04.魔力
外がまだ薄暗い中、私は目を覚ました。流石に昨日の今日では警備の人に指導してもらうのは無理だったようで、今朝はストレッチと筋トレ、ランニングをすることにしたのだ。これらは自分一人でも出来るので日課にしようと思う。
筋トレをしてみると、昨日も感じていたように筋力が全く足りていない。腕立て伏せ十回で満身創痍だけれど、そのぶん伸びしろがあるのだと好意的に解釈しておこう。本当にカトラリーより重い物は持ってこなかったのだから仕方ない。
そうしてじっくりと自分の身体を見つめ直しているうちに辺りが明るくなってきた。汗だくになってしまっているので朝食の前にお風呂に入らないといけないけれど、既に全身がだるくて部屋に戻るのもつらい。
そういえばダンスの授業の日だった。こんな状態で大丈夫だろうか……。
結果から言うと、全然大丈夫ではなかった。
姿勢が維持出来ず、踏ん張りがまったく利かない。動き全体がぎこちないものだからリズムに乗る以前の問題だった。ダンスと名の付くものは前世ですら林間学校でのフォークダンスしか経験がないド素人が、最初から満身創痍で臨めばこうなるのも当然だろう。
スパルタでビシバシしごくのではなく、上品な苦笑いで済ませてくれたブレンダ先生には感謝するしかない。
昼食後は地理の授業だ。午前中はひたすら慣れない運動ばかりだったので眠気が物凄いことになっているけれど、これ以上醜態を曝すわけにはいかない。
地理に関しては前世の知識に頼ることは出来ないし、箱入り娘の私が世界がどうなっているのかを知るのにこの授業はうってつけだ。私は気合を入れて授業に耳を傾ける。
今私が住んでいるのはローザリア王国の西に位置するバーグマン伯爵領。学園のある王都エリーナは王国の中央にある山脈の向こう側にあるようだ。
地図で見る限りローザリア王国自体そこまで大きな国ではないし、王都とも距離がある訳でもない。しかし実際にはその中央山脈と、ここの南隣のルデン侯爵領にある広大な樹海のせいで交通の便がとにかく悪く、こちら側は田舎扱いなのだという。
それでもここバーグマン伯爵領はお父様の代になってから急成長を果たしている注目の領地なのだとか。いつもお母様に翻弄されているお父様はとても優秀な人らしく、娘として純粋に誇らしく思う。
昔から果物の生産が盛んで、特にここのブドウから造られるワインがとても人気なんだそうな。ぶっちゃけお酒は全然詳しくないけれど、私もいずれ成人したら飲んでみたいと思う。
他にも各領地や領主の名前、領地の特色、特産品などの説明を受けるものの、量が多すぎてとてもではないが覚えきれない。
(うちの領地の話みたいに自分に何かしら関係のあるものなら覚えやすいんだけどなぁ……)
せめて前世でいうところの日本の何県何市ぐらいは言えないと迷子になった時に困りそうなので、今日のところは所在地であるローザリア王国のバーグマン伯爵領の街イングラードまでは必死に覚えるとしよう。後は追々で大丈夫だろう、多分。
単純に覚えることが多くて頭が痛いけれど、これから頑張るしかなさそうだ。今はとにかく眠いので無理そう……。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
少しの休憩を挟んでお待ちかねの魔法の授業が始まる。現金なもので、さっきまでの眠気はどこかに吹き飛んでいってしまった。
「昨日のご挨拶の際に少し説明した通り、これからは毎日魔法を使っていただきます。それは魔力には使うほど扱える魔力の総量や出力が成長するという特徴があるからです」
「コツコツと積み重ねるのは私得意です!」
「おお、これは将来有望ですな!」
私のなんだか貴族らしくなさそうな主張にもホルガー先生はにっこりと笑みを返してくれる。本当に穏やかで優しい先生だ。
「魔法を使うといっても火を出したりするとなると時間や場所を選びます。そこで今日は『強化』の魔法を覚えて、これからはそちらを使っていただこうと思います」
「『強化』の魔法?」
「魔力で覆ったものの性質や働きを文字通り強化する、という魔法です。石を強化して硬くしたり、身体を強化して大きな力を出したりと様々なことが出来るようになる大変便利な魔法ですな」
そう言いながら先生は自分の荷物から台座の付いた水晶玉のようなものを取り出して、私の前にあった小さな丸テーブルにそっと置いた。
「早く使ってみたいかもしれませんが、まずはその前に魔力量を測っておきましょう。魔力切れを起こさないためにも自身の魔力量の把握は重要ですからな。さぁ、触れてみなさい。魔力量が多ければ多いほど明るく光りますぞ」
私は席を立ち、丸テーブルに近づいておそるおそる右手を伸ばして水晶玉に触れる。
――その瞬間、白熱灯のような色の温かみのある光が内部に灯った。
自身の魔力が初めて生み出したその光を感慨深く眺めていると、それが次第に明るく、大きくなっていく。そして遂には水晶玉から溢れかえり、部屋の中がその金色の光で埋め尽くされてしまう。
(うわっ……ちょっ……まぶしっ!)
その明るさにたまらず目を瞑る。
「ぬおおっ!?」
水晶玉を挟んで反対側にいる先生も驚きの声を上げているが、当然その様子を見ることなど叶わない。どうして良いかもわからず、ただただ目の前の光から顔を背けていると、ずっと手を置いたままの水晶玉からビキビキと嫌な音がしだした。
『パリーーーン!』
予想通り、その水晶玉は大きな音を出して弾け飛んでしまう。
「きゃっ!」
「お嬢様!」
その衝撃に思わず尻餅をついた私の元に慌てて駆け寄ってくる足音が聞こえる。先生のそのしわくちゃで大きな手で水晶玉に触れていた私の右手を取り、両手で包み込んで擦ってくれたのが感触でわかる。
瞼越しに届いていた光が治まっていたことに気付いてこちらも目を開けると、先生が私の目の前にしゃがみ込んで心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「お怪我はありませんか……?」
「え、えぇ……。私は大丈夫ですけど……」
立ち上がりながら水晶玉が置かれていた丸テーブルをチラリと横目で見る。そこには無残にも砕けた水晶玉だったものが散乱していた。魔法関係の品だ、きっと高価な物だったに違いない。
先生にもその視線の意図が伝わったようで、私の視線を追いかけてテーブルの方向を向いていた顔がこちらに向き直った。
「お嬢様が気に病む必要はございません、道具なぞ壊れるものです。……ただ今回のが単なる故障なのかの確証が得られませんので、後日新品を使って再度測定したいのですが、よろしいですかな?」
気にしなくて良いとは言ってくれたけれど、本当に大丈夫だろうか……。まぁ先生がそうしたいというのであれば私は口を挟む気はないので素直に頷いてみせる。
「それまでは一旦この件については置いておきましょう。幸い授業で魔法を使うぶんには問題なさそうですからな」
とりあえず光りはしたのだから魔力が全く無いなんてことはないと判断されたようだ。
呼び出されたアンナが魔道具の残骸を片付けている中、何事もなかったかのように授業が再開される。
「ではお嬢様も『身体強化』の魔法を使ってみましょうか。まずは魔力を感じるところからです。目を閉じて身体を楽にしてみなされ」
言われた通り目を閉じ、椅子にも浅く座りなおし背もたれに身体を預ける。
「血液が心臓から全身に巡るのと同じように、身体の中を熱のようなものが巡っているのを感じられませんか? 知識を得たことでいくらかイメージしやすくなっているはずなのですが」
「そう言われるとなんとなく、あるような気が……しま……す……?」
これまで寝る時などにただ目を瞑っているだけでは気付けなかった感覚――魔道具は壊れてしまったけれど、実際に私の中に魔力があると意識出来たからなのか、確かに何かを感じられる。しかも時間が経つにつれ、それがどんどん鮮明になってきている気がする。
「それが魔力です。次はそれを身体の根幹である骨に沿って纏わせてみましょう」
「急に纏わせろと言われましても……」
「魔力の存在が掴めたならば必ず出来るはずです。全てはイメージですよ、お嬢様」
先生はそう力強く断言する。イメージ……要するに具体的なやり方は自分で考えろということか。
(纏わせる……つまり骨の表面をくまなく覆えば良いのよね?)
そう言われて私は何故か前世の記憶にある串カツが頭に浮かんだ。ソース二度漬け禁止のアレだ。
私は体内を巡っている魔力を茶色いソースのような色の付いた液体に見立て、それを満たした自分の形をした水槽の中に、自身が骨格標本になったイメージでどぼんと飛び込んだ。
魔力の水槽から出ればソース色の骨格標本の出来上がりだ。
(我ながらイメージの仕方が大雑把だな……。でも何か上手くいったような気がする)
纏わせるのを色を付けるようにイメージするにしても、人によってはもっと丁寧にハケで塗ったりするのかも知れない。とにかく私はこういうやり方なのだ。きっと自分に合った方法が一番のはずだ。
目を開けて正面に立っていた先生を見上げる。
「……出来ました」
「えっ、もうですか!?」
「はい、飛び込んだので」
「飛び込んだ……? あぁ、イメージの話ですな。お嬢様は随分と豪快なイメージをなさるようですな、ふっふっふ……」
ホルガー先生は私の言葉の足りない説明もすぐに理解し、そのたっぷりの白い髭を撫でながら楽しげに笑っている。
「では、同様に筋肉にも魔力を纏わせてみなさい。骨に纏わせた魔力はそのまま維持するように」
それならすぐに出来そうだ。茶色い骨格標本の上から筋肉を貼り付け、筋肉標本になったイメージでまた魔力の水槽に飛び込めばいいだけだ。
「……出来ました」
「もう完全にコツを掴まれましたな? では最後に体表にも纏わせなさい」
なら今度は素っ裸の私のイメージで飛び込めばいいだろう。
魔力の水槽に飛び込んだ瞬間、肌に冷たい水が触れるような感覚に背筋がぞくりとする。骨や筋肉よりもイメージしやすかった分、より具体的だったということだろうか。
「……出来ました!」
「素晴らしい! そうやって骨、筋肉、体表、それら全てに魔力を纏わせるのが『身体強化』の魔法なのです。さぁ試しに身体を動かしてみなさい」
私は目を開けて椅子から立ち上がり、辺りを歩き回ってみたり、腕をぐるぐる回してみたりしてみる。……しかしあまりその効果が感じられない、本当に少しだけ身体が軽いかもしれない程度だ。
「魔力の扱いに関しては個人の感覚に依る面が大きいのですが、その点お嬢様は優秀ですな。これ程早く成功されてしまわれるとは……。それで、強化されている実感はありますかな?」
「少しだけ身体が軽い……気がしま……す……?」
こちらが曖昧な反応を示すのも見越していたようにホルガー先生は頷く。
「今はまだそのような感想になるでしょうな。お嬢様は今日が初めてですから、まだ込められた魔力量に対して、出力の面で釣り合いが取れていないのでしょう。これからも魔法を使っていけばどんどん力が出せるようになってまいりますよ。ご安心くだされ」
魔法を覚えていきなり自由自在とはいかないのは残念ではあるけれど、さっきも言った通りコツコツやるのは得意だ。これからの成長が楽しみで仕方がない。
「ただし、やりすぎて体内の魔力が減ってくると頭痛や眩暈、吐き気、完全に魔力を使い切ってしまうと意識を失うことも有り得ますので、くれぐれもご注意を」
私がやる気に目を輝かせているのを見て、先生がすかさず釘を刺してくる。
魔力は使わずにいれば普段からじわじわと回復し続けるらしく、心や身体が休まる状況にあると更に回復量が増えるそうだ。そして回復に最も良いのが睡眠。……どの世界でも根を詰めすぎると良くないというのは変わらないらしい。
「気を付けます! 任せてくださいませ!」
本当にわかっているのかと言いたげな先生の苦笑いを華麗にスルーする。
「では『視力強化』や『抵抗』の魔法についてもお教えしますぞ。これからは魔力の許す限りこれらを使用して魔力を消費して魔力量や出力を鍛えてまいりましょう」
「はい!」
魔法は前世になかっただけあって新鮮でとても面白い。前世もそこまでコテコテのオタクではなかったけれど、私の厨二心を刺激するには充分すぎるものだった。