第十一話 後ろ盾
「水戸藩附家老久藤家の三男です。七つで水戸藩校に入塾する以前より、美貌と抜きん出た聡明さで広く知られていたようです。藩校で教鞭をとる水戸学者に推挙され、将軍後見職の徳川慶喜様の小姓を昨年まで、お勤めになられたとのことでした」
「慶喜公の小姓だったのか……」
土方は拳を顎に当てながら、唸るように呟いた。
単に水戸藩家老の子息というだけでなく、慶喜公の後ろ盾まで有している。
「慶喜様も、お生まれは水戸藩でしたから。そのご縁もおありだったんでしょう。また慶喜様は、幕府の老中の命令で一橋家の世嗣におなりになられた後、薩摩藩の後押しを得て、将軍後見職に就任なされたばかりの御方です。その慶喜様から久藤様は眩しいほどのご寵愛を受けておられます」
「……つまり、慶喜公の懐刀というわけか。その久藤佑輔とかいう前髪は」
徳川慶喜は黒船ペリーの来航で、幕府の吸引力が衰えた途端、政権略奪の好機を狙い始めた薩摩藩の推挙により、将軍に次ぐ地位の将軍後見職に着任した。
薩摩は徳川幕府の中枢に、反勢力を食い込ませたのだ。
将軍後見職は幼少期の将軍の傅役という名目なのだが、幼い将軍に成り代わり、摂政として藩主に下知する権限まで持つ。
にも関わらず、幕府に対する忠誠心が殊更厚い会津や桑名藩とも手を組んだ。
討幕派の藩士等の暗躍を抑止する京都所司代の職務を強化するため、京都守護職を新設したのも慶喜公。
その京都守護職に就任したのも、会津若松の若き藩主だ。
いったい反幕派なのか親派なのか、結局のところわからない。
徳川慶喜は、そういう食えない大名だ。
面倒なことになったなと、土方は胸の中でひとりごちた。
その慶喜公が溺愛する美小姓に、自分達は喧嘩を売ったことになる。
だが、幕府の枢機に関わる要人が都入りした内実を、なぜ会津藩は知らせてくれなかったのか。
土方の眉間に刻まれた皺が深くなる。
会津藩にとってすら、『御預り』という非正規部隊の壬生狼など、所詮その程度の軽さなのかと、捨て鉢な気分になりかける。
そんな土方に反して監察方の宮迫は、主君の会津藩主に不満を見せる素振りもなく、調べた事実をごく淡々と言い述べる。役職とはいえ、一切私情を挟まない見事な感情の御し方に、土方は内心感服した。