27.鉱山攻略(アクセル視点)
「うわぁ~……」
中に入って早々、突入時の意気込みをかき消すような情けないユノの声が坑道内に響いた。その原因は恐らく至る所に張り巡らされている蜘蛛の巣だろう。
その量が尋常ではない。入り口からすぐのだだっ広い空間に無数の糸が束ねられ、重なり合ってランプの明かりを受けてキラキラと光っている。
「依頼書を見た時点で覚悟はしてたけど、実際に現場を見ると結構テンション下がるわねコレ……」
心底鬱陶しそうに手に持つショートソードで蜘蛛の巣を払うレオナ。
「なんだ、蜘蛛は嫌いか?」
「胴体だけで一メートル以上あるようなのを好きな人なんている……?」
「……いねぇか」
今回の討伐対象は「ジャイアントケイブスパイダー」。その名の通り、洞窟に棲むデカい蜘蛛の魔物だ。そのサイズ感は大木の切り株のようなもので、まぁ俺もちょっと嫌かもしれない。
「これだけ張り巡らされてるなら、巣に火点けたら蜘蛛ごと全部燃やせるんじゃない?」
「おまっ……ガスに引火して爆発なんてしてみろ、この鉱山は終わりだぞ。蜘蛛は全滅出来たとしても町の人たちの生活はどうするんだよ……」
「あ、そっか……」
先程鉱夫たちから説明を受けたばかりだというのに何を言い出すのだろうか。
レオナは普段から落ち着いていて凄くまともなイメージがあるのだが、たまにぶっ飛んだ言動を見せる時がある。その容姿と、他のハンターの頭の悪さに引っ張られて変に印象が良く見えてしまっているだけで、実はこいつも結構アホなのかもしれない。
「じゃあ蜘蛛の巣だけ吹き飛ばしていい? 流石に邪魔だから」
「吹き飛ばす……? 火は使わないんだな?」
「えぇ」
そう言ってレオナは俺たちの前に立ち、両手を前に構えた。
(一体何をするつもりだ……?)
首を傾げながらその様子を眺めていると突如「ドン!」と空気の揺れを感じ、その衝撃で俺とユノは思わず尻餅をついた。
「きゃあ!?」
「おわっ!?」
慌てて辺りを見回すと、前方を塞ぐ蜘蛛の巣が跡形もなく吹き飛んでいた。
「何!? 今の!?」
「魔法で風を起こして吹き飛ばしただけよ」
「魔法!? 今のが? ていうか魔法なんて使えるのかよ!」
「そんなことはどうでもいいから早く立って。――来るわよ」
そう言いながら前を真っすぐ向いたまま、鞘からショートソードを抜くレオナ。その言葉を聞いて俺はその視線の先に目を向ける。
絡めとられて身動きの取れなくなった獲物が巣を揺らして巣の主を呼び寄せてしまうように、先程の風が俺たちがここにいると盛大にアピールしてくれたらしい。坑道の奥からぞろぞろと蜘蛛の大群がこちらへ向かって来ていた。
「ユノ!」
「うんっ!」
俺たちもすぐさま起き上がり、武器を構え、走り出した。
ジャイアントケイブスパイダーの攻撃手段はその脚や糸を使って、獲物を拘束してからの噛みつきのみ。ありがたいことにその牙には毒もない。
つまり糸にさえ注意していれば向こうから弱点の頭を近づけてきてくれる。そこを叩き斬ってやれば良いだけだ。動きもそこまで素早くはないので、まだ戦いやすい相手と言える。
まぁ数は見た所かなり多いし、純粋にデカくて気持ち悪いのが困り者だが。
正直俺はこの蜘蛛たちよりも、レオナの戦いぶりの方が気になって仕方がなかった。
その動きは素早い上に全く無駄がなく、俺が一匹倒す間に三匹は楽に倒している。武器はショートソードのはずなのに明らかにリーチ外の相手も斬りつけているし、それどころか斬りつけていない蜘蛛すらも動かなくなっていた。
(強いのはわかってはいたが、まさかこれほどとはな……)
ものの五分程度で迫りくる蜘蛛たちを撃退した俺たち。広い空間には夥しい数の死体が転がっている。
「レオナさん、めっっっっっっっちゃくちゃ強いね!」
「あぁ、正直予想以上だった」
「そう?」
まぁそう言われても本人的にはリアクションに困るだろうが、それでもまだまだ質問せずにはいられなかった。
「その剣の長さよりも遠くを斬っていたように見えたんだが……」
「あぁ、それはコレね」
レオナがショートソードを抜き、そのまま自身の右側へ振り下ろした。
その刃の長さでは完全に振り下ろしたところで地面には届かないはずなのだが、それよりも手前、斜め下四十五度付近で腕が止まり、何もないはずの刃の延長線上の地面に大きな亀裂が走っていた。
「『幻影の刃』っていう魔法で作った刃で剣を延長してるの。重さもないから同じリーチの実物の剣を振り回すよりも楽なのよ」
「へぇ~……」
「なるほど、そういう仕掛けか……。だが斬ってすらいない敵も倒していなかったか?」
「それはまた別ね」
『ボゴォ!』
そう言って今度はレオナの左側の地面から、鋭利な岩の棘が勢いよく飛び出した。
「『刺し貫く棘』っていう地面に魔力を流して刺し殺す攻撃魔法よ」
ユノが前に出て、恐る恐るその棘に指で触れる。
「うわ、カッチカチ! こんなのが今の勢いで刺さったら痛そ~……」
「おっかねぇなオイ……」
「人間相手に使うことはないと思いたいけど……まぁ、即死でしょうね」
もしそれが自分だったらと想像してしまい、寒気と共に思わず尻の穴に力が入る。
「とにかく、レオナが強くて助かったのは事実だ。ありがとう」
「別にお礼なんていらないわ。パーティなんだから当たり前でしょ?」
……言われてみれば。確かにメンバーの為に力を尽くすのは当然のことだ。何故俺は礼を言いたくなったのだろうか。
「あぁ、それもそうだな」
自分でも良くわからず、つい苦笑いで誤魔化した。
「ねえねえ、この調子で行くと途中で矢が尽きそうなの。使った矢を回収したいからちょっと待ってもらっていい?」
「えぇ」
「もちろんだ」
弓を一切扱えない俺ですら、しょっぱなからこの量だと厳しいだろうと想像は出来ていた。俺も予備の矢を預かってはいるが、これ以上量は増やせないので、足りないと判断した以上は使ったものを回収するしかない。
「じゃあ、その間に魔石の回収でもしておきましょう」
「うげぇ……この数をか?」
そこら中に無数に転がる死体を見て軽く眩暈がしてくる。
「討伐はまだまだこれからでしょ。この程度で音を上げてどうするのよ……」
「倒すのと魔石の回収はまた別だろ……」
「矢の回収が終わったら私も手伝うから、頑張ろ?」
「……わかったよ」
結局、矢よりも魔石の回収の方が余程時間が掛かってしまった。持ち込みの物資に限りがあることと、魔石の荷物が増えてしまうのを避けるため、今後は討伐が一通り完了するまで死体は無視して、また改めて回収に来ることにした。
地図と睨めっこしながら奥へ奥へと進んでいく。途中に脇道がある場合は挟み撃ちを防ぐために脇道から先に潰していく。
そこに敵がいるかどうかはレオナが聴力強化の魔法で判断してくれる。俺には全く聞こえないが、道の先から奴らが動く時のガサガサ音が聞こえてくるらしい。
一度レオナが集中している時に「どうだ?」と話しかけたら「うるさい!」と結構キツめに怒られた。
どうやらある程度は聞き取る音の範囲を限定して強化出来るらしいが、それと被ってしまえば、普通に話しかけたとしても距離が近いと爆音になるらしい。魔法だからといって全てが万能という訳でもないようだ。ただ事前に説明はして欲しかった、怒られ損だ。
そうやって虱潰しに、狭い場所は矢を節約しながら進んで、ようやく坑道全体の七割方は処理出来たところで休憩を挟んだ。
「ふぅ、何だか耳の奥がガサガサしてるみたいで気持ち悪い……」
その気持ちはわかる。あの蜘蛛と相対している時の音は何ともいえない不快感がある。それを集中して聞くとなると結構な精神的負担になりそうだ。
「お疲れさん……。お陰で無駄な道を避けつつ殲滅出来てるから、めちゃくちゃ助かってるよ。なぁ、ユノ?」
「ぇ? ……あぁ、うん、そうだね」
ただ、先程からどうもユノの様子がおかしい。
「ユノ、どうした? 疲れたか?」
「……うん、まぁそんなとこ」
その明るさがユノの取り柄なのだから、陰湿な坑道内では気分も沈みやすいかもしれないが頑張ってほしいところだ。
「ならこれ、良かったら食べて。疲れた時に良いから」
そう言ってレオナが荷物から取り出したのはこぶし大の瓶だった。それに何やら黄色い物が入っている
「レモンの蜂蜜漬けよ。そのまま食べてもいいし、お菓子に混ぜたり、飲み物に浮かべても美味しいの」
彼女が小さな木のフォークで瓶から取り出したものを、俺は指で摘まんで受け取る。指先にひんやりとその冷たさが伝わってくる。
(こんな場所でも冷たいのは、まさか魔法の力なのか? 食い物ひとつにまで……?)
魔法というものに今日初めて触れたせいで、こんな調子でいちいち疑問が浮かんでしまう。何が普通で何が普通でないのか、俺の中での常識が大きく揺らいでしまっている。
「へぇ……なかなか小洒落たもん持ち歩いてるな。どれ――」
上を向いて一口で頬張ると、その甘酸っぱさが口中に広がる。まるで渇いた土に水が沁み込むようなそんな感覚と共にカラカラだった口内に唾液が溢れ出てくる。
「あ~……この酸味と甘みは旅先ではありがてぇかも! こりゃうめぇわ! なぁ、ユノ?」
「うん、おいしいね……」
だが俺のテンションとは対照的に、何故かユノの表情は更に沈んでいるように思えた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
地図を確認すれば俺たちの仕事もいよいよ大詰め。この辛気臭い坑道との付き合いも後わずかだ。
「後はこの先の広い空間と、そこから奥にちょろちょろ伸びる道だけだな」
分かれ道ではないのだが、念の為にレオナに聴力強化を使って確認してもらうことにする。それだけこの奥の空間が広いのだ。
「広い分、かなりの数が居るわね……。入り口の時よりも間違いなく多いわ」
やはり勘は正しかったようだ。入り口の時の数も相当なものだったというのに、それ以上となると逆にイメージがつき辛いまである。
「物量に押しつぶされないように空間を広く使おう。糸さえ気を付ければ走ってりゃ追い付かれないしな」
「えぇ。……ユノさんも大丈夫?」
「……大丈夫。ちゃんと働くから心配しないで」
「そう……」
これだけわかりやすく沈んでいるのだ、レオナもユノを心配しているが、これまでもユノはしっかり戦ってくれているのでこれ以上は追及できないようだ。
「よし、行くぞ!」
通路から出てみれば、そこは想像よりもかなり広々とした空間だった。天井も高く、ランプの明かりでは全く照らしきれておらず、奥には暗闇が広がっている。
微かに見えた一匹の蜘蛛にユノが矢を放ち、仕留めた。それが戦闘の合図だった。
大量の蜘蛛たちがこちらに気付いて向かって来る。各自でほどほどに距離を取って、目の前の敵を倒していく。
レオナは相変わらず、そのスピードで物凄い勢いで敵を倒していく。物量に押しつぶされるような気配は微塵もない。
ユノも後退しながら、一匹一匹確実に処理している。あれならば派手に転んだりといったヘマをしない限りは問題ないだろう。
ある意味リーチやスピードのない俺が一番危なっかしいまである。一人崩れれば他の二人も危うくなる。俺が足を引っ張るわけにはいかない。
戦い始めて数分経過しただろうか。最初は全く終わりが見えない気分だったが、それでも数は減ってきたように思えた。
少し気分が上向いてきたその時、レオナの声が響いた。
「二人とも避けて!」
言葉の意味を理解し、周囲を警戒した時点でそれはもう目の前まで迫っていた。蜘蛛たちの出す糸よりも何倍も太い糸がこちらに伸びてきていたのだ。
俺はそれを寸でのところで回避する。
別に油断はしていなかった。だが次々と放たれるその太い糸は、これまで避けてきた糸とはまるで飛んでくる速度が違っていた。それに狙いだって正確だ。
(くそっ……これは……っ! 躱しきれねぇ……!)
必死に回避し続けていたのだが、目の前の蜘蛛たちの攻撃を回避する際に遂にバランスを崩し、その拍子に太い糸が俺の左腕に付着してしまった。
「う、うわあああっ!?」
「きゃあああああ!?」
途端、物凄い力で引っ張られて俺は軽々と宙を舞った。その間にも糸は身体に絡みついてくる。そして数秒のうちに完全に身動きが取れなくなってしまった。
ランプごと空間の奥へと空中を引っ張られて、その明かりでかろうじて見えたものは、この広い空間の高い天井にみっちり詰まるほどの巨大なジャイアントケイブスパイダーの姿だった。
魔物は通常、生殖行動は一切しないため、どこからか湧き出てくるだけでしか数が増えることはない。しかし一部の魔物には『女王』と呼ばれるものが存在していて、魔物を直接産むことによって数を増やすことが確認されている。その『女王』は産み出される魔物よりも大きく、強いものしかいないので相応の階級がつけられる。
今回の依頼は避難してきた鉱夫たちの証言から難易度を設定されていたのだろうが、それはつまり、こいつの姿を見て生き延びた者は誰一人居なかったということだ。
こいつの存在がギルドに把握されていれば、俺たちが依頼を受けることなどそもそも出来なかったのだから。
「う、ああぁ……ッ!!!」
全く身動きが出来ない。このまま女王の元まで引っ張られ噛み殺されるしかない。もしくはそれよりも前に地面に叩きつけられて死ぬのが先か。
さっきユノの悲鳴も聞こえたので恐らく俺と同じ状態だろう。……となると今戦えるのはレオナだけ。そのレオナだって俺たちが戦っていた蜘蛛全てをひとりで相手しているはずだ。奥にまで助けになど来られるはずがない。
かつてない絶望に、歯がガチガチと震えて音を立てる。
するとそんな俺の横を何かが猛スピードで通り過ぎた。突然、引っ張っていた糸の力が抜け、ふわりとした落下に変わる。そして何故か地面に激突することも無く、緩やかに地面に降り立った。
(……何が起こった?)
引っ張られて空間の天井近くまで持ち上がっていた身体の横を何が通過したのか。そして何故今俺は地面に緩やかに降り立ったのか。訳がわからないことだらけだ。
頭を回し、通り過ぎたものを追いかけると、その先には見覚えのある金髪の女性がランプに照らされて立っていた。……レオナだ。
(引っ張られていた俺たちよりも何故そんなに前にいる? 今まで戦っていた蜘蛛たちは一体どこに?)
混乱する俺を余所に、女王が俺たちを捕えた時とは比較にならないほど大量の糸を彼女に向けて広範囲に吐き出した。
俺は状況の理解が追い付かないまま、ただ目の前の危機に叫んだ。
「レオナッ!!!!」
「爆発したらごめん……! 『憑依:炎の精霊』!」
俺たちに何か話しかけたレオナに大量の糸が覆い被さっていく。目の前で最後の味方が捕えられ、更なる絶望を感じたのも束の間、赤く発光するものがその糸の塊から勢いよく飛び出した。
「あれは……!?」
炎を纏った人、というあまりに人間離れしたそれ。しかしそうとしか形容できない。身に着けている服や、手に持つ剣は明らかにレオナのものだ。
片足を伸ばして跳躍し、両手で頭の後ろに持つ剣を振りかぶる。その剣は身体と同じく炎を纏い、その大きさが十倍……いや、それ以上に膨れあがっていく。
「やああああああああああああああああ!!!!!!!」
渾身の掛け声と共に、真っすぐに炎の大剣を振り抜いたレオナ。轟音と共に女王の身体の真ん中に深い傷が入り、炎が全身に燃え広がっていく。最初はもがき苦しんでいた女王も、すぐにその動きを止めてしまった。
(じょ、女王を……一撃で……!?)
燃え上がる女王の炎によって、この空間が明るく照らし出される。
ここから少し離れた所に同じように糸に巻かれたユノが見えた。ユノは呆然とした表情で女王の足元を見ていた。その視線の先を追うと、赤く燃える美女がこちらに歩いてきていた。
「……その糸から自力で抜け出せそう?」
それは先程の気迫とは打って変わって、とても落ち着いた声だった。
「いや、全く動けないな」
「……そう。先にあっちを片付けてくるから、もう少し待ってて」
そう言って後方に置き去りにされていたらしい蜘蛛の大群に向かって走っていく。
これまでのレオナも余裕で相手をしていたように見えたのだが、今の目の前で行われている戦闘はそれとは比較にもならない。もはやただの蹂躙だった。
目にも留まらぬ速さというのはああいうのを言うらしい。遠くから彼女の動きを目で追いかけるだけで精一杯だった。きっと彼女がこの暗い中で炎を纏っていなければ、簡単に見失っていただろう。
彼女が炎の大剣を一度軽く振り抜けば、両手では数えきれない数の蜘蛛が燃え上がっていく。回避しながら戦うとかそんな生易しいものではない。凄まじい速度で敵に突っ込んでいく彼女に触れたものから順番に絶命している。
どう見ても勝ち目のない蜘蛛たちに少し同情してしまうほど一方的な戦いだった。あれほどの大群を彼女一人で、ものの十数秒で殲滅してみせた。
蜘蛛たちの全滅を確認すると、身に纏っていた炎が一瞬で跡形もなく消え去り、いつものレオナの姿に戻った。それを見た俺は何故かとても安心し、不思議な高揚感も次第に落ち着いてきた。
そして彼女は巻き付いている糸を切り裂いて俺たちを助け出してくれた。
「とにかく、一度外に出ましょう」
危機を脱し、目的を達成したのは間違いない。だが、声を上げて喜ぶ者は誰一人いない。
重苦しい空気の中、そこから街に着くまでの道中でも俺たちの間に会話は一切なかった。




