48.夜景とふたり
二日目以降は騎士からの敵意を含んだ視線は鳴りを潜め、真剣に訓練に打ち込んでくれるようになった。一応指南役として認めてくれたと見て良いのだろうか。
まだ印象マイナスが少しずつゼロに近づいてきているだけだとは思うけれど、それだけでも精神的にかなり楽になったのは間違いない。
あと魔法を解禁して良くなったのも地味にありがたかった。初日は日中全く魔力を使っていなかったので、わざわざ夜に都を抜け出して全力で空を飛び回って魔力を消費していたのだ。
本気で魔力のことだけを考えると、私の魔力量では一日中ひたすら魔法を使い続けるような生活をしないといけない。でも既に敵が居ないくらいには強くなっているので、流石にそこまで徹底する気はない。仙人じゃないんだから、ちゃんとした生活をしたいのよ私は。
ただそれでも全く魔力を消費していないと何だか気持ち悪いような、微妙な気分になってしまうので、自分でも変だなとは思いつつも習慣になってしまっている。
とにかく、騎士たちの訓練については順調だったし、私も結構楽しんでやれていた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
訓練三日目も無事に終了すると、流石にそのまま真っすぐ帰らされたりはしないようで、王太子殿下に誘われて軽くお茶することになった。今日は総長閣下が不在のため、特務の騎士団長の部屋でだ。
そこは無骨で殺風景なイメージしかなかった総長の部屋と比べればかなりお洒落な部屋で、彼のスマートな印象と王族の豪華な印象が上手く融合していた。
「三日間ご苦労だった。初日と最終日では空気がまるで違っていたな」
「畏れ入ります。そうですね、みんな集中してくれていたので私も楽しめました」
覚悟していたとはいえ、初日に向けられた視線の鋭さは結構心にくるものがあった。最終的にそれは解消されたので本当に良かったと思う。
「一日中戦い続けるのを楽しめる君も大したものだよ、まったく……」
そう言って少し呆れた様子で、香りを楽しんでからお茶に口をつける王太子殿下。
「そんな人を戦闘狂みたいに……。私だって戦わなくて済む平和が一番ですよ」
「あぁ、わかっているさ。――そうだ、平和で思い出した。陛下が仰っていた騎士団の情報を渡す件についてなのだが」
「……そういえば、そんなものもありましたね」
実は素で忘れていたなんて言えない。一応冗談っぽくしたつもりだけれど、それも簡単に見抜かれてしまったようで、また呆れられてしまう。
「おいおい……。まぁ今月に関しては平和そのもので、特に君の耳に入れなければならないような情報はないのだ。君の活躍が見られないのは残念だな」
「良いことではないですか」
このお方はどこか私に何かさせて面白がっている節がある。いくら仕事とはいえ、私だって面倒なものは面倒なのだから出来ればそっとしておいて欲しいのに。
「まぁそれはそうだが。そんな中で逆に君の情報が入ってきていてな、何でも空から降ってきたらしいじゃないか? 報告してきた都の衛兵もあまりに訳がわからなくて報告を上げるか迷っていたようだ」
「あら、報連相がしっかりしていて素晴らしいですね」
「……つまり本当なんだな?」
「はい。エルグランツとの往復に掛かる時間が勿体ないと思いまして、向こうを出発する前に新しい移動用の魔法を考えたのです」
あんなに目立つ魔法を隠そうだなんていう気にはならない。むしろ飛んでいるのが私だと周りが知っていてくれた方が何かと都合が良いくらいだ。
「ほぅ、それは興味深い。見せてもらっても?」
「それは構いませんが……」
私たちは部屋を出て一度来た廊下を戻り、また訓練場にやってくる。人が居なくなって熱の失われた夜の訓練場には冷たい風が吹き抜けている。
『憑依:風の精霊』
「おおっ! これは凄い!」
私が風を纏い宙に浮いた状態になると、彼はこちらを見上げているその目を輝かせる。
「理屈は何となくわかるが、魔力の消費量は相当なものだろう? 俺が真似たところで実用は無理だろうなこれは……」
そしてすぐに目の前の魔法を分析しだした。己の知らない魔法を目にしたら、まずはそれが自分でも使えないか考えてしまう――これは魔法を扱う者の性のようなものだ。
「是非そのまま飛び回ってみてくれないか?」
「畏まりました」
ほんの十秒程度の短い時間だけど、上下に動いたり左右に曲がったり宙返りしてみせる。
その間ずっと両のこぶしを握って無邪気に興奮している王太子殿下。まるで少年のようなその姿が全然王太子らしくなくて、可笑しくて、つい頬が緩んでしまう。
「素晴らしい! 君にしか見ることの出来ない景色があるのだな、羨ましい限りだよ」
「……もしよろしければ少しだけご覧になりますか?」
「本当か!?」
私の提案に彼は目を見開き、前のめりになって聞き返してくる。
あの景色を独占している感覚は確かに気分が良かったけれど、これほど私の魔法を見て楽しそうにしてくれている人がいるのなら、お裾分けするのも悪くないかもしれない――さっきの姿を見て、そう思えたのだ。
「まだ覚えたてで両手も使わないといけないので、王太子殿下には落ちないよう自力でしがみ付いていただくことになりますが、それでもよろしければ」
「……!? ほ、本当に良いのか?」
「落下した時は自己責任でお願いしますね?」
「わ、わかった!」
そう返事をしたまでは良かったけれど、彼は何故かそのまま固まってしまった。
「どうされました?」
「いや、どうすれば良いものかと……」
流石に女性にしがみ付くという行為に抵抗があるらしい。こちらに気を遣ってくれているのは結構だけど、実際は身体が離れたらそのまま落ちて死ぬようなロマンスの欠片もないものになるのだとわかっているのだろうか。
まぁ私としてはそんなところも含めて、この人なら大丈夫だろうと考えて提案しているつもりだ。
男性ならば誰でも多少はこちらの胸などに視線が向くもので、これはもう本能的なものだと思って諦めている。しかし彼の場合はその時間がゼロとは言わないまでも、とても短い。じろじろ見ないように意識してくれているのがこちらにも伝わってくるのだ。
同年代の未婚の男性でそんなことが出来る人はこれまでに出会った人の中でもほぼ居なかったと言えるくらいには珍しい。正直私も驚いた。
(まぁでも確かに一言にしがみ付くといっても色々あるわよね。うーん……)
「前から私の足にそちらの足を乗せて、肩から首に腕を回してもらうのが一番安全ではないでしょうか? 停止中なら片腕を外して振り返ることも出来ますでしょうし」
身体強化を使って足で彼の体重を支えないといけないけれど、あちらも腕だけでしがみ付くのは怖いだろうから多分これが一番良いはずだ。
「わかった。……し、失礼する!」
王太子殿下が私の足の甲に、交差するように土踏まずを重ね、正面から私の頭を抱えるような形になる。私の視界が彼の胸元で埋め尽くされ、何やら高級そうな匂いがふわりと香ってくる。
(こうやって近づくと、凄く背が高く感じるわね……)
元から背の高い彼が私の足に乗っているので余計に高くなっているとはいえ、私も女としては結構長身な方なのに、首から背中かけてに回されている腕の太さなど、やはり男性の身体とは根本的なところに差を感じる。
「申し訳ございません、少しだけ上体を横か後ろに逸らせられますか? 何も見えなくて……」
「あっ!? すまない!」
私がそうお願いすると、すぐに後ろに反ってくれて視界が少し開けた。
「よし、それでは参りましょうか。しっかり掴まっていて下さいね」
「……よろしく頼む」
この距離なのであちらがゴクリと唾を飲んだのがわかる。やはり少し緊張しているようだ。
「まずは少し浮きます」
私は少しずつ魔力の風を放出していく。
一人の時とは違うのだからバランスの取り方を少しは確認しておかないと私も困る。あぁやって自己責任だと言ってはいても、落として怪我をさせるわけにはいかないのだ。
「うぉっ!? ……すまない、大丈夫だ」
「では高度を上げていきますね」
浮き上がってつい声が出てしまったらしい彼にそう確認を取ってから一気に高度を上げていく。中途半端な高さで目立って人に見つかるのもよろしくない。私はともかくあちらにも立場というものがある。
高度が上がるにつれ、私の首や肩に回されている腕の力が強くなっていく。同時に反らしてくれていた上体が元に戻り、私の視界はまた胸板で塞がれてしまう。鼻先から頬にかけてに伝わってくる鼓動もとても速い。命綱もなしにこのような高さにいること自体が普通ではないのだ、無理もない。
私は目で確認するのを諦めて自身の感覚を頼りに高度を上げていく。
そして大体このくらいだろうという辺りで上昇を止める。きっとこの身体の力の入りようでは目を瞑っているのではと思った私は彼に話し掛ける。
「どうぞ目を開けて周りを見てみて下さいませ」
「…………っ!」
私の視界は相変わらずだけど、感覚的に首を持ち上げたのはわかった。そして息を呑んだのも。
「美しい……。これが空から見た王都、そしてローザリア王国か……」
「そうです。代々王家が守り、これからも守っていかれる場所です。……片腕を首から外していただけますか? 私も見てみたいです」
「……ん? あっ! 俺のせいで見えていなかったんだな、すまなかった……」
王太子殿下が右腕を外し、彼の左腕が私の右肩から背中を通って左肩を持つような姿勢になる。
「月明りに照らされた王都に、人々の暮らしの火が揺れている様はとても綺麗ですね……」
王都の上空には立派な満月が浮かび、そのまわりには星が宝石のように瞬いている。
視線を下げれば王都からは竈の煙が空へと伸びており、街灯の魔道具が家路についている労働者たちを照らし出している。彼らもきっとこの窓から明かりが漏れている家々のどれかに帰って、これから家族で食卓を囲んで笑い合うのだろう。
「あぁ、とても幻想的だ。まるでこの世の物ではないくらいに……。俺は死んでしまったのだろうか?」
そう感想を漏らす横顔はどことなくうっとりしていて、その目には薄っすらと涙が膜を作っていた。心の底から楽しんでくれているようで私も嬉しい。
「ふふっ、鼓動がとても速かったですから、まだ生きておられますよ?」
「うぐっ……。そ、それにしても風が強いはずなのに何だか温かいな?」
「あぁ、それも魔法で空気を温めています。飛んでいると寒いので」
「成程、至れり尽くせりというわけか……。幸せすぎて怖いくらいだよ、ありがとう」
今度は私に真っすぐ感謝の気持ちを伝えてくれている。先程の子供のような無邪気なものでもなく、景色の美しさに酔いしれているものでもない、これまでに見た表情の中で最も優しい微笑みだった。
「ご満足いただけたのでしたら良かったです」
「大満足さ。しかしこれ以上君に体力的にも魔力的にも負担を掛け続けるのは良くないな。そろそろ戻ろうか」
「かしこまりました、では最後に少し遊びましょうか。またしっかり掴まっていて下さいませ?」
何となく悪戯心が芽生えた私はそう言いながら両手を彼の背中に回し、しっかりと抱きしめる。
「はっ? レナ嬢!? その両手は飛ぶのに使っているのでは!?」
「下へ参りま~す!」
魔法を全て消し、エレベーターガールよろしく急降下していく――。
「うわあああああああああああああああああ!!!?」
彼の絶叫と共に訓練場の地面がぐんぐんと近づいてくる。これではエレベーターではなくむしろジェットコースターだ。内臓が浮くような独特の感覚に背筋がぞくぞくする。
そして地面に激突する直前、ほんの数メートル手前で最大出力で風を起こしてやる。
その風はやかましい音と共に私たちに急ブレーキを掛け、落下の勢いを完全に相殺して、私たちはそのまま何事もなかったかのようにふんわりと着地する。
(……うん、完璧!)
「はい、これで終了です。お疲れ様でした!」
私が両手の力を抜いて笑いかけると、何と彼はそのまま後ろに倒れて尻餅をついてしまった。
「こ、腰が抜けた……」
「うわっ!? 申し訳ございません!」
これには私もぎょっとする。そりゃそうだ、ジェットコースターもバンジージャンプもないこの世界では普通に生きていたらこんな体験をすることなんてまずないのだから、耐性などあるはずもない。
それでも怒りはせず、苦笑いだけで済ませてくれている王太子殿下。
「いや、いいんだ。俺を楽しませようとしてくれたのだろう? ただこれでは格好がつかないから向こうのベンチまで肩を貸してくれないか? とても情けないお願いなのだが……」
「かしこまりましたっ!」
私は身体強化を強めて、慌てて王太子殿下をお姫様抱っこして訓練場のベンチまで運ぶ。我ながら早業だったと思う。
ベンチに座る彼の足はまだプルプルと震えており、力が入っていないようだった。
「あの魔法を扱うために訓練しているのは自分だけだというのを失念しておりました……本当に申し訳ございません……」
「気にしなくていいさ。あれも含めて今日はとても良い体験が出来たよ」
それでも変に調子に乗ったことを悔やんでいると、彼はくつくつと笑いだした。
「そんなに気にしているのなら、そうだな……詫びとしてまたいつか違う景色を見せてくれるか?」
「そんなことで良ければ喜んで!」
「よし、約束だ!」
謝罪に関してはそこで終わりになり、再び歩けるようになるまでの間、彼に付き合ってしばらく何気ない話が続いた。
とはいえ共通の話題となると騎士団の訓練の話くらいしかない。落下の勢いを殺す風の使い方も高所からの落下の際に、飛翔の魔法も逆に高所への移動の際に短時間でも使える場面はあるかもしれないだとか、そういう話をして過ごし、最終的には私が居ない間の訓練に取り入れてみようということになった。
そうやって解散するまで結構な時間を屋外で過ごしていたにも関わらず、不思議と寒さは感じなかった。




