05.愛する娘(ヘンリー・クローヴェル視点)
主人公の父親ヘンリー視点、全一話です。
ある日の昼下がり――静かな執務室にはペンを走らせる音と紙をめくる音だけが流れていた。しかしそれは僕が休憩に入るだけで簡単に途切れてしまう。
息を吐いて席を立ち、執務室の窓から外を眺めて気分転換をする。
(……ん、シェーラが帰ってきたみたいだな)
すると丁度馬車が敷地内に入ってくる様子が目に留まった。領内の婦人が集まるお茶会に出掛けていた妻が帰ってきたようだ。
席を立ったばかりだったが、僕はすぐさま執務机へと戻った。真っ先にこの部屋まで帰宅の報告にやって来るだろうし、ほんの少しの休憩の場面を見られたせいで怠けていると勘違いされたくはない。
「今帰ったわ、あなた」
「うん、お帰りシェーラ」
「あまり根を詰めすぎないようにね」
帰ってきた妻はそれだけ言って鼻歌混じりで部屋を出ていってしまった。きっと娘のレナの元へと向かったのだろう。
僕もこのような仕事などすぐに終わらせて彼女と一緒に遊びたいのだが、ここバーグマン領の領主である以上、適当に仕事をする訳にはいかない。
両親が早くに亡くなったため若くして領地運営を任されることになり、現在その敏腕ぶりを遺憾なく発揮しているイイ男と評判なのだ、その折角の評判に瑕を付けたくない。
正直なところ仕事はとても大変なのだが、愛する妻のシェーラと、もはや天使としか言いようがない娘のレナの笑顔があればいくらでも頑張れる。
娘は本当に可愛い。僕にはあまり似てくれなかったが、妻譲りのプラチナブロンドの髪は美しく、全体的な顔立ちも子供とは思えないほどに整っている。
唯一、目だけは妻のような優しい垂れ目ではなくキリッとしていて、僕と同じその深い赤い色をした瞳は宝石の様に輝いていて、僕も特に気に入っている。
一体どれ程の美人になるのか、今から将来が楽しみで仕方がない。
その天使なのだが、ある日突然娘付きの侍女のアンナが慌てて執務室にやってきた。しかも娘が庭で雷に打たれて意識がないなどと言い出したのだ。
まるで意味がわからなかった。外は快晴だ。
しかし普段から真面目な彼女のこの慌てようを見ると、嘘を吐いているとは到底考えられない。半信半疑で妻と共に部屋へ様子を見に行くと、そこには静かに寝息を立てている娘の姿があった。
「とても雷に打たれたようには見えないが、この時間に寝ているのも変だものな。アンナたちの言っていることは本当だと思って良いのだろうか……」
「そうね……。不思議としか言いようがないけれど、本当なのでしょうね。逆にイタズラであって欲しいくらいよ」
僕もそう思う。今ここで娘が突然起き上がって僕たちを驚かそうとしてくれたらどれだけ気が楽だろうか。
その後も医者を呼んではみたものの、特に異常は見つからないと言う。このまま寝かせていればいずれ目覚めるだろうと。
「レナが目覚めたらすぐに知らせてくれ。僕は仕事に戻る」
医者にまでそう言われてしまっては、ずっと彼女の傍にはいられない。
皆に指示して執務室に戻りはしたが、気になって全く落ち着かない。時間が経つのが酷く遅く感じる。それでいて手元の仕事は全く進んでおらず、仕事に全然集中出来ていないのが誰の目にも明らかだった。
(レナ、お願いだ! 早く目を覚ましてくれ! そして僕を安心させてくれ!)
そう心の中で叫ぶくらいしか今の僕には出来なかった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
そんな状況にようやく変化があったのは夕方になってからだった。定時報告で変化なしと伝えてきた侍女のニーナが、執務室から出てすぐに息を切らしながら安堵の表情を浮かべて戻ってきたのだ。
「お嬢様が目を覚まされました!」
それを聞いた僕はすぐさま妻と一緒に娘の待つ部屋へと向かった。こんなに急いで移動したのは七年前に妻が産気づいた時以来ではないだろうか。
ベッドで上体を起こしている娘を見た瞬間、安堵で全身から力が抜けて膝から崩れ落ちそうになった。何とか持ちこたえて情けない姿を見られるのは避けたものの、その隙に妻が彼女を抱きしめてしまっていた。先を越されてしまった、悔しい……。
少し話をしてみるが、やはり彼女自身も何が起こったのか良くわかっていない様子だった。
妻の言う通り不思議ではあるのだが、正直なところ無事であればどうでも良かった。お腹を鳴らし、顔を赤らめながらお腹が減ったと告白する彼女の前では、他の全ての事柄など些細なことに過ぎないのだ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
病み上がりでまだ多少心配していたが、出てきた料理を次々とたいらげ、好物のイチゴのタルトを幸せそうに頬張る姿を見ればそんなものは吹き飛んでしまった。
一安心した僕はレナに今後の予定を告げる。家庭教師を招き、貴族学園の入学に向けて勉強してもらうというものだ。
普段はポムと一緒に庭で遊んでいることが多かったので、どちらかというと運動が好きで勉強は嫌いなのかと思っていたが、特に嫌がる様子もなくすんなりと受け入れていた。とても素直で可愛らしい。
あまりにも可愛らしいものだから、ついそんな天使が学園を卒業する時の様子を想像してしまい溜め息が出てしまった。
他の男に取られるなんて本当に想像したくもない。しかし今でもこの可愛さだ、成人する頃には周りが放っておかないのは目に見えている。
その嘆きを少し口にした瞬間、レナの表情が強張った。
(あぁ、そうか。まだ知らないよな……)
学園が出会いの場でもあることを告げると、一層表情を曇らせ思案顔になった。まだ色恋には興味がないせいで急に言われて戸惑っているのだろう。
僕は少し嬉しくなるが、妻に怒られそうなのでこれ以上顔には出さないよう我慢する。どうせ避けられないのであれば、せめて良い相手を見つけて欲しいと思わずにはいられない。
「そうですね……。あまり実感が湧かないので私としては当面は学業を優先したいと思います。真面目にしていれば良縁はきっと向こうから舞い降りてきてくれるでしょうから」
自分からがっつかずに冷静に見極めると言う娘に、僕は心の中で大きな拍手を送った。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
招いた家庭教師たちとの挨拶も済ませ、さっそく授業が始まる。
夕食前に娘の授業態度や理解度について尋ねてみたが、二人とも「真面目で、とても教え甲斐がある」と評していた。そうだろう、親としても実に鼻が高い。
授業の感想を聞きながら和やかに夕食を取っていたのだが、レナが突然こちらが考えてもいなかったことを口にした。
「魔法に関してはもちろん地道に頑張っていくつもりですけど、武芸に関するお稽古、例えば剣術などは習えないのですか?」
百歩譲って代々騎士団に仕える家系に生まれてしまった娘なら珍しいのには変わりないが、わからなくもない。ましてや普通の貴族令嬢であれば武芸を修めることなど殆どないと言っていい。何故突然そんなことを言い出すのだろうか。
「レナ、急にどうしたんだい?」
「そうよ、剣術だなんて危険よ? 貴女のような女の子が習う必要はないわ」
「私は強くて、賢くて、美しい、完全無欠のレディになりたいのです!」
理想の女性像を熱く語る娘はとても可愛らしいが、妻の言う通り危険なのだ。先日は心配で仕事に手がつかない状態だったというのに新たな心配の種を抱えたいとは思えない。
「あら、それはとっても素敵ね! んふふ……」
「おいおい……」
――だというのに、妻は簡単にその意見を翻してしまった。もちろん私にだってそうなって欲しいという思いはある。それでも我が娘を危険から遠ざけるのを優先するのが親の役目ではないのか。
というか何だ、完全無欠のレディとは……最高じゃないか。
「授業の時間には影響が出ないように、朝の早い時間にしますし、寝坊せずにちゃんと起きますから! お願いしますお父様!」
そんな親としての葛藤を余所に、可愛い娘はただの思い付きではなく、ちゃんと考えているのだと必死にアピールしてくる。
(あぁ~もうそんな潤んだ瞳でお願いなんて反則だよ!)
「ぬぅぅ……わかった。ただ新たに講師を呼ぶのは無理だから、屋敷の警備の者を一人指導につけてもらうよう警備隊長に話してみよう」
この可愛さに抗うなんて初めから無理な話だったのだ。しかし即オーケーしてしまうとあまりにも格好がつかないので少し悩んだフリをしてから頷いてみせると、娘の表情がぱぁっと明るくなっていく。
「お父様ありがとう! 大好き!」
「……一生懸命頑張りなさい」
椅子から勢いよく立ち上がり、こちらにやってきた愛しの娘に抱きしめられ、心配がどうとかそういうのは全部飛んで行ってしまった。自分でも今、碌な顔をしていないだろうなとは思うが、頬が緩んでしまうのを止められない。
それも途中で妻に奪われてしまったが、じゃれ合う二人を眺めながら、きっと真面目に励んでくれるだろうと、無駄にはならないだろうと、判断は間違っていないのだと自分に言い聞かせた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
翌日の夕方、ホルガー先生が何やら神妙な顔をして僕の元までやってきた。怪訝に思い尋ねてみると、今日の授業で魔法を使う前にレナの魔力量を測ろうとしたところ、測定用の魔道具が壊れたのだという。
「念のため、新品の魔道具を取り寄せてもう一度測定してみるつもりですが、結果が同じようであれば、お嬢様は規格外の魔力を持っていると見て良いでしょう」
「そんなに凄いのか?」
「この魔道具があれほどのまばゆい光を放っただけでなく、粉々に砕けたなどという話はこれまで一度も聞いたことがありません」
僕の時は小さな蝋燭の火が中にあるような、その程度の光だったような記憶が微かにある。それが目も眩むほどに輝いて砕けるなど、一体どれほどの魔力なのだろうか。
「僕の魔力量は人並みだからいまいち想像が出来ないのだが、そこまで多いと常人とはどう違ってくるだろうか?」
「恐らく魔力に関する全てが常人とは比較にならなくなると思われます。身体強化を使えば風よりも速く駆け、治癒の魔法を使えばどんな大怪我でもたちどころに治し、攻撃魔法を使えば災害の如き力を発揮するでしょうな」
魔力の総量が多ければ単純にたくさん魔法を使うことができる。使えば使うほど魔力量は増えるし、回復量も総量に影響されるので、その魔力量は長い目で見れば見るほど常人と差が出てくる。同時にそれだけ出力も成長させやすくなるということでもあり、このままいくと訓練を怠らない限り将来的な出力は凄まじいものになる……と先生は指折り数えながら説明してくれる。
「今は出力に関しては同年代の子供と何も変わらないようです。ですが学園に入学する頃には間違いなくその頭角を現し、卒業する頃には恐らく何十年と訓練を重ねてきた我々のような者よりも優れた魔法の使い手になっているでしょうな。それほどこの才能は素晴らしいものなのです」
しかし、その才能を讃えるホルガー先生の表情は暗い。
「その顔を見るに、懸念事項があるということか?」
「……はい。これほどの才能を持つ者の存在が国に知られれば間違いなく取り込まれるでしょう。立場は保証され、平時には大切にもされるでしょうが、強力な魔物が出現した際にはすぐさま討伐に駆り出されることになるかと。今こそ平和ですが、他国との関係がもし悪化でもすればそちらでも……」
「何だと……!? あの子が戦場に!?」
冗談じゃない。可愛い娘をそんな危険に晒せるか。
「隠し通すにせよ、国に知らせるにせよ、お嬢様が戦う術を身に着けることは急務であると考えます。最終的にお嬢様の身を守れるのは、お嬢様自身にしか出来ないでしょうから」
我々に伝えずに、そのまま国に報告して何かしらの褒美を得ることだってしようと思えば出来たはずだ。ホルガー先生の丸眼鏡の向こうの目を見れば、娘の将来を真剣に考えてくれているというのがハッキリと伝わってくる。雇い主としてではなく、親として彼には深く感謝しなければならない。
「……そうだな。幸い本人には剣も魔法もやる気があるようだし、それについては時間が解決してくれそうだが、今後の立ち回りについては一度話し合わなければ」
僕も妻も娘のために出来ることは全てしてあげたいし、実際するだろうが、最後に頼れるのは彼女自身だというのは確かにその通りだろう。
そこでふと昨日のやり取りを思い出した。剣を覚えたいと言い出した娘はこのような未来を見越していたのだろうか。
……何にせよ一度しっかりと話し合い、今後の方針を定めなければ。