第四話 背中合わせ
日差しの強さは相変わらずでも、吹き渡る風に秋の気配が漂っている。
庭のよしずに這わせた朝顔の種を摘む花村のところへ、佑輔が重い足を引きずるように濡れ縁から降りてきた。
紫紺色の長襦袢に藤紫の単衣仕立ての薄物に、長襦袢と同色の角帯を締め、櫛けづられた黒髪を真新しい元結で束ねている。
彼はいつ何時も身形をきちんと整える。
早朝だろうと深夜だろうと、一縷の隙なく着つくろう。
育ちというより、それが性分なのだろう。
「おはようございます。昨夜はよくお休みになれましたか?」
「無理ですよ」
首の裏を掻きつつ佑輔は苦笑する。
自分で蚊帳に招いたくせに、居竦まる千尋の葛藤が切なくて、眠ったふりを決め込んだ。
いつから自分は千尋の脅威になったのか。一体いつから背中合わせになったのか。
その意図をどんな風に受け止めて、解釈すればいいのかすらもわからない。
「昨夜は少し蒸しましたからね。寝苦しかったです?」
「そうですね」
寝苦しさの意味合いは違ったが、佑輔は顔に作り笑いを貼りつける。
枯れた朝顔の根を引き抜く花村の傍らで、雀が姦しく群れている。毎朝、花村が粟やヒエなど雑穀を撒いてやっているからだ。
飛び立つ一羽を目で追って、上天気の空を見上げた佑輔は、考えたところで致し方ない想念から自分自身を引き剥がす。
「旦那様は、まだお休みでしたか?」
「私が着替えを済ませた時は、寝てました」
「このところ、何かの理由で東奔西走されていらしたようですから。疲れが溜まっているんでしょう」
「千尋さんは疲れると、寝相が悪くなるんです。昨夜も蹴られたり押されたりで、寝られたもんじゃなかったんです」
「そうなんですか?」
千尋が今のところ同衾を許す相手は、ただ一人。
花村は眉をそびやかした。
「旦那様は起きていても寝ていても、暴れ馬」
「二十二なんて言ってますけど、本当は十歳なんじゃないですか?」
佑輔と花村の高笑いが同時に軽やかに響き渡り、鰯雲が広がる空へと吸い込まれた。
そんな花村に頼まれて、千尋の着替えを持って戻った時もまだ、蚊帳の中で穏やかな寝息をたてていた。
浴衣の裾から太股を剥き出しにして、上掛けを抱えるように寝入っている。
脱力を誘う寝姿だ。
寝汚い、この青年が、泣く子も黙る壬生浪に啖呵をきった喧嘩師だとは、一体誰が思うだろう。
佑輔は膝立ちになって蚊帳をくぐり、千尋の顔にかかった布を引き下げた。桜の花びらの形をした可憐な上唇が半開きになり、白い前歯が覗いている。
千尋はこの兎のような前歯を嫌い、頑なに口を隠したがるのだ。
本当は、この歯がなにより愛らしいのに。
口づけをしたら、きっとこの歯と自分の前歯がかち合うのだろう。
その先までをも脳裏に描いているうちに、徐々に鼓動が高鳴って、ズクリと下肢が疼き出す。
千尋に《《ネンネ》》と嘲られたが、閨ではどちらが長けているのか確かめたくなる。
もうどうなろうとも、愛しいひとの最奥に凶暴な熱を穿ちたい。
怒鳴られようが、わめかれようが突き上げて、奥の奥まで火のような所有の証を刻み込みたい衝動が狂おしいほど逆巻いて、思わずその身を乗り出させた時、千尋の目蓋が僅かに震えた。
息を凝らして身構える千尋の頬に、柔らかな接吻が降りてくる。
しっとりと肌を吸い上げて去っていくのは男の気配だ。
襖が開閉される音。
一定の間隔で階段を下りる足音が遠のくと、千尋は薄く目を開けた。
さようなら。
愛しいひとよ。さようなら。
千尋は胸を震わせて、別れの言葉をくり返す。
たとえ想いはひとつでも、応えることは出来ないのだ。




