66.夜会
お茶会の翌月の王都での訓練は総長閣下が対応してくださり、ラディウス殿の暴走を謝罪されてしまう。閣下は何も悪くないのに頭痛を堪えるように頭を押さえていたので、逆に気の毒に思えたくらいだ。
結局あれから殿下とは一度も会わないまま、夜会の日はあっという間にやってきた。
「ごきげんよう、ブリジット」
「ごきげんよう、レオナ。今日は楽しみね」
領主の城に入ると早速濃紺のシックなドレスに身を包んだ、上機嫌なブリジットに出迎えられる。
「私としては楽しみよりも不安の方が勝ってるかな……」
一方で、ちゃんとプレゼントされた深緑のドレスを着てきた私は不安でいっぱいだった。
言われた通りに同年代の未婚の貴族の名前を覚えようと努力はした。……したものの、全体の半分も覚えられていない。一体どれだけの人数が参加していて、どのように動くのか、ちゃんとその人たちが誰なのかをその場ですぐに判別出来るのか、どれも不安でしかない。
(今日はブリジットにずっと引っ付いていようか……?)
いや、流石にそれは「しっかりしなさいな」と怒られそうだ。彼女は私の味方で意思を尊重してくれるけれど、ただの甘えは許さないと思う。
「いつもの美しくて、格好いい貴女でいれば大丈夫よ」
「またそんなよくわからないことを言う……」
なんだか以前にも誰かに言われたような台詞を言われながら、領主の城の廊下を二人で歩いていく――。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
会場に入ると、先に来ていたレベッカとミーティアが飲み物を片手に上品に駆け寄ってきた。その可愛らしい姿を見ている間だけは不安を忘れていられる、そんな気がする。
『ごきげんよう、レオナ様』
「ごきげんよう、レベッカ、ミーティア」
「今日のドレスは一段と素敵ですね……!」
私を上から下まで眺めてうっとりするレベッカ。
なんだか以前と少しキャラが変わってきたような、まるで『女傑』が崩れた時のブリジットを見ているような感じがする。気のせいだろうか……。
「これって『いばら姫』モチーフですよね? 刺繍も凝ってるし、凄く似合ってますよ」
逆にミーティアは落ち着いていて、柔らかく微笑んでくれる。それでも見るところはしっかり見ているあたりは流石伯爵令嬢という外ない。
「ありがとう。二人もとっても綺麗よ!」
二人とも髪を結い上げ、レベッカは赤の、ミーティアは青のドレスを着ている。先月のお茶会の時は可愛い系だったけれど、今日はとても大人っぽく見える。やはり良い人を見つけるために気合が入っているのだろう。
三人で一通りニヤニヤし合ってから、ようやくその広い会場に目を向ける。
私たち以外にも既に男女それぞれ五十人以上は居るだろうか、公爵家主催の夜会ともなればこれほど沢山の人が集まるのだなと感心してしまう。見た感じ、顔見知りの三・四人で固まって周りの様子を窺いながら雑談しているような印象だった。
そこでたまたま一人の男性と目が合ってしまう。その男性は一緒にいた他の男性に話しかけ、揃ってこちらへやってくるではないか。
「こんばんは、お嬢様方。少しお話でもどうですか?」
「は、はい……」
(いきなりやっちゃったよ……ていうか誰?)
やってきたのはオレンジ色の長髪を後ろで束ねた男性、少し背の低いぺったりとした水色のキノコっぽい髪型の男性、他の二人よりも少し歳上そうな大人な雰囲気のグレーの髪の男性の三人。努力の甲斐虚しく、これら全員が誰だかわからない……。
「見ない顔だね? こんなに美人な女性と会っていたら覚えていないはずがないんだけどな」
特務ではハロルドぐらいしか言わなさそうな歯の浮く台詞をサラッと言えてしまうくらいには、このオレンジ髪の男性は女性慣れしているようだ。
「ありがとうございます。このような大勢の人が集まる場は初めてでして」
「へぇ、そうなんだ。レベッカ嬢とミーティア嬢も夜会にはあまり出てこないのに珍しいね?」
どうも二人共あまりこういう場には来ないらしい。ミーティアは殿下が好きだったからまだわからなくもないけれど、レベッカはどうしてだろう。幼馴染のミーティアに遠慮でもしていたのだろうか。
「えぇ、そうですね。今回はこういう場に慣れていない彼女の付き添いでもありますの。なので加減して下さいませ、ブライアン様」
(ブライアン……・エリザス子爵令息か。バーグマン領の貴族まで来てるのね。ということは他の二人も、もしかしたらそうなのかな?)
レベッカのお陰でようやく一人誰だか判明した。この調子でさりげなく教えて欲しいものだ。……いやまぁレベッカは私が顔と名前が一致していないことを知らないのだけど。
「勿論さ。――ではお名前をお伺いしても?」
「レオナ・クローヴェルと申します」
「クローヴェル……」
家名を聞いた三人は微妙な反応を見せている。そりゃそうだ、前領主と同じ家名なら不思議に思うに決まっている。
「失礼ですが、どちらの領地にお住まいで?」
「ここウェスター領です」
みんな私がバーグマン領とは言わなかったことに明らかにほっとしている。しかしそれも一時のもので、今度は他領の知らない貴族であることに眉を顰め始めた。
「ショーン、ウェスター領にクローヴェル家なんてあったか?」
「いや、俺も知らない……」
小声で水色キノコの男性に尋ねるブライアン様。
(ショーン、ショーン……・ネーヴィッツ男爵令息ね。やっぱり全員バーグマン領出身っぽいかも)
ブライアン様は後ろのもう一人の男性にも視線を向けるが、そちらもゆっくりと首を振る。
(くそ、そっちの人の名前は出さないのか……!)
「御存じでなくとも無理はありません。S級ハンターとして認められ、国王陛下より爵位を賜ってからまだ一年ほどしか経っておりませんので」
「……ッ!?」
「S級ハンターだと……?」
それを聞いたショーン様が何やら嫌な感じの反応をしている。ブライアン様も気が抜けたような、やる気のない顔に早変わりする。
「なんだ、つまり元は平民か。わかるわけないよな。悩んで損したぜ」
そうと分かるや否や露骨に態度を変えてきた。清々しいほどにわかりやすい反応だ。
「……ブライアン様?」
ミーティアがその態度を嗜めてくれるが、こういう輩はそう簡単に態度を改めはしないと思う。期待するだけ無駄だろう。
案の定、欠片も悪いと思っていなさそうなブライアン様。
「君たちも何、元平民と仲良くしてんの? もうちょっと付き合う相手考えたら?」
「騎士団に入るような女だから他に友人が居ないんじゃないのか?」
「あぁ! なるほどな! ハッハッハッハ!」
その態度が遂にはミーティアたちにまで飛び火した。ブライアンとショーンは勝手に盛り上がって大笑いしている。
「レオナ様は貴方たちが馬鹿にしていいような人ではありません!」
ミーティアはそれにも怯まず、尚も私を庇ってくれる。好き。
レベッカも隣で黙りながらもガッツリと彼らを睨みつけている。
「まぁ元平民でも見た目は良いし、一晩遊んでやるくらいなら構わないぜ?」
「愛人としてなら歓迎してやるよ!」
しかし一度火が点いた彼らの悪口は止まらない。遠慮のない言葉に彼女たちの表情がみるみる険しくなっていく。
こんなセクハラは慣れっこだし、この程度のしょうもない男たちに馬鹿にされたところで私にはダメージはないけれど、レベッカとミーティアを馬鹿にしたことは許せない。
(……っていうか、あれ?)
そもそもこいつらはこんな態度を取って良いのだろうか。家の階級で言えば彼女たちの方が上のはずなのに。
私に軽く肩を叩かれて、二人を睨み付けていたレベッカはハッとしてこちらを向く。
「ねぇねぇ、二人は伯爵令嬢よね? この人たちは子爵と男爵の子息なのに、貴女たちにこんな態度取っちゃって良いの?」
私はS級ハンターに認められて貴族になったという特殊な立場なのと、階級を気にしない騎士団に出入りして指南役を務めていること、そして次期公爵夫人であるブリジットという親友がいることも相まって、これまで女男爵だからと酷い対応を受けたことはなかった。そんな私でも階級差を考えると、この態度はおかしいように思えるのだ。
「本来であればいけないことです。ただ若い世代の者同士ではその辺りが緩くなりがちのは現実としてあります。仮に相手が私ではなく爵位を持つ父であれば、彼らもこのような態度は取らないでしょう」
それって結局レベッカがお父様に報告すれば、こいつらは何かしら痛い目に遭うのでは……。その場の勢いで自分の首を絞めているなんて馬鹿だなとしか思えない。
「それにしても事情を知らないのは仕方ないにしても、急に手のひらを反すなんて許せません!」
レベッカはそれでも自分自身ではなく、私のことについて憤ってくれている。ミーティアもきっと同じなのだろう、その気持ちは本当に嬉しい。逆に私は自分のことはどうでも良くて、二人が馬鹿されたことの方が大事なので少し申し訳ないくらいだ。
(でもこういう場所ではどう対処したらいいかなぁ……)
いくら相手が馬鹿で雑魚であろうと暴力沙汰はよろしくない。ドラゴンよりヤバい女の力は、騎士ですらない一般人相手だと割と使いどころが限られるのだ。かといって素直に話を聞いてくれるような相手でもないところが厄介である。
『バタン!』
どうやれば周囲に気付かれずにこいつらをボコボコに出来るかを考えていると、突然会場の扉が勢いよく開く音がした。私も、それ以外の人たちも当然何事かとそちらを向く。
扉から入ってきたのは見覚えのある金髪のマッチョな大男――ラディウス殿だった。
彼は扉からほど近い場所にいた私たちをすぐに見つけ、その顔に喜色を前面に打ち出しながら、ずんずんと近づいてくる。
「やはり参加していたかクローヴェル卿! 逢いたかったぞ!」
何故彼がここまで私に会いたがっているのか、それはきっと私が今月の彼の様子が先月のように落ち込んではいなかったのを見て、念のために訓練後すぐに騎士団から避難していたからだ。
流石に訓練の邪魔をしないという約束は守っていたけれど、この様子を見る限り逃げて正解だったみたい。
「ラディウス殿……」
ちょうどラディウス殿の向こう側に、他の参加者の対応をしていたブリジットの姿が見える。あれだけ豪快に入ってきたラディウス殿に気付かないはずがなく、その目は「何故来たのだ」と言わんばかりに見開いていて少し面白い。彼はブリジットの予想すら超える行動力を持っていたのだ。
「まだ俺と結婚する気にはならないか?」
「あははは……」
「ラディウス・カーディル様!?」
既に私の中で『いつもの』になりつつあるプロポーズを笑ってやり過ごそうとしていると、傍に立つブライアンが素っ頓狂な声を上げた。
「……む?」
「その女は元平民ですよ!? 侯爵家の人間である貴方様がそのような者と釣り合うはずがありません!」
「そうです、どうせS級ハンターというのも嘘に違いない! どこぞの男を誑し込んだ金で爵位を買ったのでしょう!」
ラディウス殿に訴えるついでとばかりに物凄い悪口を言われている。誑し込んでとかって完全に見た目のイメージだけで言ってるでしょアンタ。
「何を言っている? 彼女は今でこそハンターではあるが、元々は貴様のところの領主の家の出だぞ?」
『なぁ!?』
「……ッ!」
そんな状況でもラディウス殿は堂々とした態度を崩さず、私の代わりにズバズバと説明してくれる。こんな場所で長々と生い立ちを話す訳にもいかないし、話したところで嘘だと言って信じようとしないのが目に見えていたので、正直これはとても助かる。
ブライアンとショーンが驚愕している後ろで、これまでずっと冷静だった灰色の髪の男性が初めて大きく動揺している。
「卿も何故侮られたままにしているのだ? このようなヒョロヒョロな男共など、その美しく圧倒的な力で思い知らせてやれば良かろうに」
随分と物騒な内容を、それがさも当たり前かのように、不思議そうに尋ねてくるラディウス殿。私を何だと思っているのか……。本気で怒らせた貴方が特別だという自覚はないのだろうか。
「いくら不快であろうと、ラディウス殿の様に私の逆鱗に触れてもいないのに、このような場所で実力行使など出来るはずがありませんよ。私とて赤子の手を捻るにも時と場所は選びます」
「ふははは、耳が痛いな! ……とまぁそういうことだ。貴様らが今どのような相手を馬鹿にしているのか理解出来たのなら早く消えろ。でないと俺のように死に掛けることになるぞ」
『……し、失礼しました!』
高位の者からひと睨みされてブライアンとショーンは即座に退散していく。最後の一人はまだこの場に残っているけれど、敢えて無視してラディウス殿に話しかける。
「聞く耳は持たず、手も出せず、言いたい放題にされていたので正直とても助かりました。私のことはともかく、一緒に居る二人まで馬鹿にされて困っていたのです。ありがとうございます、ラディウス殿」
「この程度で卿の好感を得られるのなら安いものだ。二人というのはこちらの特務騎士団の令嬢のことか、顔に見覚えはあるな」
そういえば馬を預けたりといったやり取りもあるみたいだから、所属する騎士団が違っても顔見知りの可能性はあるのか。
「ブルーノ・メイアンの娘、レベッカ・メイアンと申します。この度は助けて頂きありがとうございます」
「カルロ・シースの娘、ミーティア・シースと申します。レオナ様の名誉を守って下さったこと、心より感謝いたします」
二人は深々と頭を下げ、ラディウス殿も満足げに頷いている。
「うむ、良い友人を持っているようだな。ならばこの際、一緒に良い夫も持つ気は――」
「……ラディウス・カーディル団長」
するとそこに冷ややかな声が割り込んだ。声のした方向に目を向ければ、そこには眩しすぎるほどの笑顔を顔に貼りつけたブリジットが立っていた。
(ヒエッ……)
「ブリジット様!?」
突然の雇い主の乱入にラディウス殿も動揺を隠せていない。それも仕方ないよ、こんなの怖すぎるもん……。
「御髪が乱れていますわ。私がご案内しますから、どうぞ別室で直していらして」
別にラディウス殿の髪は乱れてなどいない。つまりこれが「退場」を意味する言葉であることくらいは私でもわかる。ラディウス殿、まだ来たばっかりなのに……。
「し、しかし……!」
(おぉ……! ここで肯定以外の返事が出来るなんて!)
そのラディウス殿の抵抗には一切耳を貸さず、無言のまま微笑みかけるブリジット。だが次第にその細められた目がゆっくりと開かれてゆく――。
瞼から覗いたその金色の瞳には、有無を言わさぬ怒りが籠められていた。
その背筋が凍るような視線に私まで身震いしてしまう。学園で周囲を震え上がらせた『女傑』のプレッシャーの前では、体格的には圧倒的に勝っているはずのラディウス殿ですら小さく見える……。もう完全に蛇に睨まれた蛙状態だ。
「……ッ! お心遣い感謝いたします!」
これにはもう従うしかない。ブリジットが強すぎる。
付き添われ、肩を落としながら退室していくラディウス殿。助けてくれたのは確かなだけに少し同情してしまう……。
「レオナ様、あの方が殿下を焦らせたという……?」
レベッカがブリジットへの恐れを顔に残しながら、躊躇いがちに尋ねてくる。
「えぇ、一応そうなるわね……」
その馬鹿馬鹿しさが伝わったようで、レベッカだけでなく横で聞いていたミーティアまでもが脱力している。
「あんなのプロポーズとしては論外じゃないですか……」
「ブリジット様が追い払って下さらなかったら今晩ずっとあの調子で迫られていたと思うと感謝しかありませんね……。いくら助けて下さったとはいえ、あれは流石に……」
(あ、なるほど……)
言われてみれば確かにそうだ。それだと他の男性は近寄れなくなるし、私に相手を探させたいブリジット的にはブライアンたちよりもラディウス殿の方がよほど邪魔だったのだろう。
「――クローヴェル卿、少し良いだろうか?」
心の中で納得していた私に、傍にいた男性が話し掛けてくる。
そういえば一人残っていたんだった、すっかり忘れていた。




