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死か降伏か  作者: 手塚エマ
第五章 久藤祐輔
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第六話 千尋の女

 幸い今夜は晴れ満月。

 千尋は提灯なしで夜道を歩いた。

 路地裏の縁台将棋にたかる参客に、蔦屋の常連を見つければ、挨拶を欠かさない。

 そんな彼らが持ち込んだ蚊遣りの煙が小路にたれこめ、ボヤのようになっていた。


 江戸とは違い、京の川底はどこも浅い。

 舟遊びは出来ないが、代わりに水辺にとこを張り出し、納涼する。

 北野天満宮の茶屋街から芸者をあげるなどして酒宴を楽しむ粋人すいじんで、床はどこも賑わっていた。


 爪弾かれる三味線のえんな音色に耳を傾け、鴨川の川岸を浮足立って歩いていると、柳の影から現れた前髪の少年が千尋の前に立ちはだる。

 

「今夜は随分と、ご機嫌じゃないですか」

 

 腕を組み、はすに構えた佑輔が、絶句する千尋を射すくめる。


「あの壬生浪に、あれだけの啖呵切っておいて独り歩きするなんて。無用心もいいところだ」

「……何の用だ」

 

 無意識に後退さる千尋を佑輔が茶屋の板塀まで追いつめる。


「どちらに行かれるんです? 軒先まで送りますし、帰りは迎えに上がります」

 

 長身の佑輔は小柄な千尋を憮然と見下ろし、限りなく平坦に宣告する。

 しかし、千尋は煩わしげに眉間を曇らせ、言い返す。

 

「伴なんざ要らねぇよ。お前の方こそ、とっとと帰れ」

「また私には言えないんですか? 千尋さん」

「言えないんじゃない。わざわざお前に教える必要がないだけだ」

 

 千尋は脇をすり抜け、歩を進める。しかし肩を掴まれ、戻される。


「いちいち構うな! 関わるなって言ってるだろう!」

「なぜ隠すんです!」

「いいから離せ! 急いでるんだ、こっちは!」

 

 もがく千尋を佑輔は板塀に叩きつけ、間近に迫って訴える。


「どうして言ってくれないんです! なぜ隠すんです! あなたはいつもそうなんだ。大事なことは何も私に教えてくれない」

 

 肩口を押さえ込まれ、責めたてられても千尋は何も答えない。

 不貞腐れたまま顔を背け、頑なに口を噤む千尋がやがて、片頬にあざけるるような薄笑いを漂わせ、うそぶいた。


「だからお前は()()()だっていうんだ。俺は」

「千尋さん……?」


 床で手筒花火を打ち上げて、女を沸かせているのは江戸からのぼった大名か。

 強ばる佑輔を脇にけ、千尋は勢い勇んで路地に出る。

 けれども行き交う人に肩を突かれ、よろめきながら柳の幹に手を着いた。

 

「……女のところ、なんですか?」


 茫然自失の佑輔が、かろうじて言葉を絞り出す。


「そういうことだ……」

 

 開いた衿を忌々しげに正した千尋が言い放つ。

 天衣無縫てんいむほうな弟分の男の顔を垣間見せられ、千尋の鼓動が逸り出す。

 これまでも我を張る佑輔に腕や肩を掴まれ揺さぶられ、責めたてられても、子供の駄々《だだ》だと、いなしてきたのに動じている。

 耳や頬まで熱くなる。

 心と体の混迷を悟られまいと背中を向けたが、突然咳き込み、膝を折る。


「千尋さん!」


 柳の陰で激しくえづく千尋に駆け寄り、佑輔は肩に手をかけた。

 千尋は気鬱や疲労が重なると、ぜんそくの気がたまに出る。


「いけない、千尋さん。また咳が……」

 

 肩で息を喘がせる千尋の背中をいつものように擦った途端、激しく肘で払われた。


「俺に構うな! さっさと帰れ!」


 花火が上がる砲の音がするたびに、夜空と川面に極彩色の花が咲く。

 はしゃいだ女子供が手を叩き、茶屋の窓辺も見物客が顔を連ねる。

 誰もかれもが天を見上げる人いきれを、千尋は俯き、掻き分けながら走り去る。

 まるで逃走するように。


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