83.恋は突然に(ハロルド・フリュール視点)
「……ん、何だありゃ?」
いつも通りの朝。騎士団の馬車乗り場に降り立つと、そこには他に見慣れない馬車が二台停まっていた。
「王宮じゃなくて騎士団に客ってのも珍しいな? あ~……あの紋章は何処と何処の家だったっけな……」
同じ貴族であっても普段から関わりがない家となると流石に自信がない。まぁ俺個人の客ではないのだから、わからなくても後で仲間の誰かから聞けば済む話だろう。
なのであまり深く考えることなく、騎士団の中に入って訓練のための準備を始める。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「本日はご令嬢がお二人、訓練の見学に来て下さっているが、お目当てはお前たちではないので浮かれて羽目を外さぬよう、くれぐれも注意するように!」
今日は月初、教官殿に訓練を見ていただける日だ。壇上に立っていつもの挨拶に加えて今日は見学者がいることを俺たちに伝える教官殿。
(……なるほど、あの馬車はそのご令嬢のものか)
少し上を見れば女性二人が浮ついている騎士たちに向けて席から手を振っている。見たところ二人ともかなり若いようだ、顔を見ても誰だかわからない。
(しかしどちらも魅力的な女性だ、とても良いな……)
一人は濃い緑色の髪をした知的な雰囲気のある女性で、余裕たっぷりに騎士たちに応えている。もう一方は透き通るような水色の髪をした小柄な女性で、先の女性とは違っておっかなびっくりといった様子だった。
教官殿は浮かれるなと言っているが、今はとにかく訓練へのモチベーションが高いので見学の一人や二人いたところで何も問題はない。むしろ俺は女性に見られている方が調子が出るタイプだからな。
「それではまずはC組の状況から確認する! A組とB組はそれまで各自で訓練を開始しろ!」
彼女の号令で訓練が始まり、俺たちも移動を開始する。
「今月こそはやってやろうぜ、ウィリアム!」
「……あぁ!」
モチベーションが高い理由は単純明快、先月ようやくA組入りを果たすことが出来たのだ。ウィリアムもほぼ同じタイミングで教官殿に勝利し、次に課されたのが二人で連携して二対一で彼女と戦うというものだった。
数が多い方が有利なのは当たり前なので、これは下手をすれば以前よりも楽になるのではと期待したのだがとんでもない。教官殿の身体強化の出力が一対一であれば圧倒されるレベルにまで高められていて、連携が途切れた瞬間に各個撃破されて負けてしまうような、よりシビアなものになってしまったのだ。
「ぐえっ……」
「……くそッ!」
「味方のフォローを優先するあまり、攻撃そのものが温くなっているぞ! 一対一でそのような攻撃を振ったらどうなったか忘れたか!?」
今回もウィリアムをフォローしようとした俺の攻撃の隙を突かれて反撃され、そのままウィリアムまで倒されてしまった。二人して訓練場の地面に転がって晴れた空を見上げていたが、それも次の騎士の相手をしようとする教官殿の「邪魔だ!」という怒声で中断せざるを得なくなってしまう。
相手だけでなく味方の状況も的確に判断して最適解を選べなければ即座に敗北に繋がってしまうため、今までのB組での訓練とはまるで勝手が違う。俺たちとてこれまでにも連携の訓練はしてきているので素人ではないはずなのだが、強い相手の前だとこれ程までに粗があるのかと思い知らされている。
やる気はあるが今のところ彼女に勝てるビジョンは全く見えていない。どうしたものかとベンチに座ってB組の訓練を眺めながら魔力の回復を待っていると、隣に座っているウィリアムが口を開いた。
「これは提案なのだが……」
「ん、どうした?」
「ひとまず勝ちに行くのは後回しにしないか?」
「おいおい……急にどうしたんだよ……」
随分と弱気なことを言うではないか。訓練を始める前はあれほど意欲的だった癖に一体どうしたというのか。
「……いや、互いのフォローを完璧に維持し続けられるくらいでないと、そもそも勝ちを拾いにいける段階ではないと思うのだ。これは派手に大技を当てて勝つような戦いではなく、長い攻防の末に綻びを見出し、そこを突かなければ勝てないような戦いな気がする」
「教官殿を焦らせられるぐらい鉄壁の連携が出来るようにしようぜってことか。……まぁ確かにあの動きを簡単に崩せるわけないよな」
言われてみれば確かにその通りだ。連携の上達のために二対一で組まれているのだから、そこを強化出来なければ訓練している意味がない。
「よーし、いっちょやってやろうぜ! ……しっかし、この待ち時間が辛いよな……」
あまりにあっけなくやられてしまうと、体力や魔力の回復よりも自分たちの番が回ってくるまでの待ち時間の方が長くなってしまう。だがいくらもっと戦いたいという気持ちがあろうと、それは他の皆も同じこと。我儘は言えない。
「まったくだ……。だがこの時間も有効活用せねばな。連携のための打ち合わせでもするか」
「それもそうだな!」
そうやって俺たちは自分たちの番が回ってくるまで、あぁでもないこうでもないと話し合い、実際に試して転がされては話し合うという流れを夢中で繰り返し続けた。ご令嬢たちが見学していることなど完全に頭から抜け落ちていた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
昼の休憩時間、身体を休めている騎士たちの間ではご令嬢の話題で持ちきりだ。そういえばそうだったなと思いつつも特に他にすることもないので、何となくそれらに耳を傾けてみる。
「二人ともかなり若いよな。学園を卒業したばかりでまだ社交にもあまり出ていないんじゃないのか? 会ったことないぞ」
「俺も知らなかったな。誰か新人で知っている奴はいないのか?」
やはり俺以外にも彼女たちが誰だかわからない奴らがそれなりにいるようだ。
そんな中、第一に入った新人が威勢よく手を上げた。
「オレ知ってますよ、学園の後輩でした! 緑髪の方がフェルゼン領のモニカ・オーシェル子爵令嬢、水色の髪の方がバーグマン領のマール・ネーヴィッツ男爵令嬢です! 特にマール嬢は儚げで護ってあげたいと人気がありましたね」
「俺もこの前のブリジット様主催の夜会で挨拶した覚えがある。どちらも学園を卒業したての十五歳だ」
(ブリジット様の夜会には俺は行ってなかったし、そりゃわからねぇわ……)
どちらも王都から離れた普段全く関りのない家で、卒業したてともなれば俺には知りようがない。跡継ぎでもない次男以下は新成人側でなければ成人式に参加することもないのだから。
殿下であれば会わずとも全ての貴族の家の家族構成や名前ぐらいは知識として覚えているだろうが、俺には到底無理な話だ。
「おぉ、よくやった! ……しかし何故突然見学なんだろうな?」
「教官殿が目当ては俺たちではないと仰っていたから、教官殿の訓練指導の様子を見学しにきたか、もしくは殿下目当てではないか?」
「あのオーガの咆哮みたいな怒声が飛ぶ指導風景を繊細なご令嬢方に見せて大丈夫なのかよ……。俺ならビビって泣いちまうぜ?」
騎士たちの間にどっと笑いが巻き起こる。現に今ここで喋っているのは第一や第二の者ばかりだ。特務の人間は教官殿や殿下と距離が近いぶん尊敬の念が強く、こういった冗談は自然と言わなくなっている。現に少し離れた場所にいる特務の仲間たちを見ると、やはり面白くなさそうな顔をしていた。無論俺も同じ気持ちだ。
「……誰がオーガですって?」
するとそこに底冷えするほどに冷徹な声が割り込んだ。見れば教官殿が休憩所の入り口の縁に手を掛けて佇んでいるではないか。ざまぁ見ろ。
「きょ、きょ……!」
「そんなに鍛えられたいなら喜んで手伝ってあげるわ」
最早まともに言葉を発せない哀れな騎士たちに憐みの視線を向けていた彼女だったが、突然キョロキョロと周囲を見回しだした。
「まぁそれはどうでも良いとして、ハロルドはいる?」
「――え、俺っすか?」
「あ、いたいた。ちょっとこっち来てくれる?」
どうやら教官殿の目当ては俺らしい。しかしこれまで俺個人に用事があったことなど一度もないので、その理由など皆目見当も付かない。廊下の方に移動しながら手招きをする教官殿だが、俺を見つけてもその顔は特別嬉しそうには見えなかった。
「すまない……」
「代わりに怒られてくれんのか……?」
「俺は笑ってねぇって……」
嫌な予感しかしないが無視など出来るはずもない。教官殿の待っている廊下へと向かおうとすると、その不穏な空気を感じ取った第一や第二の奴らにまで心配されてしまう。
教官殿は俺が休憩所から出てきたのを確認すると、特に何を言うでもなく何処かへと歩き出した。どうやらついて来いということらしい。
「それで、俺に何か用っすか?」
静かな廊下にコツコツという足音だけが響く中、素直に今の疑問を投げかけてみる。喋るなとは言われていないので別に構わないだろう。
「用があるのは私じゃないのよ。見学していたマール様が貴方とお話したいって言ってるの。……これがどういう意味か貴方ならわかるわよね?」
「マジっすか……」
俺自身、訓練中は見学者がいたことすら完全に忘れていたくらいだ。さっきの水色の髪の令嬢が俺に気があるなどと誰が想像しただろうか。
そして教官殿の表情が晴れていない理由もわかった。彼女は俺の女性との付き合い方を快く思っていないのだ。それは彼女の結婚相手の選び方を見れば容易に想像が付く。一人の相手に深く理解されることを望む彼女には俺はさぞかし軽薄な男に映っていることだろう。
そんな俺とマール嬢を引き合わせたくない、あの表情はそういう意味だ。
これでも女性なら誰でもという風に無節操に迫ったりはしないし、俺なりのルールとポリシーがあるのだが、それを説明したところで理解してもらえるかは微妙なところだ。
あの見学席へ向かう道なのだろう、地味にこれまで通ったことのなかった廊下を進み、広いバルコニーに出る。そこでは日中でも過ごしやすいように日傘の設置されたテーブルのご令嬢二人が、傍らに立つレベッカやミーティアと談笑していた。
俺と教官殿が入ってきたことに気付いて、その全員の視線がこちらに集まってくる。マール嬢は真っ赤になって顔を伏せながらもチラチラとこちらの様子を窺っている。
モニカ嬢はまるで演劇でも見ているかのように興奮している。朝に感じたような知的な雰囲気など微塵も感じられなくなっていた。この状況を心から楽しんでいるらしい。
レベッカとミーティアはじっとりと俺を睨んでくる。どうやらこいつらも教官殿と同じ心持ちのようだ。
(なんだこの状況は……帰りてぇ……)
居づらいにも程がある……。これだけの人数が集まっていて味方が一人もいないではないか。
――いや、これが周囲に知られれば何処であろうと同じか。羨む連中ばかりで今の俺の心境なんて誰も理解しようとしないだろう。
「マール様、ハロルドをお連れしました」
「我儘を言って申し訳ございません……。アダム・ネーヴィッツの娘、マール・ネーヴィッツと申します。どうしてもハロルド様と一度お話をさせていただきたくて……」
本当に気弱で大人しいご令嬢なのだろう、話すにつれ、みるみる声が小さくなっていく。同時にその小柄な身体も一緒に縮んでいっているようにすら感じる。
「数多くいる騎士たちの中から私を気に掛けて頂けたのですから光栄ですよ。ここでは何ですので騎士団内を散歩でもしてみませんか?」
こんな痛い視線を受けながらゆっくりと話なんてとてもじゃないが出来ない。怖がらせないように静かに歩み寄って彼女の前に跪き、右手を差し出す。
「よ、喜んで……!」
顔を真っ赤にして、少し声が裏返りながらも嬉しそうに俺の手を取るマール嬢。確かにとても可愛らしく、庇護欲を刺激されるお人だ。学園でも人気があったというのも良くわかる。
緊張に少し汗ばんだ彼女の手を取って立ち上がり、くるりと身を翻す。
彼女が俯いているので丁度良いとばかりにモニカ嬢を除いた女性陣に「着いてくるなよ」と目で威嚇しておく。こういう場面において信用が無いのはお互い様だ。
実際そのつもりだったようで、その全員に気まずそうに目を逸らされた。
(まったく、趣味が悪い……)
もの言いたげな視線を背中に受けながら、俺はマール嬢と共に見学用のバルコニーから退出していく。
「無骨なイメージのある騎士団とはいえ王宮にも繋がる施設だけあって、実はそれなりに見所もあったりするのですよ」
「そうなのですね、楽しみです! 王宮すらも成人の式典で国王陛下にお祝いの言葉を頂戴した時の一度しか訪れたことがありませんでしたので……」
「騎士団に出入りする女性は少ないですから、その辺りは皆同じですよ。なのでマール様にもきっと楽しんでいただけるかと」
そんなやり取りをしながら施設を案内したり、敷地内に複数存在する庭を歩いて植えられている植物について話をしたり、騎士たちの中で囁かれている噂を紹介したりと、マール嬢を退屈させないよう努めた。
その間も彼女は嬉しそうに反応を返してくれるし、自身の知識に絡めて話題を膨らませようと努力してくれているのも伝わってきたので、案内する側としてもとてもやりやすかった。
最後に俺がたまに昼寝に使う、人通りの少ない場所にあるベンチまでやってくる。
「休憩できる場所が限られているせいで長々と連れ回してしまって申し訳ありません。流石にお疲れでしょう?」
彼女は騎士でもないごく普通のご令嬢だ。慣れない場所を歩き回って疲れただろう。
「いいえ、とても楽しかったので気になりませんでした」
そう彼女は微笑んでくれてはいるが、その顔は僅かに上気しており、呼吸の間隔も少し短くなっている。疲れを隠しているのは一目瞭然だった。心配させまいと我慢をしている姿はとても健気でいじらしい。
(本当に素敵なご令嬢だが……)
「此処でしたら人目もありませんので、少し踏み込んだ話も出来るでしょう」
聴力を強化をしても気配や物音は感じられないので大丈夫だろう。
「はい……」
「私と話をしたいと思ったきっかけは何だったのでしょうか? これまでにお会いしたことは無かったと記憶していますが……」
「その……本当に一目惚れだったのです。もう一人の騎士の方と協力してレオナ様に立ち向かっていくそのお姿や、声までは聞こえませんでしたが、きっとそのための相談をしている時の真剣な眼差しが私にはとても輝いて見えたのです」
まさか彼女たちの存在を忘れて訓練に没頭していたことが、逆に気に入られる理由になっていたとは……。
「失礼ですが、それはそのもう一人の騎士も同じだったのでは? 彼もずっと真剣だったと私が保証出来ますが……」
だがそれなら俺ではなくウィリアムが選ばれても良かったはずだ。
「あの方はかなり大柄な方でしたので、私のような者には少し……」
「あぁ……なるほど……」
どうやら体格差がありすぎて怖がられているらしい。
(確かに虎か熊が二足歩行しているみたいな、大柄で威圧感のある奴だからな……)
その見た目に反して中身は生真面目かつ心配性で人畜無害な奴だったりするのだが、こればっかりは生まれ持ったものなので仕方がないか。
そういえば彼女の父親も兄も小柄だったような記憶が薄っすらとある。家系的にもそういう男性に囲まれて過ごしていれば耐性が無いというのも頷ける。
「きっかけこそ一目惚れでしたが、こうやって一緒に歩き回ってお話をして、私の直感は間違っていなかったと、とても素敵な方だと改めて感じました!」
彼女はこれまでになくはっきりと力強く主張する。両手を握りしめて、その気持ちは本物なのだと訴えかけてくる。
「なので……私とお付き合いしていただけないでしょうか……?」
そして最後は俯いて、祈るように、今にも消え入りそうな声で己の望みを口にする。それは紛れもない彼女の本心なのだろう。
「……それにお答えするには、もうしばらく時間をいただけますか?」
だが俺はそれにすぐに応えることが出来ないでいた。
「勿論です、私が急に言い出したことですから……。王都にはまだしばらく滞在する予定ですので、出来れば故郷に帰る前に直接お聞かせいただけますでしょうか?」
この場で良い返事がもらえなかったことに多少なりともショックを受けたはずなのに、それでも気丈に微笑みかけてくれる彼女に、俺は何ともいえない罪悪感を覚える。
「わかりました。……必ず」
彼女をまた見学席まで送り届け、訓練に戻る。……しかし組んでいるウィリアムには悪いのだが、とてもではないが訓練に集中出来るような状況ではなかった。




