92.騎士長
そして約二か月後。私は今、騎士団にある式典などに使われる広い屋外の空間で、大勢の騎士と王都周辺の貴族が集まる中、騎士の誓いを立てようとしている。
こういうものは一般の騎士であれば、その年騎士になる者全員一度にまとめてやるものらしいので、それだけ特別扱いされているということが伝わってくる。
腰に下げている私の宝物である剣を抜いて陛下の前に跪き、差し出す。剣を受け取った陛下がこちらの肩にその刃を置き、私は誓いの文句を唱える。
「私レオナ・クローヴェルは王家に忠誠を捧げ、剣となり盾となり、ローザリア王国に住まう者全ての平穏の為に、命を懸けて戦い続ける事を此処に誓います」
肩に乗せられていた刃が唱え終わった私の前に差し出され、それに口づけをする。これで誓いの儀式は終わりだ。
「既にS級ハンターとして輝かしい功績を挙げている其方を我々は歓迎する。それを証明する証として、そしてその類稀なる魔力で我が国を平和へと導き続けてくれることを期待し、この場で其方には『魔導伯』という特別な爵位と、騎士団において団長に準ずる『騎士長』の地位を与えよう。これからはレオナ・クローヴェル魔導伯爵と名乗るが良い。――今後の更なる活躍を期待している」
「……ありがたき幸せに御座います」
ここで背後から大きな拍手と歓声が巻き起こる。陛下に促されて立ち上がり、手を振ってそれに応えていく。
入場の際には緊張であまり視界に入っていなかった観衆をようやく冷静にその視界に収めることになり、そのあまりの多さに胃が縮み上がる気分だった。それでも既に見知った顔である騎士や貴族たちから祝ってもらえるのは純粋に嬉しい。
沢山の人々に見送られながら退場し、速足で飛び込んだ控室でようやく一息ついた。
「はぁ~……やっぱりこういう場は緊張するわねぇ……」
「そうは言いながらも素晴らしい歓声だったではありませんか。きっちりとお役目を果たされたのですから、ワタクシも鼻が高いですよ」
穏やかにそう話しながらお茶を淹れてくれているのはマチルダ・ヴァルドー。私の新しい侍女の一人だ。
以前私は魔道具を作るために殿下の提示した条件を飲んだ。そしてそれは私にとってデメリットは特にないものだと当時は思っていたのだけれど、正直言って私が軽率だった。まさか生活環境が激変するというデメリットがついてくるとは。
これからは王都で暮らし、S級ハンターとしてではなく、騎士団の一員として活動するように求められたのだ。思い返せばお父様も魔力が国に知られれば王都で暮らすことになると言っていたような気がする。
今回私に与えられた「騎士長」という地位は戦闘員の頂点という扱いで、第一・第二のように特定の騎士団を与えられはしないけれど騎士たちを率いて戦うこともある、団長とほぼ変わらない立ち位置らしい。そんな地位の人間が王都ではなく別の領地にいるというのは周囲に示しがつかないのだろう。
この話を持ち込んだのも、王国騎士団での地位を与えられると言われて頷いたのも私だし、何より魔法研究所という国家機密にまで足を踏み入れておいてやっぱり止めますとは言えない。
しかしそうなると王都で新たに屋敷を購入して引っ越しするか、王都に家がない地方の貴族用の騎士団の寮で寝泊まりするかの二択を迫られることになる。前者は屋敷が気に入っていることと、そもそも王都がエルグランツほど思い入れのある街ではないこと、後者は使用人を全員連れていけないことがネックだった。
使用人の皆をまた放り出すのは論外だし、帰る予定のないエルグランツの屋敷を維持させるだけではあまりにも可哀想だ。思い入れのある街と屋敷を捨てて王都に引っ越すしかないのかと半分諦めていた。
苦し紛れにブリジットに相談してみた結果、結婚披露宴での失態との相殺を条件に始めたウェスター騎士団での訓練を無くすことは認めないと陛下に訴えてくれたお陰で訓練は継続となり、エルグランツの屋敷を使用人の皆に維持してもらう理由が残ったのだ。公爵家の方々には感謝してもしきれない。
なので私は月の四分の一ほどをエルグランツの屋敷で過ごし、残りを王都の騎士団の寮で生活するスタイルになった。その為に付けられた侍女が彼女だ。聞けば何とここに来るまでは王妃様付きだったという超ベテランおばちゃんだ。
「ありがとう、マチルダ。……もう着替えても良いのかしら?」
この日の為に用意された礼装は普段の服装と騎士団の制服を混ぜてアレンジしたような、そんなデザインで、他の騎士たちとは全く違っている。ヒール付きのロングブーツやタイトスカートは素材が上等になったこと以外は今まで通りだけど、これまで着ていたレザージャケット代わりの制服が生地もしっかりしていて息が詰まる。
ついでに肩章付きの外套が思いの外重くて肩がこる。この黒い外套、背中の部分に薔薇の花と茨がお上品に刺繍されていて最初見た時はハンターでの二つ名をそのまま利用するのかと驚いたものだ。
「私の予想ですと、この後クリストファー殿下が労いに来られますよ。もうしばらくシャンとしていて下さいませ」
「あぁ、確かにそうね……」
流石超ベテラン、まだ会って日が浅いのにもう周囲の人間関係を把握されている。
それにしても『クリストファー殿下』という言葉の響きには未だに慣れない。
私にとっては『殿下』といえば元々クリストファー殿下個人を指すものだったので、わざわざ名前を前に付ける習慣がなかった。しかしこれからは場面次第ではそうもいかない。
シャルロット殿下とエドワード殿下という歳の離れた双子の弟妹がいるので、複数の殿下が居る場所ではちゃんと区別しないといけないのだ。
といってもシャルロット殿下とエドワード殿下とは未だにお会いしていない。今回の儀式や叙爵の際にもその姿はどこにも見当たらなかった。
『コンコン』
そこにちょうど控室の前に控えている衛兵から、来客の報せが伝えられた。
「クリストファー殿下がお見えになられました」
言った傍から殿下がやって来たことをマチルダと笑い合う。
「どうぞ」
「……失礼する」
扉が開かれて入ってきたのは殿下ひとりではなく、他にも男性が二人一緒だった。
二人共四十代くらいで、殿下よりも更に背が高い金色の長髪を束ねた青い瞳の男性と、ヒールを履いている私と同じくらいの身長のこげ茶色のツンツンヘアーに飴色の瞳の男性だ。
それに何故か殿下はいつもの優しい雰囲気とは違って、真面目で近寄りがたい王太子モードだった。ソファーに座るよう勧めたのだけれど、何故か断られてしまった。
殿下が座らないのに私が座っているわけにもいかないので私も立つしかない。
「まずはご苦労だった、上層部としてはようやく肩の荷が下りて一息つけた気分だそうだ。……特に何か終わった訳でもないのだがな」
「あはは……。まぁ気持ちもわからないこともないですが……」
自らも上層部の人間でありながら、まるで他人事のように話す殿下。これは恐らく私の代わりに怒ってくれているのだと思う。
「ところで後ろのお二人は?」
「あぁ……」
私がそちらに視線を移すと、殿下も釣られて二人を見た。すると金髪の男性が苦笑いしながら一歩前に出た。
「今になってようやく初めての顔合わせとは、殿下の我儘にも困ったものだ」
声を出して突っ込みこそしないものの、「変なことを言うな」と言いたげに睨んでいる殿下。しかし男性はそれも気にしていない様子だ。
「お初にお目に掛かる、俺は第一騎士団団長のイボルグ・カーディルという。何やら弟が大変迷惑を掛けてしまったようで申し訳ない」
殿下に軽く冗談を飛ばしつつ頭を下げてくれたのは、これまで何故か一度も会っていなかった第一騎士団の団長だった。言われてみれば面影があるし、ラディウス殿と比べれば多少線が細いけれど大柄なのはよく似ている。
「初めまして、レオナ・クローヴェルと申します。ラディウス殿の件はもう気にしておりませんのでお気遣いなく。では第一の団長殿ということは――」
私がもう一人の男性に視線を向けると、とても嫌そうな雰囲気を醸し出しながら口を開いた。
「第二騎士団団長のホセ・リーバーだ。……どんな手を使ったか知らんが、急に出てきて偉そうな顔をするなよ」
「おい、ホセ!」
「…………」
第二騎士団の団長とも初対面のはずなのに何故か喧嘩腰なことに困惑する私。
イボルグ殿が諫めてくれても本人の態度は変わらず、今にも噛みついてきそうだ。
殿下は黙ったまま、そんな彼を横目で睨み付けている。
「すまない……。コイツは男ばかりの騎士団で其方に立場で追い付かれ、爵位に至っては追い抜かれてしまったことがまだ受け入れられていないらしくてな」
「…………ふん!」
なるほど、プライドの塊のような男らしい。
今回私が授けられた「魔導伯」という爵位は「伯」の字がついているけれど、階級的には伯爵ではなく侯爵クラスなのだと説明は受けている。辺境伯と同じようなものなのだろう。
追い抜かれたということはこの男は伯爵家の人間なのか。それにしても年下の新参の女に負けるのが我慢できないとは……まるで駄々をこねる子供のようだ。
「……実にくだらない」
「何だと?」
男の私を睨む目が鋭くなる。
「部下にばかり戦わせて裏に引き籠っているだけでなく、更に小娘に嫉妬する余裕まであるとは、団長とは随分と暇なのですね?」
もちろん、コイツを挑発するために言っているだけで実際に団長という立場を馬鹿にする気は全くない。いくら私を嫌っていようと、殿下もいるこの場で取り繕おうとも考えられない程の馬鹿であればこの対応で充分だろうというだけ。
「キッサマぁ!!」
「おいやめろ!」
簡単に挑発に乗ったホセは腰の剣を抜いた。それをイボルグ殿が後ろから抑えてくれている。
本当に剣を抜いてしまったことに呆れて溜め息が出る。王国騎士団のいち団長ともあろう者がこんなしょうもない男で良いのか。さっさと引導を渡してやった方が下の者や後々のためにも良いのではないか。
「――殿下、よろしいですか?」
私はホセに構わず殿下に問いかける。
「……思い知らせてやれ」
この場で殿下が注意しないのは私にそうさせるためなのではないかと思うほど、あっさりと首を縦に振ってくれた。入室した時点でいつもの雰囲気とは違っていたのも納得だ。こんな奴が居ては和やかに落ち着いて話など出来るわけがない。
何にせよ許可は下りた。
さっそく剣や手甲を外して後ろに控えているマチルダに手渡していく。王妃様が私の実力をどこまで彼女に伝えているのかは知らないけれど、この状況に戸惑っているのを見るに、そう多くは聞かされていなさそうだ。
「……では徹底的に」
私は身体強化を全開にしてローテーブルを飛び越えながら右手で払うように裏拳を繰り出してこちらに向けられていた剣を叩き折り、左手でホセの胸倉を掴むと同時に右に跳躍、ホセの身体を抑えていたイボルグ殿から強引に引き剥がした。
『ドゴォォン』
そしてそのままホセを控室のドアに叩きつける。衝撃でドアは容易く壊れ、その向こうの廊下の壁に叩きつける形になった。
ドアの破片や最初に叩き折った剣が床に落ちてカラランと音を立てている。
「はっ……? ぐうううっ!?」
侮って油断していたのだろう、ホセはこちらのスピードに反応できず、胸倉を掴まれて満足に声も出せないまま苦痛に顔を歪めている。
そこから訓練場へと向かって廊下を疾走する。左手に掴んでいる男は抵抗も出来ずに、まるで鯉のぼりのように空中を漂っているだけだ。
廊下から訓練場に飛び出した私はそのまま左手のそれを地面にぶん投げた。
地面を転がったホセが状況を理解し、起き上がろうとして片膝立ちになったあたりで、一気に距離を詰めて殴り掛かる。殺してはいけないので先程のように身体強化を全開にはしてはいないが、ウィリアムたちでも何もさせずに一方的に倒せるぐらいの出力でだ。
「ぐあっ……!」
吹き飛んだところへ歩いて近寄りながらホセが立ち上がろうとするのを待つ。立ったところを即殴り飛ばす。これをひたすら繰り返した。
「ひっ……ひぃぃぃぃ!!!」
立ち上がれば防ぐことすら出来ずに殴られると学習したホセが尻を地面につけたまま距離を取ろうとする。なので今度はその惨めな格好の男を蹴り飛ばしてやる。
「うぐぇ! あがっ……! も、もうやめてくれ!! 俺が悪かった!!!!」
また歩いて近づこうとする私を制止するように片手を伸ばし、恐怖に満ちた目で見上げながら震える声で許しを乞うホセ。
「私の訓練を受けている騎士たちよりも根性がないな。貴様本当に団長か……?」
「そこまでだ!」
私が呆れながらまた蹴り飛ばそうとしているところに殿下の待ったの声が掛かる。その声の方向を見れば殿下とイボルグ殿、マチルダが訓練場の入り口までやってきていた。
殿下は平然としているけれど、他の二人はこの光景を目の当たりにして顔が引き攣っている。他にも周囲には自主練中の騎士も何人かいて、この状況を呆然と眺めていたことに今になって気付いた。
「……ホセよ」
「は…………はっ!」
殿下の低い声の呼び掛けに、慌てて立ち上がり姿勢を正すホセ。
「今彼女が見せた力ですらほんの序の口だ。その気になれば国内の全ての騎士団が束になっても勝てないほどの強大な力を持つ彼女が今日、我々の下に付いてくれた。この意味が、この価値がお前にわかるか?」
「国内全ての……!?」
ホセは分かりやすく目を剥いて驚いているが、団長なのだから私のことについては既に話くらい聞いているはずではないのか。
流石に連絡自体をしていないというのは考えづらいので、こいつがまともに取り合っていなかったということなのだろう。
「それすら理解出来ないのであれば、お前の価値はその程度だということだ。理解出来たのであれば以降は態度で示せ。それが出来ていれば今回の愚行については目を瞑ってやる」
流石に団長だけあってすぐにクビとはいかないようだ。ホセは呆然と立ち尽くしている。それの原因が私の強さについてのショックなのか、殿下の言葉へのショックなのかはわからない。
「――次に、クローヴェル卿」
「はい」
「初日から不快な思いをさせて済まなかった。今後も何かあればすぐに知らせてくれ。今回は団長相手だったのでこうして実力行使も出来たが、常にそうとは限らないだろうからな」
殿下はようやく王太子モードを解いてそう言ってくれる。取り込んだのだから当然だと言えなくもないけれど、この場は素直にありがたく頷いておく。
「……承知致しました」
私はホセの方へと歩み寄る。向こうも最初身構えていたけれど、もう私に攻撃の意思がないと伝わったようで、真っすぐに背筋を伸ばして向かい合った。
「煽るために団長という地位を貶める発言をしてしまった非礼をお詫び致します」
でも殴ったことは謝らない。
「……こちらこそ申し訳御座いませんでした。己の感情ばかりで周りがまるで見えていなかったようです」
そう言ってお互い深く頭を下げた。
顔を上げたホセはとても居心地が悪そうにしていたけれど、そこに敵対心は感じられなかったので気にしないことにした。
いち団長が他の者が居る前でボコボコにされた上に説教されているのだから、その気持ちもわからないでもないから。
「このような御仁を怒らせるとは……ラディウスの奴……」
イボルグ殿の呆れたような呟きを私の聴力強化している耳が拾った。
「ふふ、イボルグ殿は賢明な方であると信じておりますよ」
「……うっ!? あ、あぁ……肝に銘じておこう」
呟きを拾われたことにぎょっとしたイボルグ殿は苦笑いで誤魔化していた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
寮の自室に戻った私とマチルダ。今日はもう特にやるべきことはないので楽な服装に着替えようとすると、マチルダが手伝ってくれる。
しかし表情は引き攣ったままで、その手付きもどこかぎこちない。
「……ごめんなさい、怖がらせてしまったかしら」
私の謝罪にはっとしたマチルダは申し訳なさそうに目を伏せた。
「そうですね、全く恐ろしくないといえば嘘になります……」
「そう……」
普段から戦いに身を置く騎士にとってすら私の力は普通ではないのだ、侍女であるマチルダには刺激が強すぎたのだろう。
「しかしそれよりも、ワタクシは此処に送り出される前にエレオノーラ様が仰っていた言葉の意味を痛感しておりました」
「王妃様が……?」
「はい。『言葉で聞いただけでは彼女を知ることは出来ない。我々は彼女を皆に知ってもらうところから始めなければならない』と……」
「王妃様がそのようなことを……」
「レオナ様を知らない者は居ないと思われていた王国騎士団ですら今日のような有様です。ワタクシも言葉で聞いただけで知ったつもりになっていたようです。申し訳ございません……」
そう言ってマチルダは深く頭を下げてしまった。
「何処に謝る必要があるの? たった数日で理解出来るほど人間は単純なものじゃないわ。あなたも、私も、こうやってお互い少し理解が深まった。……今はそれで充分よ」
初めからわかり合えていたり、すぐに相手の全てを理解するなんて出来るはずもない。地道に積み重ねていくしかないのだ。
「……ありがとうございます」
(私もこれからはこっちの人間を知る努力をしないといけないということよね……)
しかもそれにはエルグランツにいた時と同様に、相応の時間が掛かるだろう。正直言って億劫だ。しかし王妃様もそう言っている以上、ただ引き籠っている訳にもいかない。やるしかないのだ。
幾らかの地位と権利を得るために安らげる居場所を失うという、今回の自分の浅慮ぶりには溜め息しか出なかった。




