60.ブリジット
とにかくブリジット様は一度別室で安静にさせておいて、応接室の方でパトリック様たちに状況の説明をすることにした。
しかしものの十分ほどで目を覚ました彼女は、応接室にやってきて早々、私をさっきまで彼女が休んでいた別室へと物凄い勢いで拉致してしまった。
「あ"あ"あ"あ"あ"レ"ナ"ざーーーん!!!! まざがごんな"!!!! ほんどうに"いいいいいいいい!!!!」
そして私に抱きつきながら、さっきからずっとこんな調子で泣き続けている。
一方の私は必死で冷静でいるよう努めていた。
泣かないようにではなく、笑わないように。
この部屋に拉致される前の応接室と廊下では、泣きもせずにこれまで通りの『女傑』だったのが面白くて仕方なかったのだ。この人前で醜態を晒すまいとする精神力とギャップが、却って私を感動の再会から遠ざけてしまっている。
とにかくまともに話が出来るようになるまでは好きにさせてあげようと、程々に相槌を打ちながら頭や背中を撫でて彼女が落ち着くのを待った。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「落ち着きましたか?」
「っ……えぇ……少しは」
ようやく勢いが治まってきたところでブリジット様に話し掛ける。もう二十分くらいは泣いていたので、身体じゅうの水分が出て行ってしまったのではないだろうか。
「では改めまして、お久しぶりです。ブリジット様」
「本当にレナさんなのね……?」
「えぇ。訳あって今はレオナと名乗っていますし、もう伯爵令嬢ではなく女男爵ですけれど」
「それだけでも色々あったというのはわかるわ。それら全てを聞かせて欲しいの、良いかしら……?」
弱々しい声で縋るように説明を求めてくるブリジット様。
「もちろんです。私もブリジット様のこれまでの話を聞きたいです」
ブリジット様はうちの屋敷の人間と師匠を除けば最も信用出来る人だ、私としても全てを知っていて欲しい。
もう通算何度目になるかわからないけれど、『火竜事件』から今までの経緯を丁寧に、偽りなく語っていく。
そんな私の気持ちが通じたのか、説明の間の彼女の表情は真剣そのものだった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「そう……本当に色々あったのね……。あの時、私に内緒にさせたことに一体どういう意味があったのか、ずっと疑問に思っていたけれど、ようやく腑に落ちたわ」
一通り説明を終えると、ブリジット様はしみじみと頷いた。彼女はある意味最も長い間内緒にされてきた人物だ。頭の良い彼女のことだから、ずっとモヤモヤしていたことだろう。
「あの頃は貴族にさえバレなければ何とかなると本気で信じていましたから……。でも『火竜事件』とその後の樹海で現実を突きつけられて価値観は大きく変わりました。夢見がちな少女レナはあの時確かに死んだのです」
「それなら私も似たようなものよ……。当時の私も貴女に守られながら、背中を押されながら過ごしていられると根拠もなく思い込んでいたもの……」
「ブリジット様……」
「入学してもしばらくは、どうしたら良いのかわからずにただ泣いていただけだった。でもそれは甘えだと気付いて、死に物狂いで努力したわ。貴女に教わったように、目の前の一日一日を大切にしながら……」
私のような意識の低いなんちゃって令嬢とは違って、あの頃から侯爵令嬢として堂々たる立ち振る舞いをされていたブリジット様の意外な胸の内。それは確かに私が両親に抱いていた感情に近く、失った時の心細さや、心の隙間を埋めるように努力していたことなど共感出来るものばかりだった。
「お陰でパトリック様に見初められて結婚出来たというのに、こうしてまた貴女と逢えるなんて……こんなに幸せで良いのかしら……」
そうウットリするブリジット様の顔は、昔お守りのチョーカーを撫でていた時のように熱を帯びていた。成長して更に美しさに磨きがかかったそれは、もはや妖艶と言えるほど。
「その幸せはブリジット様ご自身が地道に努力して掴み取ったものです。どうか胸を張ってください」
ブリジット様の言う幸せの中に私が含まれていることが嬉しい反面、少しむず痒くもある。相変わらずブリジット様の中での私は、実物よりも大きな存在になっている気がするからだ。
「ありがとう。なら私はこの幸せが続くように、これからも努力を絶やさないことにするわ。そして私を幸せにしてくれた貴女を、今度は私が幸せにするの」
「私、良い人たちに囲まれて、今でも充分幸せですよ……!?」
まさかの宣言に慌てる私を余所に、ブリジット様はとても楽しそう且つ上品に笑っている。
「わかっているわ。今は今で幸せならそれで良いの。でも将来悩んだり、辛い思いをすることもきっとあるはず。私はそういう時に貴女の力になりたいの」
(良かった……。殿下が言っていたように、貴族中に存在をアピールして私に婚約者探しでもさせるのかと思ったわ……)
押しつけがましくもなく、ずっと控えめに相談役として私の力になってくれようとしているブリジット様に、勝手な想像をしてしまっていたことを申し訳なく思ってしまう。
「もう二度も助けてもらっているのよ、私だって貴女を助ける側になりたいもの……。剣を持って戦うことは出来ないけれど、これまでに培ってきた知識と経験、そして次期公爵夫人の地位があればきっと力になれるはずよ」
それは正直なところ、とてもありがたい話だった。
私は特別頭も良くないし、貴族女性として見ると至らない点の多い、ちょっと顔が整っているだけの女だ。自慢の魔力量も一応荒事は通用しないという脅しにはなるけれど、実力行使なんて最後の手段であって、そこに至らないようにする立ち回りの方が重要なのは言うまでもない。
ブリジット様はそんな私が持っていないものを沢山持っている。心強いに決まっている。
「お互いが幸せな内は一緒に楽しく過ごしましょう? また昔のように」
「えぇ。私にもこんなにも親身になってくれる人が居るんだもの、負けず劣らずの幸せ者です」
どちらからともなく手を取り合い、笑い合う。
「ふふふ……。――それはそうと」
「……どうされました?」
「ここまでお互い胸の内を曝け出したのだから、もっと気安くて良い筈よね? 私もいい加減『さん』付けせずに呼びたいの。ダメかしら、レオナ?」
「……よろこんで、ブリジット」
こんなに可愛らしくて魅力的な提案を断る理由など何処にもない。
私がそう名前を呼ぶと、彼女は顔を綻ばせて昔を思わせる可愛らしい笑みを浮かべた。
「――さて、レオナを奪ってきてしまったから皆困っているでしょうし、そろそろ戻りましょうか」
すっかり落ち着いたブリジットはサッと思考を切り替えて立ち上がる。
「そういえばそうだったわね……」
やっぱりブリジットはしっかりしている。完全に忘れていた私とは大違いだ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
応接室に戻った私はさっきまでと違って、ブリジットに促されてソファーに座らされる。
そして当のブリジットはパトリック様の横に戻るでもなく、そのまま私の隣に座り、腕を取って肩に寄り掛かってきた。これには私もぎょっとする。
(さっきは部屋まで泣くのを我慢したのに、それは自重しないんだ……!?)
それを見たパトリック様は何故かニコニコ顔で、殿下は苦笑い、特務の皆は目が点になってしまっている。
「ただいま戻りました、パトリック様。ご心配をおかけして申し訳ございません」
言葉だけ聞けば普通の発言のはずなのに、台詞とポーズがまるで一致していないのでとてもシュールだ……。
「おかえり、ブリジット。君の新しい一面を見られて俺はとても嬉しいよ」
しかしパトリック様は他の面々とは違って、それを笑顔で受け入れている。今日一日見てきて一番機嫌が良いまである。入学するなり年上の『女傑』に惚れたくらいだから、その隙の無い冷静な彼女が好きなのかと思っていたらとんでもない、次期公爵様の器は思っていた以上に大きいようだ。
「これが本来の私ですわ。――それにしても殿下、やってくれましたね?」
むくれながら殿下を睨むブリジット。あら可愛い。
一方の殿下は笑顔で応対しているものの、その表情は少しだけ引き攣っているように思う。
「何がだろうか?」
「しらばくれないでくださいませ。レオナが生きていると判明してから、一年近く私に内緒にしていただなんて……!」
確かに彼女としては早く教えて欲しかっただろう。もしそうしていた場合はすぐにさっきのような勢いで私はこの城に連れて来られていたに違いない。
「あ、あぁ……。こちらの都合だ、済まなかった」
「まったく……。まぁおおよその理由は想像つきますけれど」
私は未だによくわかっていないのに、ブリジットはさらっとそう言ってのける。
「え、ブリジットはわかるの?」
「……あら? その反応だと聞かされてもいないのね」
何故かブリジットは殿下の方を見ながら、上品ながらも悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ならごめんなさい、今は教えられないわ。敵に塩を送ることになってしまうもの」
そうブリジットが言うと殿下は苦虫を噛み潰したような顔になり、それを見たパトリック様がくつくつと笑っている。
「これだから俺は反対したんだ……!」
「周囲を跳ね除けられなかった己を恨むのだな。――さて、本題に入ろう。騎士団に移送する前に軽く尋問して判明したのだが、奴らは披露宴のどさくさに紛れてずっと城に潜んでいたようだ」
「子爵令息についてはハロルドが見送りまでしていたはずですが……」
「はい! 確かに玄関から馬車に乗り込み、城門をくぐるところまで確認致しました!」
とても納得できない話に、私もハロルドも慌てて説明する。
「先に手洗いに影武者が忍び込んでいて、それと入れ替わったらしい」
『なっ!?』
そのあまりにベタな手法に二人とも驚きを隠せない。しかしあんなに特徴的な人間の影武者など本当に用意出来るものなのだろうか。まさか誰も知らない双子の兄弟がいるとでも言うのだろうか。
「その詳しい手段についてはまだこれからだが、本人が言うにはそういうことらしい。……つまり我々の失態だ」
殿下が静かにそう告げる。特務騎士団の団長として責任を取らなければならない立場なのは確かにそうなのだけれど、これでは申し訳なさすぎる。私をブリジットに会わせる為に護衛役をねじ込み、私のミスでこんなことになっているのだから。
「でもレオナがいち早く異変に気付いて、私を救ってくれたわ」
ブリジットがフォローに入ってくれて、パトリック様もそれに頷いている。
「そうだ。なのでその功績を鑑みて失態と相殺とし、こちらとしては厳重注意で済ませたいと考えている。反省や今後の対策については騎士団の方で対応してくれるだろう?」
「……寛大な処置に感謝する」
どうやら処罰としては軽いものになるようだ。これには私もほっと胸を撫でおろす。
「小耳に挟んだのだが、クローヴェル卿は王都の方で騎士団の指南役をしているそうだな?」
するとパトリック様が突然、内容的にも唐突に思える発言をしてくる。このタイミングに敢えて言うのだ、何の意味もないわけがない。
(私にでもわかるような内容であるなら、これはきっと……)
「はい。毎月の頭に三日間、陛下のご指示で務めさせていただいております」
「それをウェスター騎士団でも頼めないか?」
(やっぱりか~……)
ちらりと殿下を見ると申し訳なさそうに頷いた。先程の寛大な処置というのはこれを呑むことが前提だという意味なのだろう。
(まぁ私としては自分のミスを償うだけだから特に不満もないけれど……)
流石は次期公爵様というべきか。王族だろうと隙を見せれば簡単に付け込まれるという、貴族社会の厳しさを体現しているかのようなその手腕は見事という外ない。
とはいえ悪意を持って要求しているわけでもなく、関係を悪化させない範囲で領地の利を取っているというのが伝わってくるだけ優しくすらある。ぶっちゃけ王都への移動が必要ないぶん、こちらの訓練の方が負担は軽い。
「それをご所望とあれば」
「うむ。……心配するな、其方を悪いようになどするはずがない。勤めの最終日には夕食にでも招こう。ブリジットの話し相手になってやってくれ」
「うふふふふ……」
ブリジットは私と定期的に会う口実が出来て喜んでいるようだ。
事前に打ち合わせをしているでもないのに、殿下から交換条件を引き出し、自分たちの利になるように物事を進めていくパトリック様はもちろん、それを当然のこととして一切の躊躇もなく受け入れているブリジットにも私は敵う気がしない。二人が敵でなくて本当に良かったと思う。
「今日のところはここまでにしよう。クローヴェル卿、妻を救ってくれたこと、改めて感謝する」
「お役に立てて光栄でございます」
とにかく無事にブリジットとの再会を果たせたのだから不満なんてない。昔よりもより近くに彼女が居てくれる、それだけで堪らなく嬉しいのだから。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
次期領主夫妻と別れ、馬車の乗り場までの廊下をカツカツと音を立てながら集団で移動する私たち。よくよく考えればブリジットたちは新婚ホヤホヤなのだ、あんな事件があったとはいえ、これ以上遅くまでお邪魔するのはよろしくない。
「今日は折角ブリジットと再会する機会を作って下さったのに、このような結果になってしまって申し訳ございませんでした……」
「申し訳ございませんでした……」
歩きながら私とハロルドは揃って殿下に謝罪する。なのに殿下は困った風に眉を下げている。
「二人が気付けなかったぐらいだ、奴は余程上手くやったのだろう。俺としてはあまり責める気にはなれん。対策をしっかりと練って今後に繋げていこう」
「かしこまりました」
「はっ!」
次期公爵夫妻と会った後だと殿下はとても優しく感じる。それは人によっては甘いだとか、お人好しと言われてしまいそうなほどに。
その地位と権力を笠に着てふんぞり返ることもなく、下の者の視点を考慮して話すその人柄が騎士たちに慕われるのもわかる気がする。
いずれ国のトップに立つ者がそれで良いのかと言われれば私にはわからないけれど、少なくとも嫌な気分にはならない。
(もう殿下の足を引っ張るようなことは避けないと……。私いつも詰めが甘い気がするんだよねぇ……)
「それにしても凄い変わり様だったな……」
私が自己嫌悪していると、殿下がぽつりと溢した。突然のことでそれがブリジットを指していることに気付くのに少し時間が掛かってしまう。
「……えっ? ……あぁ、みんな『女傑』の彼女を長い間見ているのでそうかもしれませんね。私は記憶の中のいつもの彼女に戻ったようで、ほっとした気分です」
「殿下だけでなく、俺も『女傑』と呼ばれる前の彼女を知っていたつもりだったのだが、あそこまでだったかなと思わずにはいられなかったな……」
すると私の背後の上の方から低い声が響いた。それは後ろを歩くウィリアムのものだった。何気に今日初めて彼の声をまともに聞いた気がする……。
「私との距離が縮まったのはあのパーティの後だからね。あれから私と一緒の時に会ったことはないはずだから、そう思っても仕方ないんじゃないかしら」
「そうか、卿と一緒の時だけか……」
「正直、ちょっとショックです。『女傑』のイメージが……」
「だよね……」
レベッカもミーティアもリスペクトが過ぎて逆に現実を受け入れられていないようだ。
「披露宴前に『凛々しくて可愛い人』だって言ったでしょう? 私の腕に抱きつきながら拗ねてた彼女見た? めちゃくちゃ可愛かったんだけど!」
「すげぇわかります、可愛かったっすよね!」
「ね!」
ハロルドがさっきまでの謝罪の空気をどこかに放り投げて同意してくれる。ここにも理解してくれる同志がいたことについ私も嬉しくなってしまう。
「あの方をそう言えるレオナ様もハロルドも大物よね……」
「同感……」
それでも二人はまだ納得してくれていないようだ。私たちのやり取りを前を歩きながら聞いていた殿下がクスリと笑っている。
これはちゃんとブリジットの可愛さをみんなに教えて差し上げる必要があるのではないか、そんなことを考えている間に馬車乗り場まで到着した。
「では俺はパトリックたちから宿泊場所を提供してもらっているのでここまでだ。今日はご苦労だった」
『はっ!!!!』
「お疲れ様です、殿下」
殿下の馬車が遠ざかっていくのを見送りながら、ふとした疑問が浮かんだ。
「みんなは今晩どこに泊まるの……?」
「どっか適当に宿取るしかないっすね……」
ハロルドがややうんざりした風にそう答えると、他の三人も頷いた。
経費で落ちるとはいえ、こういう時の騎士は貴族なのに扱いが雑だなと思ってしまう。野営だって訓練していてこなせるのだから、そこいらの貴族と同じ扱いにする必要はないと思われているのだろうか。
「なら皆うちに来る?」
「またお世話になっていいんですか……?」
「えぇ。私はその方が楽しいし、歓迎するわよ」
「わぁ~! ありがとうございます!」
女性陣はもう何度か泊まっているので素直に喜んでくれているけれど、男性陣は困り顔だ。
「流石に未婚の女性の屋敷に泊まるのは……」
「だよなぁ……」
屋敷には使用人たちだっているし、独身アパートに連れ込むような話ではないのだから、大丈夫だと思うのだけれど。
「レベッカとミーティアも一緒だし、外聞的にそこまで問題かしら? わざわざ言い触らさなければ大丈夫じゃない? え、もしかして襲われちゃったりするの!?」
「ちょ……何を言ってるんですか貴女は!」
「そんなの命が何個あっても足りねえっす!」
ウィリアムの顔は真っ赤、ハロルドの顔は真っ青だ。そして若干失礼なことを言われている気がする。
「ならいいじゃない?」
「いえ、あの方に吊し上げられそうなので止めておきます……」
「その方が賢明だよな……」
あの方が誰かはわからないけれど、本人たちの意思は固そうだ。
「外聞的に良くないのは確かなので、無理に引き留めない方が……」
レベッカも慌てた様子で彼らのフォローに入ってきた。
「……そっか、それもそうね」
「お気持ちだけいただいておきます……」
「あざっす!」
そんなこんなで結局この日はレベッカとミーティアだけうちの屋敷に泊まっていった。ブリジットとの思い出話をしたりして、少しは彼女の可愛さを理解してもらえたのではないかと思う。
後日、何の気なしにこの流れをブリジットに話したら、淑女としての慎みを持てと地面にめり込む勢いでしこたま怒られた。ちくしょう。




