80.解放
屋敷に戻った私はみんなに改めてエマが使用人の一員となること、そして商会と私の橋渡し役としてロベルトの補佐についてもらうことを説明する。また同時にダイト商会で働いていた経験のあるアンナとマルコもしばらく商会の仕事を手伝ってもらうようにお願いした。
設立についての事務手続きなどは基本的にロベルトに丸投げ。その代わりに私は建物の選定からテーブル等の家具、荷物を運ぶための馬車、細かな備品などの必要な物を、ロベルトや彼が引き抜いてきた従業員から聞き取りながら、彼らが働くための環境作りに励んだ。
商会の名前を決めるのを任された時は、そういうセンスについては自信がなくて少し困ってしまった。見かねたロベルトが家名を使ってはと提案してくれたので、尊敬する両親を思い浮かべ、立派な商会になるようにと気持ちを込め家名をそのまま使うことにした。
こうしてクローヴェル商会が設立された。
不正の証拠集めと並行して従業員を募集し、教育を進めていく。ロベルトが。
イルヘンを含む複数の取引先が一気に増える予定なのだから、早くゴルドマ商会を叩き潰したい気持ちはあっても、その後を考えて慎重に出来ることを増やしていく。ロベルトが。
ルールを決めるのが大変なので今すぐには出来ないけれど、ゆくゆくは従業員たちが安心して働けるよう、前世の仕組みを参考にしつつ、怪我で働けない人への生活保障や、出産や育児での休暇や保障などをこの商会に取り入れたいと思っている。
私の商会なのだから、身内には全員幸せになってもらわないと。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
そんなこんなでゴルドマ商会を叩き潰す時が近づいて来た。アジェまでの道中、ロベルトやエマは私とは別の馬車の中でずっと寝て過ごしていたらしい。やはり負担が大きいようで申し訳ない……。
それでも到着する頃にはいくらか休息は取れたらしく、出発前よりはスッキリした顔になっていたので少し安心した。事が落ち着いたらしっかり休んでもらいたい。
私たちは全員着飾った状態で再度馬車に乗り、アジェ近郊にある領主の屋敷へと向かった。
「なんだかドキドキしますね……」
「こちらが明らかに有利とはいえ、流石にな……」
緊張した様子の二人が苦笑いを浮かべながらそう漏らしている。見たところ一緒に働く間にお互いかなり気安くなったみたいだ。
「その為に時間を掛けて準備して来たのだから大丈夫よ。とりあえずどう転んでも命の危険はないから安心なさい」
「まったく……お嬢様には敵いませんよ……」
「あはは、本当に……」
励ましたつもりなのに呆れられてしまった。何故だ……。
ようやくその顔を拝むことが出来たロートレック子爵、その容姿はちょび髭を生やした小さいおじさんって感じだった。確かに小心者そうと言われればそんな気もする。
というかそんな単純な容姿よりも、かなりやつれていて領主らしい覇気が全くないことの方がよっぽど目に付いた。馬鹿息子のせいで色々と余裕がないのだろうというのが一目で伝わってくる。
「お初にお目にかかります、子爵様。S級ハンターのレオナ・クローヴェルと申します」
「あぁ、次期ウェスター公爵夫人から事情は聞いている。悪徳商会を摘発するのに協力して欲しいとのことだが……本来であれば我が領地の問題は儂が対応すべきだと思うのだが?」
遠回しに『余計な手出しをするな』と言いたいのだろう。聞く耳を持っていたら初めからこんな隣の領地くんだりまで来たりはしないというのに。
「いいえ、この程度の小物にわざわざ子爵様の手を煩わせる必要はございません」
「……ッ!」
『そちらこそ余計なことはせずに引っ込んでいろ小物』と貴族らしく伝えれば、子爵はそのあまりの感動に震えてこちらを睨んでくる。ビリー様の時もそうだったけれど、私って案外こういう厭味ったらしいやり取りは得意なのかもしれない。
「事前にお伝えした通り、文書だけご用意頂けましたら後は全てこちらで対応致しますわ」
「そうか……恩に着る。あれでもこの領地で最も大きな商会だ、大きな抵抗があるかも知れんが、其方の無事を祈っているぞ……」
それでも白々しくこちらを心配するフリして商会を使って脅しをかけてくる。相手がなかなか折れないものだからなんだかこちらまで楽しくなってきたじゃないか。
「ご安心ください、私はこれでもハンターとしての腕には自信がありますので。『村を呑み込む程のゴブリンの大群』だろうと簡単に対処出来ますわ。いち商会の抵抗など恐るるに足りません」
「……ッ!?」
私は「誰を相手にしているかわかっているのか?」と言わんばかりの眩しい笑顔で返事をしてみせる。これには子爵も瞠目して息を呑んだ。
(そう……貴方が結局見つけられなかった人物が今、目の前にいるのよ)
しかし、その後に取った子爵の反応は内心ほくそ笑んでいた私の予想とは違っていた。
「儂はあの村を救った者を知っている! 出まかせを言うな小娘!」
(……はぁ?)
なにやら子爵は別の誰かと勘違いしているらしい。
「その方は今どちらに?」
「……知らぬ。奴は儂の勧誘にもS級の推薦にも首を縦には振らなかったのでな。褒美だけ受け取って去っていったわ。だが村人の証言通りの人物だ、間違いない!」
本当にブリジットの言った通りに取り込もうとしているではないか。推薦よりも先に勧誘が挙がっているあたりが子爵らしくてとても生々しい。
「残念ながら、その証言は私がそう伝えるよう村人に指示したでまかせです」
「なんだと!?」
「人相については適当に実際には居なさそうなものにしたつもりだったのですが、まさか当てはまるような者が本当にいたとは思いませんでしたね……。えぇと、確か『ボロボロの皮鎧を着た黒髪の中年男』だとかそんな感じでしたよね?」
もっともっと捻った方が良かったのか。巻き込んでしまったその人には悪いことをした。……と一瞬思ったけれど、どうも褒美はちゃっかり受け取っているようなので同情はしなくても良いのかも。
王宮にも報告せず、村の人間や騎士団しか知らないはずの情報を何の関係もないはずの私が言い当ててしまったことに子爵はハッキリと狼狽え始めた。
「……う、嘘だ! そんなはずはない!」
「しかし今の話ですと報酬を受け取っただけで、実際にその実力を確認してもいないのでしょう?」
「うぐっ……」
私以外にそんな強さを持っている人間がまだ隠れているとは到底思えない。……いや、その可能性は全くのゼロではないけれど、少なくともこの件でそう都合良く出てきたりはしないだろう。
「私の言葉が本当かどうか確認したいのであれば構いませんよ? 試しにこの屋敷を竜巻で吹き飛ばして差し上げましょうか?」
何にせよ子爵に私の実力を知らしめることが出来れば、とりあえずこの場は解決する。
『突風』
立ち上がり、試しに適当に作り上げた風の魔力で威嚇してみせる。
「ぬおおおっ!?」
「うわっ!?」「きゃあっ!」
応接室内に突風が吹き荒れたことにより、束ねられたカーテンが大きく揺れ、ガラス窓がガタガタと音を立て、テーブルに置かれていた不正の証拠の写しが宙を舞う。これには子爵だけでなく、横に居るロベルトやエマまで驚きの声を上げている。
「動くな!!!」
子爵の後ろに待機していた護衛の騎士たちが動こうとした所を声を上げて制止する。
「……今のはただのパフォーマンスだ。子爵様がこれ以上を希望されない限りは私から手を出すつもりはない。その場の勢いで下手に抵抗して命を無駄にするな」
ソファーに座り直し、腕を組みながら子爵の反応を待つ。私に攻撃の意思がないと判断して前のめりになっていた騎士たちは姿勢を戻してゆく。
その間も子爵は両手を握りしめ、下を向いて歯を食いしばりながら目だけはこちらをじっと睨んできていた。
「――もう一度だけ言う。私に協力して以後慎ましく暮らすか、商会と運命を共にするか、今この場で選べ。これ以上無言を貫くつもりであれば抵抗の意思有りとして後者と見なす」
そこへ私のダメ押しの宣言をしたことでようやく子爵の身体から力が抜け、ガクリと肩を落とした。
「わかった……其方の言う通りにしよう……」
「――よろしい」
かろうじて絞り出された声はまるで蚊の鳴くようなか細いものだった。イルヘンを救ったのが私だと信じさせるのに予定より手間取ってしまったけれど、概ね予定通りに事が進んでほっとする。
「私が救ったイルヘンの村の住人はもう私の物よ。それに悪意を持って手を出せばどうなるか、良く覚えておきなさい」
ぶっちゃけ子爵からしたらそんなこと知りようもないだろう。実際、私がやっているのは当たり屋みたいなものでしかない。でも私はいい子ちゃんではないので譲る気は毛頭ない。そもそも人々を騙したりせずに清く正しく生きていればこんな目には遭わなかったはずなのだから、以後気を付けろとしか言いようがないのだ。
「そんなに落胆せずとも魔物や人間による領地の危機であれば私が駆けつけて守ってやる。精々これからは心を入れ替えて真っ当に暮らすことだ」
もう殆ど生気が失われてしまった子爵も黙って頷いた。そのまま不正を働いた商会の解体処分を通達する文書を書かせ、念のためロベルトに確認してもらってから私たちは領主の屋敷を後にした。
アジェに戻ってきた私たちはその足でゴルドマ商会に乗り込んだ。
「数多の不正を働いた此処ゴルドマ商会は本日を持って営業を停止・解体する。これは領主であるロートレック子爵殿からの命令である!」
「そんな馬鹿な!? 領主様が……!?」
子爵に梯子を外された商会の代表の男は、目の前に並んでいる不正の証拠の数々と文書を見て明らかに狼狽えている。出まかせでもなんでもない、紛れもなく子爵本人によって書かれたものだということくらいはわかるようだ。
「上層部の者は全員身柄を拘束し、騎士団へ連行する。無駄な抵抗は止めろ!」
子爵からロートレック騎士団を借り受け、商会の建物は包囲している。逃がしはしない。
代表の男に目配せされた部下が退室していく。戻ってきたのはやはりというか、棒きれやスコップなどの武器を手に持った男たちだった。
(うわ~……やっぱり抵抗するのねぇ……)
ただ、男たちはどう言われて集められたのかはわからないけれど、口封じのために来たというよりかは、単に不審者を叩き出すために来たというような変な勇ましさを感じる。
「捕えるのは上層部の者のみのつもりだが、抵抗するのであればその者もまとめて連行するぞ?」
「ふん! そんなもの、ただの苦し紛れよ!」
代表の男の目には私が今の状況に及び腰になっているように映っているらしい。まぁロベルトとエマはそう思われても仕方ない怯えた顔をしているので仕方ないか……。
しかし周囲はそうではないらしく、困惑の表情を浮かべている。
「お、おい……! あれ『いばら姫』様じゃないのか!?」
「連行ってどういうことだよ! 泥棒が入ったんじゃねえのかよ!」
「この町の恩人に何する気だよオイ!?」
(泥棒ってアンタ、どの口が言ってるのよ……)
その反応を見るに、やはり適当に言って集めてきただけのようだ。武器を持ってきた男たちはただ言われるままに働いているだけの、この状況に疑問を持てる至極真っ当な神経をした従業員なのだろう。盗人猛々しいとは正にこの事。
「私が用があるのはこの男たちだけよ。皆は邪魔しないでね?」
『は、はいっ!』
アクセルたちとの依頼以外にも、これまでに何度も依頼をこなしてきただけあって生活を救った鉱夫たちでなくてもアジェの町の人々は私に好意的だ。外部の人間より信用されていない組織の長ってどうなのって感じではあるけれど、今はそれがありがたかった。
「く、くそ女がああああああ!」
追い詰められた代表の男は私に掴みかかってきた。――が、それは簡単に風の壁に阻まれる。私はその様子を座った状態で眺めながら、また馬鹿息子の時のように稲妻の魔力を作り出した右手の指を弾いた。
『伝播する稲妻』
「うぎっ!」「あばばば!」
(やっぱり人間相手だとこの魔法が一番楽ねぇ……)
それだけで商会の代表の男とその部下は痺れて動かなくなった。まぁ元から大した戦闘などないと思っていたしこんなものだろう。
私は立ち上がり、従業員たちに声をかける。
「こいつらを建物の外に待機している騎士団に引き渡すのを手伝ってくれるかしら?」
「はいっ!」
とてもいい返事をした彼らと共に建物から出て、動かない男たちを騎士団に身柄を引き渡す。
そうして連れていかれるのを見送っていると、残された従業員の一人がぽつりと溢した。
「商会が解体ってことは俺たち失業しちまうのか……」
「あぁ、そういう人々は新たに設立した私の商会で受け入れる予定よ。ゴルドマ商会の取引先を引き継ぐところも多いから、勝手がわかっている人たちなら歓迎したいわ」
「おおっ……!」
「本当ですか!?」
「これまでの不正に加担していないのであればね」
私の言葉に従業員たちは大いに湧き立ち、安堵の息を吐き、大泣きしている。当然ながら私はこれからは使用人だけでなく、彼らや取引先の人々も幸せになれるように頑張っていかなければならないのだ。
そのプレッシャーに自然と身が引き締まるのを感じ、私は小さく息を吐いた。
「お嬢様の元で働けて本当に良かったと思います……」
馬車での移動中、突然ロベルトがしみじみとそう呟いた。
「まだ始まったばかりでしょうに……」
多分これまでのやり取りを見て、おっかないのが敵じゃなくて味方で良かったと心の底から思い知ったからこその言葉なのだろう。
「言っておくけど、私の知らないところで商会を使って悪いことをしたら貴方も同じような目に遭わせるからね?」
「重々承知しております。初日に『私の主義に反しない限り』と仰っていたのを忘れてはおりません」
「そう、物分かりが良くて助かるわ。……私は私を慕ってくれる人ごと幸せになってみせる。屋敷の皆も、クローヴェル商会の皆も、イルヘンの村人たちも、エルグランツの住人たちも、全員ね。もちろん貴方もそれに含まれているのよ、ロベルト」
「はっ! その幸せの一助となれる、素晴らしい商会を作って参りましょう!」
とても活き活きして返事をしているロベルトをエマが嬉しそうに見上げている。
この二人の様子を見れば商会が今後間違った方向に進むことなどないだろう。今くらいは良い人材に巡り合えたことを女神に感謝しても良いのかもしれない。
そして二日掛けてイルヘンの村へと到着した私たち。事前にいつどのように行動するかは手紙で伝えていたので、既に夕方でありながら村人たちは揃ってこちらの到着を待っていたようだった。
少しだけ地面より高い馬車から見えた村人たちは、みな揃って緊張の面持ちで私の言葉を待っていた。
「みんな! ゴルドマ商会をぶっ潰してきたわよ! これから一緒に新しい一歩を歩んでいきましょう!」
私が今回の作戦の成功を告げると村人たちから悲鳴にも近い歓喜の声が巻き起こった。そして近くの者と抱き合い、笑い合い、泣きだしている。
久しぶりに訪れた時のどこか生気のない沈んだ表情とはまるで違う、これからに希望を見出した人々の顔、それを見るだけで満たされていく自分がいる。
「一度ならず二度までも……貴女様は本当に我々の恩人です。村人一同、この救われた命を貴女様に捧げることを誓いましょう」
「そんなの重苦しすぎるわよ……」
相変わらずの感謝の重さに、私もつい苦笑いが浮かんでしまう。
「何か私のためになることをしたいのであれば、貴方たちも一緒に幸せになることに全力を注ぎなさい。良いわね? 私だけ幸せになっても意味がないんだから」
「おおぉぉ……『いばらの加護』に感謝を……!」
村長さんがまた感極まって泣き出してしまったのを皮切りに村人たちが私を取り囲み、思い思いに感謝の言葉を投げかけてくれる。
ふと離れた位置からの視線を感じてそちらを向くと、ロベルトがこの状況にあっけに取られているのが視界に入ってきた。「貴方にはこれからもまだまだ世話をかけるわね」という意味を込めて微笑んでみせると、はっと表情を引き締めて頷いてくれる。
そうこうしているうちに夕日が沈んでいき、辺りが暗くなり始めると村人たちは慌てて散っていった。そしてみんなで村の広場に明かりを灯し、テーブルや椅子を並べ、食事の準備をし始めたのだ。
「村の新たな門出を祝う宴をいたしましょう! 貴女様と共に在れる幸せを噛みしめ、未来永劫続くよう女神に祈りを捧げる宴を!」
相変わらず仰々しいけれど、これだけ彼らが活き活きしているのだ、これ以上とやかく言って水を差すのは野暮というものだろう。
私も復興の時のように彼らに混じって宴の準備を手伝う。村人はぎょっとするけれど、共に在ると言っているのだから、共に準備をすることに何の問題があるのだろうか。
ホレホレ、共にご飯を作るぞ。共に乾杯するぞ。共に歌を歌うぞ。共に踊るぞ。
調子に乗った私はそうやって陽気な声や笑い声の絶えない宴を明け方まで楽しんだのだった。




