35.我らの女神(村人視点)
イルヘンの村人視点、全一話です。
ここイルヘンの村は中央山脈に近く標高が高めなだけあって少し気温が低いが、長閑で空気の美味しい、とても過ごしやすい良いところだ。愛する妻や気の良い仲間たちと一緒に暮らしていて大きな不満を抱いたことはない。
しかしここ二・三か月で魔物が頻繁に出没するようになった。もちろん今までも偶に見かけてはいたのだが、頻度も数も今より全然少なかった。
その大半はゴブリンで、一対一ならまず安全に倒せる程度の相手だ。
だが数が増えると例え頭数が同数であっても一対一と同じようにはいかず、どうしても複数に狙われて負傷する者が出てきてしまう。幸い奴らは非力なので命にまで係わることはなかったが、魔物の数が増えているなか、戦力が減らされるのは村としては痛手だった。
村長とも話し合い、ギルドに討伐依頼を出すかどうか悩んでいたある日、一人のハンターが村を訪れた。淡い金髪のとても美しい若い女性だった。
既に日が暮れかけていたので泊まれる場所を探しているようだった。しかしこの村には宿泊施設などないので村長の元へと案内した。きっと村長の家なら寝床を用意できるだろう。
翌朝、彼女は村の外へと出かけて行った。聞いたところによると、彼女は薬草採集の依頼でこの近くに生える薬草を求めて村にやってきたらしい。
人の出入りが少ない村なのだ、つい外の人間が気になってしまうのは見逃して欲しい。
俺もそれ以上は特に気にすることもなく、至って普段通りに畑仕事に精を出していた。
昼食のために一旦家に戻ろうとしていると、突然聞きなれない音が耳に入ってきた。地響きのような低い音だ。その音が聞こえてくる中央山脈の方角に顔を向けると、土煙があがっているのが見えた。
山の斜面の地盤が崩れて岩が転がってきているのかと思い、目を凝らしてみるが――違った。緑色をしたものが蠢いている。あれはゴブリンの群れだ。それもこれまでに見たことがないほどの大群だ。
「ゴブリンの群れだ! 皆入り口の方へ逃げろォォォォォォォ!!!!!」
俺は必死に声を張り上げる。一体何事かと家の中から出てきた住民は山の方を見て顔色を変える。
「早く逃げろォォォォォォ!!!!」
村は一気に恐慌状態に陥った。悲鳴をあげながら逃げる仲間たち。すぐそこまで迫っている危機を知らせるべく、俺はひたすら叫んだ。
しかし山に近い場所にいた足の遅い者たちから順番に群れに飲み込まれていく。気付けば自分が一番群れに近いところにいるまでに大群が迫ってきていた。
(まずい! このままじゃ俺まで……!)
周囲に知らせるのに必死になりすぎた。仲間たちのために出来ることをした結果とはいえ失敗した。
後ろから聞こえてくる沢山の足音、俺はこいつらを撒けないと死ぬ。
それまで体力は持つのか、奴らはどのくらい走れるのか、どちらもはっきりとはわからないが、俺が生き残れる確率は酷く低いように思えた。
俺はとにかく生き延びたい一心で走った。
――走ったところでまるで希望が見えてこない現実に泣きそうになりながら。
するとその涙でにじんだ視界の右端に、何か明るいものが映り込んだ。
あのハンターの女性が燃え盛る何かを手に猛スピードで突っ込んできたのだと、彼女が俺とゴブリンの間に滑り込み、奴らを薙ぎ払うのを見てようやく理解できた。
「走って!!!! 私が見えなくなるまで!! はやく!!!!」
「……! すまない! すまないっ!!!!!!」
彼女が身を挺して俺を逃がそうとしてくれている。あんな数のゴブリンを一人で相手するなど出来るはずがないのに……。
その命懸けの献身を無駄にするわけにはいかない。
俺は前だけを向いて全力で走った。
彼女に申し訳ない気持ちで一杯になりながら、こんな冴えない中年の男ではなく、まだ若い彼女の方が生き残るべきだったのではないかと後悔しながら、破裂しそうな心臓を押さえつけ、吐き気を我慢して、夢中で走り続けた。
村の入り口を通り過ぎ、坂道をまだ駆け降りる。
呼吸が追い付かず意識がおぼろげになってきた頃、村人たちが足を止めて村の方向を見ている様子が視界に入ってきた。
(何故足を止めているんだ!? こんな場所では奴らがすぐにやってくるはずだ!)
怒鳴ってやりたかったが、既に色々と限界だった俺は足がもつれたところを仲間に受け止められる。そいつも村の方向を見上げていた。
(ハァ……ハァ……オエッ……こいつらは一体何を………っ!?)
嘔吐きながら俺もそちらに視線を向ける。
そうして目に映ったのは――――空高くまで伸びる二つの巨大な竜巻だった。ドクドクとうるさいくらいに頭に響く心臓の音が少し落ち着いてくると、入れ替わりにその竜巻が起こす轟音が耳に届き始めた。
(竜巻に巻き上げられているのはゴブリンなのか?)
遠目ではっきりとはわからないが、他にあんなに鮮やかな緑色をしているものなど他にはないので、恐らくそうなのだろう。
その竜巻が消えようとしていると、今度は金属音のような、何かが軋んでいるような甲高い音が無数に鳴り響いた。
音だけでは何が起こっているのかはわからないが、本来のペースであればここまで迫ってきていておかしくないはずのゴブリンの姿はまだ見えてこない。
(……確かめないと)
「俺が様子を見てくるから、お前らはここで待っててくれ」
いくらか体力が戻った俺は、小走りで村へと向かった。
その間も突然坂の奥からゴブリンが飛び出してくるのではないかだとか、戦いの末に彼女が見るも無残な最期を迎えているのではないかだとか、とにかく不穏な内容が頭をよぎり、鼓動が速くなる。
そしてようやく坂を上り切り、入り口から村の様子を確認する。
家屋が崩れ、ゴブリンの死体と瓦礫が散乱している中、一人の人物が佇んでいる。――あのハンターの女性だ。
その彼女が振り向いた瞬間、俺の心臓がドキリとしたのがわかる。
曇ってどんよりとしていたはずの空からは幾筋かの光が差し込み、ただ風の音だけが聞こえる静寂の中で、荒れ果てた村の中にただひとつだけ存在する、美しいものを照らし出していた。
この世の物とは思えないほど荘厳な光景が、目に焼き付いていく。
(女神だ……)
いつまでそうしていたかはわからないが、恐らくそこまで長い時間ではなかったと思う。我に返った俺は慌てて仲間たちに安全を知らせに戻った。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
その後、あのお方が『いばら姫』という二つ名を持つA級ハンターだということを知った。
俺はハンターについて詳しくはないのだが、A級ハンターともなれば皆あのようなゴブリンの大群を単独で倒してしまえるものなのだろうか。
しかしそれだと騎士団の存在意義がなくなってしまう。騎士団とハンター、そのどちらも活動しているからこそ、今の世の中が回っているのだと考えるのが自然だ。
つまりあのお方だけが特別なのではないだろうか。
騎士団とは関わり合いになりたくないというのも、その特別さに関係しているように思う。だが命の恩人がそう仰っているのであれば、我々が協力しない理由など何処にもない。
レオナ様は村の復興の手伝いまでして下さるらしい。俺はその活動を間近で見てみたかったので、すぐに同じゴブリンの死体の処理役に名乗り出た。
やはりハンターだけあって、魔石の回収はとても手慣れておられるようだ。血で汚れるのも全く厭わず、次々に魔石を抜き取っていく手際は鮮やかという外ない。
その技術もそうだが、何より驚いたのは洗浄の魔法だ。全身が水に包まれたかと思うと、次の瞬間にはその水が汚れごと消えてなくなっていた。初めての経験だったが、さっぱりしてとても気持ちが良いものだった。
それを村人一人ひとりに使って回って下さった。魔法を使う感覚というものは全くわからなくても、この大人数に対して何かをするというだけで大変なことだということくらいは誰にだってわかる。何という慈悲深さだ……。
翌日からはレオナ様は瓦礫の撤去の作業に移ったので、もちろん俺もそれについていく。
自ら志願されているだけあって女性の細腕にもかかわらず、いとも簡単に重たい物を運んでみせている。男顔負けの働きぶりだ。何故そんなに力があるのかと尋ねてみれば、これも魔法の力なのだそうだ。
更に村人たちに小まめに怪我がないか確認をして、それがどんな小さなものでも治癒の魔法を使って治して下さる。小さな傷が大きな怪我や病に繋がるのだから治すのは当然だと。常に我々のことを気に掛けて下さっている、その慈悲深さに涙が出そうだ。
以降もレオナ様の慈悲深さが伝わるエピソードには事欠かなかった。
そんな調子だったので村人全員がレオナ様の信奉者となるのも時間の問題だった。
というか女性すら見惚れてしまう程の美女に命を救われ、労わられて心が浮つかない方がどうかしているとすら思う。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
衣装を変え、更に美しくなられたレオナ様が村を離れてしばらく経ったある日、成人したばかりの若い娘のグループが村から突然姿を消した。
彼女たちに良く面倒を見てもらっていた幼い子供たちから事情を聞き出すと、レオナ様のようなハンターになりたいと村を飛び出していったらしい。どうやら隣の領地の大都市エルグランツに向かったようだ。
レオナ様に憧れてしまうのはよくわかる。物凄くわかる。だが村を出たこともない、魔物と戦った経験もないような娘たちがハンターになどなれるはずがない。魔物どころか悪い人間に攫われて酷い目に遭うに決まっている。
村は慌てて彼女たちを探して連れ帰るべく、男たちをエルグランツへと送りだした。
そしてハラハラしながら待つこと約一週間。彼女たちは意気消沈した様子で戻ってきた。無理矢理連れ戻されて荒れているものと予想していたので、こちらも怒るに怒れない。不思議に思って連れ帰ってきた男たちに事情を聞いてみた。
彼女たちは街に着いてすぐハンターギルドでレオナ様と再会出来たようなのだが、自分たちもハンターになりたいと宣言した途端、それはもうしっかりこってりと叱られたのだとか。
ハンターとして生きる術どころか戦う術すらも持たない女性の集団が、お上りさん丸出しで街を歩いていたことがどれだけ危険な行為か、起こり得た事象を交えて懇々と諭され、泣いて謝罪していたところに迎えが到着したらしい。
事前に釘を刺しておかなかったことを逆にレオナ様に謝罪されてしまったそうだ。我々の言い聞かせが足りていなかったのだ、レオナ様は何も悪くない。
そうして帰ってきた娘たちは随分と大人しくなった。それは元気がないという意味ではない。
以前から賑やかな彼女たちではあったが、同時に少々我儘な面もあった。それが最近はじっと何かしらを見つめながら、思考を巡らせているように見える。次第に受け答えに落ち着きが出てきて、随分と柔軟な考えや働きを見せるようになってきた。
それもこれもレオナ様に叱って頂いた影響なのだろう。
あの方は一体どれだけ村の為に尽くして下さるのか。村の大人たちはもう一生レオナ様に足を向けて寝ることは出来ないのではないか。
ある者が家のドアに魔除けとして茨の模様を掘ると言い出せば、すぐさま村中のドアに茨の模様が掘られ始めた。
ある者がレオナ様と同じバラの髪飾りを自分も付けると言い出せば、村中の女性がこぞって同じものを作り始めた。
ある者があの方の好物のイチゴを作って名産にしたいと言い出せば、村ぐるみで話し合いがなされ、イチゴ畑が作られた。
俺の妻もバラの香りを楽しめるような物を作ってレオナ様にプレゼントしたいと言い出した。それがどんな物かはよくわからないが、きっとこれもいつか村ぐるみで行われることになるのだろう。
村人の頭の中がレオナ様一色になってしまっているが、不快感はない。
傍から見れば狂信的と言われるのかもしれないが、それでも構わない。
あの方が喜び、あの方の素晴らしさが少しでも世に伝わるならそれで良い。
イルヘンの村は、いまだかつてない活気に満ちていた。




