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ビザンツ帝国からの留学生

私はエルストハージ・アリシア。オーストリア=ハンガリー帝国の大貴族エルストハージ家の三女として生まれた私は、将来の皇帝と結婚し、順風満帆な人生を送る"はず"だった。


もちろん私が望んだ結婚ではない。皇帝家とその取り巻き、そしてエルストハージ家が私の物心つく前に決めていたことだ。私は生まれた時点で未来の皇帝と結婚し、子供を産み、平穏な老後を暮らすことが約束されていた。そのような人生を歩むことが私の義務だった。


しかし今、私は辺境の修道院へ向かうみすぼらしい馬車の中にいる。生まれてこの方、長距離の移動にはエステルハージ家の紋章をあしらった豪華な四頭立ての馬車しか使ってこなかった。そんな私が、軽くて薄い平民の服をまとい、ボロボロの馬車に一人で座っている。



悪路を馬車で揺られながら、なぜこんなことになってしまったのか、このような結末を避ける方法はなかったのかと何度も考えた。しかし、何度考えても結論は同じだ。

私はできることをすべてやり尽くした。この1年をもう一度やり直せたとしても、同じ結果になるだろう。



そもそも私は婚約者に対して一度も恋愛感情をいだいたことはなかった。私が皇太子と留学生の女の関係を妨害したのは、皇太子への恋心ゆえではなく義務感によるものだった。


思えば物心ついてからは周囲の期待に応えるために生きてきたようなものだ。私はエルストハージ家専属の家庭教師から将来の妃としての礼儀作法、宮廷儀礼、ダンス、隣国の文化・言語、魔法を叩き込まれた。貴族の子弟が集う魔法学校での成績は常にトップクラスだった。


求められることはすべて期待以上の水準でこなしてきた。家族や家庭教師、友人の期待を把握し、一つ一つに応えることが私の処世術だった。


私は生まれた時点で約束されていた将来と地位を失うと同時に、あらゆる束縛からも解放されたのである。生まれた瞬間から、大人になって死ぬまでのすべてのイベントが決められていた私の人生は、今や一寸先も見えない状態になっている。

この感情をどう整理すればいいのかわからない。虚無感と高揚感、絶望と希望、喪失感と期待が入り混じった形容し難い感情だ。庶民の服を着ているからか、不思議と長年の肩こりが軽くなった気がする。



馬車が大きく揺れた拍子に私はペンを落としてしまった。


周囲には従者もいない。私が何かを落としても、誰も拾ってはくれない。


数日前であれば、従者の一人がすぐに手を伸ばしてペンを拾い、私に手渡しただろう。


床に落ちたペンは、馬車の揺れでコロコロと行ったり来たりと転がる。


文字を書くという義務から解放され、目的も行き先もなく転がり続けるそのペンは、まるで今の私の置かれた状況そのものだ。



私が通っていたオーストリア=ハンガリー帝国の魔法学校にビザンツ帝国からの留学生ガラテアが来たのはちょうど一年まえだ。

彼女は、ビザンツ帝国の魔法使いを代々輩出する一家の生まれで、オーストリア=ハンガリー帝国の魔法学校で教えられている無詠唱魔法を研究するため留学生としてやってきたそうだ。


私は初めてガラテアを見たとき、あまりの美しさに目が離せなかった。

長くつややかな黒髪は毛先がわずかにカールしており、静かに流れる水のように美しく、同時に無数の蛇がうごめいているような怪しさがあった。目の色は深い青色で、彼女の眼を見ると深い井戸の底をのぞき込んでいるような不思議な気分になった。

肌は大理石のように白く、深い谷間には同性の私でも自然と目がひきつけられ、彼女が服を着ていないときはギリシャ彫刻と見間違えてしまうのではないかと想像していた。


私はガラテアに惹かれると同時に、彼女の危険性にいち早く気づいていた。私は他人より魔力の流れを感じる感覚が敏感であるのだが、彼女の魔力の流れは彼女が人間ではなく何か別の存在であることを示唆していたのである。



私は彼女に見惚れながら、ビザンツ帝国に外交官として派遣されている兄から送られた手紙に書かれていた、とある噂話のことをを思い出していた。


ビザンツ帝国は、かつて魔法により異民族の度重なる襲撃を撃退した経験から、蒸気機関が普及し電気が発明された現在も、国家レベルで魔法の研究を推し進めている。


長きにわたり人間種は無詠唱による魔法を使ってきたが、ビザンツ帝国ではエルフの魔法使いの助力で14世紀中ごろに詠唱による魔法の発動方法が発見された。無詠唱による魔法は、発動が早いが魔法使いの天賦の才能や想像力に依存する。

一方、詠唱魔法は一定の訓練を受ければ誰でも発動できる。それに加えて無詠唱魔法ではできなかった複雑な魔法の発動が可能になった。発動に数日を要する詠唱魔法も存在する。


詠唱魔法の発明後、ビザンツ帝国は魔法使いの教育機関をつくり、軍事面で魔法を組織的に使用した初めての国家となった。以来、ビザンツ帝国は人類の魔法研究の最先端を突き進むことになった。


そして今世紀初頭、正確には1814年に、彼らは魔法陣を使った魔法の発動を発明した。門外不出の技術のため詳細は不明ではあるが、魔法陣を使った魔法により、異界から魔族と呼ばれる存在を召喚することにも成功したといわれている。魔法陣により、複雑かつ繊細な魔力の制御が可能となり、ついには異界の門を開けることができたのである。


手紙には、ビザンツ帝国の宮廷魔法大学では、極秘に魔族と人間を融合させる実験を進めていたが、魔族の制御に失敗し何人かの人間が魔族に乗っ取られているという噂がビザンツ帝国で広まっていると書かれていた。


手紙を読んだときはただの噂だろうと特段気にしなかったが、彼女の魔力を観察すれば観察するほど、彼女は魔族に乗っ取られた人間ではないかと思うようになった。


こうしてガラテアとの出会いをきっかけに、私は名づけようもない破局に突き進んだ1年間が始まったのである。

毎週日曜日に更新予定です。

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