45.飛翔
注文した家具の完成を待っていたある日、王都エリーナから遣いがやってきた。
手渡された手紙には要約すると「毎月頭の三日間、騎士団で稽古をつけて欲しい」と書かれていた。謁見の際に陛下が仰っていた話が実際に動き出したらしい。
「王都って乗合馬車で片道一週間でしょ? 身体強化を使って自分で走ったとしても、往復でかなり時間潰れちゃうんだよなぁ……」
王都とエルグランツの間の街道は整備されていて移動自体はとてもしやすい。ただ逆に言えばそれでもそれだけ掛かる距離ということでもある。これを毎月往復しろというのは遠回しに私に王都に住めと要求しているのではないか。
正直なところ、とても面倒くさい……。私には相変わらず貴族と積極的に関わり合う気はないのだから。騎士団なんて本当にどうでもいい。それでもやらない訳にはいかないというのが余計に面倒くささを加速させている。
向こうでの稽古の日数は減らせないので、せめて移動にかかる時間を減らしたいところだ。
(王都に引っ越すのは屋敷買ったばかりだし、エルグランツが好きだから嫌だな……。それとも馬を買って乗馬の練習でもしてみる? でも馬の世話って依頼で経験はあるとはいえ大変だし、色々と拘束されそうなんだよなぁ……)
こんな調子でこれといった案が出てこない。うんうん唸りながら宿のベッドに寝転がる。
表の通りからのガヤガヤとした賑やかな声に釣られて窓の方へ視線を向けると、心地よい風が吹いてカーテンがふわりと揺れていた。更にその窓の向こう側には気持ちの良い晴天が広がっている。
するとそんな青い空の中を小鳥が気持ちよさそうに飛んでいる様子が視界に飛び込んできた。
その様子を見てハッと閃いた私はベッドから跳ね起きる。
「そうだ、空飛べばいいじゃん! 何で今までこんなド定番の魔法を思い付かなかったんだろう!」
私のほぼ無尽蔵に近い魔力とその出力があれば、まず間違いなく、この世界の他のどの移動手段よりも速く移動出来るはずだ。
今の私に打ってつけの魔法を思いついてウッキウキで宿から飛び出し、近くの北門へと駆け出した。
思い立ったが吉日、善は急げだ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
練習場所を求めて北門の外をしばらく歩き、少し離れたところに畑のない空き地を見つける。
「まぁいきなり飛ぶのは難しいだろうから、まずは浮くところからかな……」
以前黒猫のタマを捕まえる時に使ったような、下から上に吹く風を、人を浮かせるような強さで作ってみる。
「お? お? お? うわっ!? いったぁ~……」
割と上手く身体が持ち上がったものの、バランスを崩して上昇気流の範囲から外れ、お尻から地面に落下してしまった。浮き上がる以外に姿勢を維持するための風も必要そうだ。とりあえず両手から出してみよう。
「お? よしよし……おっ? おっ? ぬわー!」
今度はバランスを取る為の風の強さが、力んだせいで浮き上がるための風と同じになってしまい、前にすっ飛んでしまった。
その時の姿勢によって必要になる風の強さが変わってくるので、常に調整し続けなければならない。上昇気流だって今は一定の強さにしているからまだ良いけれど、これも同様のはずだ。
「うへぇ……きっついなぁ……」
浮かぶだけでなく飛べるようになるには、ここに更に前に進む為の風も必要だ。同時に複数の要素で繊細なコントロールが要求されることになる。こればかりは魔力量でのゴリ押しは効きそうもない。
「でも何だろ、久しぶりにやり応えのある課題が出来た感じ? ちょっと楽しいかも!」
日頃の訓練は欠かしていないけれど、最近は少しマンネリ気味だったのは確かだった。空を飛ぶ魔法は習得できれば間違いなく役に立つはずだ。多少難しくてもやり甲斐はある。
「よ~し、絶対王都への出発までの一週間でモノにしてやるんだから!」
気合を入れて声を上げたものだから道行く人を驚かせてしまったことに気付き、私は慌てて笑顔で彼らに手を小さく振って誤魔化した。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
結局初日は直立でバランスを取るだけで精一杯だった。
二日目にはそれも安定して出来るようになったけれど、途中で直立では飛べないことに気付いて、うつ伏せの姿勢に変えてまたバランス取りに四苦八苦する羽目になる。
三日目の途中から弱く前に進む為の風を追加してみた。この日初めて低空&低速ながら空を飛ぶことが出来た。でも傍から見たその様子は恐らくとても格好悪いと思う。
四日目。移動が出来るようになると、今度は上昇気流だと逐一風を吹かせる場所が変わるせいで都合が悪いと気付いてしまった。下から上ではなく、私の身体側から下に向けて吹く風で高度を維持する方法に変更する。前後移動はせずその場で浮き上がっては落下し、上手く着地出来るようタイミングを計って落下の勢いを殺す練習をひたすら繰り返す。
五日目。前に進む為の風を強めながら、短い距離を飛んだり降りたりを繰り返す。真っすぐ飛び続けるのはまだ簡単なので、とにかく飛び始めと終わりを重点的に練習する。
六日目、飛行中の上下左右の移動の感覚を掴むためにひたすら飛び回る。あと飛行中は速度や高度を上げると寒いということに気付いたので、周囲の空気を暖かく保てるような魔法をついでに考える。それと視界の確保のためにゴーグルも購入した。
そうやって夢中で魔法に打ち込み続け、あっという間に出発の期日を迎えた。飛翔の魔法でどれくらいの時間短縮になるのかわからないので、とりあえず走って掛かる日数分の猶予は持たせておく。
「よし、それじゃ出発! 『憑依:風の精霊』!」
今回この飛行の魔法を使うにあたって三種類も風を生み出して利用するので、それならば『憑依』に当てはめてしまおうということでこの名前になった。イメージは大事。
一旦まともに飛び始めてしまえばとても速い。
そして何より景色が素晴らしい。
畑、草原、森、遠くには中央山脈、その更に向こうには樹海も微かに見える。真っ青な青空の中、遮るもののない日光がとても気持ち良い。
(なんて綺麗なんだろう……)
飛行機なんて存在しない世界で、多分人類で私だけがこの景色を見ている。この景色を一人占めしているという事実が、なんとも言えない充実感を与えてくれる。
眼下では街道を行く人々が上空の私に気付いて目を丸くしているのが見える。まだ両手を使ってでしかバランスを取れないので、手を振ったり出来ないのが残念だ。
彼らがああやって徒歩で移動している中、私だけがスポーツカーで法定速度もガードレールもない高速道路をかっ飛ばしているような状態である。これを体験してしまってはもう馬車での移動に戻れる気がしない。
(そういえば騎士団での稽古って、教えるのは剣術になるのかな?)
騎士はみんな貴族だから魔法は扱えるだろうし、後は日々の積み重ねとイメージでどうにかするしかない。剣術についてもカイルの時とは違って普段から訓練しているような相手に教えられることはあるのだろうか。
ハンターとしてただ依頼をこなすのとは違うのだから勝手も違ってくるだろう。しかも今回の相手は貴族だ。私も貴族に戻ってきたとはいえ、どうなるのかなんてまるでわからない。
(まぁなるようになるか……。周りもこんなドラゴンよりヤバい女をそう雑に扱いはしないでしょうよ)
こんな調子で色々考えては適当に思考を投げ出しながら飛び続け、結局半日も掛からずに王都に到着することが出来た。都の入り口前に着地する際には衛兵や周囲の人々からギョッとされてしまうが、それも予想の範囲内である。
移動時間を短縮出来た分は王都の観光に充てるつもりだ。とはいえ流石に今はとにかく宿でひと休みしたい。体力的には問題ないけれど、飛ぶ姿勢に慣れていないせいか緊張で身体が固まってしまい、別の意味で疲れてしまった。……まだまだ修行が足りないみたいだ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
王都だけあってお洒落なお店が多く、歩いて回る分にはとても楽しかった。
ただエルグランツとは違って私の名前を知っていても顔と一致していない人が多いようで、私とは知らずにナンパしてくる男性が後を絶たない。
名前を言えばナンパ嫌いの貴族に対してナンパしていると理解して、血相を変えて逃げていくのでそこまで実害はないものの、その度に足を止めることになるのでやはり面倒くさい。どうしてもぱっと見の服装が貴族らしくないのだろう。……あと馬車で移動していないというのも大きいか。
まぁその程度はここで見つけたケーキ屋のイチゴタルトの美味しさの前では些末なことだ。ここのケーキ屋は今後月イチの楽しみにすることにした。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
そして当日、王城の入り口に到着した私は衛兵に騎士団の訓練場横の一室へと案内される。
中では王太子殿下と、国王陛下に謁見した際にも傍にいた中年男性が私を待っていた。その筋骨隆々で精強な風貌と年齢から騎士団の長なのではと大体の察しはついた。
「レオナ・クローヴェル、ただいま参りました。これから三日間、よろしくお願い致します」
「よく来てくれたレナじょ……ゴホン、失礼。クローヴェル卿」
陛下との謁見の際にも王太子殿下とは顔を合わせていたけれど、ちゃんと話をするのはレッドドラゴンを殺したあの日以来だ。これ以上ないほどの無礼を働いたにも関わらず、睨むこともなく至って普通に対応してくれている。
王太子殿下はこうして改めて見ると物凄く成長していた。昔は同じくらいだった身長も今ではあちらの方が高くなっているし、あの頃の若干やんちゃな印象もなくなってとても端正な顔立ちになっている。物腰もとても落ち着いている。どこからどう見てもイケメンなので、ご令嬢方からはさぞかし人気があることだろう。
「初対面ではないが、挨拶はまだだったな。儂はデュラン・カーディル。王国騎士団の総長をしている。こちらこそよろしく頼む」
こちらの予想通りに騎士団総長と名乗った男性と握手を交わす。その握った手は大きく、手袋越しでも硬くてゴツゴツしている。
「手紙にはやり方は任せる、とありましたが……」
「そうだ、基本的には卿が考えたやり方で構わぬ。ただ人数が多いぶん実力もまちまちでな、全員纏めてよりかはある程度の実力毎に分けた方が卿もやり易かろう」
「今回の一度きりでもないのだから、最初にまずそれぞれの実力を確認し、水準に満たない者に先に今月分の課題を提示すると良いのではないか? いきなり全員を対面でじっくりと指導していくのはいくら卿でも難しいだろうしな」
(そうか、次回までの課題を与えるような感じでもいいのね……)
「では一度全員の剣の相手をしてみましょう。魔法については日頃の積み重ねと、どういった魔法を使うかに依る部分が大きいですから」
「あぁ、そうしてくれ」
二人からは特に反対もされなかったので、騎士たちの剣の腕を見ていくことにする。私の腕が騎士団で通用するのかについてはわからないので、負けることだって充分に有り得る。それでもそこに身体強化等も絡めればどんな相手でも訓練の相手は務まるはずだ。
「……そうそう、俺の部下である特務騎士団の面々はあの時現場にいたから卿のことを知っているが、それ以外の者についてはまだ何も知らされていない。女性だからと舐められないよう、多少厳しくしてもらって問題ない」
「承知致しました」
あんなに刺激の強い体験なんて騎士の間で簡単に伝わってしまいそうなものだけど、それはつまり私のことを意図的に周囲に伏せているということだろうか。
(何のために? 両陛下もご存じなのにまだ隠すメリットが私には良くわからないわ……)
しかし少し考えたところで偉い人たちの考えなどわかるはずもない。
私は早々に思考を投げ出した。
「では皆の元へ向かおうか」
「あ、あの……」
「む、どうした?」
「舐められないよう口調も変えますので、笑わないでいただければと……」
予想外の告白だったのか、王太子殿下と総長閣下はきょとんとして視線を交わし合う。そして二人揃ってニヤリと笑ってこちらを向いた。
「それは楽しみですな」
「あぁ、お手並み拝見と行こうか」
(くそ、めちゃくちゃ楽しまれてるな……)
これなら言わなきゃ良かった……。何とも言えない気恥しさを抱えながら騎士たちが集合する訓練場に移動する羽目になってしまう。
壇上に上がった私の姿を認めた騎士たちはそれぞれ思い思いの反応を見せている。集団のある地点で好奇心が前面に出ていたり品のない視線を向けてくる者と、戸惑ったり睨みつけてくる者とで分かれているところを見ると、そこが特務騎士団とそれ以外の者との境界なのだろう。
彼らの目の前で殿下をこき下ろし、あまつさえ脅迫までしているのだから良い感情を抱かれていないのは至極当然といえる。それでも私たちが壇上に並ぶと表情を引き締めて静かになる辺りは流石は騎士団といった感じである。
「さて諸君、本日は客人を紹介する。此度の功績が認められ、S級ハンターとなったレオナ・クローヴェル女男爵だ。これより毎月三日間、彼女が諸君らの指南を担当することと相成った」
総長が手で私に前に出て話せと促してくる。
「ただいま紹介に与った、レオナ・クローヴェルだ。指南役を拝命した以上、全力で当たることをここで誓おう。よろしく頼む」
そのまま続けてこれから行う内容を説明していく。
「まずは各々の実力を確認したいと考えている。そこで、名簿の上から順に私と一対一で戦ってもらう。ルールは魔法を使わないという以外には何もない。その勝負の内容によって今後のメニューを変えていくことになるので全力で当たって欲しい。もっとも、私は見ての通り華奢でひ弱な女であるから、諸君らであれば勝つのは容易い筈だ。――期待している」
「それでは呼び出しがあるまで各自いつも通り訓練を開始しろ!」
『はっ!!!!』
王太子殿下その一言で集団が散会していく。彼はその光景を横目に見ながら、とても楽し気に話しかけてくる。
「堂々としたものじゃないか」
「畏れ入ります。ですが、あまり揶揄わないでいただきたいものです」
さっき総長殿と一緒にニヤニヤしていたことといい、今も確実に面白がっているではないか。私としては正直あまり面白くない。
「いいじゃないか、君の新しい一面が見れて俺は嬉しいのだ」
「私の何がそんなに面白いのか、理解に苦しみます……」
「無理に理解する必要はないさ。君はただ君らしく居てくれればいい」
「はぁ……」
王太子殿下は昔のような子供っぽさはなくなって落ち着いているけれど、私にはどうも何を考えているのかイマイチ掴み切れない。こう見えて実はかなりの変わり者のような気がしてきた。
「では行こうか。君の強さを見せつけてやれ」
「――畏まりました」
……まぁ良い、私は私の仕事をするだけだ。
壇上から降り、殿下と共に訓練場の中央へと歩き始める。




