第十話 七卿落ち
しかし、長州藩も黙って引き下がってはいなかった。
奪われた堺町御門を奪還せんとし、攘夷派公卿の一人である鷹司卿の邸宅に集結。
今すぐにでも兵を挙げ、そのまま討幕に討って出ようとするかのような、一触即発の事態が続いていた。
気炎をあげる長州藩と、会津薩摩両藩の落とし所を探るために、鷹司卿が参内した。
「三万もの長州の藩兵を、これ以上挑発するのは得策ではない」
として、鷹司卿孝明天皇に取りなしを図ったが、詮議は覆らなかった。
その反面、帝の攘夷、つまり日の本から夷てきを追い払わんとする意思は固く、
「朝廷は長州藩も変わらず頼みにしている以上、決して短慮に走ることなく、益々勤皇を持って忠力すべき」
等々の帝の宣旨を奉じ奉ることにより、長州藩は国元への蟄居を辛くも受諾した。
すると、早くもその翌日の十九日には、長州勢と攘夷派公卿の七名が京を追われた。
こうして八月十八日の政変は、始まりと同じく至極平和に、無血のままで幕を閉じた。
壬生組も長州勢と一戦を交えることはなかったが、後方警護の功績が認められ、名を『新撰組』と改める。
芹沢鴨を粛正し、あらためて近藤勇を局長に据えた巨頭体制の発足である。
その後、新撰組では一連の隊士の働きを労う宴席が島原でもうけられた。
豪勢な大広間に鶴と松が描かれた金屏風を立て、上座に君臨するのは近藤、土方、山南の『近藤派』幹部である。




