68.今の私、未来の私
最初から色々あり過ぎたせいか、それ以降は静かなもので、男性陣は遠目に視線を送ってくるだけで特に関わってこようとはしてこなかった。
いきなり険悪なムードになったり、ラディウス殿が迫っているのを目の当たりにしてしまっては避けたくなってしまうのも理解できる。
自分から行くほどの熱量はないし、きっと女性からグイグイ行くのは貴族女性的にははしたないことのはず。……そうであって欲しい。
なので私はむしろ一緒にいる二人の出会いの邪魔をしているかもしれないことの方がよほど気になっている。しかしそれとなく私から離れるよう薦めてみても、二人とも友達同士でお喋りしている方が楽しいと言って一向に傍を離れる気配がない。あのお茶会での意気込みは何処へやら……。
友達だと伝えたことで更に距離が縮まったのは嬉しい反面、少し複雑である。
ラディウス殿を追い出して帰ってきたブリジットには「あくまで頻度の問題で、あそこまで酷いプロポーズだとは思っていなかったわ……ごめんなさい。彼にはキツく言っておいたから」と謝られてしまった。余計に心配させてしまって何だか申し訳ない……。
彼女が「キツく」というほどの注意を受けたラディウス殿は「ご愁傷様です」としか言えないけれど、この機会に是非、私の好むプロポーズを出来るようになって頂きたいものだ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
夜会も後半戦。新しくやってくる人は居なくなり、会場を抜け出す人もちらほらと出てきて人数が減ってきている。
一切の収穫無しで終わるのも開催してくれたブリジットに悪い気がするし、せめて同性の友達を作る努力くらいはした方がいいかもしれない。
そうレベッカたちに説明して席を立ったところ、誰に話し掛けるかを決めるよりも先に、会場にどよめきが走った。咄嗟に入り口の扉の方を確認しても、誰かが会場に入って来た様子はない。
周囲の視線の先を追うと、会場の隅――使用人たちが裏で作業をするために衝立で区切られているスペースから、一人の男性が真剣な表情でこちらに向かって歩いてきていた。
その銀髪と青い瞳、端正な顔立ちは見慣れたもので、今更間違えようもない。
「……あぁ、やはり近くで見る君のドレス姿は美しいな」
私の前までやってきた男性は、表情を緩めてそうしみじみと呟いた。
「殿下、何故ここに……。あれ? むしろ何時から……?」
「……すまない。合わせる顔がなくて、今の今まで隠れていた」
「隠れ……えぇっ!?」
一国の王太子が夜会で隠れていたという衝撃の告白、しかも私が原因だというではないか。会場中から「どういうことだ?」という疑問を含んだ好奇の眼差しが集まってきているのをひしひしと感じる。
「ただ君に伝えたいことがある」
「何でしょう?」
「まずは君に……不甲斐ないプロポーズをしてしまったことを謝罪したい」
殿下はほんの少し戸惑った後、力無く視線を落としながら答えた。
その言葉に会場は更にどよめく。特にお嬢様方は黄色い声を上げたり、よろめいたりと各々凄まじい反応を示している。
(ちょ、ちょっ……!? それこんな所で言っちゃって大丈夫なの!?)
とても当たり前だけれど殿下は王太子なのだ。その王太子が自らプロポーズする相手ともなれば、それはつまり王太子妃候補であるということを意味している。もちろん私だってそれは理解している。
プロポーズをされたあの場では私と殿下、そして特務の人間しかいなかったから、騎士たちに口外するなと言うだけでこれまで通りの生活や関係でいられただけ。まぁそれでもブリジットには漏れていたけれど……。
私にプロポーズしたことが周囲に知られてしまえば、たとえ私と殿下の関係が変わらなくても、周囲の私に対する印象が良くも悪くもガラリと変わってしまう。これは流石の私も困る。
「あんなものはプロポーズとは呼べない。それをこの一月で頭を冷やし、痛感した」
そんな私の焦りを余所に、殿下は申し訳なさそうに言葉を紡ぎ続けている。
(これ、もしかして私を逃がさない為に狙ってやって…………ないわね)
先ほど少し視線を落とした以外、殿下はずっとその控えめな眼差しをこちらに向けたまま。これはもう周囲が一切目に入っていないのだろう。
「だが冷静になった今でも、君への想いは変わらない。だからもう一度チャンスが欲しい。俺が如何に今の君を愛し、未来の君と共に在りたいかを言葉にする為のチャンスを……!」
(「今の君を」……「未来の君と」……)
私が何故、殿下とビリー様のプロポーズ、そのどちらも断ったのか理解しているからこその言葉選びにドキリとする。以前のように過去の一目惚れに囚われることもなく、今まさに目の前にいる私を理解しようとする意志が感じられる。
(これなら期待しても良いのかもしれない……それなら……!)
「――ひとつ、殿下は勘違いされていますね」
「勘違い……?」
「私は『いばら姫』ですよ? これまで数多くの殿方からナンパやプロポーズをされてきました。同じ方から何度も告白されることも日常茶飯事です」
「あ、あぁ……。君と再会する前からナンパ嫌いだと噂で聞いていたくらいだったな……」
前世も含めれば殿下の想像を遥かに超える量のはずだ。麗緒奈はそれに人生を狂わされ、普通の人とは違う極端に歪んだ価値観を持つに至った。そしてそれは今も私に受け継がれている。
父親が浮気で姿をくらまし、その後ずっと苦労していたお母さんと、仲睦まじく暮らしていたお父様、お母様を見て育ち、幸せな結婚・幸せな家庭というものを強く求めるようになった。大好きなお母さんと、大好きなお父様とお母様がしてくれたように、いつか自分の子供に愛情を注いであげたい。
だからその為には一切妥協したくない。
我ながら面倒くさい女だと思う。
しかしこればかりは変えられない、私の生きる意味そのものなのだから。
それでもこんな私を理解し、愛そうというのであれば――私はその背中を押して差し上げよう。
「そうです。一度の告白しか許さないような酷い女ではございません」
「それでは……!」
私が「またプロポーズしても良いよ」という意味の発言をしたことで、殿下の表情が一気に明るく、希望に満ちたものに変わる。
「……ですが、それは一般人相手での話です」
しかしそんな浮つきそうになる空気をすかさず断ち切る。
「このような衆人環視のもとで堂々と話されてしまった以上、殿下のような立場のお方に何度も挑戦すれば良いというスタンスで軽々しくプロポーズされ続けるというのは、私の女としての社会的な価値に瑕がついてしまいます」
こちらの逃げ道を塞ぐのであれば、それ相応の覚悟を持って挑んでもらわなければ。
ここでようやく殿下はハッとして周囲に気付き、そして青ざめた。やはり私に伝えるのに必死で視界に入っていなかったようだ。……まぁ殿下であれば、この状況が意味していることぐらいはすぐに理解してくれるだろう。
「ですからあと一度だけ……です、殿下。もちろん今すぐにとは申しません」
私は静かに、真っすぐ見つめながら、右手の人差し指を立てて口元へ持ってくる。
一度だけとはいえ、希望が残ったことには変わらない。血の気が引いて今にも倒れそうだった殿下は心底安堵したようで、ビシッと背筋を伸ばし、少し潤んだ瞳で力強く私を見つめ返してくる。
「あぁ……! 必ず君の望む言葉を贈ると約束する! それまで待っていてくれ!」
「――あら、それまでの間に他の方からのプロポーズを受け付けないという意味であれば待つ気はありませんよ?」
「はっ!?」
きっと予想外の反応だっただろう。普通ならここで頷いて、やる気に満ちた彼を明るく送り出す流れになると誰だって思うはずだ。
しかし、この人を私の理想の男性に仕立て上げるにはまだ足りない。本気にさせる為なら多少恥ずかしくとも、全力で挑発してやろうじゃないか。
私は上目遣いで、心底楽しそうに見えるよう目を細めて微笑みかける。そのまま後ろで手を組み、一歩一歩、ゆっくりと近づいていく。
「私が何を好み、何を嫌がり、何を大切にしてるのかを知り、そして私の求めるプロポーズの言葉が何なのかを……全てご自身で考えるのです。それを他の男性の手に渡る前に成し遂げなければならないのですから、頭の中を私以外のもので埋める余裕などありはしませんよ」
殿下のその顎を撫でながら、少し背伸びをして顔を近づけて耳元で囁いてやる。
「私の全てを理解し、愛してみせて下さい。それが出来た貴方の全てを私は受け入れ、愛してみせましょう。……もっと私に必死になって下さいませ? 殿下」
「あ、あぁ……」
ここまでするとは彼も思っていなかったのだろう。殿下は私の情熱を込めた挑発を受けて身体を硬直させ、顔を真っ赤にして若干上の空になっている。
「……最高のプロポーズを心待ちにしておりますわ」
その反応に満足した私は、微笑みを保ったまま踵を返す。
挑発が効きすぎたのか、私がレベッカたちのところに戻ってもまだ動かずに突っ立っていた殿下だったが、しばらくしてようやく顔を横に数回振ってからバチンと両頬を叩いた。
正気に戻ったらしい彼はずんずんと胸を張って私に近づいてくる。そのまるで戦いにでも行くかのような勇ましさに、彼の生真面目な性格が出ていて少し面白い。
目の前までやってきた殿下は柔らかく微笑んで、流れるような美しい動作でお辞儀をする。
「早速だが、一曲付き合ってもらえるかな?」
「私、ダンスなんて久しぶりですから、きっと下手ですよ?」
今日に向けて一応練習はしてきたものの、結局まだ一度も踊ってはいない。正直こんなに人が沢山いる場所で踊りたくはないのだけれど……。
「それでも構わないさ。『今の君』を知ることが出来るのなら」
「うぐ……!」
殿下は得意げな顔でこちらを見ている。いまだに顔は真っ赤な癖に生意気な……。
(イキイキしちゃってまぁ……。そう仕向けたのは他でもない私なんだけどさぁ……)
理解してみせろと言った手前、こう言われてしまうと断ることは出来ない。
渋々差し出された手を取って会場の中央へと進む。
顔が熱い……傍からは私も殿下のような赤い顔をしているように見えるのだろうか……。
エスコートされている手が汗ばんでいないか、ドレスや髪が乱れていないか、細かなところが急に気になってしまう。「今の駄目な私を知られて幻滅されたくない」「出来ることなら良く見せたい」という気持ちが次々と湧き出てきて止まらない。
(これまで散々望んできたことだけど、「自分を見られる」っていうのはこんな感じなのね……)
初めての感覚に戸惑っているこちらの気持ちなどお構いなしに演奏が始まる。
いけない、ダンスに集中しないと――。
しかし殿下の顔が近くて全く落ち着かない。……おかしい、以前に夜景を見た時は抱きつかれようが全然平気だったはずなのに。
頭の中に心臓の鼓動が煩いぐらいに響いていて、音楽なんて一切耳に入ってこない。完全に身体が覚えている感覚だけを頼りにステップを踏んでいる私は、今まで一体何を練習してきたのだろうか。
苦し紛れに周囲を見回してみても、他に踊っている者は一組もいない。回る景色の中、男女関係なくこの場のほぼ全員が恍惚の表情でこちらを見ている。レベッカやミーティアどころかブリジットさえもが頬を赤らめ、うっとりしているではないか。
「周りではなく、俺だけを見て欲しいのだが?」
不意に殿下が耳元で囁いた。
……無茶を言うな。それが出来れば苦労しない。
ダンスに集中しなければと思いはしても、目の前の殿下や周囲からの視線で頭の中が真っ白になってしまい、これっぽっちも冷静になれる気がしない。
私はただひたすらに「頼むから早く終わってくれ」と天に向かって願い続けた。
結局そのまま曲の最後まで身体に染み付いた動きだけで踊り続けて、ようやくこの羞恥の地獄のような時間は終わりを迎えた。
その中で私は殿下の足を二回も踏んづけてしまい、全く自身の納得の行くダンスが出来なかった。それを会場の人間全員に見られていたのだから恥ずかしくて死にそうだ……。
「俺の我儘に付き合ってくれて感謝する。……なるほど、これが今の君のダンスか。やはり実際に踊ってみないとわからないものだな、勉強になったよ」
人の気も知らずに得意げに傷に塩を塗り込んでくる殿下。真っ赤だった顔もいつの間にかすっかり元に戻ってしまっている。私が挑発していたはずなのに、いつの間にか立場が逆転しているではないか。
「未来の私もそうとは限りませんから……!」
今の私にはそう言い返すので精一杯だった。
先程のやり取りとダンスで満足したのか、殿下は一足先に帰ってしまった。
それに安堵の息を吐いたのも束の間、今度は何故か他の男性参加者からのダンスの誘いが殺到した。今まで遠くから見ていただけだったのに、一体どういう風の吹き回しだろうか。
流石にこれ以上恥の上塗りをするわけにはいかないので、私は全力でダンスに集中する。会場が俄に活気づいてきて、他にも踊り出した人たちとの距離感を完璧に把握しながら、ミスひとつ出さずに乗り切ってやった。
それが終われば今度はお嬢様方の質問攻めだ。
殿下との出会いだとか、プロポーズだとかそういうのを根掘り葉掘り聞いてきたので、殿下の名誉を傷つけない範囲でお話しておいた。
その両方が私と一緒にいたレベッカやミーティアにまで及び、結局夜会が終わるまで私たちは会話をする余裕すらなかった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
夜会が終わったあと私はひとりブリジットに呼び出された。話もしたいし、どうせなら泊まって行けと言う。日を改めてまたお茶をするのも何なので素直にお言葉に甘えることにする。
先に部屋でドレスから着替え、お風呂にも入らせてもらって、ようやく人心地が付いたところで応接室に案内される。
煌びやかで騒がしい会場ではなく、静かで薄暗い、落ち着いた雰囲気の応接室では既にブリジットがソファーで寛いでいた。私の入室に気付いた彼女は、自分の隣のスペースをぽんぽんと叩いて、こちらに座るように促してくる。
「今日はありがとう、ブリジット」
「いいのよ、私も楽しめたわ」
ブリジットはほくほく顔で大満足といった様子だった。きっと心からの言葉なのだろう。
「それにしても、まさか殿下が隠れていただなんて思いもしなかったわ……」
「――あぁ、あれね。招待状なんて出していないのに、どこからか聞きつけて本人が直接頼み込んできたのよ。『お相手探しの邪魔はしないから、あの場にいさせてくれ』ってね」
その光景を思い出したのか、くすくすと笑うブリジット。
「余りにも必死だったから貸しを作る意味も込めて許可しておいたわ。結果的には良い選択だったんじゃないかしら。……ねぇ、レオナ?」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、こちらを覗き込むようにそう問いかけてくる。
「そうね……今の殿下であれば、私の望む言葉を贈ってくれるかもしれないという期待を持てたのは確かよ」
自分で言っていて結構恥ずかしい。また顔が赤くなっているのではないか。
「ふふっ、周りのことなんて全く目に入っていないくらい真っすぐだったものねぇ……。無自覚に逃げ道を塞がれてしまっては貴女も覚悟を決めないといけなくなるわよね」
「まだあれは無自覚だってわかるだけマシよ。私が困るのを承知の上で、わざとやってくるような人でなくて良かったと思うわ」
それだけで私の好みからはかなり外れてしまう。そういう意味でも本当に良かったと思う。
「……それはそうね。その後の貴女も殿下へ発破を掛けつつも、ちゃんと新たに逃げ道を用意していたあたりは素直に感心したわ」
逃げ道って何のことだろうか……。あ、ひょっとして他の男性からのプロポーズを待たないという話のことなら、あれはずっと前から決めていることで、特別なことではないのに。ブリジットが勘違いしているだけだ。
「買いかぶり過ぎよ……。あの時はとにかく私好みの人になるよう仕向けるのに必死だっただけなんだから……」
「あはははははは!!」
こちらが苦笑いしながら正直に答えると、なんとブリジットがそれはもう楽しそうに笑いだした。その勢いに私も思わず目を見開いて驚いてしまう。
「なにそれ!? 貴女も人のこと言えないくらい殿下しか見てないじゃない! もしかしてあの時の貴女がどれだけ周りの人間を魅了したのかも気付いてないのかしら!?」
「えぇっ!?」
今、魅了と申しましたか。しかも殿下ではなく周りの人間をとはどういうことだろう。
「女の私や他のご令嬢ですら胸が高鳴るほど魅力的な貴女に、今言った逃げ道のお陰で自分たちにもチャンスがあると勘違いさせられた彼らが可哀想だわ! あははははは!」
こんなに声を上げて笑うブリジットを初めて見た。そんな彼女がお腹を抱えて笑ってしまうくらい私の行動はちぐはぐだったらしい。
「……あっ! あれからダンスの誘いが急に増えたのってそういう……」
「そうよぉ! しっかり殿下以外にも唾付けていっていると思ってたのに、現実はこれなんだから本当に面白いわレオナ! なんて悪女なのかしら!」
殿下とのやり取りで私を好意的に見るようになって、自分たちにもチャンスがあると思ってくれたからこそのダンスのお誘いだったわけか。
(ていうか個人的には手当たり次第に唾付けていくのも普通に悪女なんだけど……)
この辺りの感覚はまだハッキリはわからないけれど、殿下には期待を持てるようになり、他の男性からも人気が出たのであれば、今回の夜会は一応成功と言っても良いのだろうか。
「あぁもう……どうなるのかしら私……」
「んふふふふ……いつもの美しくて、格好いい貴女でいればどうにでもなるわよ。――それで? あの殿下との下手糞なダンスの時は一体何を考えていたのかしら?」
こちらの苦悩を相変わらず良くわからない言葉で流され、ずっと楽しそうな彼女に更なる羞恥プレイを求められる。この調子で好奇心で一杯の彼女を満足させなければならないようだ。
今夜はまだまだ眠れそうにない。




