46.鬼教官
殿下の協力で名簿が読み上げられ、早速名前を呼ばれた騎士が私と向かい合う。
「勝てれば何かご褒美でも貰えるんすか?」
栄えある最初の訓練相手はニヤニヤして品のない視線を送ってくる男だった。こいつは本当に貴族なのだろうか……。見てくれはともかく、纏う雰囲気は完全にチンピラのそれだ。
「ママの代わりに頭をヨシヨシするくらいはしてやっても構わんよ」
「へへへ……教官殿も言いますね」
まぁそれでも普段真面目に仕事をしているのであれば文句はない。
お互い刃を潰した剣を構えて向かい合う――。
「始め!」
「おりゃあああっ!」
殿下の合図と共に相手は上段で大きく振りかぶりながら距離を詰めてきて、私から見て左上から袈裟斬りを繰り出してきた。
その動きを見た私は愕然とする。
(何それ隙だらけじゃないのよ……!?)
さっと姿勢を低く斜めにしながら斬撃を躱し、上体を起こしながら左フックを相手の右脇腹にぶち込む。更に相手の身体が横に折れ曲がったところに、右手に握った剣の柄で相手の左こめかみを殴打してやる。
綺麗に二発もらった相手はあっけなく地面に倒れてしまった。
「いきなりそんな距離から見えみえの大振りの攻撃を振る奴があるか! 振りや引きが特別速くもないし隙だらけだ! 躱された時のことすら考えてもいないのなら、まだ野生の獣の方が賢いぞ! お前はC組だ!」
C組は『今のところ私に勝てる見込み無し組』。他にB組が『負けてはいるけど見込み有り組』で、A組が『私に勝った組』という風に内容を見てグループ分けをしていく。
今の一戦を見て、周りで訓練をしていた騎士たちが息を呑んでいる。本気でやらないとこうなるぞと伝えることには成功したらしい。
「――次、来い!」
「は、はいっ!」
人数が多いのだから、どんどん回していかないと。
二人目は一人目での戦いを見てか大振りを避けて細かく打ち込んでくるが、今度は全く攻め気が足りていない。私は身体ごと前に押し込んで鍔迫り合いに持ち込み、押し勝って隙の生まれた相手の腹を右足で蹴り抜いた。
「そんな腰が引けた状態で勝てるか! 剣を腕で振っているから踏ん張れず私如きに押し込まれるのだ。お前もC組だ! ――次!」
「次に何が来るかすぐにわかるぐらい剣が素直過ぎる! 漠然と振るな! フェイントを入れたり、相手のリズムを崩すような動きをいれろ! お前もC組だ! ――次!」
「魔法以外なんでもアリだと言っているのに何故お前らは剣しか振らない!? お前らの武器はそれだけか!? お前もC組だ! ――次!」
「少しはまともかと思ったら何故この程度の勝負で息があがっている!? 基礎体力が足りなさすぎる! お前もC組だ! あと敷地内を二十周走ってこい! ――次!」
「人の胸ばかり見てるんじゃない! 集中しろ馬鹿者! お前もC組だ! あと敷地内四十周走って邪念を払ってこい! ――次!」
ツッコミどころ満載の騎士たちがまぁ出るわ出るわ……。これで本当に魔物の相手が務まるのかと疑問に思えて仕方がない。
まさか今日はこんな調子がずっと続いてしまうのだろうか。A組どころかB組に入れそうな者がまだ誰一人も出てこないとは、これでは私の中の騎士団という集団への印象がどんどん悪くなってしまう。
「――次!」
続いて私の前に立ったのは、薄いピンクの髪をハーフツインにした小柄な女の子だった。その青い瞳の眼光は鋭く、私に対して明確な敵意を含んでいて、それを隠そうともしていない。
この子は私がレッドドラゴンを殺したあの日、『真紅の焔』で脅していた時に、ゴリマッチョに成長していたレイドス辺境伯の三男坊のウィリアムと共に殿下の脇を固めてこちらを睨んでいた子だ。この今にも噛みついてきそうな目つきには見覚えがある。
昔両親に剣術を習うのを反対されたように、この世界では貴族女性が戦うのは一般的ではないため、そもそも女性騎士というもの自体が非常に珍しい。訓練場内を見回しても女性は私を含め三人だけで本当に男性しかいない。
もちろん女の子だからと特別扱いする気は微塵もないけれど、果たして実力は如何ほどのものだろう。……これまでの相手から考えるとあまり期待は出来ないか。
「始め!」
「……ふっ!」
開始の合図と共に彼女は踏み込みながら、私から見て右下から左上へと切り上げてくる。それを刃を滑らせていなしたところ、彼女は更に踏み込んで左肩から体当たりを繰り出してきた。
「……ッ!? くっ……」
これまでの相手にはなかった勢いで迫ってきたことに少し面食らってしまう。立ち筋も鋭く迷いがない。彼女はぶつかった勢いそのままに、また下に構えた剣で今度は逆側に薙ぎ払おうとしている。
私は右から背後に回り込みながら、その左脇腹にボディブローを入れるが、彼女はこちらの攻撃を食らいながらも剣を薙ぎ払った遠心力を利用して、更に振り返り様に右の回し蹴りを繰り出してきた。
私も回り込みながらの攻撃だったので、力が逃げていて有効打とまではいかなかったうえ、そこに回し蹴りを左手でガードしたので大きくバランスを崩した。
彼女も攻撃を食らいながら、更に無理な体勢で回し蹴りまで繰り出したので、地面に両手を着いて受け身を取っている。
「はぁぁぁ!」
初期と立ち位置が入れ替わった状態での仕切り直しになるが、彼女は息を整える間もなく尚も突っ込んでくる。その姿勢は最初と同じ右下から左上への切り上げ狙いのようだ。
(そう何度も同じ手は食らわないわよ!)
私は一人目の騎士相手にしたように低い姿勢で切り上げを回避し、左肩からの体当たりを今度は正面から、浅かったとはいえ一撃を加えた相手の左脇腹に再度体重を込めて渾身の右ボディブローを放ち、迎撃を試みる。
『ボグゥッ!』
「ぐふっ……ぁっ……」
右拳が相手の身体に深くめり込む。感触からして今度は明らかに効いている。
私はボディブローから跳ね返るようにくるりと右回転して、今度は右のエルボーを相手の背面に叩き込んだ。立て続けに攻撃を食らった彼女の小さな身体は前方に吹き飛ばされるように地面を転がっていく。
二、三秒様子を見るが起き上がる気配はない。どうやら勝負はあったようだ。
それでもこれまでの相手とは気迫がまるで違っていて、今日初めてヒヤッとさせられた。ようやくまともな戦いが出来たことが嬉しくて、つい口元が緩んでしまう。
倒れている傍にまで寄って彼女の状態を確認する。見たところ呆けているようだが、とりあえず意識はあるようだ。
「前のめりの状態でワンパターンになるのは不味いわね、冷静にならないと。でも全ての攻撃に気持ちが乗っていたのはとても良かったと思うわ」
彼女の敵意は本物だった。あの勢いからして、私がドラゴンを殺すことしか考えられず頭の中が真っ白になっていたのと同じように、きっと彼女の頭の中では私を倒すことしか考えていなかったはずだ。……もっともそのせいでワンパターンな行動を取ってしまったのだろうけれど。
「貴女、名前は?」
「……ミーティア・シース」
「ミーティア、貴女はB組ね」
そう告げた瞬間、初めてのB組入りに周囲がどよめいた。
(あ、やば……口調戻ってた……)
今日は初日なのだから舐められるわけにはいかない。緩んでいたことに気付き、気持ちも、表情も再度引き締めて彼女に語り掛ける。
「B組は明日以降も私が相手をする。身体強化や視力強化を全開にして掛かってくるように。私はそれに合わせるだけだから何も遠慮する必要はない」
「A組なら?」
「その全開を上回る力で、満足するまで相手してやろう。嬉しいだろう?」
「……了解」
ぼそりと呟きながら立ち上がったミーティアの目は相変わらず鋭いし、態度も悪いけれど、ほんの少しだけ棘が取れて雰囲気が丸くなったような、そんな気がした。
幸いなことにそれ以降は比較的まともな相手が増え、B組入りする者もぽつぽつと出始めた。特に私に対する目つきが鋭い特務騎士団であろう面々は今のところ全員がB組入りしている。
王太子が強力な魔物を討伐するのを命懸けで支え、王位継承を経て国王となった暁には近衛騎士となることが約束されているエリート集団だけあって、それに見合う実力者揃いなのだろう。特務の騎士でありながら最初にミーティアを侮りかけたことを心の中で詫びておく。認識を改めなくては。
その中でもゴリマッチョのウィリアムと、ハロルドというチャラ男とはギリギリでの勝利だったので、本当にいつ負けてもおかしくない。
もう一人の女性騎士、あの時王太子殿下の傍にいたミルクティーのような色の長い髪をゆったりとまとめたレベッカという子は戦闘が得意ではないのか、同じ女性騎士のミーティアと比べると少々見劣りする印象だった。それでもB組には入っているので明日以降に期待しようと思う。もしかしたらその華奢な身体を魔力量でカバーするタイプだったのかもしれないし。
そんなこんなで私は相手を変えながら一日中戦い続け、結局一度も負けることなく初日を終えた。これならとりあえず指南役としての面目は保てたはずだ。……もっとも目的はあくまで皆を鍛えることであって、私が勝つことではないのだけれど。
訓練を終えて整列した騎士たちの前で今度は締めの挨拶をさせられる。
「本日C組入りした者は指摘された内容を意識しながら、来月まで基礎を固めなさい。B組入りした者は明日以降も私が相手をする。身体強化や視力強化を解禁するが、こちらで同程度になるよう調整するので、今日は体格で勝っていた者もその力の差が埋まり、更に厳しくなることを覚悟しておくように。――私からは以上だ」
そう言って一歩下がって殿下に目配せをすると、殿下が頷いて逆に一歩前に出た。
「では、本日はこれにて解散!」
殿下の号令で騎士たちが撤収していくのを眺めて息を吐く。
「ひとまず部屋に戻ろうか。我々としても色々と聞いておきたいことがあるからな」
そのまま部屋に戻ってまた今朝の三人で話をする流れになる。
促されるままソファーに座り向かい合うと、何故か殿下はとても楽しそうにしていた。総長閣下は落ち着いているのに。
「今日はご苦労だった。あれならもう君を侮るような者は現れないだろう」
「畏れ入ります」
「一通り戦ってみてどうだった? 率直な感想を聞きたい」
「今朝総長閣下が仰っていたように、騎士の間でもかなり実力に差がありますね。最初の方は特に酷くて先行きが不安でしたが、途中から特務騎士団のメンバーを筆頭に見込みがありそうなのが増えてきて安心致しました」
「うぅむ……なかなかに耳が痛いな……」
「殿下と共に訓練に励む特務の者以外は自主訓練が多いですからな……。儂や他の団長も見てやれる余裕があれば良いのですが……」
二人とも頭痛を我慢するかのように片手で頭を抑えている。きっと鍛える余裕が現状あまりないのをわかっていて、陛下は私に指南役を要請してきたのだろう。
「率直が過ぎました、申し訳ございません……」
二人の反応を見ていると何だか不味いことを言ってしまった気がする……。
「いや、貴重な意見に感謝する。それにしても随分と指南役が板に付いていたように見受けられたのだが、これが初めてではなかったのか?」
「新人のハンター相手に一度だけ真似事をした経験はありますが、それも口頭での指導だけでした。なので今回についてはお師匠様との稽古を参考にしてみました」
ただでさえ騎士たちには警戒されているか舐められている状態だったのだ、カイル相手にしていたような教え方ではちゃんと聞いてはもらえなかっただろう。
「師匠というのは例の樹海で出会ったという老人か」
「そうです」
「――クローヴェル卿、その老人はバルゲル・カーディルという名ではないか?」
「総長……?」
ここまであまり喋っていなかった総長閣下の、突然の突っ込んだ質問に殿下は首を傾げている。一方の私はその意味をすぐに理解出来てしまっていた。
お師匠様は二十年あそこで暮らしていると言っていたけれど、私や殿下が産まれるより前に何処で何をしていたのかは結局教えてもらっていない。本人が言いたくないのであればそれでいいと思うし、私も気にしていないので探るつもりもない。
「家名までは存じません。しかし名は確かにバルゲルです」
それでも質問の主が現騎士団総長で、その家名と同じものがお師匠様の名前に付けられていたことと、その年齢や実力などを考えれば自然とその答えに行き着いてしまう。
「やはり……! あのお方は今樹海のどちらに!?」
私の返答に身を乗り出して反応する総長閣下。それを見れば少なくとも、お師匠様は家族に嫌われてはいないというのだけはわかる。あの頃の私と同様に、自らの意思で貴族社会から離れていたのだろう。
「総長殿とは縁のある方なのでしょうが、当の本人にその気がない以上、弟子の私の口からお答えすることは出来ません」
「しかし……!」
「お師匠様はずっと私の味方だと言ってくれました。同時に私を実の孫のように思っているとも。そんな私にとって大切なお師匠様の信頼を裏切る訳にはいかないのです。……どうかご理解下さい」
私が一歩も引く気がないことを理解して下さったようで、総長閣下はしゅんとして勢いがなくなってしまった。こちらも少し心が痛むけれど、こればかりは教えられない。
「そうか、あの方はそこまで……。すまぬ、無理を言って困らせてしまったな」
「いえ……。それはそうと、何故おわかりになられたのですか?」
「卿の動きや指摘していた内容を見ればすぐにわかるさ。それだけあの一見すると荒々しい戦い方の中には合理的な美しさが詰まっているからな。……儂もよく『剣だけで戦うな』と怒られたものだ」
当時の訓練の光景を思い出しているのだろう、そう話す総長の顔は懐かしむように優しげで、それでいてどこか寂しそうなものだった。
「そうだったのですね。……何だか安心しました」
「というと?」
「私の中にちゃんとお師匠様の教えが根付いているということがわかって嬉しいのです」
これまで人に強いと言われたことは何度もあったものの、それはどれも魔法の力を指していたように思う。周囲は魔法にあまり馴染みのない平民ばかりだったのだから尚更だ。
しかし私が強くなれたのは魔法の力だけのお陰ではない。他人の知らないところで人一倍努力してきたという自負がある。――それも血反吐を吐くような努力をだ。
その最たるものであるお師匠様との厳しい修業を見ただけで理解してもらえたこと、それが理解出来るものであったという事実が、私は何よりも嬉しかった。
「ふふふ……師匠と弟子、その両方がこれほどまでに互いを信頼し合っているとは、なんとも羨ましい限りだよ」
私はただ静かに総長閣下に頭を下げる。
「君がそこまで慕っている人物だ、俺もいつか会ってみたいものだな」
これまで黙って私たちのやり取りを聞いていた殿下まで、何故か少し寂しげな声でそう呟いた。




