓦を修理していた。

 背中に小さな羽を生やした、華奢な若者だ。彼は命綱も足場もなしに、その羽を小刻みに羽ばたかせて宙に浮かびながら、まるで精密機械のように一枚の瓦を寸分の狂いもなくはめ込んでいる。


 (……なるほどな。種族ごとの特性を活かした、役割の分業のようなものがこの街にはあるのか)


 大通りに出ると、道幅は倍になり、人の数もさらに増えた。

 豪華な装飾の馬車が、警備の兵士を伴って横柄に走り抜けていく。その馬車を避けた拍子に、翔一は道端の露店に肩をぶつけてしまった。

 店先で売られていたのは、見たこともない色の果物だった。

 店主の、狐の耳を持つ獣人の老婆が、鋭い目で翔一を睨みつける。


「すみません」

 リンネアが、翔一の代わりに素早く頭を下げた。老婆はリンネアの顔を見ると、少しだけ表情を和らげ、ふんと鼻を鳴らして許してくれた。

「よそ見をしていると、スリに遭いますよ」

 リンネアが前を向いたまま冷たく忠告する。

「貧しい者たちが住む地域もありますし……親を失い、子供たちだけで生きている子らもいますから」


 (……そうか。こっちの世界でも、陽の当たらない場所はあるってことか)


 翔一は、街の輝きの裏にある影を感じ取り、苦々しく舌打ちした。

 剣と魔法の世界だろうが、近代都市だろうが、貧困と格差が生む歪みは変わらない。

 どこにだって、俺の商売のネタは転がっているということだ。


 やがて、一行は大通りの喧騒から外れ、石炭と鉄の匂いが立ち込める武骨な一角へと足を踏み入れた。

 空気が変わる。

 陽気な音楽は消え、代わりに、規則正しく、しかし力強いハンマーの音が支配していた。

 リンネアが足を止めた工房の看板には、ハンマーと金床をかたどった紋章と共に、翔一には読めない力強い文字が刻まれている。

「『頑鉄工房』。ここです」


 翔一はごくりと唾を飲んだ。

 この、自分の常識が一切通用しない世界で、自分はこれから、この奥にいるであろう最も頑固な異族を相手に、最高の装備を作らせなければならない。

 彼の心に、法廷に立つ直前のような、昏い興奮が湧き上がってくる。


「何してやがる、この半人前が! 鉄の声が聞こえねえ奴に、金床の前に立つ資格はねえ! 出ていけ!」

 地響きのような怒鳴り声と共に、若いドワーフの職人が、文字通り工房から蹴り出されてきた。

 その奥から姿を現したのは、岩のような筋肉に、びっしりとタトゥーを刻んだ、工房の主――バルドゥルだった。


「……バルドゥルさん」

 リンネアが声をかけると、バルドゥルは彼女を一瞥し、険しい表情をほんの少しだけ緩めた。

「おお、リンネアの嬢ちゃんか。珍しいな、お前さんみたいな本ばっか読んでるのが、こんな煤臭え場所に来るとは。……どうせ、また一筋縄じゃいかねえ頼み事なんだろ?」


「お願いがあって、参りました」

 リンネアは意を決すると、深々と頭を下げた。

「この者の『鎧』を、仕立てていただきたいのです。……支払いは、必ずします。ですから、どうか、ツケでお願いできないでしょうか」


 バルドゥルは眉間に深い皺を刻み、翔一を値踏みするように睨みつけた。

 リンネアの、これ以上ないほど真摯な頼み。彼は腕を組み、唸るようにボソリと呟いた。

「……ちっ。嬢ちゃんの頼みとあっちゃあ、無下にはできねえ。だが、こいつの……」


 その、承諾ともとれる言葉が完全に紡がれる、その直前だった。

 翔一が、口を挟んだ。

「話が早くて助かるぜ、じいさん」

 翔一は、営業スマイルを浮かべて一歩前に出た。

「安心しろ。こいつは『星付き』だ。あんたが心配するような端金は、すぐに用意できる。

 だから、金のことなんか気にせず、さっさと最高の服を作れ」


 その一言が、バルドゥルの職人としてのプライドに、火をつけた。

「……あぁ? 」

 バルドゥルのこめかみに、青筋が浮かぶ。

「とっとと失せろ! 金の話じゃねえ!」

 バルドゥルは、ハンマーを金床に叩きつけた。

「俺の仕事と、この嬢ちゃんの顔に泥を塗るような、魂の腐った人間に、俺の魂を込めた鎧が作れるか! 二度とそのツラ見せんじゃねえ!」


 交渉決裂。

 リンネアが「あーあ……」と頭を抱える。

 翔一は、自分の常識(金と権威があれば人は動く)が、この頑固な職人には通用しなかったことに、わずかに目を見開いた。


 まさに、その最悪のタイミングだった。

 工房の入り口に、蛇のように粘ついた笑みを浮かべた男が立っていた。

「おやおや、随分と賑やかですな、バルドゥル殿」

 バルドゥルが、男を見るなり威嚇するように吠えた。

「ヘイムダル! いったい何の用だ!」


 ヘイムダルと呼ばれた男の服装は、高価な布地を使っているがどこかちぐはぐで、強すぎる香水が鼻をつく。

 彼は、古びた羊皮紙の束を、これ見よがしに掲げていた。

「単刀直入に言おう。この店、もっといい値で借りたいという方が現れたのだよ」


(第一章 第十一話 完)

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