第十五 入獄
「歴とした水戸藩附家老久藤家の若君は……」
千尋は京都町奉行所の敷地の中に建てられた獄舎の壁にもたれながら、謳うように言い足した。
「蔦屋を兄とも師とも慕う者だそうだな。初耳だ」
「千尋さん」
すぐ側の文机に向かい、硯で墨を擦っていた佑輔は咎めるような声を出す。
「嘘も方便というものです。本気にしてもらっては困ります」
眉根を寄せて睨みを利かせた佑輔に、千尋はクッと喉を鳴らして嘲笑した。
そのまま畳に仰向けに寝転ぶと、両腕で腕枕をする。
本来ならば町人は、板敷きの大牢に大人数で押し込められ、横になることすらも叶わないまま、膝を抱えて眠らなければならない扱いだ。
にも関わらず、佑輔が自分も町人と同じ大牢に入獄させろと、奉行所の与力の本間にごね出した。
奉行所には大牢とは別格の、武士や僧侶を留置させる揚屋があるのだ。
佑輔は、大牢に自分も入所をさせるか、自分と同じく千尋も揚屋に逗留させるか、どちらか選べと本間に迫った。冷然と。
選んでいいと言われたところで選びようがないことは、承知の上でのごり押しだ。
結局、二人して揚屋に入牢した。
揚屋の八畳の間は青々とした畳敷き。絹の夜具も書も文机も揃っている。
もちろん相部屋ではなく、二人の他に先客もない。
見廻り役が監視を行う物々しい格子すらなく、廊下に面した木戸にのみ、錠が掛かっているだけだ。
生まれながらに宿命づけをされる身分が死の瞬間まで待遇を分かち、徹底的に選別する。千尋は胸の中で反吐を吐く。
そんな身分の頂点に近い階層に類する佑輔にまで反目したくなった千尋は、背を向けるために寝返りをうつ。
「千尋さん。腕が痺れてしまいますよ」
立ち上がった佑輔が、座敷の隅に積まれた夜具から枕を持ち出し、千尋の頭に宛がった。
反発するかと思いきや、存外に素直に受け入れられた佑輔は、胸の中にぽっと灯りが点ったようになる。
そんな千尋を団扇で緩く扇いだ佑輔は、細いうなじに貼りつく髪を梳いてやる。
やがて首筋にこびりつく傷の血糊を見咎めて、柳眉をひそめた佑輔が小声で訊ねる。
「痛くありませんか? 刀傷がありますよ」
「たいした傷しゃねえよ、こんなのは」
壬生浪士組の沖田とかいう男がつけた傷痕だ。
夜目にも白い絹の肌。一文字に浮き上がる赤い刀傷。佑輔は頬を紅潮させ、俄かに逸る胸の鼓動を鎮めるために話の筋を変えて訊く。
「……詮議は一体どうなるのでしょう」
「さぁな」
「とにかく、芹沢側から抜いたことを立証しなければなりません」
「壬生浪を敵にまわすような証言を、わざわざしたがる奴なんていやしねえ」
深刻に腕組みをした佑輔を嘲るように千尋が大きなあくびをした。
佑輔はこれ以上千尋に問いても無駄だと悟り、口を噤んで思案を続ける。
町人だろうと脇差であれば帯刀が許される。
だとしても、抜刀への免責は有事の防護に限られる。
しかも、斬った数が尋常ではない。
果たして詮議の場で、ありきたりの防護の言い分が通るのか。
思いあぐねた佑輔は嘆息した。
揚屋には南向きの縁がある。
高い板塀で区切られているものの、沓脱岩で草履を履き、手入れをされた小庭に下りて陽を浴びることも許可される。
今は夜風を取り込むために障子は開け放たれている。
差し込む月の白い光が二人を蒼く象った。
佑輔が蚊遣りの煙を見るともなしに眺めていると、手燭台で訪れた見廻り役が木戸の窓から顔を出し、「久藤様」と、小声で招いた。
錠を外す音がして、千尋がおもむろに振り返る。
「本間が与力の座敷に床を延べさせて頂くと申しております。どうぞお移り下さいませ」




