85.郷愁
結局マール様とハロルドは交際を始めた。それはつまり結婚を前提としたお付き合いということだ。
たったあれだけの時間で生涯の相手を決めてしまえるマール様も、若いながらに豪胆だなと前世の感覚を持った私には思えてしまう。……いや、逆に若いからなのだろうか。
女性にだらしないというイメージだったハロルドも、マール様を見送る頃には堂々とした誠実な男にしか見えなくなっていた。正直少し格好良いと思ってしまったことがなんだか悔しい。
これでもし浮気でもしてマール様を悲しませたら全力でぶん殴ってやるんだから。覚悟しておきなさいよ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
二人を見届けた私も王都を発った。しかし今回はいつものようにエルグランツに帰りはしない。
今は四月の始め。学園が始まる季節であり、私の両親が亡くなった季節でもある。
――そう、私はこれからお墓参りに故郷であるバーグマン領のイングラードへ向かうのだ。
いつもより王都に長居してしまったけれど、命日には領民たちも揃ってお参りに行くとマール様から聞いていたので、日にちをずらす意味でも丁度良かった。あの時間は家族だけで静かに過ごしたいから。
飛翔の魔法でマール様の乗った馬車もあっという間に追い抜いてバーグマン領入りする。イングラードの宿で一泊し、以前のようにワインとバラを用意して領主の屋敷の丘を登っていく。
途中であの不愛想だけど親切な門番さんとも再会した。向こうも私のことを覚えていたらしく「また来たのか」と相変わらず素っ気ない。
丘を登りきってみても展望台には他の人の姿は見当たらない。目論見は上手くいったようだ。
沢山の献花に彩られた両親のお墓の隣にまた腰を下ろして寄り掛かり、体重を預ける。
「ねぇお父様、お母様、新しく知り合ったマール様はもう結婚するんだって。十五歳でまだ若いのに凄いよね。ブリジットも、ユノさんも結婚したし、周りはどんどん結婚していってる。焦ってる訳じゃないけど、私はいつになるんだろうね? 私もお父様とお母様みたいな素敵な夫婦になりたいわ……」
こんな愚痴とも相談とも言えないような何気ない胸の内は今のうちに吐き出してしまおう。使用人の皆に変に心配されたくないし、こんな話はもう両親くらいにしか聞かせられない。
(――よし、このくらいにしておこうか)
そうやってしばらく両親と一緒に過ごして今年のお墓参りを切り上げる。あとは丘を下ってちょっと町をぶらりとしてから適当なところでエルグランツに帰るつもりだ。
しかしそれは一見当然のようで、少し意外な人物の登場によって急遽変更になる。
「――もういいのか?」
「ビリー様? どうしてこちらに……」
夜会でプロポーズをしてきたビリー・レガント伯爵令息が、門番さんと一緒に屋敷の前に佇んでいたのだ。
「以前、父に会ったと言っていただろう? 父に其方の容姿を伝えてみれば夏頃に来ていたと言うではないか。その時初めてここを知ったのであれば、命日の前後かもしくは同じ夏頃に来るだろうと踏んでいただけだ」
「俺がビリー様に来訪をお伝えしたのだ」
門番さんが腰に手を当てて何故か少し誇らしげにしている。
来ていると気付いていながら後を追いかけてこなかったのは、私が墓参りしているのを邪魔しないようにしてくれていたということなのだろう。そのさりげない気遣いは嬉しかった。
「いてっ!」
「またお前は……。初回はともかく、今はもう彼女が貴族だとわかっているのだから相応の対応を取れと言っただろう。すまないな、偉そうで……。昔からこうなのだ、許してやってくれ」
ビリー様が手の甲側を使ってコツンと軽めに門番さんの兜を叩き、そのグレーの髪の頭を下げた。その様子を見て門番さんも渋々といった感じでそれに続く。
「ふふっ、お気になさらず」
なんだか夜会の時と比べてビリー様の態度が柔らかい気がする。これが普段身内に向けられている、この人本来の姿なのだろう。
「それで私に何かご用でも?」
「故郷に来たら案内させてくれと言ったのを覚えているか? 勿論其方が良ければの話だが、その役目を果たしたいと思ってな」
そういえば去り際にそんなことを言ってたっけ。社交辞令で済む話なんだけど、律義な人だな……。
私としては一人で適当に見て回るだけでも充分なんだけど、本人的には償いの意味もあるようなので、ここはお願いしてしまった方が後腐れがなくて良いのかもしれない。この町をもっと知りたいという気持ちはあるにはあるのだし、どうせなら楽しまないと損というものだ。
「では、お願いしてみましょうか。……出来ればあまり肩肘張らずに」
「あぁ、任せてくれ」
ビリー様も少しほっとしたように頷いた。
門番さんをその場に残し、私たちは坂道を下っていく。
「護衛は付けないのですか?」
「卿がそれを言うのか……」
私の素朴な疑問にビリー様は「お前も連れていない癖に」という副音声の付いた呆れ顔を返してくる。そうは言っても護られる側の強さが全く違うじゃないか。
「この町を歩くだけなら護衛は必要ない。……まぁ何かあればS級ハンター様に守ってもらうさ」
領主様の言動から考えて、息子のビリー様も普段から歩き回って住民たちと交流しているのだろう。治安が良いのは結構なことだけれど、それでも何かあった時の為に付けておいた方がとは思う。……まぁ今回に関しては私が居るので良しとするか。
しかし実際に歩いてみれば、その必要がないと思っても仕方ないほどに穏やかな町で、次第に私の方も気が抜けてきたほどだった。
ビリー様に案内されるまま色んなお店や施設を見て回る。みんな生き生きとして働いていて、ビリー様ともとても仲が良さそうだ。
……しかしひとつだけ問題があった。
「いらっしゃい! ……あら? さっきも来てくれた美人さんじゃない。しかもビリー様まで! いかがなさいましたか?」
「あぁ、供え物のバラはここで買ったものだったか。紹介しよう、こちら前領主殿の一人娘で『いばら姫』という二つ名で知られるS級ハンターのレオナ・クローヴェル殿だ」
「えぇっ!? ヘンリー様の!? 生きておられたのですか!?」
「どうも……」
「良かったですわね、ビリー様! これでこの領地も安泰ですわね!」
こうやって私の案内のついでにビリー様はこうやって欠かさず住人たちに私を紹介していく。それ自体は別に問題ないし、それを聞いた人たちが驚くのも気にしない。
しかし何故か同時に私が現領主であるレガント家に嫁ぐかのような発言が相手側から上がるのだ。
(これは周囲に存在を認知させて外堀を埋めていってるつもりなのかしら……)
別に誰に何を期待されようが結婚相手は自分で決めるつもりだけれど、とりあえず一度確認しておいた方が良いだろう。
「……ビリー様」
「どうした?」
「……わざとやっていませんか?」
具体的に何をとは言わなくても、言いたいことは伝わったようだ。頭が痛いのか、右手の中指と親指で両こめかみを押さえて数回頭を振るビリー様。
「やはりそう取られてしまうか……。結論から言ってしまうと誤解だ、私にそのつもりはない。しかし以前の私のように凝り固まった考えの人間が市井にも思っていた以上にいるらしい。私としては純粋に卿が生きていたという喜びを皆と分かち合いたいだけなのだが……」
これまで私は死んでいたと思われていたのだから、住民たちがそういう考えでいるとは思っていなかったということか。まぁ現にここまでの全ての人たちに対してビリー様は否定してくれていたし、これに関しては信用しても良いだろう。
「後はもう私が生きていたことは勝手に広まっていくと思いますから、紹介は程々にして案内だけにしてもらえると有難いのですが……」
「それもそうだな……承知した」
その後は紹介はせずに案内だけしてくれるようになったものの、住民たちからの「ビリー様と一緒に居る女性は誰か」という興味自体が無くなる訳ではなく、適当にぼかして答えるとそれこそ恋人のように見られてしまう。
住民たちの反応から、どうやらビリー様は一度奥様を亡くされているらしく、私を連れている様子を見てそのショックからようやく立ち直ったのだという風に解釈されているというのもわかった。
(ラディウス殿のような『剣馬鹿』でもないのに、この歳で独り身なのはそういう事情だったのね……)
それはともかくとして、正直なところ居心地は良いとは言えない。お店や施設への理解が深まっていくのと反比例して住民たちへの好感度が下がっていく。
悪気はないのは勿論わかってはいるけれど、思い込みを優先してこちらへの理解や配慮が足りていなければそれは不快でしかない。下手に住民たちとの距離が近いせいでそれが顕著に現れているように思えた。
案内が全て終わった時の私たちの気まずさといったらなかった。ビリー様もいたたまれなさそうにしている。
「……今日は済まなかった。せっかく其方に今のこの町の良さを知って貰える機会が巡ってきたと思ったのだが、これでは……」
「ビリー様が住民たちに慕われているのは伝わってきましたよ。紛らわしかったのも事実ですから仕方ありません、安易にお願いした私にも責任はあります」
「むぅ……」
きっとまともな貴族女性であれば、年頃の男女が二人で歩き回るような状況は避けるのだろう。私もそう先に気付ければ良かったのだけれど、そこには常識の壁と言うものが厚く立ちはだかり、前世のような危険さえなければつい大丈夫だと考えてしまう。
私の望むプロポーズが出来る相手であれば誰でもオッケーな恋愛のスタンスを変えるつもりもないし、既に身の危険を覚えるような敵もいないので、外野から見た私のガードはきっと恐ろしい程ゆるゆるに見えていることだろう。
「……そうだ!」
私がこう言ってもまだ納得がいかないのか、しばらく難しい顔をしていたビリー様だったが、何か思いついたらしく表情が明るくなった。
「せめて屋敷で夕食をご馳走させてくれないか? 両親も話したがっているし、あの屋敷は其方にとっても懐かしいものだろう? 其方が嫌でなければ泊まっていってくれ」
私が心の中で反省したばかりだというのに、更なる反省ポイントを積み重ねさせようとしてきている。ビリー様も上手くいかなくてかなり焦っているのだろう、恐らく無自覚なのだとは思う。独り身の男性の居る屋敷に女が一人で行く、彼の両親に挨拶するなど、本来なら避けるべき要素が目白押しだ。
――しかし、私は物凄く揺れていた。私の中の昔を懐かしむ気持ちが膨れ上がっていたからだ。またあの空間で過ごせるなんて嬉しいに決まっている。外観は当時のままのようだから、中だってそこまで大きくは変わっていないはずだ。
「も、勿論これは下心などではない! ただ純粋に、其方に楽しんで貰いたいだけなのだ……!」
私が返事を渋っている理由を察して焦り始めるビリー様。
(こう言ってるんだし、大丈夫よね……)
良くないことだとは重々承知している。それでも私は一度で良いからあの空間に戻ってみたい……その気持ちに嘘はつけなかった。
「信じていますからね……? 落胆させないで下さいよ」
「あぁ……女神アルメリアに誓おう」
そうして私たちは元来た方向を向いて歩きだした。
見覚えしかない丘の上の屋敷を目指して――。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
門番さんに開けてもらって敷地内へと足を踏み入れる。そのまま夕日に照らされた庭を進み、屋敷が近づいてくる。
愛犬のポムと庭で遊び倒して、もうじき夕飯の時間だと呼ばれて駆け込んでいた時に見た景色――。
流石に十年が経過しているからか、屋敷は記憶よりもほんの少し草臥れたような気もしなくもないけれど、その形自体は当時と一切変わらない。
「お帰りなさいませ、ビリー坊ちゃま」
「……あぁ」
屋敷に入ると執事らしき老齢の男性が私たちを出迎えてくれた。
「急で悪いが今晩はこの方を夕食に招待した。前領主殿の一人娘であり『いばら姫』という二つ名で知られるS級ハンターのレオナ・クローヴェル女男爵だ」
「なんと! ようこそおいで下さいました……!」
驚き方がこれまでの住民とは少し違って落ち着いている。夜会で会っていると既に聞いていて、生きていることぐらいは知っていたのだろう。
「本日はお世話になります」
「それで、彼女には夕食まで部屋で休んでもらおうと思うのだが」
「現在使われていないお部屋でしたらどこでもお使い頂けますよ」
「うむ。――クローヴェル卿」
「何でしょう?」
「部屋なのだが、其方に選んでもらいたい。一つは普通の客室、もう一つは元々子供部屋のあった場所にある……妻の部屋だ」
ビリー様は少し言い難そうに選択肢を示してくれる。私の過ごしていた部屋が今は亡くなった夫人の部屋になってしまっていて薦めづらいのだろう。
「では、昔を懐かしむ為にご夫人の部屋にさせて頂きます。……それ以上の意味はありませんので」
部屋割りなんて偶然に偶然が重なっただけのものだ。ビリー様も、亡くなられたご夫人も何も悪くない。夫人の部屋を選んだからといって私が「ビリー様の妻になりたいと思っている」だとか、変に勘違いさえしてくれなければそれでいい。
「承知した、ゆっくり寛いでいてくれ。両親にもしっかり言い聞かせておこう」
「畏れ入ります」
そう言ってビリー様は昔執務室のあった方向へと消えていった。ここで私はようやく屋敷の中に意識を向けることが出来た。
当たり前だけれど、家具や調度品は全て変わっている。しかしそれでもそれらの雰囲気は以前とそう大きくは変わっておらず、本当に昔に戻ったような気分だった。
「それでは、ご案内致します」
「本当は一人で目を瞑ってでも行けるけど、貴方の仕事を奪ってはいけないものね」
「えぇ、ありがとうございます」
くすりと笑う執事さんについて階段を上る。滑らかな手触りの、少し時代を感じる手すり。ドタドタと音を鳴らして上って怒られていた中央の階段はこんなに一段一段が低かっただろうか。途中で振り返って階下を見下ろせば、記憶よりも高い目線から広々とした玄関ホールが見渡せる。
廊下は逆に横幅がもっと広かったような気がする。ポムと一緒にいくらでも走り回れて、すれ違う使用人の皆とぶつからずにいられたことを自慢していたはずなのに、今では酷く難しいことのように感じる。当たり前だけれど、それだけあの頃から成長して大きくなったということなのだろう。
執事さんに開けてもらった、幾分背が低く感じるドアを潜って夫人の部屋に入ったところでその懐かしさが消えることは無い。家具も全て入れ替えてあっても、その配置自体は何も変わっていない。
「それでは準備が出来次第お呼び致しますので、それまでごゆっくりとお寛ぎください」
「えぇ、ありがとう」
『……パタン』
丁寧なドアの音を合図に部屋にひとり残された私は、さっそく部屋を探索することにした。一歩一歩ゆっくりと、まるで美術館で作品ひとつひとつを慈しんで回るように――。
やはり視点が高くなっても、やはり元は慣れ親しんだ私の部屋だ。窓から見える景色や夕焼けもまるで変わらない。
あの日、麗緒奈の記憶を得た時に眺めたように鏡を覗き込めば、あの時想像した未来の自分と瓜二つの姿が映っている。やはり私はお父様とお母様の子供なのだと改めて感じさせられ、嬉しいやら悲しいやら。
何とも言えない切なさで胸が埋め尽くされた私はたまらずベッドの上に倒れ込んだ。
ふと見上げれば記憶と全く同じ天井。そういえば風邪で寝込んだ時にもこの天井を見上げていたっけ。
(そしたらお母様が途中で様子を見に来てくれて……)
そうやって数々の思い出が連なって次々と浮かんでくる。抱きしめてくれたお母様の匂い、お父様の大きな手やキスの感触、ポムの手触りや鳴き声、庭で見つけた花の香りや土の匂いに到るまで。
ここが自分の思い出の場所なのは間違いない。しかしもうここは私の帰る場所ではないのだと、自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、どうしようもなく胸が苦しくなってくる。
「うっ……ぅぅ……ぁぁ……」
一度は仕方ないと手放したものが目の前にあると、こんなに辛くなるなんて知らなかった。
――軽い好奇心で足を踏み入れるべきではなかったのかもしれない。




