第三話 いつになく
「花村さん」
翌朝、花村が蔦屋の井戸端で歯を磨いていると、佑輔にか細い声で訊ねられた。
「千尋さんが通う女性って、どんな人なんですか?」
佑輔は井戸の縁に気怠げに腰かける。起きぬけなのか、目が赤い。
手早く口をゆすいだ花村は、濡れた口元に手拭を宛がい、訝った。
「千尋さんの……ですか?」
花村は驚き、目を見張る。
「……さぁ。私は存じ上げませんが」
「そんなはずないでしょう。昨日だって出かけたはずです」
「昨日?」
佑輔がムキになって声を荒げた刹那、やっと合点がいったように、花村が柔和に目尻をゆるめた。
「それはないでしょう」
朗らかに言い放ち、泣く子をなだめるように説きつける。
「だって、昨日は紋付袴でお出かけになられましたよ。女の所に通うのに、正装してたらおかしいでしょう」
久藤は昨夜は店には来なかった。
だが、きっとどこかで千尋に会ったに違いない。
その際、女の所に通うのだからついてくるなと、追い払われでもしたのだろう。
佑輔の純朴さが微笑ましくなり、父が子に注ぐ眼差しでもって佑輔を包み込む。
当の佑輔といえば、指摘をされて初めて気づいたように絶句する。
しかし、すぐに顔に真っ赤にすると、猛然と身を翻して庭先を去る。
そうして肩をそびやかせながら千尋を探し、朝餉の支度に追われる厨の前を通りかかった時だった。
「何どすのん? それ。お汁粉みたい」
店の下男や近所の童女や少女に囲まれて、千尋が竃の前で佇み、小鍋の中身を柄杓でゆっくり掻き回す。
千尋に懐いた少女は甘えるように千尋の腕に腕をからめ、もの珍しげに小鍋を覗き込む。
しきりに匂いを嗅いだ少女は愛らしく千尋を見上げて聞き質す。
「お豆さんどすか? 旦那はん」
「すごいな。よくわかったね」
「でも、実ぃが入ってはらしませんし。なんや、えろう焦げ臭い」
「そうだよ。正解。焦がして砕いた豆に湯をかけて濾した汁なんだ」
「なら、黒豆茶どすな?」
「飲んでみるかい?」
千尋は笑って柄杓を取った。
湯飲みに少量注がれた黒い汁に、少女は恐々口をつけかけた。
だが、突然背後から湯飲みを奪われ、険しい顔の佑輔の袖に匿われる。
「悪戯がすぎますよ。こんな子供に飲ませるなんて」
佑輔は千尋を厳しく叱りつけたが、大して堪えた様子もなく、ほくそ笑む。
「ちゃんと砂糖で甘くしてある」
柄杓で珈琲を掬い上げて小皿に注ぎ、いきり立つ佑輔を煽るように味見する。
「お前だって子供の頃から平気で飲んでいたじゃないか。慶喜公は西洋風の食事や飲み物がお好みだからな。子供のくせに珈琲の苦味に臆さない。佑輔は忌避するどころか、珈琲を見ると飲みたがる。慶喜公はお前の度量にいつも目を細めていらっしゃった」
まるで慶喜公の色小姓だった過去を取沙汰されたかのようだ。
佑輔はぐっと喉を詰め、激しく瞬き、じわじわ視線を土間まで下ろす。
千尋は相手を一撃で封じ込めたり黙らせる。
昨夜はどこで誰と過ごしていたのか、追及させない意図を汲みとり、歯噛みする。
「それに珈琲は頭の薬だそうじゃないか。お前も知っているだろう? お前が優れて秀でているのは珈琲を好んで飲んだからじゃないのか? だったら、うちの店子にも飲ませてやろうとしただけだ」
「頭の薬が必要なのは、千尋さんの方ですよ」
佑輔は、いつになくはしゃいだ空気を醸す千尋を一刀両断に切り捨てる。
くるりと背中を向けた直後、背後から柄杓が飛んで来た。
柄杓は随分的を逸れて、厨の壁に当たって土間に転がった。
「朝っぱらから喧嘩ですか? まったく仲がよろしくていらっしゃる」
苦笑いをした花村が柄杓を拾っているうちに、入れ替わるようにして佑輔が厨を出る。
花村は佑輔が去るのを肩越しに見届けたのち、千尋に近寄り、耳打ちした。
「壬生浪士組の沖田総司が来ています」




