94.王妃様
唐突に始まった騎士団での生活はこれまでにも指南役をしていたお陰か、そこまで大変なものではなかった。基本的には騎士たちの訓練をみながら、何かイベントがある時にだけ護衛役としてついて行くだけだ。
平の騎士たちのような街の巡回や外の魔物討伐は私には回ってこない。まぁドラゴンや女王レベルのが出たらまた話は違うのだろうけれど。
「まだまだぁ……!」
「ホセ殿、後ろがつかえておりますので……」
「むぅ、そうか……。儘ならないものだな……」
初日にボコボコにした第二騎士団団長のホセ・リーバーも今では心を入れ替えて訓練に顔を出し、騎士たちと同じようにこうして私とも剣を交えている。
身体はなまっているようだが、そこは流石団長だけあって培ってきた剣の技術や経験で補えているようだ。お師匠様やラディウス殿には及ばないまでも、そこいらの騎士より断然強い。
何よりも驚いたのが、訓練で私に敗れて倒れたところを見て笑った騎士に対して言い放った言葉だった。
『我々は泥に塗れ這いつくばってでも強くならんといかんのだ! クローヴェル卿に全て任せるつもりか!? お前たちも何の為に此処にいるのか今一度思い出せ馬鹿者!!』
……本当に同一人物だろうか。
そのあまりの熱血ぶりに感化される者も出てきたりして、何だかんだで第二の団長は伊達ではないのだなと私も認識を改めたくらいだ。
そうやって日の出から日没まで騎士たちの訓練に付き合い、夜は一人で魔法の特訓をするという暮らしを続けている。マチルダには悪いけれど、寮の自室でじっとしているとどうしても屋敷を思い出してしまうのだ。そんな寂しさを紛らわせるために、これまでにない勢いで訓練に打ち込んでいる。
それに今はまだ部下を率いては居ないけれど、団長と同等の地位にいるのだから、どんな状況にでも対応できるよう私なりの武器を増やしておきたいという理由も一応ある。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
『付与:身体強化』
ある日、新しく考えた魔法を試しに近くにいたレベッカに使ってみる。私の魔力で他人を包んで身体強化の効果を与える魔法だ。自分ではなく他人に使うことでしか効果を発揮しない魔法はこれが初めてだったりする。
「うひゃあ!?」
発動した途端、素っ頓狂な声を上げて自分の身体を抱きしめるレベッカ。
「だ、大丈夫……?」
「自分のものではない魔力に身体をピッタリ包まれるなんて初めての感覚で……」
「やっぱり皆そうなのね……。それでどう? そろそろ効果が出てきたと思うんだけど」
「えぇと……うわっ!? 凄いです! 自分の身体じゃないみたい!」
恐るおそる動き出したレベッカはまるで積もった雪を見た子供のようにはしゃいで走り回っている。いつもの冷静さやお淑やかさは何処へ……。
「うわ……速っ! でも身体強化なんて強化する身体は人それぞれなのに、どうやっているんですか?」
ミーティアがその様子を見て驚きつつも的確に疑問を投げ掛けてくる。
「一番最初に与えた魔力の一部を使って相手の身体を調べてるの。相手の身体に染み込む染料をぶっかけて、筋肉や骨にそれぞれ色付けしてるようなイメージかな。だからその時に違和感もあるし、効果が出るまでにもちょっと時間が掛かるみたい」
自分自身に使う時だけでなく、他人に使う時にもこの手順が必要になることはマチルダに協力してもらって判明した。初めて試した時のおばちゃんとは思えない可愛らしい反応は未だに忘れられない。
「なるほど……。確か魔力は出所が違えば足し算にはならないはずなので、実用化出来るのはレオナ様ぐらいですよね。普通なら自分で身体強化した方がよっぽど効率が良いでしょうから」
一本の剣を二人で強化しても、出力の大きい方が優先されるというのは周知の事実である。それは剣ではなく人でも同じようで、今ああやってはしゃいでいるレベッカが自分で身体強化を使ったところで何も意味はないということだ。
「私だからこそ出来ることを増やしていかないとって思ってね。私を良く知らない人に、ぶん殴る以外で価値を示せるように……」
「レオナ様が騎士団に入団されたと聞いて私はただ喜んでいましたけど、やっぱり色々あるんですね……」
「本当よ……。今はとにかくエルグランツの屋敷が恋しくて仕方がないわ……」
そう愚痴を溢した私の隣で難しい顔をしているミーティアは、はしゃいでいるレベッカの様子を黙って眺めていた。
――付与の効果が切れて動きの落差に対応出来ずにすっ転んだレベッカを見るまでは。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
ある日私に王都の巡回をしている騎士たちから緊急の要請が入り、大通りからも離れた建物が少しごちゃごちゃしている区画へとやってきた。
「クローヴェル卿! お手数をお掛けして申し訳ございません!」
「構わないわ。状況を教えて」
「はっ! 三十分ほど前、母親の目の前で幼い子供が一人の男に攫われまして、通報と同時に周囲の人間が追跡していたようなのですが、我々が到着した時にはもう見失ってしまっておりまして……」
「騒ぎがあったのを目撃していた住民たちの証言によると、この区画の中に潜んでいるのは間違いないのですが、なにぶん範囲が広いので捜索に掛かる時間と誘拐された子供の体力を考慮し、クローヴェル卿にご助力を願い出た次第です」
騎士たちが順番に説明してくれる。ダラダラと時間を掛けていては幼い子供が危ないと、とても納得の行く話だった。
「……わかったわ。区画の中心まで移動するわよ」
『はっ!』
騎士たちを引き連れて誘拐犯が潜伏していると思われる区画の中心にやってきた。
「ちょっと気持ち悪いかもしれないけど我慢してね」
『全てを見透かす波紋』
右手に作り出したバレーボールぐらいの大きさの魔力の塊を地面に落とすと、その塊は次第に小さくなっていく。
そして直径が二・三センチくらいにまで縮んだあたりで、弾けるように目にも留まらぬ速さで、途中に触れたものを全てすり抜けながら拡大していった。
「うひ!」「ひょえ!」「あぁ~ん……」
私の魔力に身体をすり抜けられた騎士たちが身もだえしている。
その原理は『付与:身体強化』とさして変わらない。私の魔力に触れたものをしばらくの間、リアルタイムでその動きを頭の中に思い浮かべることが出来る魔法だ。
「……ここから南南東の倉庫らしき大きな建物の隅で子供を抱えている不審な男がいるわ。位置的にあの赤いレンガの建物かしらね」
『軍隊魔法:身体強化』
私が右腕を振り上げると大量の赤いバラの花びらを模した魔力が宙を舞う。それらが騎士たちに降り注ぎ、触れた者に身体強化を付与していく。
直前に一度私の魔力に触れたお陰か、みんな身もだえすることなく効果を肌で感じて驚きの声を上げている。
「移動するわよ!」
『はっ!』
現場に到着してもその不審者は変わらずそこに潜んでいた。子供を盾に抵抗してきたけれど、そこは荒事のプロである王国騎士団、私が出る幕もなく誘拐犯を取り押さえてくれた。
「本当に……本当にありがとうございました……!」
「もうこの子の手を放しちゃダメよ? ……子育て頑張ってね」
事の行先を見守っていた大勢の住民達の前で、安堵で涙を流す母親に子供を引き渡す。その瞬間周囲から盛大な拍手が送られた。
「『いばら姫』レオナ・クローヴェル魔導伯に敬礼!!!!」
突然騎士の一人が大きな声で号令をかけ、その場の騎士全員が敬礼をする。敬礼をする習慣のない住民たちも見よう見まねで敬礼してみたり、頭を下げたりといった形で反応している。
私はそれに内心驚きつつも、努めて平静を保って騎士団に帰還した。
「……ねぇ、さっきのアレは何だったの?」
先程の号令を実際に出した騎士に問いかけると、また敬礼をして誇らし気な表情を浮かべて口を開いた。
「クリストファー殿下よりクローヴェル卿の活躍をアピール出来る時はアピールせよとのご指示がありましたので。しかし私はその指示がなくともしていたことでしょう! それ程までに鮮やかな手腕で御座いました! 私も感動致しました!」
「そ、そう……ありがとう」
殿下の言いたいことはわかるし、私もその必要性は理解しているつもりではある。ただそれでも今回のようなものは小恥ずかしいというのが正直な感想だった。
まぁそれでも大きな被害もなく、特に時間も掛からずにすんなり解決出来て安心した。
……というのも、この後王妃様とお茶をする予定が入っているのだ。もう今朝からずっと緊張している。
既に何度かお会いしているとはいえ、他にも人が沢山いる中でのみで、個別でお話したことはまだ無い。流石に悪いようにはならないと思うけれど、こればかりはどうしようもない。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「クローヴェル卿がご到着されました」
「どうぞ、入って頂戴」
衛兵にドアを開けてもらって中へと入る。
初めて見る王妃様の私室はそれはもう上品な美しさに溢れた素敵なお部屋だった。私ではお金があってもこうはならないななどと思いながら王妃様の佇むテーブルへと近づいていく。
「王妃様、ご機嫌麗しゅう存じます。本日はこのような機会を設けて頂き、恐縮で御座います」
私が挨拶すると、王妃様は苦笑いしながら席へと促してくれた。
「もぅ……そこまでお堅くしなくていいのよ。今日はお喋りしたくて呼んだのだから楽にして頂戴!」
「は、はぁ……。ではお言葉に甘えて……」
何だかこの感じには覚えがある、ウェスター公爵夫人であるヴィクトリア様だ。そのお立場の割に物凄く気さくで親しみやすいお方だったことに衝撃を受けたのをよく覚えている。
伝わらないし失礼だから絶対に言わないけれど、前世でスーパーのバイトで一緒に働いていたパートのおばちゃんたちにノリがそっくりだったのだ。
もちろん貴族らしい気品があるので全く同じではないのだけれど、高貴な方々もプライベートは皆こんな感じなのだろうか……。
「レオナちゃん――あ、私のことはエレオノーラで良いわよ! どう? 騎士団での生活は?」
(レ、レオナちゃん……軽い……)
貴族相手にちゃん付けされたのは初めてではないだろうか……。ヴィクトリア様でもさん付けだったような気がする。まぁ意外なだけで別に嫌ではない。
「王妃さ……エレオノーラ様が私にマチルダを付けて下さったお陰で快適に過ごせていますよ」
それは一応本当のことだ。マチルダは甲斐甲斐しく私の世話をしてくれているし、わざわざエルグランツの屋敷が恋しいだなんて言う必要はない。
「……本当に? 使用人たちと引き離されて寂しいのではなくて……?」
それなのにエレオノーラ様は眉を下げて申し訳なさそうな微笑みを向けて、すぐそれについて尋ねてきた。
「そ、そんなことは……」
「マチルダからも報告を受けているわ。『頼っては下さいますが、あまり気を休めてはいただけない』とね……」
……バレバレだったらしい。流石に超ベテラン侍女相手に隠し通せるものではなかったか。
「それに貴女の親友のブリジットちゃんたちからも訴えが来ていたもの。彼女がそうするということは貴女がそれを望んでいるということ。エルグランツとの繋がりを断ちたくないのだという思いと、その理由くらいはすぐに想像が付くわ」
もう完全にこちらの心情を把握されているようだ。
実際にお会いした回数や交わした言葉の数など全く問題にならないほど、周囲の情報から私と言う人間を理解していまっている。流石一国の王の妻、尋常ではない。
「でも貴女の価値を周囲に知らしめるには、大都市とはいえ、いち地方都市に引き籠っていては都合が悪いのは事実だったの。初めて会った時に貴女が語ったように、人々との縁を大事にしているのを承知の上でこちらに呼び寄せるしかなかった。本当にごめんなさい……」
なんと王妃様は深く頭を下げてしまった。王妃様にまで頭を下げられてしまうなど只事ではない。
「エレオノーラ様、お顔をあげてください! そのお言葉だけで充分です! ここまで私を理解して心を痛めて下さっている方のためなら私、頑張れますから!」
それは心からの言葉だった。王都には殿下を始め、親しくさせてもらっている人は何人もいるけれど、それはあくまで個人であって王都という場所に情を持つには至らないもの。
けれど王妃様のように私のことを理解して、私が嫌がるのも承知の上で、私のために連れてきたということであれば、私はそれに応えたい。……もう知ってしまったから。
「ありがとう……。本当、その真っすぐなところはシェーラにそっくりね……」
突然お母様の名前が出てきたことに少し驚いたけれど、大好きなお母様とそっくりと言われるのはとても嬉しい。
「お母様のことをご存じなのですか?」
「とってもね。あの美貌と明るい性格で社交界の華的存在だったのよ。私もヴィクトリアも彼女が大好きだったわ」
そう語る王妃様はカップを片手に懐かしさに目を細めている。この人は私の知らないお母様の姿をたくさん知っているのだろう。
(聞いてみたい……)
両親のことであれば何でも知りたい、知っておきたい。今日初めてまともにお話したくらいだけれど、お願いしたら聞かせてくれるだろうか。
ドキドキしながら私はエレオノーラ様に話しかける。
「エレオノーラ様、私小さい頃の屋敷に居るお母様との思い出しかないのです。屋敷の外でのお母様のこと、教えて頂けませんか……?」
「えぇ、勿論よ! 何から話そうかしら! やっぱり若い頃から順追っての方が分かりやすかしらね!?」
王妃様はぱぁっと表情を輝かせ、私を楽しませようとウキウキで話すべき話題を探している。本当に優しい方なのだというのがそれだけで伝わってくる。
少し前にブリジットが言っていた、殿下がまだ王太子で居られている理由は、陛下と王妃様の親としての情のお陰だというのに疑いの余地はなかった。
それから王妃様とは沢山お話をした。
お母様が学生の頃から社交界でも美人で有名だったこと。
同じ学生だけではなく成人した貴族男性からも在学中に迫られていたこと。
お母様がお父様の手を取って社交界の若い世代に激震が走ったこと。
卒業して社交界デビューしてすぐに王妃様もヴィクトリア様も彼女を気に入ったこと。
その美貌を活かして貴族女性として流行の最先端を行く存在になっていたこと。
陛下と王妃様の夫婦喧嘩に仲裁役として間に入って後に伝説になったこと。
私の知らない可愛くて面白いお母様のエピソードが次々と飛び出してきて、本当に楽しくて、時間を忘れて王妃様のお話に耳を傾けていた。
「――あら、もうこんな時間ね。楽しい時間は過ぎるのも早いこと……」
この部屋にやってきたのはお昼過ぎだったのに、窓の外を見ればもう日が沈んでしまっていた。もう冬なので日が短いとはいえあっという間だった。
「えぇ、本当に……。本日はありがとうございました、とても充実した時間を過ごせました」
お母様の話を沢山聞けて本当に楽しかった。ここまでお母様と仲の良かった王妃様を好きにならないなんて私には無理な話だ。
「それは私も同じよ。私も貴女のことが大好きになっちゃったわ! ブリジットちゃんに怒られるかしら?」
「うふふ、彼女は同志にはとても優しいですよ。むしろ歓迎してくれるかと」
それはレベッカやミーティアに対する反応を見ても明らかだった。二人が仲良くなってくれるのであれば私も嬉しい。
「なら良かったわ! ――あ、そうだレオナちゃん、ひとつお願いしても良いかしら?」
すると王妃様は何やら思いついたようで、両手を合わせて可愛らしく尋ねてきた。
「何でしょう?」
「娘のシャルロットのことなのだけれど、もうじき学園が冬休みで帰ってくるの。その間も講師を付けて勉強させる予定でね、それをレオナちゃんに見張っていて欲しいの」
なるほど、下の殿下二人はまだ学園に居る歳だからその姿を見ることは出来なかったのか。私としたことがうっかりしていた。
「見張りですか……?」
それにしても見張りとはなかなかに穏やかでない単語だ。
「あの子は優秀なのだけど、やる気にムラがあるのよ。生意気なことを言ってきたら言い返してくれて全然構わないから、頼まれてくれないかしら?」
シャルロット殿下の人柄は知らないけれど、今聞いた感じではお転婆な子なのだろうか。何にせよ王妃様のお願いであれば私に応じない理由はない。
「エレオノーラ様の頼みでしたら!」
「ありがとうね! 問題がなければ話し相手にでもなってあげて頂戴」
「畏まりました」
お喋りは楽しかったし、お陰で王都に対する情も少し芽生えてきた。屋敷が恋しいのは相変わらずだけれど、それでもいくらか前向きになれたので今日はとても良い日だったと思う。
そんな自室へ戻る足取りは、こちらで暮らすようになってからの中で最も軽いものだった。