52.囮
翌朝、私は街の北東、ミーティアは街中の南東、レベッカは街の南西の調査へ向かった。
東門を抜けると目前には畑と牧場が広がり、大都市のすぐ外だというのに人の姿は偶にしか見かけない。しばらく道を真っすぐ東に行くと海があるのだが、断崖絶壁といった感じで港などもないので本当にただの農道でしかない。
「人の目がそもそも少ないから狙われやすいのかな……? でもよそ者は逆に目立ちそうでもあるんだけどなぁ……」
何か情報はないかと、農作業や家畜の世話をしている人たちに話しかけていく。
「〇〇さんの奥さんが居なくなっちまってねぇ……。旦那さんも元気ないし、作業だって進まないしで厳しいらしいよ」
「あぁ、〇〇さんのところ突然居なくなったらしいな。仲良かったし喧嘩とかじゃないんだろ? 怖いねぇ……」
「ウチんところはもう牛が三頭やられてんだよ! 犯人取っ捕まえたら絶対タダじゃおかねえ!」
みんな居なくなったことは知っていても、それ以上の情報を持っている人にはなかなか出会えない。周囲に何か痕跡が残っていたりすることもなく、調査は難航していた。
そんな上手くいかずに溜め息をついていたところに、突然決定的な目撃情報が舞い込んできた。
「俺見たんだよ! 昨日の夕方、バカでけえ蜂が牛を攫っていくのをよ! でも誰も信じちゃくれねぇんだ、そんな魔物見たこともねぇってよ。でも俺は確かに見たんだよ!」
「蜂!?」
バカでかい蜂の魔物であれば確かに存在している。山奥の村に稀に現れるくらいで、こんな大都市の近くで見られることはまずないので、ここの住人が知らないのも無理はない。
「それがどっちに飛んで行ったかわかる!?」
「あっちの方角だが、林があるくらいでその向こうには海しかねぇはずなんだよな……。まさか海の向こうから飛んできてるのか?」
男性が指差した北東の方角には確かに林が見えるが、牛を攫えるようなサイズ感の蜂が潜めるような場所ではない。
「そんなに遠くからわざわざ来るものかしら……。でも情報ありがとう、これで対策が取れるかもしれないわ」
「おぉ、ありがてえ……。アンタあの『いばら姫』なんだろ? 頼りにしてるよ!」
「任せといて!」
これなら問題なく解決出来そうだと胸を撫でおろして屋敷へと帰還した。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
その日の晩、昨日と同様に屋敷の書斎でそれぞれの収穫を報告し合う。
「街の北東に一昨日バカでかい蜂が牛を攫って行く所を目撃した人が居たわ。人間ではなくてジャイアントホーネットの仕業みたいよ!」
私は犯人が特定出来て喜んでいたのだけれど、他の二人は特別喜んではおらず、何とも微妙な顔をしている。
「……なんだかスッキリしない顔ね?」
「街の南西の森の中で明らかに大型の魔物が掘った穴がいくつか見つかったんです。なので私はアリやミミズ、モグラのような地中を移動する魔物の仕業だと考えていたのですが……」
「ウソぉ……」
北東部にはそういった痕跡はなかった。でも聞いた限りだときっと私がその場に居ても同じように考えただろう。しかしこちらの具体的な目撃情報を無視するわけにもいかない。
レベッカの報告を聞いてミーティアは更にどんよりとした顔になっていた。それを見てレベッカもこの先の展開を察してしまったようだ。
「ミーティア、もしかして……」
「街中はそんな魔物が現れたような痕跡も、目撃情報もなかったわよ……。現場は確かに人通りが少ない場所だったし、人間による誘拐だと判断したんだけど……」
「まさかの皆バラバラ……」
思いがけない結果に、静まり返る私たち。どうすべきかと腕を組んだり、顎に手を当てたりと、それぞれ思い思いの格好でうんうんと唸り始める。
「……あの」
そんな状況で最初に声を上げたのはレベッカだった。
「各自の推測が間違っているようには思えないのです。なので全部当たっていると仮定してみませんか?」
「一連の誘拐はこれらが偶々連続して起きたってことにするのね?」
「そうです。最初は貧民が被害に遭っていたのが後から判明したという話ですし、最近は貧民たちも恐れて森に入らなくなって被害は出ていないみたいですから、ひとまず街の南西の優先度は下げて良いと思います」
誘拐の全てが同一犯でないとした上で、全てを一度に解決しようとしなくても良いと考えようということか。
「それなら私が聞いた目撃情報は昨日の話だったから、逆に街の北東は優先度が高くなるわけね」
「はい。ジャイアントホーネットが相手であれば、視力強化を使って見晴らしの良い場所でしっかり見張っていれば被害は防げると思います」
「じゃあ街中の誘拐はどうするのよ? 魔物みたいに犯人が一目でわからないから見張りようがないわ」
「被害に遭う人間がわかっていれば、それに近づいてくる奴が犯人になるんじゃない?」
「つまり囮を用意するということですか?」
「そう。一人が囮になって、それを残り二人が蜂を警戒しながら見張る。これなら優先度を考慮しつつ、一番犯人の特定が難しい街中での調査が出来るわ」
「誰が囮役をやるのよ……やるんですか?」
「私この街では有名人だし、バレバレ過ぎるわ。被害にあってるのは成人前後の子ばかりだから、体格的な意味でも無理があるもの」
提案しておいて囮役を他人にやらせるなんて卑怯な気もするけれど、言っていること自体は事実なのでどうしようもない。
「確かに王都からの道のりでも教官殿はとにかく人目を惹いていましたからね……。身長を考えれば私よりミーティアの方が向いてるんじゃない?」
「えぇ~……」
「騎士団中探しても頼めるのは貴女ぐらいよ。民間人にやらせるわけにはいかないの、お願い」
そう頭を下げると、ミーティアは観念したように大きく溜め息を吐いた。
「……わかりました」
自分が囮役を出来ないぶん、せめて押し付けてしまったミーティアが危険な目に遭わないように努めなければならない。そう強く心に刻み込んだ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
翌朝、平民の裕福層が利用する服屋でワンピース等を購入し、ミーティアに着てもらった。ついでに昨日一日調査で街中をうろついていたので、念のため髪もいつものハーフツインをやめて下ろしてもらった。
「ミーティアかわいい……!」
「騎士団でしか会わないので忘れがちでしょうけれど、彼女もれっきとした伯爵令嬢ですからね?」
「何だか複雑だわ……」
そう言いながらもしっかり頬を染めているのがこれまた可愛いのだ。
「本当ならもっと可愛くしてあげたいところなんだけど、これ以上は場所や被害者の特徴を考えると逆に不自然だから仕方ないわね。残念だわ……」
目的は囮役として自然な格好をすることなので、本当に残念だ。
とにかく準備は整ったので人気の少ない場所へと移動する。張り込みをする場所はミーティアの提案で南東区域のたまにしか人が通らない、民家が立ち並ぶ中にある小さな広場にした。
そこのベンチに腰を下ろしてもらって、じっと釣れるのを待つ。私たち見張り役は街の北東の空とミーティアの両方が見えるように、屋根の上に登って見つからないように気配を消して潜むのみ。後はもう根気の勝負だ。
「もし蜂の魔物が先に来た場合は空を飛べる私が対処するわ。その間はミーティアをお願いね」
「了解しました」
……しかしそんな打ち合わせも空しく、初日は誘拐犯らしき者は現れずに終わった。
見張っている私たちはもちろん、ミーティアもかなり退屈で精神的につらいようで、明日は何か暇が潰せるものが欲しいと訴えてきたので、明日からは日傘と刺繍道具一式を持たせることにした。
翌日、昨日と同じ場所で張り込みを再開する。ミーティアは昨日がよほど退屈だったからか、朝から一心不乱に刺繍にのめり込んでいる。どんどん作られていくそれらは、この距離から見てもクオリティが高いのがわかる。流石は伯爵令嬢だ。
「ミーティア刺繍上手ねぇ……」
「部屋に籠るより身体を動かすのが好きとは言いつつ、実は結構手先も器用なんですよ彼女」
「へぇぇ、そうなんだ……」
幼馴染であるレベッカが言うのだから間違いないのだろう。やはり限られた時と場所でしか会わないのでは、その人を知るには充分でないというのがわかる。
「ちなみに私の中ではレベッカは更に上手そうなイメージよ」
「私も令嬢の端くれですから、人並み程度には嗜んでいますよ」
「あ~これは間違いなく上手な人の台詞だわ……」
レベッカは表情を一切変えずに淡々と受け答えをしている。その溢れ出ている空気感は間違いなく熟練者だ、間違いない。
謙虚な人は大抵凄いっていうのは良くある話。よほどやんちゃな人でなければテスト勉強をしていないと言う学生は実はしっかり勉強しているので、間違っても真に受けてノー勉で挑んではいけない。
「そういう教官殿も実はお上手なのでは?」
レベッカはそう疑っているけれど、正直なところあんまりだ。元とはいえ同じ伯爵令嬢だった私もブレンダ先生から習いはしたものの、刺繍の技術はともかく、デザインのセンスがあまりない。幼稚園や小学校で使えるようなアップリケやワッペンみたいなものならともかく、大人でも喜ぶような刺繍は自信がないのだ。
前世では手芸といっても取れたボタンを付け直したり、穴あき靴下の補修をしたりとかそういうのばかりだったからセンスもくそもない。
「残念ながらその期待には沿えないわ。というか前にも思ったけど、こんな所でも『教官殿』はやめてよ……。指南役としてここに居るわけでもないし、レオナで良いわ」
「了解しました、レオナ様」
「どうして『様』を付けちゃうかな……」
「訓練ではなくとも私は任務に同行する側、つまり上官は貴女です。騎士同士であれば階級差を気にしないのが通例ですが、貴女まで呼び捨てには出来ません」
いつも淡々と話すレベッカが珍しく少し困ったように微笑んだ。私は騎士団の人間との付き合いの中で、初めてほんの少しとはいえ笑いかけられたことに驚いてしまう。
「一応そういう認識で居てくれてはいるのね」
「どういう意味ですか……?」
「私、初対面の時に盛大にやらかしたせいで特務の騎士たちからは嫌われてるからね。そんな奴が爵位を得て、急に指南役だって言ってでかい顔してきたところで誰も歓迎する気なんて起きなかったでしょう?」
あの日、騎士団で挨拶した時の特務の皆の顔を忘れてはいない。私だって慕っている人間を馬鹿にした相手と、後日接点が出来てしまうなんて嫌だと思うから。
「それでも訓練をこなすうちに私の実力に関してだけは認めてもらえたみたいだけど……それだけだわ。自分のせいだから仕方ないのはわかってる。今回、貴女たちも任務だから嫌々ついてきてくれたんだってわかってる。そんな状況だから、貴女に貴族としての立場を尊重してもらえたことが意外だったのよ」
レベッカはそんな私の言葉に少し焦りを見せた。
「レオナ様の事情はミーティア経由でウィリアムから聞いています。最初こそ貴方に対して良い感情を持っていなかったのは事実ですが、今はもうそんなことはありません。むしろその実力と民への姿勢を尊敬すらしています! ……それは他の皆も同じですよ、間違いありません」
それは思いがけない告白だった。訓練をしていく中でマイナス部分が薄まってきているのは伝わってきても、それ以上好かれることはないと思っていたのだから。
「え……でも現にミーティアは……」
「あの子はまた別の理由なので……。本来あのような態度を取って良い筈がないのですが、あまりに頑なで止められず……申し訳ございません」
「そっか、そうなんだ……」
あの日騎士団に行ってからずっと感じていた諦めに似た感情が杞憂だったのだというとても喜ばしい話だというのに、予想外過ぎて戸惑いの方が勝ってしまっている。
それでもじわじわと喜びの気持ちが溢れてきたものの、同時に涙までもが溢れ出てきてしまう。
「あはは……任務中に何してるんだろ……。ごめん、少しミーティアを見ていてくれる?」
「……はい」
年下の女の子の前でこんな姿を晒すなんて情けない。
手で顔を覆い、嬉し涙を止めるよう己に言い聞かせる。こんな視界では見張りなんて出来るはずもない。
「あの……レオナ様」
するとレベッカがとても言いづらそうに呼びかけてきた。
「……うん?」
「ミーティアに何者かが話しかけています……」
「えぇっ!?」
いくらなんでもそりゃないよ……。そのあまりに酷すぎるタイミングに思わず涙も引っ込んでしまった。




