第9話 はじめての町、立ちはだかる壁
夜が明け、フィンの体はまだ重かったが、昨日飲んだまずいポーションのおかげか、昨日よりは幾分か楽だった。朝食は、昨日と同じ干し肉と、携帯していた硬いパンだ。彼は簡単に済ませると、再び東へと歩き始めた。森を抜けると、道は緩やかな下り坂になり、遠くには小さな町の影が見えてきた。
(あれが、最初の町だろうか……)
地図で確認すると、その町はエメルダから東へ二日ほどの距離にある**「ハーヴェストの町」**だった。農業が盛んで、大きな市場があることで知られている。ヒノモト諸島へ渡る港町への中継地点としては最適だ。フィンの心に、微かな期待が湧き上がった。この町で、何か手がかりが見つかるかもしれない。
町に近づくにつれて、道行く人の数が増えていく。エメルダの裏通りとはまるで違う、活気あるざわめきが聞こえてくる。町の門をくぐると、スパイスと焼き菓子の甘い匂いが混じり合い、フィンの鼻腔をくすぐった。活気ある市場には、色とりどりの野菜や果物、焼きたてのパンが並び、商人たちの威勢の良い声が飛び交っている。
フィンは、その賑わいに圧倒されながらも、自分の目的を思い出した。この町で、携帯型ポーション調合器で作ったポーションが通用するか試してみなければならない。旅費は母がくれたものがあるが、いつまでも頼るわけにはいかない。彼は自分のポーション作りの腕が「一見そこそこ」な父のそれとどう違うのか、それを試してみたかった。
市場の一角、人通りの多い場所に空きスペースを見つけると、フィンは革袋を下ろし、携帯型ポーション調合器を取り出した。簡単な回復薬を作るための薬草は、旅の途中で摘み取ったものをいくつか持っている。泉の水も、革袋に入れて運んできた。
小さな調合器を広げ、慣れた手つきで薬草をすり潰し始める。ゴリゴリと石が擦れる音が、市場の喧騒の中に微かに響いた。フィンの真面目な作業風景は、行き交う人々の目を引いた。物珍しそうに立ち止まる者もいる。何人かの町の人々が、興味津々にフィンが作り出す緑色の液体を覗き込んだ。
その時、一人の男がフィンの前に立ちはだかった。がっしりとした体格で、上質な服を身につけている。彼の背後には、二人の強面な男が控えていた。男はフィンの携帯型調合器を一瞥すると、露骨に顔をしかめた。
「おい、坊主。ここで何をしている?」
男の低い声に、フィンの背筋が伸びた。彼は正直に答えた。
「ええと、旅の途中でして。ここで、体力回復のポーションを作って、販売しようかと……」
フィンの言葉を聞くと、男は鼻で笑った。
「販売だと? ふざけたことを言うな。この町で薬を売るには、町の薬師組合の許可が必要だ。それに、お前のような素人が、こんな粗末な道具で何を売ろうというのだ?」
男は、そう言って、市場の奥にそびえる、ひときわ大きく立派な建物に顎で示した。そこには「ハーヴェスト薬局」と書かれた看板がかかっている。その男が、この町の薬師組合の代表か、あるいは町の薬屋の主人なのだろう。彼から発せられる威圧感に、フィンは思わず後ずさりした。
「わ、私は、素人ではありません。エメルダの町で代々続く薬舗の跡取りです。それに、この調合器は祖父から受け継いだものですし……」
フィンは懸命に説明したが、男は聞く耳を持たない。
「言い訳は聞きたくない。ここはハーヴェストの町だ。お前の故郷の田舎のルールなど通用せん。さっさとそのガラクタを片付けて、ここから立ち去れ。でなければ、それなりの対応をさせてもらうぞ」
男の目は、フィンに明確な敵意を向けていた。フィンの真面目さが、こんな予期せぬトラブルに直面するのは初めてだった。彼は、言葉に詰まり、どうすることもできない。周りの人々も、好奇の目を向けながらも、誰も助け舟を出そうとしない。この男が、この市場で相当な力を持っていることは明らかだった。
フィンは、仕方なく携帯型調合器を片付け始めた。悔しさと不甲斐なさで、彼の心は重かった。旅に出たばかりで、早くもこんな壁にぶつかるなんて。これでは、ヒノモト諸島へたどり着くどころか、旅費を稼ぐことすらままならない。
その日の夜、フィンは町の安宿に身を潜めていた。日中の出来事が頭から離れない。このままでは、母が託してくれた旅費もあっという間になくなってしまうだろう。読めない古書を解読すること、エメラルド薬舗を立て直すこと。その目標は、あまりにも遠く、彼の体力と経験では、まるで太刀打ちできないように思えた。
(どうすればいいんだ……?)
彼は、宿の固いベッドの上で、読めない古書を広げた。意味不明な文字が、今の彼の途方もない状況を嘲笑っているかのようだ。この旅が、本当にうまくいくのだろうか? フィンは、故郷エメルダの町の、埃を被った薬舗を思い浮かべた。父の「一見そこそこ」なポーション。母の優しい笑顔。彼は、ここで諦めるわけにはいかなかった。真面目な彼は、どんな困難にも真正面から向き合う性格だった。