77.困窮
アンナとの相談の翌日。
「――承知しました。そのように手配致します」
「突然無理を言ってごめんなさいね」
「この程度お安い御用ですよ。では、これで」
「えぇ、また来週」
こんな簡潔なやり取りをして、私はウェスター騎士団を後にした。エマの件で騎士団に協力を取り付けに来たのだ。
とはいえ、以前は欲しがっていたことすらある騎士団とのコネをこんな形で利用するとは思ってもみなかった。正直あまり気分の良いものではない。しかし今の私とエマには必要なことなのだからそうも言っていられない。
「……次は市場か」
物を売るにしても出来れば市場で取り扱っていないものにしたい。周りはみんな知り合いなのだから出来る限り競合はしたくない。
(肉、魚、野菜、果物みたいな基本の食材関係はダメ。布、衣類、アクセサリーは価格帯が違えば何とか? でもこの市場になくても北東区域にはあるか……)
ブツブツ独り言を言いながら人にだけはぶつからないように市場をうろつく。いつもは元気をもらえるガヤガヤとした市場の活気が今だけは思考の邪魔に思えてしまう。……我ながら勝手な奴だ。
(やるなら料理店かな? いや、でも私の知識じゃ平民相手ならともかく、他の貴族に宣伝出来るような品質の物は出せないからなぁ……)
別に貴族相手に商売しろとはアンナにも言われていない。ただ私は貴族らしくあるために、貴族を相手することから逃げないようにしたいのだ。
「……ちゃ~ん」
(となると市場を見ても貴族相手の商売の参考にはならないか……)
「レオナちゃ~ん!」
「……え?」
名前を呼ばれていたのに気付いて、知らず知らずのうちに下を向いていた顔を上げると、エリスさんの明るい笑顔が視界に飛び込んできた。
「あ、気付いた?」
「エリスさん……」
周囲を見回してみれば、いつの間にか市場の端まで来ていた。彼女に声を掛けられてようやくそれに気付いたくらいには考えに没頭していたらしい。
「何かお悩み中?」
「……まぁそんなところかな」
私はエマの弟子入りの話から、昨夜アンナに言われたことを説明していく。
「っていう流れなんだけど……エリスさんどうしたの?」
説明し終えると、何故かエリスさんは引きつった笑顔で大量の汗を掻いていた。
「あ、いえ……お貴族様相手に気安くし過ぎたと思いまして……」
人の上に立つ貴族として周囲に舐められるなという話を聞いて、普段の口調では不味いと焦っていたようだ。
「S級になる前から付き合いのある人なら別に気にしないわ。このやり取りまでお堅い物になっちゃったら気が休まらないしね」
「よかった……ありがとう~!」
エリスさんは深く安堵の息を吐いている。今日からいきなり貴族らしくするから、舐めた口を利いた奴は斬首~なんて理不尽過ぎるし有り得ないと思う流石に……。
「――で、話を聞いてみてどう思った?」
「ん~私は人に仕える仕事は経験ないけど、確かにそういうものかもね~って感じかな。凄く親身になってくれるのはレオナちゃんらしいんだけど、貴族の人ってもっと取引にシビアなイメージあるからさ」
「やっぱりそうだよねぇ……」
取引と聞いて真っ先に浮かぶのがパトリック様とブリジットだ。相手の隙をついて自分たちの利益を得るというあの姿勢が本来の貴族として正しいのだろう。
「とりあえず『人に何かをしてあげる時』と『人に何かをしてもらう時』には気を付けないといけないってことだね~」
そう言って、何の前触れもなくイチゴを一粒こちらに差し出してきた。
「ムムッ! いきなり過ぎて怪しい、これは罠の予感がするわね!」
「チッ……バレたか! 食い逃げ犯に罰としてこの高級メロンを買わせる作戦が!」
簡単にイチゴを引っ込め、メロンをひょいと持ち上げて悪い顔をするエリスさん。その時の話題を絡めた冗談で必要以上に暗くならないように気を遣ってくれるのが彼女の素敵なところだ。
「もう少しで食い付くところだった、危なかった……。なんて卑怯な罠なの……!」
このしょうもない茶番劇に満足して二人で笑い合う。
「うふふ、お店の件も青果店は勘弁して欲しいけど、加工品であればウチも材料の提供で協力出来るから遠慮なく言ってね! 一緒に稼ぎましょう!」
「うん、ありがとう!」
それからも知り合いと話をしていくけれど、皆似たような感じで「かち合うのはちょっと困るけど、応援してる」といった感想だった。私が商売を始めようとしていることに関しては誰も反対しない。優しい。
しかしそんな優しい皆と上手く共存出来るアイディアについては結局浮かばず、難航していた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
夕食後にお茶を飲みながら、アンナと始める商売について再度話し合う。
「今日一日エルグランツを歩き回って、何かアイディアは浮かびましたか?」
「残念ながら、コレと決められはしなかったわ。食べ物が良いんじゃないかなとは思ったんだけどね」
「理由を伺っても?」
「服やアクセサリーは流行り廃りもあるし、食べ物なら食べれば消えてなくなるぶん、長く売れるかもとか……」
そう素人なりに考えてみただけで正しいかはわからない。でもやっぱり「美味しいは正義」ではないだろうか。美味しい物を食べた時の幸福感は誰だって同じだと思う。
「でも食材となると周りと被っちゃうし、料理は詳しくもないから勝負出来ないなってなっちゃって……」
「なるほど。となると加工品でしょうか……。お酒やお茶などでしたら選択肢が増えるぶんには問題ないと思いますが、どうでしょう?」
「お酒やお茶かぁ……」
そういえば故郷のバーグマン領ではワインが有名だった。領地ぐるみでの生産なのでその規模は比べるべくもないけれど、そこに入っていけるものだろうか。
私はアンナが淹れてくれたお茶に視線を落とす。いつものイルヘン産のローズティーだ。
「そういえば、イルヘンは復興してからこのローズティーと、イチゴのリキュールを作っているのよね……」
「いつも送ってきてくれる例の村ですか。ゴブリンの襲撃で一度壊滅したという」
「まぁ倒すためとはいえ、実際に壊したのは私なんだけど……。復興してすぐに作ったってことは、これを特産として売り出していく方針にしたんだと思うの」
まだ復興したてで体力のないうちに無駄な物は作らないと思うし、これまでと同じように暮らしているだけなら、こんな見た目までちゃんとした品物を継続して送ってきたりはしないだろう。
これまでのイルヘンはほぼ自給自足で暮らしていて、宿泊施設すらないくらい人の出入りが少なかった村だ。村で手に入らない物だけアジェで物々交換していると言っていた。
エリスさんたちも含めた市場の人たちはこの大きな街で店を構えているだけあって、昔ながらの親族経営だったりして結構歴史が長いお店が多い。その点最近商売を始めたイルヘンであれば、商売を始めるにあたって色々興味深い話を聞けそうな気がする。
「では早速明日出発されますか?」
私の考えを先読みしたアンナがそう尋ねてきたので頷き返す。
「えぇ、来週エマを連れて騎士団に行かないとだからそれまでには帰ってくるわ。手土産くらいは持って行きたいから何か用意しておいてくれる?」
「かしこまりました」
イルヘンの人々に会うのは今の衣装を作った時以来になる。皆元気にしているだろうか。ハンターに憧れてやってきてしまったあの娘たちも今どうしているだろう。
その日の晩はワクワクして中々眠れなかったのは内緒だ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「ふわぁ……ねむ……」
いくら眠くとも飛んで行った方が圧倒的に速いので、馬車は使わず眠気を我慢しながら飛び続ける。馬車での移動なんて遅すぎて私にはもう無理だ。ただ寝ぼけまなこを擦ろうにもゴーグルが邪魔してしづらいのがちょっと辛い。
「お、やっと見えてきた。元々人口は多かったけれど、いよいよ村なのか疑わしくなってきたわね……」
上空から見るイルヘンの村は建物もかなり増えていて、森が切り拓かれて以前よりも広くなっているように感じた。……というか家を建てるのに木を伐り出していたんだった、私も手伝っていたのに忘れていた。
今の時刻は早朝。既に農作業をしている人々の姿が見えたのでお邪魔しても大丈夫だろう。宿が無いから訪問時間に少し気を遣うのだ。
村の入り口に降り立つと、早速それを見つけた村人が声を上げる。
「レオナ様だ! みんな! レオナ様がいらっしゃったぞ~!!!」
その一声で早朝の静かな村が一気に騒がしくなる。家の中からそれぞれが思い思いに声を上げ、走ってこちらへ集まってくる。そしてあっという間に村人たちに取り囲まれてしまう。
「ようこそおいで下さいました、レオナ様。その華々しいご活躍はかねがね伺っております」
村長さんも歳の割に皆に負けないぐらい素早く私の元へやってきていた。
「環境が変わって何だかんだで来れてなくてごめんなさいね。いつも美味しいお茶やお酒をありがとう、屋敷の皆で美味しくいただいているわ」
「いえいえ、勿体ないお言葉です……。それで、本日はどのようなご用件でこちらに?」
「簡単に言うとお商売の話を聞きたくて。もう少し落ち着ける場所で聞かせてもらえるかしら?」
「おおぉ……やはり女神アルメリアは我々を見捨ててはいなかった……!」
私がそう言うと何故か周囲はどよめき、村長さんに至っては目に涙を浮かべて祈り始めた。予想外の反応に私もぎょっとする。
「ちょっ、どうしたの!?」
「……あぁ、失礼致しました。つい感極まってしまい……。では私の家でお話を聞かせていただきましょう」
この村で一体何があったのだろうか。よく見るとみんなあまり血色が良くない。村は新しくなって綺麗なのに、その住人が暗く沈んでいるような雰囲気だった。
私は胸に何とも言えない不安を抱えながら、村長宅へと案内される。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
綺麗になった村長宅で話し合いのために席に着く。一緒に出してくれたお茶はやはり飲み慣れたローズティーだ。
「さて、では改めてご用件を伺いましょう」
「新しく商売を始めたいと思っているの。でも私自身素人だから、復興してあのお茶やお酒を販売するようになったこの村の話を聞いて参考にしたいと思って」
何か変なことを言っただろうか、村長さんは態度にこそ出さないけれど、少し落胆しているような気がした。
「残念ながら、それは出来ません……」
「……どういうこと?」
「参考になるようなことが何もないからです。我々はこの商売に失敗し、今も苦しめられているのです」
村長さんは項垂れ、小さくなってしまった。
「苦しめられているって……。今村で何が起きているのか聞かせてちょうだい」
「大変お恥ずかしい話なのですが……」
そう前置きしたうえで、村長さんは静かに話し始めた。
「レオナ様に救われた我々はその素晴らしさを人々に伝えるべく、『いばら姫』にあやかってバラを使った物や好物だというイチゴを使った商品を作り、世に広めようとしたのです」
その動機はともかく、作り出された商品の品質はとても良いものだった。失敗といっても美味しくなくて売れないとかそんな話ではないはずだ。
「これまでほぼ自給自足の生活をしておりましたので商売に疎いというのもあり、アジェにある商会に商品を売り込み、取り扱ってもらう形を選びました。商会側からの印象も良く、増産のための設備投資にお金を出していただける貴族の方の紹介までしてくれました。順調に商品を作りだす環境が整っていき、皆もやる気に満ちていました」
商会に商品を買い取ってもらい、販売を任せる。同じく商売に疎い私でもここまでは特におかしい所はない……と思う。自分たちで売るとなると販売する権利がどうとか、販路がどうとか、そういう所まで考えなくてはならないだろうし。
「しかし、これが失敗でした。商会側は何かと理由をつけて契約時の買値よりも安く買い叩こうとするのです。我々は復興したばかりで余裕はあまりありません、売れなければ生活に困ってしまいます。なので渋々売らざるを得なくなってしまい……」
「足元を見られたってわけね……。でもそれなら他の商会に変えたら良かったんじゃ?」
「我々もそう考え、他の商会に話を持ち込んでみたのですが全て断られました。どうやら最初の商会が裏から手を回して圧力を掛けているようなのです」
「うわぁ……」
「もう自分たちで売るしかないと、商会との契約を解除しようとしたところ、違約金を払えと言われてしまい……。身に覚えのない話に驚いて契約書を確認すると、とても小さな字で既定の年数が経つ前に契約解除すると違約金を払わなければならないと書かれておりました……」
契約時に都合の悪いものを小さく書くなんて前世でも聞いたことのある手口だ……。世界が変わろうがその辺りは共通なんだなと変に感心してしまう。
「大きな商会なので領主とも繋がりが強いらしく、守らなければ領主に通報すると脅されています。お金を貸してくれた貴族も恐らくグルなのでしょう、その返済もありますから今ではもう買値は当初の半額以下にも関わらず、商売を辞めて自給自足の生活に戻ることすら出来ません。既定の年数が経つまでは完全に手詰まりの状態なのです……」
そう村長さんは言うけれど、いざその時期が来ればまたいちゃもんをつけて契約の解除をさせてくれないような気がする。そうなれば今度こそ完全な八方塞がりだ。
商売の素人が自ら罠に嵌まったと言えなくもないけれど、明らかにこれは悪意ありきの話だ。こんなに一生懸命生きようとしている人々の逃げ道を塞いで、その努力の成果を買い叩いて私服を肥やしているなんて酷すぎる。
――なにより、私が命を懸けて救った人々から搾取しているという所が気に喰わない。
この気持ちはもう正義感ではない、プライドだ。私は別にいい子ちゃんじゃない。
この村の皆はもう私の大切なものだ。それに悪意を持って近づこうというのであれば私が排除してやる。私の大切なものに手を出したらどうなるかを思い知らせてやる。
何故かこういう時だけ頭が回るようで、ひとつの案が浮かんだ。
「……ねぇ、村長さん」
「何でしょう?」
「私にみんなの命、預ける覚悟はある?」
村長さんが驚いてみせたのは最初だけで、その後は顔をくしゃくしゃにして泣きそうになりながら笑いかけてくれる。
「一応皆の意見を聞く時間は頂戴しますが……恐らく皆の答えは同じでしょうな」
「……ありがとう。その商会をぶっ潰して、お商売をやり直しましょう。……私と一緒に」
「おぉぉぉぉ……女神アルメリアといばらの加護に感謝を……!」
遂に村長さんは泣き出してしまった。よほど切羽詰まっていたのだろう、その様子を見て気付いてあげられなかったことに胸が痛んだ。
助けられた手前、これ以上迷惑を掛けまいと今まで黙っていたのだろう。行方不明事件の時もそう、本当の弱者は声も上げられずに消えていってしまう。
だからせめて私の手の届く範囲の人々は、この魔力と貴族の権力で護ってあげたい。
ただ一方的に助けるのではなく、共に幸せになる方法を見つけたい。
「ひとまず、村人たちの意思確認をしてきてもらおうかしら。その後また色々と必要な情報を聞かせてもらうわ」
「……畏まりました。必ずや村を纏め上げてみせましょう」
いくらか希望が見えて自信がついたのか、とても頼もしい返事が返ってきた。この調子ならばきっと大丈夫だろう。
ひとり村長宅に残って浮かんだ案についてあれこれと考えるが、ものの十分程度で村長さんは戻って来た。反対意見ゼロの満場一致だったそうだ。それからすぐに村長さんからこれから必要になるであろう情報を聞き出していく。
あと、準備が整うまでの間に飢えて倒れてしまわないように、生活に必要なお金を援助することにした。もちろんこれは施しではなく貸しだ。将来的に働いていく中で少しずつ返済していってもらうよう、あちらにも納得してもらった。
話し合いを終え、すぐにエルグランツへと戻ろうと村長宅から出ると、外には村人たちが集まっていた。皆不安そうな顔をしている。
「もう少しだけ辛抱してちょうだい。絶対にみんなが平穏な暮らしに戻れるようにしてみせるから!」
安堵の表情を浮かべたり、大泣きしたりと村人たちの反応は様々だけれど、まだ今この場では私には励ますことしか出来ない。
「あの……」
「……うん?」
安心させようと村人たちそれぞれに声を掛けているところに、一人の女性が話しかけて来た。
「もし良ろしければこちらを……」
そう言って差し出された手には見覚えのある小瓶が乗せられていた。
「あ、これって精油? 嬉しい! 送ってくれて以来、ずっとバラの精油を使ってるの!」
どうやら商品ではないらしく、初めてお茶等が送られてきた時に一度だけ同梱されていた。とても良い物ですぐに使い切ってしまい、周りに売っていないので前世の記憶から作り方をなんとか思い出して自分でバラの精油を作り、使い続けているのだ。
「……精油って言うんですか?」
「知ってて作ってたんじゃなかったの?」
思っていた反応と違っていたので、つい素で聞き返してしまう。
「助けて下さったお礼の気持ちに何かバラの香りの楽しめるものを差し上げようと思って、花を潰したり、水や油に漬けたり、煮たり、蒸したりと色々試してみて、それっぽく出来たものを送ってもらったんです。ただ自信がなかったので一度だけだったんですけど……」
こんなところに野生の研究者が居たことに心底驚いた。
「自力でこれを作れるようになったなんて凄いことよ! 自信がないなんてとんでもない!」
「本当ですか!? レオナ様の美しさに貢献出来たのなら嬉しいです!」
女性は心底嬉しそうに顔を綻ばせる。
(美しさに貢献……そうだわ!!!)
「……ねぇ貴女、暮らしが落ち着いたらこういうのも商品化してみない?」
「へっ!? 良いんですか?」
「私が作る商会だもの、良いに決まってるわ!」
「わぁ~! 楽しみにしてます!」
思いがけないところで商売のアイディアが得られた。というかずっと続けていて、あまりにも私の日常に溶け込みすぎて特別なものだという意識が薄かった。
これは売れる気がする。宣伝も凄くやりやすい。広告塔として私も使用しながら美しさをアピールすればいいだけなのだから。
彼女らと一緒に商売をするのがとても楽しみになってきた。何としてでも皆を助けなければ。
私は一通り村人たちを励ました後、急いでエルグランツへと飛び立った。




