第五話 詮索無用
蔦屋の番台に向かい、花村は険しい顔で帳簿を閉じる。
溜息混じりに立ち上がり、帳簿を片手に暖簾の奥の廊下に出た時だ。店主の千尋と鉢合わせた。
「ちょうど良かった。今、相談に上がろうとしていた所でしたので」
「私にですか?」
「この方々からの御支払いが少々滞っておりますが」
花村が開いた帳簿を千尋が覗き込む。
ツケ払いのまま集金がままならないのは商家の娘や長屋の女房ではなくて、長州、薩摩の藩士ばかりだ。
「長州も薩摩も羽振り良く見せかけているだけで、台所は火の車のようですね。構いませんので、そのままにしておいて下さい」
「ですが、このままですと、また足が出てしまいます」
「いいんですよ、この店は。こうして市中や藩の懐実情がわかれば、それでいいんです」
青色吐息の困窮を笑殺し、勝手口へと進み出す。
まるで売り物を持ち逃げされても平気だと、言わんばかりの顔つきだ。
それでも店の番頭に何かを問う間を与えない。
こういう時の若き主人は追及するなと、静かに背中で語るのだ。
「これからお出かけなんですか?」
花村は見送るつもりで後を追い、話の筋を変えて訊く。
真新しい元結で総髪の髷を整えて、羽織袴で珍しく夜歩きに出る主人を冷やかす口調になる。
こうして衣を改めさせると、まだ前髪の小姓のように瑞々しく、人の目を引く華がある。
「誤解しないで下さいよ。むさくるしい相手と味のしない酒を飲んで帰ってくるだけです」
「なんだか奥方様に言い訳しているみたいですね」
「花村さん」
「ご心配には及びません。久藤さんがいらしたら、そのように私からちゃんと言いますから」
日が落ちる頃合いに一人で店を出たと知れたら、どこに誰と行ったのか、
狂ったように騒ぎたてるに違いない。
だから夜更けに訪ねて来たなら、商談に赴いたのだと宥めるつもりでいたのだが。
「では、いつものように裏門の閂は開けておきます」
「いいえ。帰りは朝になります」
突然に、顔を伏せた千尋の語勢が尻下がりになる。
「……朝、ですか?」
留守中に久藤や堤に何かあってはいけないと思っているのか、千尋の外出時間は手短だ。そんな彼が一晩店を開けるという。
訝しんだ花村は一瞬眉をひそめたが、美貌の店主は勝手口で草履をつっ掛け、腰に脇差を差し入れる。
どうやら今夜の外泊も詮索無用の類らしい。
ともあれ自分の役割は番頭として蔦屋を支え、有事の際には堤や久藤に助けを求める。
分をわきまえて、彼らの邪魔をしないこと。それが務めなのだと思っている。
「お気をつけて、行っていらっしゃいませ」
千尋につき従った花村は店の外まで出て行くと、夕闇に沈む京の街に紛れて消える主人の背中を見送った。




