第三話 いざとなれば
八坂神社の門前で、千尋が屋台でうどんを啜っていると、ぽんと肩を叩かれる。千尋は箸を止めたのち、肩越しに振り向いた。
「えらい評判でんなぁ、あんさん」
背後には見知らぬ男が立っていた。
しかも、こぼれるような笑みを湛え、「わてにもカケ」と、屋台の亭主に告げるなり、長椅子を跨ぎ、千尋の隣を陣取った。
そのまま様子見を決め込んだ千尋は、相槌ひとつ返さない。
だが、よほど機嫌がいいのだろう。
男も突き出た戸板に置かれた丼を持ち上げて、熱い汁から味わった。
「あの芹沢鴨に啖呵切ったんやて? あんさんひとりで滅多斬りにしたそうやないか」
男は高価な薩摩上布の帷子に細い優美な本多髷。
どこぞの大店の若旦那といった風貌だ。
「ほんまに豪気な御人やなぁ。だいたいうちかて、どんだけ今まで押し借りされたと思います? 仇討ってもろたて、みんな、ずっと小躍りしてまっせ」
「ほんまどすな。わてかて久々に胸のつかえがすーっと下りた気、しましたわ」
話に乗った屋台の親父も客の男と目と目をかわして頷き合う。
壬生浪士組の報復を恐れて泣き寝入りするしかなかった町人たちの代弁者であり、恨みつらみを晴らしてくれた、呉服屋のうら若き店主。
今やそれが看板になっている。
千尋は男の話を聞きながら、どうにでもとれる微笑みを昇らせた。
「これからうちもあんさんとこ贔屓にさせてもらうし。あんじょう頼むわ」
男は千尋の分の代金も払い、上機嫌で立ち去った。
弾むような足取りの、はしゃいだ後ろ姿を一瞥し、千尋は冷笑しながら再びうどんを啜り出す。
壬生浪士が蔦屋に『討伐』されたとする、勧善懲悪仕立ての瓦版が撒かれたり、街のあちこちに貼られるなどして、面白おかしく騒いでいる。
土方は町屋の塀の張り紙を引き剥がし、丸めて路地に投げ捨てた。
「これが奴の描いた絵図だったって訳か」
騒動前とはうってかわって蔦屋も賑わいをみせている。
千尋も呉服屋の主人らしく生絹で仕立てた鼠色の単衣に角帯を締め、京の女たちを遇している。
屋台を離れる蔦屋を塀の陰から睨み据え、土方が路地に唾を吐く。
供の沖田が口を噤み、沈黙を通していることも、土方の苛立ちに拍車をかける。




