69.不誠実(クリストファー視点)
クリストファー視点、全三話です。
俺の渾身のプロポーズは、将来への希望は、いとも容易く跳ね除けられた。
部屋に独り残された俺はこの現実をすぐには受け入れられず、まともに活動が再開出来るようになるまでに丸一日もの時間を要してしまった。
そんな状態では当然家族に心配される。なので渋々、事のあらましを説明すると例外なく全員に呆れられてしまう。特に女性陣は容赦がなく、母上には盛大に溜め息を吐かれ、妹には「つまらないプロポーズ」と鼻で笑われる始末だ。
そこまで俺のプロポーズは酷いものだったのだろうか。いや、実際に振られてしまったのだから良くなかったのは確かなのだが……。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
部屋にいるとつい考え込んでしまって精神的に良くないと思い、訓練に顔を出してみる。すると特務の騎士たちから「我々が余計なことをして申し訳ございません」と謝罪されてしまう。
しかし俺は彼らのせいだと思ったことはない。彼女の反応を見るに、それ以前の問題だったように思う。
騎士たちに混じって俺もしばらく身体を動かしていると、ハロルドとウィリアムが揃って俺の元にやってきた。ハロルドはいつも通りだが、ウィリアムは心配そうにこちらを見ている。
「殿下、ちょっとは頭冷めました?」
彼女に振られて以降ずっと気分は落ち込んだままだ。この口振りから察するに、これまでは冷静ではなかったということらしい。
「冷えてはいるが、どうやら冷え過ぎてしまったようだ。何も考えが纏まらなくてな……」
「じゃあ今度は温まり過ぎないように、少しずつ温めていきましょうか」
そう言ってハロルドは訓練場の片隅にあるベンチを示した。あそこで話そうということらしい。
俺は頷いてベンチに腰を下ろす。ハロルドも軽い調子で隣に座る。しかし何故かウィリアムはその横に立ったまま、ハロルドの言葉を待っているようだった。
流石に男三人ではこのベンチは狭いというのはわかる。だが彼は彼で俺に何か言いたいことがあったのではないのかと不思議に思っていると、こちらの視線に気づいたようで苦笑いを浮かべた。
「俺もクローヴェル卿からダメ出しを喰らったので、一緒に勉強させて下さい」
「ふふっ、そうか……」
どうやらこんな所にも仲間がいたようだ。思わず笑みが零れた。
「よろしく頼む、ハロルド先生」
「まっかせてください! じゃあとりあえず部屋での教官殿とのやり取りを教えて下さい。俺は聞き耳立ててなかったんで知らないんすよ」
その為にはあの時の空気や彼女の視線まで思い返す必要があり、胸が締め付けられる思いだが、こればかりは仕方がない。俺のこれからの為に必要なことなのだから。
俺はゆっくりと頷き、口を開いた。
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「……以上だ」
説明を終えて横にいる二人の方へと視線を向けると、ウィリアムが顔面蒼白になっていた。恐らく自分のことのように捉えてくれているのだろう。
「なるほど……良くわかりました」
ハロルドはそう言いながら眉間にしわを寄せてうんうんと頷きながら腕を組み、ベンチの背もたれに上半身を預け、足を前に投げ出す。
「もう何かわかったのか?」
「はい。教官殿がめちゃくちゃ優しいってことと、今の殿下の頭が本当に回ってないってことが」
今度は両手をその金髪の頭の後ろに回し天を仰いだ。動きがいちいち大げさな奴だ。
「どういう意味だ……?」
馬鹿にされているのはわかるが、今の俺は教えを乞うている側だ、そう簡単に怒るわけにもいかない。
「何でダメだったのか、教官殿はちゃんと丁寧に教えてくれているってことっす。普段の殿下なら俺に指摘されるまでもなく気付けるくらいには……」
「そ、そうなのか……」
そう語るハロルドの語気は弱い。溜め息こそ吐かないが、そこには何故わからないのかという呆れが含まれているように感じた。
「ぶっちゃけ、『殿下は一体誰を好きになったのでしょうね。……少なくとも、私ではなかったように思います』ほぼこの一言に詰まってるっすよ」
「そう、それだ。間違いなく彼女に向けた言葉だったというのに、何故こう言われてしまったのだ?」
一目惚れして、彼女が死んだと知らされてからも誰も他の女性を好きになれないまま再会まで至ったほどだというのに、何故このような反応をされてしまったのかが全くわからない。
その言葉がずっと頭にこびりついて離れないのだ。
「殿下が一目惚れしたのって確か十年以上前のパーティでの話っすよね?」
「あぁ、そうだ」
「……それ本当に彼女、レオナ・クローヴェルですか?」
「彼女から直接自己紹介も受けた。間違いない」
あの時に言い放った「真面目ね」という一言や、今も昔の使用人たちと暮らしていること、ブリジットと仲良くやれていることを考えても本人であることは間違いない。
「本当に?」
「……馬鹿にしているのか?」
真面目に答えているにも関わらず、この様に疑われるのは正直良い気分ではない。俺は睨みつけるが当人は至っていつも通りで動じた様子はない。
「……いいえ。でも今、俺と殿下で明らかに認識に差があるんすよね」
(認識? どういうことだ……?)
「ならウィリアムはどうだ? 俺の言ってる意味がわかるか?」
俺から良い回答が得られないと判断したハロルドは横に立つウィリアムにも質問を投げかける。それを受けてウィリアムは顎に手をやって考えだした。
「……影武者?」
五秒ほどの沈黙の後、ぽつりと呟いた答えにハロルドは脱力し、ベンチからずり落ちた。態々ハロルドがそう言い出すものだから俺も一瞬その可能性が頭をよぎったのだが、どうやら外れのようだ。
「二人ともかなり重症っすよこれ……」
「茶化してないで教えろ」
「いてっ!」
不正解だったことに顔を赤くしたウィリアムが、呆れるハロルドの頭を軽く叩いて先を促している。
「しょうがないな……。殿下、パーティ当時の殿下はどんな人間でした?」
「そうだな、当たり前だが今より背は低いし身体も細かった。しかも世間知らずで、王族の務めを嫌がっていたやる気のない王太子だったな」
今思い返しても当時は碌な王太子ではなかったのだが、彼女の存在はそれから脱するのにも大きな影響を与えてくれた。
「なるほど。じゃあ今の殿下もそんな感じなんですね?」
「……む?」
「そんな訳ないだろ! 何を言っているんだ!」
何が「じゃあ」なのか、繋がりが良くわからない発言に反応が遅れ、俺よりも先にウィリアムが声を上げる。
「そうだろ? 一緒なわけがないんだよ」
ウィリアムを見上げ、頷きながらハロルドは言う。そしてゆっくりと俺の方に向き直る。
「しかし殿下、貴方は昔と今の彼女を一緒にしたんだ」
『……ッ!?』
これまでずっと飄々と喋っていたハロルドの声のトーンが、ここにきて大きく下がる。同時にこれまでハロルドがいつも纏っているその軽い雰囲気も消え失せている。
(俺が昔と今の彼女を一緒にした……? 年齢を重ねて成長しているかなんて一目見ればわかることだ。一体どういう意味なのだ……)
俺の困惑を余所に、ハロルドは話を続ける。
「好きになるきっかけは別に一目惚れでも構わないのですよ。しかし教官殿からしてみれば十年前の一目惚れなんてどうでも良いことなのです。今の彼女を好きだという証明にはなりませんから」
どうでも良いと言われるのは少しショックではあるが……確かにそうかもしれない。過去の心の動きなど所詮後からどうとでも言える。
「だから彼女はその証明が欲しいから聞いたのです、『具体的には?』と。その中身が誰に対してでも言えそうな言葉であれば落胆するのも当然でしょう。彼女が言った『私ではなかったように思います』とはそういう意味です」
女性はああいう台詞に心ときめくと聞いたことがあったのだが、どうやらそれは間違いだったようだ。
「お気付きになられましたか、殿下? 貴方は過去に一目惚れした相手を、同一人物だからとなんとなく好きな気でいるだけなんですよ。昔の彼女を見たままで、今の彼女を見てはいない」
「な、何故なんとなくと言い切ってしまえるのだ!」
これに納得してしまうと俺の恋心の根底が崩れることになってしまう。それを認めたくない思いがあるものの、すぐ目の前の言葉に噛みつくことでしか反論出来ない自分がいる。
……首筋を嫌な汗が流れる。
「誰に対してでも言えるくらい浅い言葉しか贈れていないからですよ。好意の言語化が足りない。足りていないのを補おうともしていないというのはつまり、それだけ彼女への関心が薄いということに他ならない」
ハロルドは俺の反応を待たずに尚も畳みかける。
「それなのに他人に先を越されると焦って自らの気持ちも理解せず、彼女に愛していると証明する言葉も持たないまま突撃し、案の定悲しませた。これを不誠実と言わずして何と言うのでしょう」
話すテンポも速くなり、俺を見つめる紫の眼がより鋭いものになっていく。そこには普段飄々としているハロルドとは思えない程の怒りが籠められているのがはっきりと見て取れる。
「俺が女好きなのは周知の事実ですが、同時に女性を悲しませる野郎が大嫌いでもあるのです。だから振られて悲しい、苦しいと自分のことばかりで、彼女たちを傷つけ、悲しませ、怒らせておいて、未だに自覚のないクソ野郎に俺はキレてるんですよ、これでも……!」
いつの間にか握られていたハロルドの拳が震えている。
「しかし当の教官殿に頼まれたので、こうやって殴ってやりたいのを我慢しながら、仕方なく貴方様の現状を気付かせて差し上げているわけです。……ご理解いただけましたでしょうか?」
この会話すらも彼女の采配であったことに言葉を失ってしまう。
ハロルドの言う通りだった。俺は過去に一目惚れをしたという事実以外に何も見てはいなかった。そして振られてからも自身の感情にしか意識が向いていなかった。
(本当に俺は一体何をしているのだ……)
もう俺が彼に言えることなど何もない。それだけはハッキリしている。
「……あぁ」
「――では以上です。言いたい放題言いましたので不敬の極みですが、裁きたければご自由に。下手糞なプロポーズを説教された腹いせだと周りに言えるものならば」
「そのようなこと……する訳がない。……ありがとう」
上に立つ者でありながらこのような情けない姿を晒しているのが申し訳ないくらいだ。感謝こそすれ、怒るなど有り得ない。
「失礼します」
立ち去っていくハロルドの背中も見れず、両手で頭を抱えて項垂れる。
(俺はなんと浅はかで、誰も幸せにならないことをしてしまったのだろうか……。それに今のハロルドの言葉――)
「殿下……」
「……ウィリアム、今ハロルドは『彼女たち』と言った。俺はクローヴェル卿以外にも、傷つけ、悲しませ、怒らせた相手が居るということか……?」
思い当たる節があるのだろう。ウィリアムはとても言いづらそうに眉尻を下げている。
「俺の知る範囲ではレベッカとミーティアもです。特にミーティアは……あの時、泣いておりました」
「……………………そうか」
ここまで自身を嫌いになったのは生まれて初めてだった。




