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73.お忍び(クリストファー視点)

 あれから本当に父上から変装の魔道具の使用許可が下りたので、早速自室の鏡の前でエルグランツを歩き回るための姿のイメージを固めることにした。


(最低でもこの頭髪と瞳の色の組み合わせと髪型は変えておかないとな……)


 父譲りの銀色の髪を地味な茶色に、母譲りの深い青の瞳を黒に、髪は変化が大きくなるように思い切って伸ばしてみよう。体系は下手に透明な部分を作りたくないのでこのままで良い。まったく違う姿を想像するのは労力的にも魔力コスト的にも無駄が多いだろうから、服装や道具は平民のものを用意しておかねば。


(ほぅ……首から上だけだというのに、かなり印象が変わるな。新しい自分をイメージするというのも案外楽しいじゃないか)


 身分を隠すための変装なのだから当然と言えばそうなのだが、俺ですらこれが自身の姿だとは到底思えない。これならば住人たちも中身が王太子だとは欠片も思うまい。


 つい興が乗って鏡の前で普段では取らないようなポーズを取ったところで、鏡越しに従者から冷ややかな視線を向けられていることに気付き、慌てて咳払いで誤魔化す。


 特に髪はこれほどまで伸ばした経験がないのでかなり新鮮だ。個人的には戦う際に少し邪魔そうだという以外はなかなか悪くないと思うのだが、彼女であれば何と評するだろうか。……まぁとにかく外見に関してはこれで充分だろう。


 王宮や騎士団の貴族たちならともかく、平民で俺の声を聴き分けられる者などまずいないだろうが、万が一に彼女に聞かれる可能性を考慮して声も変えておくとしよう。変声の魔道具は演劇などで主に使われるもので、王宮でも人前に出る際に喉の調子の悪さを誤魔化す程度の使われ方しかしていないので、使用許可は簡単に下りるだろう。


 あとはこの姿での身元の設定が必要か。自身のことを何も話せないようでは怪しまれる。


(名前は……もうクリスでいいか。下手に馴染みのない名を付けてしまうと慣れるまで反応が鈍りそうだ)


 職業は身一つで各地を練り歩くハンターがまさにうってつけといえる。新人として下積みをしている時間的余裕はないので、国の権限でC級以下をすっ飛ばしてB級にしてしまおう。実力を考えればA級の方が相応しいだろうが、騎士たちの噂話を聞いた限りではA級で界隈での知名度が皆無なのは問題になりそうだ。


 それに新人でもないのに急にギルドを出入りするようになるのも怪しまれるだろうから、フレーゼ王国の出身ということにしておこう。あちらの国に関する知識は既に頭に入っているし、学園時代に訪問したことがあるのは大きなアドバンテージとなるだろう。


 このように逐一自身の身の回りの設定を考えてゆき、必要書類の作製や服の調達にも多少時間が掛かったが、無事に仮の姿である「フレーゼ王国出身のB級ハンター、クリス」が完成した。




◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 エルグランツに到着した俺はすぐさまハンターギルドへと向かった。


 建物に入った瞬間、フロアにある沢山のテーブルから視線が集まってくるが、これまでにすれ違ってきた人々と同様、こちらを見て王太子だと声を上げる者は誰一人として居ない。


「すまないが、これを頼む」


 真っすぐにカウンターへと進み、ギルドの受付嬢に書類を渡す。王命でのハンター推薦状と、市井の調査員ということにされた俺への余計な詮索を禁ずる命令書だ。


「……! 新規ではなく他国の経験者の方ですね。フレーゼ王国出身の……クリスさん、階級はB……っと」


 小柄な受付嬢はこちらがただのハンター志望ではないことに特に大きなリアクションも見せず、ごく自然な様子で書類にすらすらとペンを走らせている。


「はい、手続き完了です! よろしくお願いしますね、クリスさん! それではこちらの国でも同様の手順ですので、依頼書を壁際の掲示板から持ってきて下さい!」


「あぁ、よろしく」


 そして推薦状で今この場で初めてハンターになったことを周囲に悟らせないように、依頼を受ける為の手順をそれとなく教えてくれる。これはとてもありがたい。流石にこの国のギルド本部の最前線で働くだけあって、小柄な見た目から受けるイメージ以上に優秀な人物のようだ。


(さて……)


 これから何かしらの依頼をこなしながら住人から彼女のことを聞き出していく予定なのだが、具体的にどのような依頼があるのかまでは把握していない。 早速壁際にある掲示板へと確認しに向かうと、そこには階級ごとに依頼が張り出されていた。


(街中で出来る依頼は……E級のものだな。残っているのは『家の掃除』『子守り』『祖父の話し相手』『猫探し』か……)


 出来るだけ多くの住人と関われるものを選びたい。そうなると屋外で活動することになるであろう『猫探し』がこの中では最も都合が良さそうだ。話し掛けるきっかけとして猫が使えるのも都合が良い。


(よし、これでいくか!)


 俺は依頼書を手に取り、再度受付へ向かう。


「こいつを頼む」


「は~い、早速ですね! 依頼はええと……『猫探し』ですか……」


 しかし依頼書を見た途端、何故かこれまで元気いっぱいの笑顔だった受付嬢の顔が曇った。


「どうかしたのか?」


「――あ、いえ! 詳しい説明は依頼主のリンダさんから聞いてくださいね。こちらが自宅の地図と、依頼達成証明のサイン用紙です」


「あぁ、わかった」


 そういえば『猫探し』の依頼書には他の依頼のような詳細は特に記載されていなかった。このように説明を受けに行くパターンも存在するようだ。


(ふむ、やはり何事も実際にやってみないとわからないものだな。……だが退屈はしなさそうだ)


 実に順調だ。これなら彼女のことを真に理解出来るのもそう遠い未来ではないかもしれない。


 俺は地図を手に、意気揚々と街の南西区画へと向かった。




◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




「まずい……これはまずいぞ……!」


 ギルドから出てまだほんの十分ほどしか経っていないというのに、俺は狭い路地の一角で頭を抱えていた。


「誰だ『退屈はしなさそうだ』などと抜かした奴は……! このような理不尽が……このような身近に潜んでいて良いのか……!?」


 頭を抱えている理由は単純明快、探さなければならない猫のヒントが少なすぎて、とてもじゃないが探し出せる気がしないからだ。


 まさか名前が「クロ」という黒猫のオスであること、首輪もしておらず、「コノヤロッ」というふざけたくしゃみをするということ以外にヒントが何も無いなどと誰が想像できようか。これでは依頼達成は完全に運次第としか言いようがない。


(やるしかないが、これでは彼女について聞いて回る余裕はないな……。そんなことをしていては日が暮れてしまう)


 俺は仕方なく黒猫の性別を確認し、くしゃみをするのを待つ。ついでに近くを通った者に声を掛けて何か手掛かりはないか尋ねてみるものの、憐みの目を向けられるだけで有力な情報は一切得られない。みな一様に同じ態度を取るので、どうやらこの依頼の過酷さについては住人の間でもよく知られているようだ。


(ハンターの世界というのは、斯くも厳しいものだったとはな……)


 そんな中でS級ハンターとして君臨する彼女に更なる尊敬の念を覚える。猫のくしゃみを待ちながらそんなことを考えている間にも、着実に日は傾いてきていた。




「はぁ~……」


 うろついていた路地を抜け、市場に出てきたところで同時に集中が途切れてしまった。精神的な疲れがどっと押し寄せて思わずその場にしゃがみ込む。貴族として見れば何ともみっともない格好だが、今は平民の姿なのだから構うものか。


「お兄さん、大丈夫? 具合でも悪いの?」


 その声に重たい頭を持ち上げてみれば、すぐ横の青果店の店員らしき女性が心配そうにこちらを覗き込んでいた。


「……あぁ、すまない。少し精神的に疲れてしまってな……」


「あらまぁ精神的に。何か悩みでもあるなら良かったら話してみない? ちょっとはスッキリするかもしれないわよ?」


「…………実は――」


 俺は藁にも縋る思いで今の状況を説明していく。女性は思うところがあるのか、話し終わる頃には憐みの目と苦笑いが入り混じった顔をしていた。


「ほんと凄いわねぇ……リンダお婆さんの依頼の吸引力」


「やはり有名なのか? 尋ねる人々がみな憐みの目を向けてきたのだが」


「慣れてない新人さんはほぼほぼ引っ掛かってる気がするわ。あの『いばら姫』だって、ハンターを始めた初日に引っ掛かって、『もう絶対受けてやるもんか~!』って息巻いてたくらいなんだから」


 彼女に関する情報が突然降って湧いてきたことで、これまで本来の目的をすっかり忘れていたことに気付かされる。


「君は『いばら姫』とは親しいのか?」


「初日から宿を紹介したり、今の貴方みたいに猫が見つからなくて項垂れてる時に話したりして、それからずっと付き合いが続いているウチのお得意様よ。むしろ自分から言っておいてなんだけど、フレーゼ王国の人も知ってるのねぇ。流石レオナちゃんだわ……」


(……レオナちゃん!?)


 貴族をちゃん付けで呼ぶ平民がいることに度肝を抜かれるが、これも彼女が許容しているからこそなのだろう。それだけ付き合いが長いということである。これなら面白い話が聞けるかもしれない。


 しかし言われてみれば、国内に関しては主に俺のせいでかなりその存在が知られているようになってしまった彼女だが、フレーゼ王国での認知度はどれ程のものなのだろうか。単純に最年少のソロA級を達成した女性ハンターというだけで名が知られていても全くおかしくはないのだが。


「俺は『いばら姫』のファンでな、彼女についてもっと知りたくて遠路はるばるやって来たのだ。……まぁ、猫のせいで今の今まで忘れていたのだが」


「あはは……それだとかなり本格的なファンねぇ。じゃあ今日は彼女御用達の『エリスの青果店』を覚えて帰ってね!」


「好物でも、人柄でも何でもいい、もっと彼女について教えてくれたらな」


「いいわよ~!」


 彼女はニヤリと悪い顔を浮かべる。


「彼女の好物は果物だとイチゴみたいね。ウチでも良く買ってくれてるし、王都にあるお菓子屋さんのイチゴのタルトが月イチの楽しみだって言ってたわ」


 月に一度ということは騎士団に来たついでに楽しんでいるのだろう。王都の菓子店であれば特定は簡単そうだ。知っておけばどこかの機会で彼女の喜ぶ顔が見られるかもしれない、とても良いことを聞いた。


「ほぅ……どれ、試しにひとつ頂こうか」


「まいどあり!」


 受け取ったイチゴを頬張ると爽やかな甘みと程良い酸味が口の中に広がり、猫を探し回って渇いていた口内を潤していく。俺自身そこまで甘い物は好きではないのだが、今の俺にとってそれはとても染み入るものだった。


「あぁ、美味いな……」


 それはもう、ただただ素直な感想だった。女性はそれを聞いて満足げに頷いている。


「どうも! でも彼女はもっと幸せそうに食べるわよ~。それがまた可愛らしいの! ……って彼女と会ったことはあるの?」


「いや、ハンターとしての業績から興味を持ったものでな。若い女性だというのは知っているが詳しい容姿までは知らないのだ」


 エリスと言ったか……彼女がとても愛想よく話してくれるのもあり、いくら情報を得る為とはいえ自分の言葉が嘘だらけであることに少し後ろめたさを覚えてしまう。


 だがこれはもう割り切るしかないのだろう。そもそもこの姿でなければ、このように落ち着いて話すことすら出来ないのだから今更か。


「背が高くて、綺麗な金の長髪に赤い眼をした、女の私でもうっとりしちゃうくらいの美人なの! スタイルもめちゃくちゃ良くて、足とか超長いし羨ましい! でもただ生まれつきのものだけじゃなくて、日頃から鍛えたり、コルセットしたり、ヒールの高いブーツ履いたりっていう風に綺麗に見せようと努力しているのも分かるから余計に凄いのよ。私も柔軟体操のやり方とか教えてもらったわ」


「褒めっぱなしだな……」


 エリスの勢いに思わず苦笑いが零れる。女性でも羨むあの容姿は当然俺も簡単に思い浮かべることが出来るが、それらが努力の賜物であるということに気付き、称賛出来るのは同性ならではな気がする。


 ここでふと、魔法研究所でのハロルドが「本物はもっと動きがしなやかで色っぽい」と言っていたのを思い出す。一言一句同意するが、ちらりと道行く女性の歩き方を見ても同じようには感じない。つまり歩き方ひとつにも努力の跡が見られるということだ。


(……というかハロルドも気付いているあたり性別は関係ないか。結局はどれだけ普段から興味関心を持って相手を見ているかどうかなのだろう)


 こうして知れば知るほど、彼女が努力の人であるというのがわかる。厳しい訓練で有名だった前騎士団総長の元で修行に励んだというのは並大抵の努力では成し得ないことなのだから、その時点で片鱗はとうに見えていたはずなのに、今になってようやくその実感が湧いてくるなど失礼な話だ。


「まぁ、とびきり美人だからこその苦労もあるみたいだけどね。でもそれを感じさせないくらい明るくて、優しくて、人懐こい子だよ」


 そして俺がクローヴェル卿の言葉の端々から推測したそれを、彼女は当たり前のように知っている。これは恐らく俺のように推測したのではなく、本人が直接のやり取りの中で漏らしていたのだと思われる。そもそものコミュニケーション量が違う。


 ――羨ましい。


 それだけ気を許されていて、弱みを見せてもらえている相手が目の前にいる。はやく俺も彼女のように、気安く頼られるような存在になりたい。


「素晴らしい女性だな。ますますファンになったよ」


「えぇ、だからこの街の皆はあの子のことが大好きなの。色々悩みはあるみたいだけど、幸せになって欲しいって素直に願っているわ」


「あぁ、そうだな。色々と教えてくれて感謝する。『エリスの青果店』だったな、覚えておこう」


「余所での宣伝よろしくね! ――って、猫はどうするの?」


「うっ、忘れていた……どうしたものか……」


 とても良い気分だったのだが、彼女の一言で一気に現実に引き戻されてしまった。言った本人も気まずそうに笑って誤魔化そうとしている。


「あははは……。レオナちゃんの時は確かあの辺で寝てたのよね、例の黒猫……ってもしかしてアレなんじゃない!?」


 慌ててエリスが指差すその先には確かに一匹の黒猫が寝ていた。少し距離が離れているとはいえ特段変わった猫には見えない。しかし不思議なもので、彼女が少しでも関係しているというだけでそう思えてくる。


「くしゃみを確認してみないと実際のところはどうかわからないが、アレな気がする……いや、アレに違いない!」


 正直なところ、自分を突き動かせる理由があればこの際何でも良かった。半分ヤケなのは認めよう。


 俺はずんずんと寝ている黒猫に近づいていく。


『氷獄』(フロストプリズン)


 そして猫相手に恥ずかしげもなく魔法を発動する。この機会を逃してなるものかという必死さの現れである。そして見事、対象の周囲に魔力の氷で出来た檻を作り出して黒猫を閉じ込めることに成功する。猫相手に使用したのは初めてだったが、充分な効果があるようだ。


 他に捕える方法として痺れさせて動けなくする方法もあるが、何の罪もない猫に対して使うような魔法ではないだろう。どちらかというと気持ち的には依頼主へ使いたいくらいだ。


「氷といっても冷たくはないだろう? そう嫌がるな」

「フギャアアア」


 氷の檻を持ち上げて宥めてみるが、興奮した黒猫は構わず檻を持つ俺の手を引っ掻いてくる。その嫌がりようを見ていると何となく依頼主の顔が浮かんできたので、くしゃみこそまだ確認していないがこのまま依頼主の元へと持っていくことにした。


 振り返るとエリスが笑顔で拍手してくれていた。




 黒猫を依頼主に見せてみると、驚いたことに本物のタマだったらしい。あれだけ本物に違いないなどと言っておきながらも、心の底では違うのだろうなと半分諦めていたので嬉しい誤算だった。


 無事依頼を終わらせられたのも、過去に捕まえていたクローヴェル卿と、そのエピソードを語ってくれたエリスのお陰だ。二人に感謝せずにはいられなかった俺は依頼主の家の前で天を仰ぎ、この出会いを噛み締めた。


(……あぁ、気が抜けたらどっと疲れが……)


 この街に到着してそのまま軽い気持ちで依頼を受けてしまっていたので、旅の疲れと相まって、気付けば身体が鉛のように重くなっていた。これ以上活動する気になどとてもではないがなれない。


 手近な宿に駆け込んだ俺は、夕食を摂ることすら忘れて倒れるように眠りについた。




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