第二話 怪物
「出せますよ」
珈琲ミルのハンドルを回しつつ、平然として千尋は言い切る。
まるで小使い程度の認識だ。
驚きの余り息をつめた才谷が注視する中、才谷が揃えた濾紙を急須に敷くと、その上にさらにミルで砕いた粉を盛ると、鉄瓶から湯を細くゆっくり注ぎ入れる手際も良かった。
通詞もしていた横浜の外国人居留地で、飲んでいたのかもしれない。
少し考えれば気がつくことが出来たのに、その間が持てない。悪い癖だが、今更だ。
「まっこと怪物やな、おんしは」
生糸問屋を十七で興し、得意の語学を駆使して欧米諸国と交易し、巨額の富を得たとは聞いた。
だとしても、二十歳やそこらの青年が扱う金の額ではない。
胆を冷やした才谷は、葉巻の煙を長く細く吐き出した。
どうやら自分が知っているのは、千尋のほんの一部にすぎないらしいと思うと、胡坐をかいた才谷は、肩を落として伏し目になる。
「なら、手を打とう」
再び目を上げ、断言した。
「ありがとうございます!」
千尋は、ぱっと顔を明るくした。
七輪の五徳に鉄瓶を戻し、あらためて才谷に額づいた。
ひとしきりの交渉を済ませた千尋は、打って変わって目元をくつろげ、急須から琥珀色の液体を、ふたつの湯呑になみなみ注いだ。
ひとつを才谷に差し出して、千尋は残りの湯呑を掌の中で揺らしつつ、馥郁とした香りを楽しむ。
「飲まんがか?」
「いえ、頂きますよ。でも、猫舌なんです。すみません」
「なんだあ? 猫舌? いい歳をして」
才谷は持参した羊羹を懐紙に乗せて楊枝で切り分け、千尋に勧めた。千尋は酒より甘味の方を好むのだ。
才谷自身も楊枝を刺して頬張ると、珈琲を口に流し込む。
「おんしゃー酒も煙草もやりよらん。悪所通いもしやーせん。根っからの甘党で、おまけに猫舌ときたか。まるで童だ」
悪態をつく才谷に、千尋は憎まれ口のひとつも言わずに笑んでいる。
この生温いような微笑みの裏に、どんな闇が潜んでいるのか。
計り知れない気がした才谷は肩で深い息を吐き、黒光りのする床柱に背中を預けて、しばし惚ける。
窓の外に目をやれば、ぽかりと浮かんだ満月が、糺の森の黒影を深めている。
「げに、おんしゃーなんぼになった」
「さあ……。どうなんでしょう」
千尋は他人事のように語尾を濁した。
そんな話はどうでもいいと言わんばかりに羊羹と珈琲をかわるがわる口に運び、目を猫のように細めている。
「さあって……。わからんことはないろう」
「だって、私は親無しですから。とりあえず、二十二、三にしているだけです。奉行所に届けも出されていませんでしたし、調べようがありませんよ」
それの何が問題なのかと、千尋が目顔で語っている。
才谷はまたひとつ千尋に関して初めて知った事実に驚く。
出生届けも出されなかった赤子が今まさに、この国の舵を握っているのだ。




