表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/158

79.覚悟

 翌日、新たな商会の準備をロベルトに任せて、私はエマと共にウェスター騎士団を訪れていた。


「あの、お嬢様……今日は一体……」


「すぐにわかるわ」


 屋敷で使用人たちに囲まれているうちにすっかり呼び方がうつってしまったエマ。初めて来る騎士団の通路を不安気な顔をしながら私の後ろをついてきている。


 目的の場所では既に数人の騎士が整列して私たちの到着を待っていた。


「お待ちしておりました、クローヴェル卿。本日は宜しくお願い致します」


「こちらこそ、この場を整えてくれたことに感謝するわ」


 やって来たのは壁に囲われた屋外の空間。日光が燦々と降り注いでいるにも関わらず、どこかひんやりとした空気が流れていて、鳥の鳴き声すらも煩く感じてしまう程の静寂が広がっている。中央付近は一段高くなっており、更にその中心には磔にするための柱がそびえ立っている。


 ――そう、ここは処刑場。罪人を裁く場所。


 その非日常的で異質な光景を認めたエマが息を呑む。


「お嬢様……?」


「始めて頂戴」


 声を震わせて尋ねてくるエマに構わず促すと、騎士二人がすっとこの空間から出て行き、しばらくして拘束されたみすぼらしい格好の男を両脇から抱えて戻って来た。そしてその男はそのまま中央の柱に繋ぎ止められる。


「罪状は?」


「過去に強盗を一件、そして今回は強盗殺人を一件。更に逃亡中に民家に押し入り、そこでも殺人を複数重ねたため、最終的に死刑の判決が下されました」


「……そう」

「ひっ……」


 私はエマの腕を取って階段を進む。そして男の少し手前まで来たところで腰のショートソードを外し、彼女に差し出した。


「――エマ、この男を殺しなさい」


「……っ!? な、なんで……お嬢様ッ!?」


 予想通りエマはわかりやすく取り乱している。私は彼女を真っすぐに見据え、努めて冷静に説明する。


「私は貴女の師として、選択を間違えていたわ」


「……え?」


「自身の経験をただ模倣して、師匠面していただけだった。私が本当にしなければならないのは、貴女が幸せになれるように導くことだったというのに」


 人間はひとりひとり違う。全く同じ人間など存在しない。だからやり方なんて違って当たり前なのだ。それなのに私は安請け合いをして彼女の要望を愚直に聞き入れ、その結果待遇を間違えた。


「貴女がハンターとして本当に幸せになれるのかどうか、その覚悟を見せて証明して頂戴。それが出来ないのであれば貴女にはもっと別の道があるはずよ」


 私が真っ先に確認しないといけなかったのは、その確固たる意志だった。たとえちゃんとした目的があったとしても、彼女がそれを自身に言い聞かせているようではダメなのだ。


「うぅ…………」


 私は一度引っ込めていたショートソードを再度彼女に差し出す。それにゆっくりと震える手を伸ばすエマ。


「クローヴェル卿、御自身の物を使わずとも処刑用の武器は別にございます。その美しい剣を罪人の血で汚す必要はございません」


 騎士の一人がその様子を見て歩み出ながらそう提案してくれる。けれどそれに頷く訳にはいかない。


「どうして自分が汚れるのを厭う者が他人に殺せと指図出来るのかしら。私は師としてこの場に彼女を連れてきた責任があるの。この身が汚れる覚悟などとうに出来ているわ」


 そんな情けない姿など見せられない。師匠として、貴族として、屋敷の主として、S級ハンターとして、絶対にだ。


「……礼を失した発言でした。どうかお許しください」


「気にしないで。……ありがとう」


 純粋な善意で言ってくれていただけだ。目くじらを立てるようなものではない。頭を垂れて後ろに下がっていった騎士から視線を戻すと、エマは先程の体勢のままじっとショートソードを見つめていた。


「覚悟を…………」


 そう呟きながら、再びその手が剣に伸びる。そして私の腕から剣の重みがふっと消え去った。


『シャラン……』


 彼女は手の中にある剣の鞘を静かに撫で、そしてゆっくりと抜いた。屋敷での訓練で用いている剣よりも短くて軽いのでその動きはとても滑らかなものだった。


 柄を両手で握り、これまでの訓練の中で教えた通りに正面に構え、じりじりと男へと近づいていく。


「んー!!! んんー!!!!」


 猿轡をされて言葉を発せない男が必死の抵抗を見せる。もがき暴れ、首を振り回し、血走った目の端には涙が浮かんでいる。


「ひっ……!」


 その気迫に押されてエマの歩みが止まる。だからといって私は何も言わない。ただ見守るだけだ。


「くぅ……っ!」


 それでも彼女は諦めずにじり寄る。そして遂に剣を振れば男を斬れる距離にまで近づいた。


「んんんんんん!!! んんんー!!!!」


 また男は騒ぎ立てるが、彼女は静かに両手で頭の上に真っすぐに構えた。


「フゥ……フゥ………………うぅっ!?  おえぇっ……げぇ……」


 しかしあと少しというところで、彼女は男に背を向け、嘔吐してしまった。


(やっぱり……)


 懸念していたことが現実となってしまった。襲われそうになっていたところを救助する際に誘拐犯を斬り捨てる様を目の当たりにし、その返り血を浴びたとレベッカは言っていた。状況的に仕方のないことだとはいえ、その光景は彼女の心に傷を作っていたとしても何ら不思議ではなかったのだ。


 エマは今一度剣を取ろうと震える手を伸ばすが、その手は力無く地面に落ちてしまう。


「うぅっ……ぐすっ……ごめんなさい……私には……出来ません……ごめんなさい……うぅぅぅぁぁぁあああ」


 自らの覚悟の無さに打ちひしがれ、蹲って泣き出すエマ。この静かすぎる空間にその嗚咽だけが響き渡っている。彼女の後ろに回り、背中を擦って落ち着くのを待つことにする。


「出来なくても自分を責める必要はないわ。優しすぎる貴女にはハンターは向かないというだけ。誘拐された孤児院の子を探すのは騎士団の人に任せて別の道を探しましょう?」


「…………はい。……ぐすっ」


「我々が責任を持って捜索をすると約束しよう。君はどうかその子の無事を祈っていてくれ」


 騎士の一人がエマを慰めてくれる。ウェスター騎士団の人々は皆貴族とは思えないほど下の身分の者にも優しく、誠実だ。この街は領主も、騎士団も、住民も、本当に素敵な人ばかりだとしみじみ思う。


「ありがとうございます……。どうか宜しくお願いします……」


「あぁ、任せておけ!」


 騎士が勇ましく突き出した拳に、エマもおずおずと拳を出してぶつけ合う。ようやく彼女の目から涙はなくなったようだ。


 私は目でその騎士にお礼を言って、話の続きを再開する。


「このままうちの屋敷の一員となって私の役に立つか、別の働き先を見つけるか、今後をどうするかは貴女が決めなさい」


「屋敷に残ってもいいんですか……? ハンターを目指さなくなって師匠と弟子の関係でなくなったら、もう居られなくなるものだと……」


「構わないわ。でもその場合は今まで以上に働いてもらうわよ?」


 ハッキリと返事をもらっていないのでまだ言わないけれど、その場合はどう働いてもらうかも既に考えてある。というか今うちは人手不足なのだ。勧誘したいけれど自主性を尊重して我慢している状態だ。


「それならお嬢様の元で働かせてください! ここまで散々お世話になっておいて『はい、さよなら』は私も嫌です!」


「……ありがとう。詳しくは後で話すけれど、新しく設立する商会での補佐をお願いするわね」


「はいっ!」


 ようやくエマの件は一件落着だ。私の浅慮のせいで屋敷のみんなには苦労を掛けてしまった。それに気付かせてもらえただけ良かったけれど、もう繰り返したくはない。


「さてと……」


 私は立ち上がったエマの肩を掴んでくるりと回転させ、背中を向けさせる。そして抱き寄せながら左手で目隠しをする。


「え、えっ!?」


 突然の行動に困惑する彼女はそのままに、磔にされた男を視界にも収めず後ろ手で下から上へと一閃する。


「~~~~ッ!!」


 男は声にならない悲鳴をあげて絶命し、血しぶきが私の背面に降り注ぐ。私より背の低いエマには降りかからない、彼女はもう汚れる必要はないのだ。ただ何が起こったかだけを理解してくれればそれでいい。


「振り返らず、前だけ見て進みなさい。……今の私を見ないで」


「は……はいっ!」


 目を隠している左手をどけて、軽く背中を押す。エマは真っすぐに走り出し、この空間から出て行く。


「…………ふぅぅぅ」


 深呼吸で吐き出す息が震える。人を殺すのは二度目とはいえ未だに慣れない。慣れたくもないけれど……。


 彼女が殺せなかった以上、この場のセッティングを依頼した私が殺さなければならない。先程言った責任と覚悟を、私自身が示せないなどあってはならない。


 何より人々に理不尽を振りまいただけでなく、蹲って泣きだした彼女を見て嫌らしい笑みを浮かべたこの男を許せなかった。


『洗い流し』(ウォッシュアウト)


 血を洗い流さないと、と思ったところで突然聞こえてきた私のものではない声。見れば中央の段差から降りる階段のところに、騎士たちが洗浄の魔法の水の塊をこちらのタイミングで入れるように配置してくれていた。


 私と違って魔力には限りがあるのに、わざわざ消費の激しい使い方をしてくれている優しさに胸を打たれる。


「お勤め、お疲れ様でした」


「……ありがとう。ウェスター騎士団に頼んで良かったと心から思うわ」


 こうやって感情を揺らしているようでは私もまだまだ未熟だ。お師匠様のように立派な人になれるのは一体いつになるのやら。


 みんなの厚意に甘えて滲んだ涙ごと返り血を洗い流し、私は騎士団を後にした。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ