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死か降伏か  作者: 手塚エマ
第六章 才谷梅太郎
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第一話 才谷梅太郎

 茶屋の二階に案内されて階段をあがった千尋は、廊下の途中で女中を追い越し、階段近くの座敷の襖を開け放つ。

 すると、中にいた総髪の男が格子窓の縁に腰かけ、親しげに手を挙げる。


「才谷さん!」

「おう。久しぶりだな。生きとったがか?」

 

 子供のように屈託のない笑顔で答えた男は、やや猫背ではあるものの、肩幅が広く、胸板も厚い。

 窓の縁に座った彼は長い足をもてあますように、西洋風に組んでいる。

 

「遅くなって申し訳ございませんでした。ご足労頂きまして痛み入ります」

 

 千尋は敷居の前で膝をつき、深々と頭を下げて無礼を詫びた。


「よせよせ。ほがな堅だらしぃこと」

 

 詫びられた才谷は頓着とんちゃくもせず、しきりに千尋を手招いた。

 足元に置いた七輪に銅製の煎り網をかけ、軽く前後に振りながら、中の豆を炙っている。

 風もない蒸すような夏の夜気と七輪の熱とで、才谷の顔から汗が滴る。


「やっぱり珈琲なんですね? 外まで匂ってきてましたよ」 

 

 千尋は才谷の傍らに走り寄り、銅網の中を覗き込む。

 大豆用の煎り網の中では香ばしく色づいた珈琲豆が踊っている。

 

「なんだ。知ってたのか」

 

 途端に才谷は肩を落とし、豆を煎りつつ溜息を吐く。


「おんしはなんちゃー、よお知っちゅうから、驚かせるがやき苦労する」

「驚きましたよ。夏の夜に七輪なんて持ち込んで、焦げ臭い豆を煎ってるなんて」

 

 鼻のつけ根に皺を寄せて笑う千尋の滑らかな頬を、才谷が摘んで引っ張った。


「なんちゅう可愛い顔をするがだ。おまんも焼いて食っちまいてえ」

「離して下さい。しゃべれませんから」

 

 つきたての餅の感触を楽しむように頬を揉む才谷に、眉を開いて苦笑する。

 今は脱藩浪士であるものの、才谷の実家は武士階級の土佐郷士。

 武家としての位は低いが、裕福な豪商だとも聞いている。

 にも関わらず、町人の自分に対しても分け隔てなく接してくれる。 

 そんな彼との三月みつきぶりの再会をひとしきり堪能したのち、千尋の方から水をむけた。


「薩摩は、どうでしたか?」


 更に才谷に促され、座布団を使って端坐する。


「ああ、いかん。集成館しゅうせいかんが真っ先にやられた。イギリス艦隊に城も町もなんちゃーじゃかも灰にされて、藩は惨敗。まぁ、当たり前ゆうたら当たり前やき」」


 集成館は薩摩藩主の命により、軍事力強化を目的として創建された、アジア初の近代洋式工場群を差して言う。

 特に製鉄・造船・紡績に力を注ぎ、大砲製造から洋式帆船の建造、武器弾薬から、食品製造、ガス灯の実験など、藩は幅広い事業を展開した。

 しかしながら、江戸へ下った薩摩藩が上洛する際、イギリス人四名が騎馬で行列を横断し、列を乱したとして、供回りが斬りかかり、三名が薩摩藩士に殺傷された。


 幕府と薩摩藩に謝罪と賠償を迫ったイギリスは、艦隊で鹿児島湾に襲来した。

 集成館のような軍事施設だけでなく、鹿児島市街地にも甚大な被害を及ぼした。


 渋面を浮かべた才谷は銅網を降ろし、五徳に鉄瓶を乗せて湯を沸かす。

 続いて木製のミルに煎った豆を移し換え、七輪の炭火に葉巻をかざす。

 才谷が葉巻を吹かしつつ、ミルで焙煎豆を砕く音に耳を傾け、才谷の静かな怒りが収まるのを待つ。


「イギリスは何と言ってきてますか?」 

「先だっての殺傷事件で幕府が出した賠償金が十万ポンド。だとすると、なんぼ吹っかけてくるかぇ」

 

 千尋を試すかのように、才谷が上目使いに凄味を利かせる。


「今回は薩摩藩への賠償請求ですからね。地方に金が回っていないことぐらい、向こうも承知しているでしょうし。現実的にならざるを得ないでしょう。幕府には十万請求したんですから、二、三万ポンドで講和するんじゃないですか?」

「……出せるがか?」

「今の薩摩藩には無理ですよ。集成館の建造にいくら注ぎ込んだと思ってるんです? 才谷さんだって、ご承知のはずだ」

 

 遠い目をして葉巻をふかす才谷からミルを引き取り、千尋は軽快にハンドルを回し始めた。すると、才谷は陶製の灰皿に灰を落とし、葉巻の先で千尋を差す。


「おんしのことだ。俺が言うちゅうのは」

 

 炯々《けいけい》と目を光らせて千尋に迫る才谷は、浪士の顔になっていた。


「おんしに三万ポンドが出せるがか?」



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