78.商会
エルグランツに帰還して私はすぐに「商売を始める上で相談がある」とブリジットに手紙を書いた。それに精通した経営を任せられるような信用出来る人物を紹介して欲しいと付け加えて。
ブリジットらしく翌々日には返事があり、すぐさま相談の日程が組まれた。
もうすっかり見慣れた領主の城の応接室で、満面に喜色を湛えたブリジットに出迎えられる。とても機嫌が良いみたいだ。
「ごきげんよう、レオナ。貴女から相談を持ち掛けてくれるなんて嬉しいわ!」
「ごきげんよう、ブリジット。いつだって頼りにしているつもりだけど……?」
どうやら彼女にとって私から頼ったということに大きな意味があるらしい。私としては本当にお世話になりっぱなしな気分なのだけれど、口振りから察するに、あまり頼られているという実感を得られていなかったということだろうか。全然そんなことないのに……。
「さぁさ、今回はどんな厄介事に首を突っ込んだのか聞かせて頂戴!」
「首を突っ込んだなんて人聞きの悪い……」
これからも頼りまくっちゃおうという意気込みはひとまず置いておいて、これまでのエマの弟子入りからアンナの訴えまでをブリジットに説明していく。
「……流石バーグマン伯爵の屋敷の頃から仕えている侍女ね。しっかりしているし、レオナのことも良く理解しているわ」
「アンナに全面同意って感じね……」
一通り説明を終えるとブリジットは満足げにアンナを褒め始めた。傍に控えているアンナはほぼいつも通りだけれど、ほんの少しだけ頬が赤くなっている。
「いくらS級ハンターという存在自体が特殊とはいえ、貴族らしくないのは事実でしょうに。貴女のその力の運用の仕方についても間違ったことは言っていないわ。……それで? 商売を始めるとして何を売るつもりなの?」
ブリジットはそう言いながらこちらを試すような視線を向けてくる。これは明らかに何か面白いものが飛び出してくるんじゃないかと期待されている。やっぱりノープランで相談を持ち掛けなくて良かった……。
「それについて説明する前に、手紙に書いておいた人材についてはどうなってるかな?」
「それならもうこの城に呼びつけてあるわよ」
「なら早速ここに呼んでくれる? 纏めて説明してしまいたいの」
「えぇ、いいわ」
見つからなかったなんてブリジットが言うはずはないとは思っていたけれど、呼び出してまでいてくれているのであれば話は早い。
早速ブリジットが目配せして、使用人が退室していく。
先程の説明を終えたばかりで少し喉が渇いていたので今のうちにカップを手に取る。高級なお茶の香りを楽しみ、少し口に含んでじっくりと味わって再度ソーサーに置くと、ちょうど同じタイミングで先の使用人が戻って来たではないか。主人だけでなく仕える側も何という手際の良さだろうか……。
「失礼いたします」
使用人に促されて入室してきたのは結構若い、年齢は三十くらいの男性だった。背は私と同じくらいで細身、オレンジ色の髪を整髪料か何かでオールバックにビシッと固めており、掛けている眼鏡の奥の赤い眼はとても鋭い。
「エルサール商会より御招集に応じ馳せ参じました、ロベルトと申します。ご機嫌麗しゅう存じます、ブリジット様、クローヴェル卿」
ロベルトと名乗った男性はとてもハキハキとした口調で挨拶をしている。彼とは初対面だけど、どうやらこちらが名乗る必要はないらしい。
そんなことよりもエルサール商会といえばエルグランツで一番大きな商会だったはず……。ここに送り出してくるぐらいなのだからその中でも相当な立場の人間だろう。それを簡単に呼び出すなんて流石ブリジットだ。
「役者は揃ったわ。説明してもらえるかしら?」
「えぇ」
ブリジットには私がどういった人生を歩んでいるのかの説明はしていても、依頼ひとつひとつの出来事までは話していないので、今回の事情よりも前の、イルヘンの村をゴブリンの大群から守ったところから説明を始める。
「おかしいわね……」
すると村の復興が終わったところまで説明したところで、これまでずっと黙って話を聞いていたブリジットが突然怪訝な表情を浮かべた。
「……嘘はついてないわよ?」
「そうじゃなくて。伝えた容姿は出鱈目とはいえ、騎士が現地に来ていたのでしょう? 実際に村は壊滅していて悪戯ではないと判っていたのであれば、もっと国は血眼になって探していてもおかしくないはず。それなのにそんな人物の話をこれまでに一度も耳にしたことがなかったわ」
「確かにエルグランツにいてもそんな感じは全くしなかったわね」
言われてみれば確かにその通りだ。ゴブリンの大群を一人で殲滅出来る人物がいるのなら、それがたとえ殿下が一目惚れしていた私でなくとも国は取り込もうとしたはずだ。それなのにそういった動きは一切見られなかったのはどういうことだろうか。
「もしかしてロートレック子爵は王宮に報告を上げずに秘匿しているのかしら……?」
「何のために?」
「内々で領地で抱え込もうとしていたのかもしれないわね。臆病者の考えそうなことだわ」
「うわ~……有り得そう……」
ロートレック子爵とはこれまで直接関わりあいになったこともなく、未だに顔すら知らない。なのに既にここまで印象が悪くなっているのは地味に凄いと思う。……まぁ元々ブリジットを襲ったボンクラ息子を育てた人間という時点で仲良くなる気は一切ないのだけれど。
「それで結局見つからなかったから知らない振りをしてるってわけね」
「そういうこと。あ……ごめんなさい、脱線してしまったわね。続けて?」
そう言われて私もようやく脱線していたことに気付いて、改めてこの目で見てきたイルヘンの現状と、今回の私の目的を説明していく。
そうやって話している間ずっとブリジットはニコニコしていて、とても楽しそうにしていた。
「――ということで、その商会が邪魔なのよ」
「はぁ~……慕ってくれている村人たちを再度助けるために立ち上がるレオナ……たまらないわねぇ……」
恍惚の表情を浮かべるブリジットの関心は村の現状ではなく、あくまで私らしい。まったくもってブレないのだから呆れるどころか逆に感心してしまう。とりあえずこの調子であれば大きな反対はされないだろう。
なら次は実際に働いてもらうことになるロベルトの説得だ。話の最中はブリジットとは違って、呆然と立ち尽くして微動だにしていなかった。ちゃんと話は聞いていてくれたのだろうか。
「……ロベルト」
「は、はいっ!」
「今日来てもらったのは、貴方に私が新たに立ちあげる商会の経営と、イルヘンの村人たちから搾取しているゴルドマ商会を叩き潰す役目を任せたいからなのよ」
「私に、ですか……!?」
「不安かしら? 何でも聞いて頂戴」
ここに呼ばれた理由を知り、本当に自分に出来るのかと不安になってしまっているようだ。まぁここまでは予想通りではある。貴族相手に断りはしないと思うけれど、やる気がなかったり逃げ出されてしまっては意味がない。その為にもしっかりと納得してもらわなければ。
「ゴルドマ商会といえばロートレック領最大の商会です。叩き潰すと申しましても勝算はあるのですか?」
「手際が良すぎるもの、こういった不正行為は今回が初めてのはずがない。他にも必ずしているわ。叩けば叩くほど埃が出てくるはずよ。その証拠を集めてもらいたいの」
「仮に、それが無ければ?」
間違いなくあると私は確信しているけれど、この場で証明できない以上は仕方がない。
「別に奴等と同じように適当に理由を付けて実力行使でも私は構わないわよ。ゴブリンを相手するよりも簡単だもの」
実際のところ、私のものに悪意を持って手を出すことの意味を理解させられるのであれば過程はどうだって良いのだ。表向きの大義名分はイルヘンの救済で事足りている。
「どちらにせよ先程のイルヘンの村長の話の通り、商会の後ろ盾である子爵が出張ってくると思われますが……」
確かに普通に考えればいち領主に歯向かうなんて考えられないことだろう。平民が貴族の細かい情報について知らなくても無理はない。特に都合の悪い情報を隠されてしまっては余程の情報網がない限りは知りようがないだろうし。
「出張ってきたところで今の子爵に何か出来るような力はないわ。……そうよね、ブリジット?」
「……えぇ、以前の誘拐未遂の件で多額の賠償金を支払わせたから今のロートレック子爵には資産なんて殆ど残っていないはずよ。私としては馬鹿息子だけでなく一族ごと根絶やしにしてやりたかったけれど、それは周囲に止められちゃったわ」
「あ、じゃあ例の馬鹿息子って……」
「処刑されたわよ。公爵家を敵に回したのだし、私も学園時代の対応が甘かったと反省して、実家の名誉のためにもキッチリと落とし前を付けさせてもらったから」
あの公爵家の皆様とブリジットを怒らせたとなればタダでは済まないだろうなとは思っていたけれど、やはり予想は間違っていなかった。恐ろしい内容を、時折嫌悪感を露にしながらもスラスラと話すブリジットが超怖い。……いやまぁ、直接の被害者なのだから当然なんだけどさ。
「そういうことだから子爵はウェスター公爵家に頭が上がらないの。ブリジットに圧力を掛けてもらえば子爵はもう何も出来ないわ」
「……なるほど、良くわかりました」
ロベルトもこちらの圧倒的有利な立場を理解出来たようだ、その不安気だった顔がほっと緩んだ。
「最後にもう一つだけよろしいですか?」
「何かしら?」
「これほどの大役を、何故初対面の私に任せて頂けるのですか?」
「そんなの簡単よ。ブリジットの紹介だからに決まっているでしょう?」
私の回答にロベルトは目を見開いて絶句してしまった。そんなに意外だろうか。実際初対面なんだから人柄がどうとかじゃないことくらいはわかるでしょうに。
「私はブリジットを心から信頼しているし、貴方もブリジットの信用を裏切れない。今はそれだけで充分よ。今は時間があまりないけれど、いずれ心から私に仕える気にさせてあげるから期待しておいて頂戴」
悠長に彼との信頼関係を築いている暇はない。既に村人たちは苦しんでいるし、時間が掛かれば援助にかかる費用も嵩む。優先順位というものがあるというだけの話だ。もちろん彼との関係を放置したままにするつもりなんてない。
ブリジットはすまし顔で口元を扇子で隠している。しかしそのこげ茶色の長い髪の隙間からチラリと覗いた耳が赤くなっているのを私は見逃さなかった。照れてる可愛いよぉぉ。
「周囲を見返すチャンスが回って来たのよ、ロベルト」
「――ッ!!」
ロベルトはそんな可愛いブリジットの言葉に息を呑んだ。彼女はロベルトの事情についても何か知っているようだ。というか雇い主である私こそ、それを知っておかないといけないのではないか。
「どういう意味かしら?」
「……次男は大変なのよ」
ブリジットはそのたった一言で済ませてしまった。これにはロベルトも思うところがあるのか、若干顔を引き攣らせている。どうやら彼はだいぶ顔に出やすいタイプらしい。
(跡継ぎ云々って話かしらね……? 家督を継げなくて燻っていたからこそ、今日ここに送り出されたと見て良いのかも)
「――そういうことね。……ロベルト」
「……はい」
「その野心と商売への熱意、とても好ましいわ。今回の件が成功すればまず間違いなくイルヘン以外でも苦しめられている人々も取り込めるだろうから、商会設立の時期からは考えられないような規模の商売にもなり得るわ。私の主義に反しない範囲で、貴方は貴方の為に動いてくれて構わない。それに必要な援助もしてあげる。だから頼まれてくれないかしら?」
私としては村人たちが助かって、うちの家計が安定すればそれ以上は望まない。彼個人の商会ではないのでエルサール商会を継いだ時と同じようにはいかないだろうけれど、私が後ろ盾になることで何かしらのメリットを与えられたらと考えている。
「……貴女様の望む結果を、必ずご覧に入れてみせましょう」
「ありがとう」
ロベルトはその場に跪いてその決意を言葉にしてくれた。彼のためにも、イルヘンのみんなのためにも、そして私のためにも、必ず成功させてみせる。
「――あ、そうそう」
メインの話がひと段落したところで、思い出したようにアンナに手土産を渡すよう合図する。ブリジットも、少し離れて立つロベルトも興味深そうにアンナによってテーブルに並べられていく瓶を眺めている。
「これは何かしら……?」
「化粧水、シャンプー、リンス、それにヘアオイルの試供品よ。売り出す前に感想を聞かせて欲しくて」




