86.厳しい現実
「ん…………」
どうやらいつの間にかベッドの上で蹲って眠っていたらしい。部屋は暗いけれど、カーテンの隙間から月の光が差し込んでいるので何も見えないというほどではない。
「あ、あれ……?」
しかし同時に違和感を覚えた。外で梟が鳴く声以外に何も聞こえない、周囲が静か過ぎるのだ。
「え……? えっ!?」
私は慌ててカーテンを開けて夜空に浮かぶ月の位置を確認する。どう見ても夕食時ではない、それどころかもう日付が変わっていそうだった。
「えええええ!? 嘘、なんで!?」
執事さんは準備が出来たら呼びにくると言っていた。なのに呼ばれた記憶なんて一切ない。これは熟睡していて、領主一家の皆様に放っておかれてしまったのでは……。
「夕飯に招待されておいて寝過ごすとか……有り得ないでしょ……」
あまりの失態に眩暈がして、またベッドに倒れ込む。
(いや、もしかしたらレガント家の夕食はこの時間から……はないな)
……馬鹿な妄想はやめよう。現実を受け入れなければ。
私は起き上がって月明りの差す室内を見回す。するとドア横の壁際にカートが置かれてあるのを見つけた。カート上の銀の覆い――クローシュの中には冷めてしまっているけれど美味しそうな夕食が入っており、その横には手書きのメモが添えられていた。
『やはり疲れていた様子だったので敢えて起こさず、そのまま休んでもらうことにした。家族も納得しているので卿が気に病む必要はない。ゆっくりと休んでくれ』
……やはりそっとしておかれたようだ。
領主様たちも納得しているのであれば怒られはしないだろうけれど、レッドドラゴンを倒した直後の殿下への脅迫に次ぐレベルの今回のやらかしは精神的なダメージが大きい。
カートに乗せられている料理を前にして、私は悩んだ。
(こんな時間に食べるのは太るし良くないんだけど、全く手を付けていないっていうのも何だか失礼な気がするのよね……)
こんな状況は初めてなので、どうするのが正解なのか全くわからない。流石にブレンダ先生も寝過ごした時の夕食はこうしろとは教えてくれなかったし。……そりゃそうか。
お昼はビリー様と一緒だったから控えめだったし、実際お腹は減っている。このくらいの量なら普通に食べきれると思う。
(そうだ! 太るかもなら、その分動けば良いじゃない!)
どうせ目が冴えてこれ以上は眠れそうにないのだし、我ながら名案だ。
私はすぐさまショートソードを手に取り、窓から空へと飛び立った。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
昔警備隊長さんと稽古していた時のように屋敷の庭でするのは警備の人に見つかって迷惑を掛けそうだったので、また両親のお墓の前に降り立った。
沢山の花で彩られた両親のお墓とは対照的に、展望台から見渡せるブドウ畑は時期的にまだこれから芽吹くところで以前のような青々と茂っている様子はなく、月明りに照らされているのも相まってどこか寂しい雰囲気だった。
とにかくここなら人に見つかることも、迷惑をかけることもなく過ごせるだろう。
私は両親に見守られながら、一人で剣の稽古を始める。
『パチパチパチパチ……』
十五分ほど経過して私も次第にノッてきたあたりで突然拍手が響いた。驚いてその音の方向を見ると、林の中から領主様が姿を現した。状況としては去年の夏頃とまるで同じだ。
「見事なものだ。月明りに照らされた麗人による剣舞など、そう見られるものではない」
「領主様……! この度は大変な失礼を……!」
私は慌てて今回の非礼を謝罪し頭を下げる。しかし何故かそれを見た領主様まで慌てた様子で両手を振ってそれを制止しようとしている。
「いやいや、息子の思いつきに付き合わせたこちらが謝罪したいくらいだよ。部屋へ様子を見に行った執事によると、とてもただ寛いでいたようには見えなかったようだからな」
私が泣き疲れ、蹲って眠っていたところをバッチリ見られていたらしい。そりゃそうか、呼びに来ても返事がなければ中の様子を確認くらいするだろう。
「息子から聞いた案内中での出来事といい、其方の感情を悪い意味で揺らしてばかりで本当に申し訳ないと思っているよ……」
領主様はそう言ってくれているけれど、これらはどちらもビリー様の提案を私が了承した結果なので、先の見通しが甘い私の責任だと思う。
「息子の考えなしにも困ったものだ。――いや、夜会でプロポーズしたと最初聞いた時には『良くやった』と思った私も人のことは言えんな……」
「領主様……」
そのまましょんぼりしながら領主様は近くにあったベンチに腰を下ろした。
「其方が息子に言った『過去の自分ではなく、今の自分を見てくれる人を探している』という言葉は私にも妻にも深く刺さったよ。全く以てその通りだった」
「それでも私はレガント家の皆様に感謝しております! 私個人の拘りがなければ、客観的に見ればとても良いお話には違いなかったのですから……。あの時首を縦に振っていれば、またあの屋敷が私の帰る場所になったのにと頭によぎったのも事実です」
何だか謝らせてばかりだけれど、ここは決して責めるつもりなどない、その気持ちには感謝しているとはっきりお伝えしておかなければ。
「だがそれは……」
「……はい。私は両親のような仲睦まじい夫婦になるため、共に幸せになりたいと思える人を探しておりますので、現状ではそれは叶うことはありません」
ビリー様を愛し、愛されながらまたあの屋敷で暮らせるのであれば、それはきっととても幸せなことだろう。しかし今のビリー様にその気はないはず。だからただ懐かしいからというだけで結婚する訳にはいかない。
「息子にその甲斐性があれば恐らく一番良いのだろうが……私が口出しをするようなことではなさそうだ。それに聞いた話だが、あの王太子殿下ですらまだそれに至ってはいないのだろう?」
「……えぇ。ですが夜会での様子を見るに、そう遠い未来ではないかもしれません。ただ殿下にもお伝えした通り、私は私を愛そうとする人を拒みません。早い者勝ちではありますが誰にでもチャンスはありますよ」
「ふふふ……誰にでもか……。其方の覚悟も相当な物だな」
領主様はくつくつと笑っている。何だか変に大物みたいに思われているような気がする……。
自分から相手に近寄らず、身分や見た目で判断せずに向こうの意志で私の中身を愛してくれる人を、こちらも礼儀として同じように愛し返そうとすると自然とこうなるという話なだけなのだけれど。
ふぅ、と短く息を吐いて領主様は立ち上がる。
「さて、私はそろそろ戻るとしよう。其方も張り切り過ぎて風邪を引かないようにな。また息子が必要以上に心配して余計なことを言い出すかもしれん」
一見ただこちらを気遣ってくれただけの言葉なのだけれど、私にはその領主様の言葉が妙に引っかかった。具体的に何がとは言えない。ただ風邪を引いたからといって、そこまでビリー様が心配する事を心配する必要はあるのだろうか。私の想像では少ししょんぼりしつつ、「ゆっくり休んでくれ」と言うイメージしかないのだ。
「ビリー様と風邪に何か関係があるのですか?」
「――む? ……あぁ」
領主様は一瞬しまったという顔をした。
「亡くなった息子の結婚相手がな、最初は本当にただの風邪にしか見えなかったのだが、そのまま帰らぬ人になってしまったのだよ。明るく快活な女性で、私も妻も、もちろん息子もそのような別れ方をするとは思ってもみなかった」
「そう……ですか……」
貴族、それも魔物と戦うことのない貴族たちの死因の大半は病死だ。魔法で外傷が治せてしまうこの世界では病気の治療に関する知識や技術についてはまだまだ未熟であり、治療するための薬だって民間療法の域を出ていない。
さっきの話のように理想の相手を見つけることが出来たとしても、そのようにあっけなく死なれてしまう可能性はあるのだ。自分だってそうだ、まるで他人事ではない。
私にそのような薬や医学に関する知識があれば良かったのだけれど、生憎そのようなものは持ち合わせていない。もしそんな知識があればこの世界に一体どれだけ貢献出来ただろうか。
「当時を連想させるようなことは極力避けたいのだ。恋愛感情は抜きにしても、息子が其方を気に入っているのは間違いないからな。其方も自分の身体は大切にしてくれたまえ」
「……承知致しました。ご忠告痛み入ります」
そこには確かに領主様たちの息子を気遣う愛情があった。それを私が踏みにじるような真似はしたくない。
(せめて魔法で病気を治せれば、私も役に立てるのにな……)
私に都合の良い世界ではあったけれど、それでも決して優しくはない。そう改めて思い知らされた気分だった。




