23.飲み会
酒場に到着してそれぞれが思い思いに注文している中、私は一人悩んでいた。
メニューを見ても何がどんなお酒なのかがわからないのだ。
(エールってビール? 隣のテーブルのを見る限りビールじゃないの……? エールって何さ!?)
とりあえず私でも飲めそうなものはワインや果実酒だろうか。前世ではビールは苦くて特別美味しいとは思わなかったのでワインにしておこう。故郷のバーグマン領はワインが有名らしいので、そういう意味でもワインを贔屓したいという気持ちも一応あるしね。
ただ銘柄についてはわからないので適当に。ここのワインがバーグマン領産なのかまではわからないし、侯爵様が喜んでいたくらいなので、このような大衆酒場では飲むことは出来ない高級品なのかもしれない。
「今日もお疲れさん! かんぱーい!」
「かんぱーい!!!」
飲み会のノリがわからず、見よう見まねで周囲に合わせてコップをぶつけて乾杯し合う。その後は本当にみんな各自で好き勝手に喋り、食べ、笑っている。楽しそうだけれど、ちょっと食べ方が汚い。そこは真似せずに私はのんびりと自分のペースで食べることにした。
「いや~、いつもはむさっ苦しい男だけなのに今日は華があるな!」
「たま~に女が居てもゴリラみたいなのしかいねぇからなぁ!」
「あはは……どーも」
お酒が回ってきた男たちが私にも話を振ってくる。しかしその内容ではちょっと反応がしづらい。私がこの場にいることを喜んでくれているのは別に良いのだけれど、同時に他の人を貶すのはいかがなものか。これでは素直に喜べないじゃないか。
「それにしてもレオナちゃんは何でそんなに力あるんだ?」
「そうだぜ、腕なんてこんなにほっそいのによ」
そう言って目の前の彼が親指と人差し指で一センチ程の隙間を作りだした。以前に誰かさんが似たような冗談を言っていたような気がする……。
「これと同じに見えるなんて、来たばかりなのに飲みすぎじゃない……?」
私は頬杖をついて呆れながら、逆の手でお皿にあったチキンの骨を摘まみ上げる。軽いツッコミにも関わらず、彼らは盛大に声を上げて笑っている。
「ワハハハ! ……でも不思議に思ってるってのはホントだぜ?」
「別に手品とかじゃないわ。ただ魔法で腕力を強化してるだけよ」
それを聞いたテーブルを囲む面々が揃って驚きの声を上げ、身を乗り出してきた。
「魔法!?」
「嬢ちゃんは魔法が使えるのか!?」
「え、えぇ……」
この反応を見るとちょっと迂闊だったかと不安になってしまう。平民でも珍しいだけで使える人はいると教わっているので大丈夫なはずなのだけれど……。
「お貴族様じゃなくても、使える人はたまにいるでしょう?」
「そうは聞くが、実際に使える奴に会ったのは初めてだよな?」
「あぁ……」「俺もない」
「噂では一部のA級ハンターが使ってるらしいな」
「俺は故郷の村の婆さんが使ってたの見たことあるぜ!」
(うーん、微妙なラインだな……)
平民で魔法を扱える人は想像以上に珍しいようだ。聞いたことはあっても実際に目にすることはなかなか無いらしい。
「そんで他にも何か出来るのか?」
「うん、まぁ色々出来るよ」
私は右の手のひらを上に向けて魔力で火を作り出してみせる。お酒が入って色々とタガが外れてきているせいか、皆はそれを見て大はしゃぎだ。
「うおおお!?」「すげぇ!」
「……熱ッ!」
「ちょっと! 危ないから迂闊に触らないでよ!」
もうすっかり好奇心が理性を上回ってしまっている、まるで子供だ。危ないし私もハラハラするのが嫌なのでさっさと火を消してしまう。
「魔法使えるってマジなんだな……」
「マイクまで……」
「そんな顔されても、仕事中に使ってたって言っても見た目は何にも変わらねぇじゃんよ……」
「あ、そっか」
本当のところは魔力の反応が強くなるので、どんな魔法かまではわからないにしても魔法を使っているかどうか自体は見ればわかる。まぁ魔法を使えない人たちは自身の魔力すら認識出来ないのだから見たところでわからないのは確かだ。
「なぁなぁ! 魔法使っていいから俺と腕相撲しようぜ!」
「あっ俺も俺も!」「おい、ズルいぞ!」
「えぇ~……」
同じテーブルの男性が突然そんなことを言い出し、周りも乗っかってきた。本当に酔っ払いは突拍子もないことばかり言う。なんで腕相撲しようって発想になるのか私には良くわからない。
「嫌なら飲み比べ勝負でもいいんだぜ?」
こちらが微妙な顔をしていると、ニヤニヤしながらそう提案してくる。酔い潰して色々してやろうという下心が見え見えだ。私もまだ自身のお酒の許容量を知らないので、そちらの勝負は避けておきたい。
(このスケベ野郎……!)
「よーし、受けて立つわこの酔っ払いども!」
「こっちが勝ったらおっぱい揉ませろよな!!」
『うおおおおおおおおおお!!!』
一人がそう言いだしただけで、良いよとも言っていないのに勝手に周囲が湧き起こり、雄たけびが酒場中に響いた。マイクだけは心配そうにこちらの様子を窺っている。
「え、ちょ……ッ! なら負けた奴らで私のぶん払いなさいよね!」
咄嗟に言い返したけれど、条件としては全く釣り合っていない。相手は挑戦する奴が多いほど一人当たりの額が少なくなるのに、私はしっかりリスクだけ上がるのだから。
(こんなの絶対負けられない。ご希望通り私の力を見せてやろうじゃないの……!)
万が一にも胸を揉まれるようなことなどあってはならないので、私は遠慮など一切せずに、この酔っ払いどもを叩き潰していく。
次第に他のテーブルの人たちも乱入してきて、どんどん混沌とした状況になってくる。そりゃ周りも酔っ払いだらけだ、彼らに正常な判断を期待する方が間違っている。
最初のうちは私に勝てる人間か出てこないかどうかで盛り上がっていたけれど、私がまったく苦戦することなく勝っていくので、途中からは私がどれだけ勝ち続けるかの方に関心が向くようになっていった。
「どりゃあ!」
「ぐえっ……」
そして飛び入りに飛び入りを重ねて遂に三十人目。この場の人間全てに勝ってやった私は椅子の上に立ち上がり、両腕を持ち上げてまたあのマッチョの人がやりそうなポーズを取る。
「どんなもんじゃああああ!!!!」
『うおおおおおお!!!!』
酔っ払い共はどんどん知能が低下しているので、小学生の集団の中で一人威張っている中学生みたいな状況になってしまっている。ちょっと楽しめているあたり、私も少し酔っているらしい。
店内の盛り上がりはこれがピークで、そこからは徐々に落ち着いていく。とはいえ入店時よりも明らかに活気があって、テーブル間の人々の距離がなくなって混沌としている。お店の人もとても面倒くさそうだ。
「いくらなんでもあの人数に勝てるとは思ってなかったから、負けた時に嬢ちゃんをどう連中から救い出せば良いか考えるのに必死でヒヤヒヤしたぜ……」
マイクが心底ほっとしたようにエールとやらを呷っている。この中で唯一私の心配をしてくれていた彼には素直に感謝したい。
「心配してくれてありがとうね。まだ登録したてだからハンター見習いだけど、私見た目よりかなり強いから平気よ」
「魔法ってのは凄いもんだな……」
「なぁなぁ、魔法って俺でも使えるようにならねえのか? 仕事も楽に出来るようにしてぇよ」
「俺も!」「皆そうに決まってんだろ!」
感心しているマイクの横から余所のテーブルの男たちが割って入ってくる。
「これは生まれつきの才能だから、これまで生きてきてそういう力を何も感じられていないならどうしようもないわね。諦めなさい」
私はそれに対してもっともらしい嘘を吐いてやり過ごす。
実際のところは両親の魔力量による血統の差はあれど、この世界の人間は誰でもその身に魔力を秘めている。ただそれを支配者層である貴族のアドバンテージとして、反乱の抑止や治安の維持のために伏せているだけ。政治的な理由なのである。
ホルガー先生から魔法を教わった時に、そう言い聞かされた。下手に平民に魔法を教え、それが広まると大きく発展する一方で、同時にとても危うい世界になると。
私の魔力量は特別なのでこれ以上ないほど極端な例ではあるけれど、私が本気で魔法を放てばこの大都市ですらも破壊は容易なのだ。そこかしこで魔法が使われるようになれば犯罪が凶悪化するというのは想像に難しくない。なので私も積極的に人々に魔法を広めようとは思っていない。
「ちくしょ~! そう上手くはいかねぇか~」
「やっぱり最終的には筋肉なんよ。筋肉は裏切らない」
「こっちで腕相撲やんぞ!」
しっかり取り合わずに諦めろと突き放すと、割と簡単に引き下がってくれたので私もほっとする。彼らはそのまま別のテーブルでまた腕相撲を始めた。……腕相撲好きすぎるでしょ。
「は~……やっと落ち着いて食べられるよ……」
「ははは……お疲れさん……」
その後は苦笑いしているマイクと話をしながら過ごした。彼は仕事柄かとにかく噂好きの情報通で、色んな話を聞かせてくれた。まだこの街に来て日が浅い私にとってはとても興味深くて、面白くて、役に立つものばかりだった。
周囲がとにかく騒がしいので静かにとはいかないけれど、とりあえずこの世界での初めての飲み会は結構楽しく過ごせた方だと思う。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
皆と別れてほろ酔い気分で深夜の大通りをひとり歩く。時間が時間なので大通りは日中の喧騒とは一転して人の姿はまばらで、私のようなハンターや仕事終わりに呑んでいる労働者くらいしか外を出歩いていない。
(はぁ~夜風が気持ちいい……)
秋が深まりつつあって夜になると結構涼しい。それがお酒で火照った身体を冷ますのに丁度いい具合だった。
これまでの人生を屋敷と樹海に引きこもっていた私にとっては、今日のような馬鹿騒ぎはとても新鮮で楽しいものだった。
でもそういう風に思えるのは、私が人並み以上に武術や魔法が使えて、何かあっても強引に対処出来る余裕があるからなのだろう。現に魔法が使えなかったら、あの数の男たちに腕相撲で勝てるはずもないし、まず間違いなく碌でもない結果になっていたはずだ。
男だらけの現場で働き、誘われるまま女が一人で酒を飲みに行くなど日頃から注意を払いながら暮らしている女性たちからしてみれば、私の今日の行動は零点と言われてしまいそうだ。こうして夜道を一人で歩いているのも合わせればもう点数はマイナスかもしれない。
私個人が痛い目を見るだけなら自業自得で済むのだけれど、人が周りにいる時には巻き込まないように注意しないと……。
(今日は疲れたし、汗もかいたな~。さっさと帰ってお風呂に――)
そこで私はハッとする。そうだ、ここにはお風呂が無いのだ。
樹海では五年あそこに住むことが決まっていたから好き放題やらせてもらったけれど、今は宿暮らしだからそれも難しい。
(公衆浴場なんてないみたいだし、しばらくは諦めるしかないのかな……)
この世界で唯一不満なのが、人々にお風呂を楽しむ文化が無いことだ。
平民はそもそも入らないし、貴族はお風呂には入るけれど、それは身を清めるという儀礼的なもので凄くあっさりしている。屋敷では私は普通に入っているつもりなのに長風呂だと言われてしまっていた。
そんなだからお風呂関係の品も全く充実しておらず、私は前世の記憶を元にかろうじて手作りして使っているぐらいだ。それも簡単な物しか作れないので、もっと勉強しておけば良かったと後悔している。前世の記憶にある沢山のシャンプーやリンス、化粧品が並んでいたドラッグストアが恋しくて、羨ましくて仕方がない。
お風呂に入れないことにしょんぼりしながら『秘密の花園亭』まで帰ってくる。
「あら、おかえりなさ~い」
「ただいま~……」
出迎えてくれたのは、この宿の女将さんだ。
この宿の名前や内装は全て女将さんの趣味なのだと初めて会った時にすぐに確信した。そんなポワポワとした柔らかい雰囲気の人である。
「なにか嫌なことでもあったの……?」
「え、あ、ううん。何でもないの。女将さん、薪代は払うから大きめのたらいにお湯張ってもらえるかな? 汗かいちゃったから身体を拭きたいの」
「ええ、良いわよ~」
「部屋には自分で運ぶから、無理しなくていいからね」
「はいは~い」
(まぁお風呂事情を考えるのはもう少し先でいいか……)
まだ住むところを決めて、依頼をこなし始めたばかりだ。我慢出来ないほどではないのだから、考えるのはもっと生活に余裕が出てからにすべきだろう。
でもいずれ必ず何とかしてみせる。拭いたり、『洗い流し』で身体を綺麗にすることは出来ても湯船に浸かるのとは別物なのだ。あの身体が芯から温まる感覚はそう簡単には代用が利かない。
お酒が入っていたのもあって、身体を拭き終わってたらいを返した後はすぐに眠ってしまった。お酒に関しては特別強くもないようで、飲み比べの勝負をしなくて本当に良かったと思う。
眠っている間は魔力がどうとか関係なくなってしまう。これからお酒を飲む時には細心の注意を払わなければ。
男なんて所詮どいつもこいつも獣のようなものなのだから。




