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87.故郷のために出来ること

 結局夜食を食べて何だかんだでまた眠った私は、今度はちゃんとした時間に起きられた。目が醒めてすぐさま外を確認して安堵の息を吐いたのは内緒だ。


 しかし今度は屋敷の使用人たちが何やら慌ただしい。執事さんに尋ねてみると、日の出前から緊急で領主様とビリー様は出掛けてしまったのだそうだ。別れの挨拶すら碌に出来ずに申し訳ないという謝罪と、朝食を取ったら我々に構わず屋敷を発ってくれて構わないという伝言を受ける。


 見慣れた食堂で今度はちゃんと朝食をいただきながら、私は考える。


(一晩お世話になっておいて、挨拶もなしにハイさよならは流石にちょっとなぁ……)


 どうせ移動には大して時間はかからないのだから、ちゃんとお礼を言っておきたい。


 朝食を食べ終えて執事さんに領主様たちの行先を尋ねると、ここイングラードから北にあるラテールという村へ向かったようだ。距離も全然遠くないようなのですぐに向かうことにする。


 私はひとり屋敷に残っておられた領主夫人にしっかり挨拶をしてから屋敷を発った。




 いざ飛んでみれば、ほんの一時間足らずでラテール村へと到着した。この距離であれば馬で移動している領主様たちも既に到着しているはずだ。


 上空から周囲を見回し、畑の方にそれらしい人の塊が出来ていたのを見つけて降り立った。


「……クローヴェル卿!? どうしてここに!?」


「お礼も言わずに去るのは居心地が悪かったもので。……それで、こちらでは何をされているのですか?」


「それがだな……」


 私の登場に驚いていた領主様が畑の方角を見たので私もその目線の先を追いかける。すると何の葉っぱだろうか、すぐ傍の畑の作物が見るからに変色してボロボロになっている様子が視界に飛び込んできた。 降り立った時から何とも言えないすえた臭いが漂ってきていたのはこれが原因だろうか。


「これは一体……」


「私も先程村人から説明を受けたばかりでまだ詳しくはわからぬ。だが、どうやら昨日の夕方あたりから川の水を利用した作物や住民たちに異変が起きているようだ。其方も見てみると良い」


 そう言って今度は用水路を指差した。そして促されるままに用水路の縁に立ってみると、流れている水の様子がおかしいことに気付いた。


「微かに水に青……というよりは紫色の何かが混じっていますね」


 水に油が浮くように、表面に薄っすらと半透明の紫色の何かが浮かんでいる。これ自体に先程嗅いだような臭いはないようだ。


「……うむ。日中ならこうやって気付けたのだろうが、夕方ともなれば色の判別は出来なかったのだろうな。その水を撒かれた畑は枯れ果て、飲んだ者は倒れて意識を失った。異変に気付き慌てた村人たちが夜の間に屋敷に人を寄越してきたという訳だ」


「この水はどこから?」


「ここから更に北の山の麓にあるパシュミナ湖から流れてきている。これから調査隊を派遣するところだ」


「では私も同行致します。困っている村人たちを前にしてこのままエルグランツへ帰ることなど出来ません」


 私がそう宣言すると、領主様は安堵の表情を浮かべた。


「レッドドラゴンとすら渡り合える其方が協力してくれるとは心強い……! ではビリー、卿を湖まで案内を。ショーンとブライアンもそれに同行しろ」


『はっ!』

(……えっ!?)


 ビリー様以外にも意外な人物の名前が挙がったことに驚いて思わず声のした方向に振り向いた。なんと夜会でレベッカたちを馬鹿にしてくれたブライアン・エリザス子爵令息とショーン・ネーヴィッツ男爵令息もこの場にいたのだ。


「私は付近の村々に川の水の使用を禁ずるよう伝達しながら屋敷へと戻る。よろしく頼む、クローヴェル卿」


「お任せください、必ず原因を突き止めて参ります」


 話し掛けられてはっとした私が内心慌てて答えると、領主様は頷いてそのまま数人の護衛と共に馬で駆けていった。


「世話を掛けてしまってすまないな……」


 近寄ってきたビリー様はまた申し訳なさそうな顔をしている。もしかしたら昨日私が夕食に現れないと気付いてから、ずっとこんな調子だったのではないだろうか。


「これに関しては私が協力したいのです、お気になさらず。それよりも……」


 私の言いたいことが伝わったのだろう。ビリー様の後ろに立っている二人に目線をやると、二人はビリー様以上に縮こまってしまった。


「あぁ……二人も複数の農家を束ねる貴族の家の者だからな。将来の為に日頃からレガント家で農地運営などを学びに来ているのだ」


 なるほど。普段からそういった関わりがあったから、夜会も一緒に参加して行動を共にしていたのか。年齢的にもビリー様が彼らの保護者的なポジションに見えたのは間違いではなかったようだ。


 私が納得していると、ビリー様が横に立ち位置をずらして彼らに前に出るように手で促した。二人はおずおずと私の前までやってくる。


「ク、クローヴェル卿、夜会では大変な無礼を働き、申し訳ございませんでした……」


「あれから領主様やビリー様、父からもお叱りを受け、平民を馬鹿にした態度を取ったことを深く反省致しました……どうかお許しください」


 二人は深く頭を下げている。ちらりと横目に見たビリー様が眉尻を下げてこちらに向けている目は「反省しているから許してやってくれ」と言っているように思えた。


「私のことは良いのです、別に気にしてはいないわ。……ただレベッカとミーティアには次に会った時にはしっかり謝罪すること。よろしいですね?」


『……はいっ!』


 以前の小憎たらしい態度はどこにもなく、一生懸命な雰囲気は伝わってきたのでこれで良しとしよう。あんまりネチネチやるのも趣味ではない。


「では早速出発しましょう、時間が惜しいですから」


「……あぁ、そうだな」


 ビリー様たちやその護衛は馬で、私は速度を合わせながら飛んで移動を開始する。二人は私が飛び上がる時に眼を丸くしていたけれど、この程度で驚いていては身が持たないのではないだろうか。


 特にショーン様はもうじき帰ってくる妹のマール様に年上の義弟が出来ることを伝えられるのだから、しっかりしてもらいたいものだ。




 川を遡り、途中で村に立ち寄って寝床を借りながら湖を目指す。目的地に近づくにつれ水面に浮かんでいる紫色の液体の色が濃くなっていく。この液体は一体何なのだろうか……。


 そして移動を開始してから三日目の早朝、遂にパシュミナ湖へとたどり着いた。上空から見てみれば、その広大な湖のほとんどが黒ずんだ紫色の液体に覆われていた。


「あれは何だ……?」


 ブライアンが指差す方向には湖にぽっかりと浮かぶ島があった。しかしそこは水に浸かっていない陸上にも関わらず周囲の木々が枯れ果てており、その中心には紫というよりはもはや黒に近い謎の巨大な物体が鎮座していた。


 私も視力強化をしてそれをしっかり観察する。


「うわ……気持ち悪……!」


 見えたものは、一言で言うと巨大なドラゴン…………が溶けたものだった。


 図体の大きさでいえばレッドドラゴン以上のそれは皮膚が爛れるだけに留まらず、ドロドロの液体となって周囲に流れ出ており、それが湖の表面を覆っているようだった。全体の半分は既に溶けて骨まで見えているが、それでも微かに動いていてまだ生きているのがわかる。


「ドラゴン……なのか?」

「うげっ……」


 調査隊の他の面々もその異様な光景を目の当たりにして顔を顰めている。


「直接襲ってくる以外で脅威を巻き散らす魔物なんて見たことも聞いたこともないし珍しいわねぇ……。名前を付けるならドラゴンゾンビってところかしら?」


「何を呑気な……!」

「あんなものどうやって……」


 ブライアン様とショーン様は変に盛り上がってしまっているけれど、私からすれば本体の方はそんなに大したものには見えない。


「では早速倒してきますから、湖岸から出来るだけ離れた高い場所に避難しておいて下さい。湖面が波打ってあの紫の液体が皆に掛かってしまったら大変ですから」


『はっ!?』


「ほらほら、あそこに丘が見えるから移動して! でないと攻撃出来ないわ」


 私は戸惑う男性陣の背中を押して無理矢理馬に乗らせ、少し離れた丘を指差す。


「……大丈夫なのか?」


「魔物退治は私にお任せくださいな。むしろ大変なのはその後かもしれませんよ」


 ビリー様ですらいまいちピンとは来ていないみたいだけれど、とりあえず皆私の言葉に従って移動を始めてくれた。


「よし、それじゃやりますか~!」


 離れた位置にある湖の島にいるドラゴンゾンビは生きているとはいえ、動いてこちらを攻撃してくるような気配はない。ならば先手必勝の一撃必殺で倒してしまえば良い。幸い周囲は広い湖なのでイルヘンの村のような被害が出る心配もない、つまり思いっきりやっても大丈夫ということだ。


「ゾンビが相手ならやっぱり炎で燃やしちゃうのが良いかな?」


 湖岸から上空へ飛び立って魔法の準備をする。右手に魔力を込めると大きな炎が立ち上り、それが収縮して真っ赤な火球が出来上がる。ジャイアントホーネットの女王を倒した『真紅の焔』(クリムゾンフレア)だ。


 ただこのままではあの図体の敵を一撃で倒しきれるかわからない。ジャイアントホーネットの時みたいに連発しても良いけれど、一応未知の魔物ではあるから変に刺激したくはない。だからもっと威力を高めないと。


 火球を頭上にかざし、両腕で更に魔力を注ぎ込む。最初は人の頭ほどのサイズだったものがどんどん大きくなっていく――。


 それは一分ほどの時間をかけて直径五メートルの大きさにまで膨れ上がった。『全てを飲み込む双子竜(ツイントルネード)巻』ですら十秒もあれば発動出来るのだから、かなり時間を掛けた方だ。もしこれが自身の魔力で作ったものでなければ、この距離にいるだけで焼け死んでいるだろう。


「見た目が太陽っぽくなったから名前は……『紅炎』(プロミネンス)に決~めた! ……まぁ出力を高めて大きくした『真紅の焔』ってだけなんだけど~」


 改めて目標を見下ろしてみてもドラゴンゾンビは一切動く気配はない。一体何のために生まれてきた魔物なのだろうか。魔物の気持ちなんてわかりようがないとはいえ、傍から見ているとあまりにも生きていてつまらなさそうな魔物だなと思ってしまう。


「……まぁいっか魔物だし。それじゃ消えてもらおっかな!」


 太陽を右手で構えて振りかぶる。


「燃え尽きろ! 『紅炎』(プロミネンス)!」


 私は遠慮なくその火球をその右手で投げつけた。巨大な火球はその速度に形を楕円にひしゃげながら、ドラゴンゾンビ目掛けて高速で飛んでいく。


 そして着弾した瞬間――――


『ドッガアアアアアアン』


 まるで火山の噴火を思わせるような炎が爆発と共に天高く舞い上がった。


 その衝撃で湖畔の樹々は島を中心にして外側に大きく傾いて揺れ、湖面は大きく波打って湖岸から水が溢れ、私もその爆風で大きく体勢を崩して後方に吹き飛ばされた。


「うひゃあ! ちょっとやりすぎたかも……」


 体勢を整えると、驚いた夥しい数の鳥たちが慌てて空に飛び立っていくのが見えた。同じく空に向けて島のあたりからゴゴゴとまるで地響きのような音を立てながら黒煙が舞い上がっている。


「……まぁあの様子なら流石に倒せたでしょ」


 私は皆を移動させた丘に再び降り立った。そこではその場にいた全員が口を開けて舞い上がっている煙を見上げ、呆然としていた。


「今のは……クローヴェル卿がやったのか……?」


「そうです。アレが全然動かなかったので遠距離から一撃で仕留めてしまおうと思いまして。煙でまだ確認は出来ていませんが、恐らく欠片も残さないほどに木っ端微塵になっているはずです」


 ビリー様もこれ以上言葉が出てこないようだ。この領地の人々は私のことを噂で聞ける程度の内容でしか知らないようなので、いきなり見るには少々刺激が強すぎたかもしれない。


「ラディウス様が死に掛けたと言っていた意味が今ようやく理解出来た……」

「いや、むしろ死に掛けた程度で済んでいるだけ、あの方は凄いのでは……」


 ブライアンたちも半笑いで煙を眺めたまま呟いている。


「人に向けて今みたいな魔法は撃ちませんよ……。ラディウス殿は素手でぶん殴っただけですから」


「あの時も思ったのだが、そもそも何故ラディウス殿は死に掛けないといけなかったのだ……?」


「詳細な理由は省きますが、私の大切な人を馬鹿にして、煽ったうえで勝負を挑んできたからです。完全な自業自得です」


「大切な人を馬鹿に……」


 ブライアンは自らの行いを振り返って青ざめている。だからしないってば。


「とにかく湖の方まで行ってみましょう」


「あ、あぁ……そうだな……」


 移動を開始するが、先程ドラゴンゾンビを確認していた湖岸よりも離れた位置で止らざるを得なかった。さっきの攻撃で湖から溢れた水と共に例の液体が広がり、周囲の草を枯らせていたからだ。


「あぁ、ちゃんと倒せていますね」


「確かに倒してはいるようだが……」


 視力強化で確認してみると、魔物が居た小島は大きくえぐれたらしく、水が流れ込んでほぼ水没していた。地面が残っている部分も真っ黒に焦げていて枯れた草木も全て消し飛び丸坊主の状態だった。あの液体も見当たらないので蒸発したようだ。


「なら次はこちらですね」


 何か言いたげなビリー様を敢えてスルーしながら足元の枯れた草に付着している黒ずんだ紫色の液体に目を向ける。これも時間が経てば消える魔物の身体の一部と捉えて良いのかまではわからないし、すぐに消えてくれるとも限らない。


 ゴブリン程度でも自然に消えるのには一か月近く掛かるのでイルヘンでも焼いて処理していた。強力な魔物ほど残りやすいのは確かなので、あれだけ大きな魔物の残したものであれば更に時間が掛かる可能性が高い。


『洗い流し』 (ウォッシュアウト)


 試しに洗浄の魔法を使ってみる。すると枯れた草にこびりついた液体は魔法の水と共に綺麗さっぱり消えてくれた。私もこれには安堵の息を吐く。


「……良かった、これなら何とかなりそうですね」


「まさか……これらの湖と川の水を全てそれで……?」


 私の考えを理解したショーンは恐るおそる尋ねてくる。


「手で触れるだけで大変な目に遭いそうなものを、後の処理に困ることなく取り除けるとあれば使わない手はないと思うのですが?」


「それは確かにそうかもしれんが、気が遠くなるな……」


 ビリー様も頭痛を堪えるように頭を押さえている。


 もうだいぶ下流にまで流れてしまっているだろうから大変なのは間違いないけれど、このままだと川が使えず領民の生活に大きな影響が出てしまう。たとえ大変だろうとやるしかないのだ。


「とにかくバーグマン騎士団以外にも魔法を使える貴族を集めて、人海戦術で行くしかないでしょう。領主様や各地への連絡は皆様にお任せします。私は川への流れを塞き止めた後、すぐに発生源の居たこの湖の浄化に取り掛かりますので」


「……承知した。ここより下流については我々で調整して作業を進めていく。まずは原因の排除が完了したことと貴族の人手が必要なことを父上に報告せねば。食事や休息場所は最寄りの村に依頼しておくので、無理はしないようにな……」


「えぇ、よろしくお願いします」


 私一人が湖に残り、他の人間は全員下流へと戻っていく。ビリー様も領主様もこの領地を強く愛している人なのだから彼らに任せておけば間違いはない。私は私に出来ることをしよう。


 とはいえ湖はかなり広大だ。私でも結構な時間が掛かると思う。しかし底の見えない魔力量とその出力、そして空を飛べる機動力がある私が頑張らないで誰が頑張るというのだ。


 魔法で液体を取り除いた部分から水中を調べてみると、やはり水面に浮いているだけで混ざりはしないらしく、水面に近い部分にだけ魔法を使えば良いということがわかった。そこで『洗い流し』を薄く延ばすように作り出してみると、上手い具合に広い範囲を綺麗に出来た。


(よし、これで少しは楽になるかな)


 人工の堰はあったものの動かすためには鍵が必要だった。鍵を用意するまでの時間が勿体なかったので、足元の土を使って魔力で固めてこちらで塞き止めることにした。


(さ~て……やるか……)


 私の孤独な浄化作業が始まる。




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