21.猫探し
「えーと、場所は南西の平民街か……」
地図を見ながら依頼主のリンダさんの家へと向かう。まだ大通りしか歩いたことがないので、極力私の知っている市場を進んでから路地に入っていく。
「ありゃ、さっそく猫が……お、もう一匹。……えっ、こっちにも!?」
すると狭い路地の中に入った途端、結構な数の猫の姿を見かけるようになった。こんなに猫がいたなんて、今まで大通りばかり歩いていたから気付かなかった。
(実は今見えてるこの中にいたりして……)
これだけいるとなると目的の猫が特徴のわかりづらい子だった場合は見つけるのに苦労するかもしれない。
少し嫌な予感がしつつも、とりあえず目的地に到着した。
「ごめんくださ~い! ギルドで猫探しの依頼を受けてきた者なんですけど!」
「あらあら、今回はとっても可愛らしい子が来てくれたわねぇ」
家の中から出てきたリンダさんはほんわかお婆さんといった印象の人だった。
(『今回は』って……)
それだけ何度も飼い主の元から逃げているということか。モカさんが自由な子だと言っていたのは確からしい。
「それで、探して欲しい猫ってどんな子なんですか?」
「『タマ』って名前の黒猫のオスなのよ~。マイペースな子でね~…………」
その後の言葉を期待して待っていると何故か会話が途切れ、沈黙が流れてしまう。
「……えっ? それだけですか?」
「何がかしら?」
リンダさんは不思議そうに首を傾げている。この予想外の流れにじわじわと焦りが募り始める。
「いや、何か見た目の特徴とか……。例えば首輪の色とかは?」
「別に何もつけてないわ。アタシ顔を見ればわかるもの」
(えぇ~……)
探す側がわからないと意味がないでしょうがと全力でツッコミたい……。マイペースなのは猫ではなく飼い主の方じゃないのか。
「ほ、他には何もないんですか……? 鳴き声とか、名前を呼べば反応するとか……」
「あぁ~、くしゃみがちょっと特徴的ね。『コノヤロッ!』って喋るの」
(何そのヒント、限定的すぎでしょ!?)
ここまで粘ってようやく出てきたのが人をおちょくっているかのような特徴だけという現実に眩暈がして膝から崩れ落ちそうになる。
(どうしよう……ヤバい依頼受けちゃったかも……)
依頼のキャンセルって出来るのかな……モカさんからその辺りを確認していなかったのは失敗だった。ただ気軽にキャンセルされるとギルドとしては都合が悪いだろうから、何かしらのリスクはありそうだ。
「そんなところかしら、それじゃよろしくね」
『――バタン』
人が心の中で頭を抱えているとも知らずに、リンダさんはあっさりと家に引っ込んでしまった。
「あっ……ハイ……」
今になってモカさんのあの引き攣った顔の意味がわかった。彼女は絶対この依頼が地雷だと知っていたに違いない。それなら事前にそう忠告してくれても良かったじゃないか。
「とにかくやるしかないか……」
ドアの前に一人残された私は無事に帰ることが出来たらモカさんを問い詰めてやろうと心に決め、重たい気分と足を引きずりながら路地に向かって歩き出した。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
名前は『タマ』で黒猫のオス。くしゃみが『コノヤロッ!』
……ヒントはたったこれだけ。
もう何度「馬鹿じゃないの!?」と心の中でツッコミを入れたかわからない。これだけしかヒントがないとなると地道に確かめていくしか方法はないだろう。
さっそく黒猫を見つけて真っ先に性別を確認し、そしてタマっぽいタマタマがあった場合はくしゃみをするまでずっと張り付いてみる。
しかしそんなに都合良くくしゃみなど出るはずもなく、ただじっと黒猫を観察しているだけの変な女になってしまっている。これじゃただの不審者じゃないか。
苦し紛れに傍を通りかかる人にタマのことを尋ねてみても、憐みの目を向けられるだけで役に立つ情報は何も得られる気配はない。周りの反応を見る感じ、ハンターでなくても大ハズレの依頼として広く知られているんじゃあ……。
考える時間だけは無駄にあるので何か良い方法はないかと黒猫を見つめながら唸っていると、神様が見かねたのか、妙案が降って湧いて出てきた。
(……そうだ! 飼い主が顔を見ればわかるって言ってるんだから見てもらえばいいじゃん! 私ってば天才じゃない!?)
これ以上ないと思える作戦に大いに湧き立った私はすぐさま実行に移した。
「この子はタマじゃないわ。しっかりして頂戴!」
ちょうど見ていた子を捕まえて早速リンダさんの元に連れていってみるが、残念ながらこの子はハズレだったみたいだ。
それでもこの調子でいけば当初よりかなり早く見つけられそうだし、ようやく希望が見えてきた。嬉し過ぎてなんだか涙が出そう……。
――しかしこの拷問から解放される希望の道は、その拷問の主の手によって易々と絶たれることになる。
数回ハズレが続いたところでリンダさんが確認を嫌がったのだ。
(探す側の苦労を全く考えていない、そういう所だよ……大ハズレ扱いされる理由は……!)
自由奔放なタマよりも飼い主の方がよほど問題だった。またあの途方もない作業に戻る羽目になってしまったじゃないか。
私は心の中で盛大に舌打ちをしながらリンダさんの家を後にする。一度希望が見えていただけに、その反動でやる気がどんどん萎れていくのが自分でもわかる。
新たに見つけて今こうして張り付いているこの子だって、もしかしたらさっきリンダさんに確認して違っていた子かもしれない。猫は好きだけど、残念ながら個体を見分ける能力に自信はないのだ。
終わりの見えない作業にただ時間だけが過ぎていく……。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
日が傾きだした頃、路地を進んでいると市場に出てきた。市場の向こう側にも建物があるのを見て、これまで猫がいるのは街の南西区画だけだと勝手に決めつけてしまっていたことに気付いてしまう。
「もう無理~!」
それで見事に心が折れて、すぐそこにあった木箱にどっかりと座り込んだ。
「――あら、お昼の子じゃない。どうしたの?」
聞き覚えのある声に頭を上げると、宿を尋ねたオレンジ色の髪の女性が不思議そうにこちらを覗き込んでいた。全く余裕がなかったので今まで気付かなかったけど、市場の東端――青果店のテントの裏手に出ていたみたい。
「あ、エリスさん……だったっけ?」
「そ! 名前を知ってるってことは『秘密の花園亭』には行ってきたのね?」
「うん、あそこに決めたよ。おかげで助かったわ、ありがとう」
「お役に立てたようで良かった!」
エリスさんはにっこりと笑って喜んでくれる。本当に明るくて感じのいい人だ。
「……で? 今度は何でそんなに疲れてるの?」
「ハンターとしての初めての依頼なんだけど、猫探しのヒントが少なすぎて難航してて……はぁ……」
そこまで説明して溜め息を吐くと、エリスさんもやっぱりご存じだったらしく苦笑いを浮かべた。
「あぁ……リンダお婆さんのところの……。アレめちゃくちゃ大変だってハンターじゃなくても有名よ? 私も新人ハンターさんらしき人がヒィヒィ言ってるところ何度も見掛けてるし……」
そりゃ一度受けたら二度と受けたくなくなるだろうから新人しか見ないだろうね。……まるで新人ホイホイだ。
「やっぱりそうかぁ……。あ、イチゴちょうだい」
体力的には平気でも疲れた心には癒しが欲しい。だらんと腕を伸ばして代金を手渡す。
「はいは~い。イチゴが好きなの?」
「うん、大好物。あぁ美味しい……」
このしっかりとした甘味と程良い酸味が疲れた心にじんわりと染み入ってくる。お昼に食べた時以上に美味しく感じるのは気のせいではないはず。
「それは良かった! それで、猫探しはどうするの?」
「どうするも何も、総当たりしか手がないからなぁ……」
食べ終わったイチゴの空箱を返却し、一度ぐっと伸びをして、そのままずるずると後ろに倒れ込む。木箱に背もたれなどないので、頭の位置がどんどん下がっていって最終的に海老反りのような体勢になっていく。
「――――ヤロッ!」
「……うんっ!?」
今聞きたくて仕方なかった単語が聞こえてきた気がして慌てて跳び起きる。
「ん? どうし――」
「シッ!」」
右手の人差し指を口元にやって左手で静止のポーズを取ってエリスさんの言葉を遮り、そしてそのポーズのまま、きょろきょろと辺りを見回しながら聴力強化を使って周囲の音に神経を尖らせる。市場の騒がしさで頭がガンガンするけど文句は言っていられない。
「――――――ノヤロッ!」
「ッ!?」
右前方、声が聞こえた方向に目を向ける。そこには北西区画の路地の入口に一匹の黒猫がだらんと寝転がっており、今まさに口を開けてくしゃみをする瞬間だった。
「――――――――コノヤロッ!」
「いた~~~~~~~~!!!!」
思わず自分でもビックリするぐらい大きな声を出して立ち上がった。当然市場の人たちも驚いてこちらを見てくるけれど、そんなものはお構いなしに一直線に黒猫の元へと走り出す。
驚いたのは黒猫も同じで、ガバッと起き上がって周囲を見回し、私が走って来るのを見て即座に傍の建物を上へと登り始めた。
「逃がすかっ!!!」
私は身体強化を使い、猫とほぼ同じルートで素早く建物をよじ登っていく。樹海で鍛えに鍛えた私の木登りスキルを舐めるなよ。
そうして遂に黒猫を三階建ての建物の屋根の端に追い詰めた。
「タ~マ~!? やっと見つけたわよ~!」
『フシャー!!』
残り一メートル強の距離まで追い詰めた黒猫は全身をばりばりに逆毛立たせて威嚇してくる。しかしもう逃げ場はない。背後にはもう足場になるものはないし、左右の建物へは私が行かせない。
睨み合う両者の間に沈黙が流れる。空はもう夕焼けでオレンジ色に染まっていて、吹く風は少し肌寒い。
ちょうどここから猫の向こう側には市場が見下ろせる。私が騒いだせいで注目を集めてしまい、この建物の周りには人だかりが出来ていて、みんな上を向いてこちらの様子を伺っていた。
次の瞬間、市場の方向――つまり空中へタマが跳躍した。そんなに捕まるのが嫌か。
それを見て人々はどよめき、女性は悲鳴をあげる。
――しかし宙を舞った黒猫は一向に落下する気配はなく、空中にふよふよと漂ったまま。
「ふっふっふっ……! 私の勝ち!」
私が魔力の風で上昇気流を作りだして黒猫の落下を阻止したからだ。
ささっと屋根から降りて黒猫の真下に位置取り、魔力を弱めるとゆっくりと猫が降りてくる。それをガッチリと両手で捕まえてやると同時に周囲から拍手が湧き起こった。
「つ・か・ま・え・た・ぞ・この野郎~!」
「ニャー!」
「何がニャーよ! こっちはめちゃくちゃ苦労したんだからね……!」
本当に苦労した……。ホッとしすぎてちょっと泣きそう。
「ニャー!」
「お前なんてこうだ! スゥーーーーーー!!!」
仕返しとばかりにタマの胴体を両腕でがっちりと抱えた状態でそのお腹に顔を押し付け――吸う。外にいたからか少し埃っぽいけれど、太陽の柔らかな匂いが鼻を突き抜ける。
(んはぁ~……たまらん! くんかくんか)
『プッ……クスクス……』
視界も猫に塞がれた状態で一心不乱に吸い続けていると、笑いをこらえるような声が耳に入ってきた。不思議に思って猫から顔を離して周囲を見回すと、大勢の人々がニヤニヤしながら私を取り囲んでいるではないか。
(しまった……! 猫に気を取られ過ぎて油断した!!)
こんな大勢の前でなんてバカなことを……。
「おっ……お騒がせしてごめんなさ~い!」
私は猫を胸に抱きかかえ、一目散にその場から逃げ出した。
後ろから大笑いする声が聞こえてくる。恐らく今、私の顔は真っ赤になっているに違いない。顔から火が出そうだ。
(恥ずかしすぎる……穴があったら入りたい……!)
そうしてまともに周囲を見れないまま、一直線にリンダさんの家にタマを届けに向かった。
捕まえた猫はちゃんと本物で、一応感謝もされたけれど、もう二度と依頼を受けてやるものかと心に固く誓う。私も無事に同じ心持ちになれましたよ、先輩方……。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「今日は散々な一日だった……」
ギルドの前に戻ってくる頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。気軽に受けた依頼でまさかここまで精神的に疲れるとは……さっさと報酬を受け取って宿に帰って休みたい……。
「見つけたぞテメェ~!」
何も考えずにギルドの扉を開けると、見覚えのある大男がこちらを睨んでいた。
(うっわ、最悪……)
げんなりする私を余所に、ズンズンと近づいてくるゴリラ。
「テメェ今朝はよくもやってくれたな……! タダじゃ済まさねぇぞ!」
「今日はもう疲れてるからまた今度にして……。アンタの濃い顔を一日に何度も見せられると胸焼けするのよ」
あちらのテンションが無駄に高いのが余計に鬱陶しい。私は今まで必死に働いていたのに、こいつは今まで何をしていたのだろうか。
「な……な……な……っ! 何だとテメェ! コノヤロッ!」
疲れているので今の気持ちを一切オブラートに包まずに素直に吐き出してやると、あまりに私に遠慮がなかったからだろうか、狼狽えながらもまた性懲りもなく殴りかかってきた。
対する私もゴリラの言葉に無性にイラッときてしまう。
「何がコノヤロッだ! ふざけんじゃないわよ!」
「おごっ!?」
『ドガッシャーン!……カラン』
今日一日の鬱憤が籠った渾身の右ストレートがゴリラの腹に炸裂する。テーブルまで吹き飛んだゴリラはそのまま気を失ったようだ。
それすらもうどうでも良かった私は受付のカウンターまで突き進む。当然そちらではモカさんが引き攣った顔で私を出迎える。
「お、お疲れ様です……」
「……モカさん、あなた知ってたのよね?」
「な、何の話です?」
モカさんの目が泳いでいる。これはもう絶対に私が何を言いたいのか理解しているはずだ。
「この依頼、酷い内容だってわかってたのよね!? どうして止めてくれなかったのよ!」
「し……仕方ないじゃないですかぁ~! 大して緊急でもないのに毎度毎度逃がしては懲りずに依頼してくるような超不人気依頼であっても、ギルド職員として受けようとしている人に大変だからって理由で受けないよう勧めるなんて出来ないんですぅ~!」
「うっ……!」
言われてみれば職員の判断で依頼主に不利益が出てしまうのは確かに問題だ。それにこうも瞳に涙を貯めながら開き直られては、私もこれ以上何も言えそうにない。
「ご、ごめんなさい……八つ当たりして悪かったわ。……でももう絶対受けないからね?」
「はい! ご自身で受けないことを選ぶ分には全く問題ありません!」
物凄く良い笑顔でギルド職員ぽくないことを言うモカさん。さっきの台詞といい、彼女も割と普段からこの依頼に対しては腹に据えかねているものがあるのかも。
「じゃあ、はい。サインもらってきたから報酬ちょうだい」
「はい、こちらが報酬です。お疲れ様でした!」
子供のお小遣い程度の額の報酬を受け取る。……そういえばすぐ終わるだろうからって、この額でオーケーしてたんだった。すっかり忘れてた。
「わ……」
「わ?」
「割に合わない……」
凄まじい脱力感に襲われ、私はカウンターの前で崩れ落ちた。




