19.新生活
新たな暮らしを求めて颯爽と樹海を駆けるその足取りはいつになく軽い。
もう以前の何もわからないまま彷徨っていた私とは違う。お師匠様から教わった全てが自信となって、これから知らない世界に飛び出す私の背中を押してくれている。
久しぶりの孤独な夜――身体を休めながらたき火を眺めていると、ふと複数の気配が周囲を取り囲んできたのを感じた。この纏わりつくような視線には覚えがある、もはや懐かしくすらあった。
いつもお師匠様が傍に居て手が出せなかったのだろう。それでも諦めずにいてくれていたことを少し嬉しく思ってしまう。
私は樹海の暗闇に向けて、まるで旧知の友人に話しかけるかのように気安く声を掛ける。
「……久しぶり! 私のこと覚えていてくれたんだ?」
もう狩られるのはお前たちの方だということを教えてやろう。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「やっと着いたぁ~……!」
樹海の隠れ家から三週間近くかけてようやく到着したのは、王国の東に位置するウェスター公爵領の都市、エルグランツ。ローザリア三大都市にも数えられる国内屈指の大都市である。
これからはここを拠点にしてハンターとして活動していく予定だ。
魔物と戦う平民の職業であるハンターの仕事内容は所謂何でも屋で、今後はハンターギルドに寄せられる依頼をこなして報酬を得て暮らすことになる。つまりギルドとは切っても切れない関係であり、活動の内容は依頼に左右されるため、ギルド本部のあるエルグランツなら依頼も豊富だろうということでここに決めた。
一応樹海に近いベルモント伯爵領の町ディオールにもギルド自体はあったものの、支部なので規模が小さく、何より樹海に近すぎて自立出来ていないように感じられたので流石に拠点にする気にはなれなかった。
「う~ん、これまでに見てきた所と比べても明らかに都会って感じ!」
建物の高さも行き交う人の量もまるで違う。樹海の向こう側のイングラードやフュレムですら田舎扱いされるのも納得の発展ぶりだ。
「よし、それじゃ早速ハンターギルドに行って登録しなくちゃね!」
とはいえ初めて来る場所でこの規模ではノーヒントで見つけるのは少々骨が折れる。ここは素直に人に尋ねてしまった方が良いだろう。
ちょうどすぐ横で馬車の荷台から荷下ろしをしていた男性に話し掛けてみる。
「そこのお兄さん、ちょっと道を聞いても良い?」
「ん、あぁいいよ。……ぅぉっ!? ――ええと、どこに行きたいって?」
男性は荷物を置いてこちらを振り返った途端、驚きの表情を浮かべた。でもそれはほんの少しの間だけで、すぐに全身を舐め回すような視線と不自然なほど良い笑顔に変わる。
その顔を見て私はすぐに失敗したと気付いてしまう。さっさと聞きたいことだけ聞き出してこの場を離れないと……。
「ハンターギルドを探してるの」
「あぁ、それなら案内するよ!」
そう言って案の定近づいて背中に手を回してこようとしてきたので、私はそれをさっと躱す。
「忙しそうだから遠慮しておくわ。口で説明してくれるだけで充分だから」
「そうかい? この大通りを進むと噴水のある広場があるんだ。その広場沿いに役場とかギルドとかそういった施設が集まってる。ハンターギルドは確か……南西側だったかな?」
「噴水の広場の南西側ね。ありがとう、助かったわ」
「なら今度一杯付き合って――」
「じゃあね」
軽く手を振ってさっさとその場を立ち去る。周囲に通行人が多くてそこに紛れ込めたお陰でしつこく付き纏われるのは避けられたみたいだ。
(あぁ、なんだか久しぶりだわこの感じ……)
欲を全く隠せていない視線や態度、隙あらばスキンシップという名のセクハラ――前世で散々味わったこの感覚も、この世界で暮らすうちに久しく忘れていた。お師匠様は言葉遣いは乱暴でも、そういう意味ではとても紳士だったなと今になって気付かされる。
(次からはちゃんと女性に尋ねるようにしないとね)
今のは男性に道を聞いた私も迂闊だった。まぁ同じ失敗を繰り返す気はないし、あまり引きずらずに気持ちを切り替えていこう。
市場の人混みに半分流されながらハンターギルドのある噴水のある広場を探していく。変に刺激しないよう、周りの人々がこちらを目で追いかけ、振り返ろうとも気にしないようにして大通りを突き進んだ。
「南西、南西……お、アレかな?」
ようやくたどり着いた噴水広場で周囲を見回すと、男性が言っていた通りに南西側に赤レンガの立派な建物があるのが目に入った。その大きな扉は閉め切られていて窓も薄汚れているので中の様子まではわからないけれど、看板には確かにハンターギルドと書かれている。
(お邪魔しま~す……)
『カランカラン』
大きな扉を引いて中に入れば、取り付けられていたベルが音を立てる。内部はお昼前の割には薄暗く、一階の汚い窓と吹き抜けになっている二階の窓から差し込む光に全力で頼っている感じだ。
広いホールの正面奥にはカウンター、その両脇に二階への階段、左右の壁には沢山の掲示板が並んでおり、そちらへの動線を確保したうえで残りのスペースを丸テーブルとイスが埋め尽くしている、そんな空間だった。
『……ジロリ』
扉を開けて入ってきた私に視線が集まってくる。警戒し、値踏みをするような視線だ。
静寂の中、それらを無視しながらギシギシと軋む床を歩いてカウンターまで突き進む。受付に座っていたのは茶髪のショートヘアに眼鏡をかけた小柄な女性だった。
「いらっしゃいませ! 本日はハンターギルドに何の御用でしょうか?」
このホールの薄暗さや周囲に警戒されてじろじろ見られている状況など、何ともいえない陰気な雰囲気とは良い意味でそぐわない、とても明るくて元気な声だ。
「ハンターになりたいの。それには登録が必要らしいから」
「新規のご登録ですね~。ではまず仕組みについてご説明致します!」
そう言って受付嬢さんは引き出しから説明用の資料を取り出して目の前に広げる。カウンターには明かりが置かれているとはいえ、薄暗くてそれでも少々見づらい。
「ハンターの皆さんには各地から集まる依頼を受け、その依頼を達成した証をここまで持ち帰っていただきます。その証が適切であると確認出来ましたら報酬をお渡しする……っていうのが基本の流れですね。依頼については難易度によって階級が付けられていまして、自身の階級より上位のものは受けられないようになっています」
読み書き出来ない人でも理解出来るようにか資料は絵で書かれていて、それを女性が指差しながら説明してくれる。
「その階級は依頼をこなしていけば上がっていくの?」
「そうです! 最初は見習いのE級から始まって、一番上はS級まであります。大体イメージとしては、Cで一般、Bでベテラン、Aでエリートって感じです」
「……あれ、S級は?」
「S級は国に何かしらの功績を認められないとなれないので他とは別枠です。S級の依頼というものも存在しません。認められれば一代限りですが男爵位まで与えられますから、お貴族様の仲間入りです! ……まぁ現在この国でS級に認められているのはヴィルヘルム様お一人だけという狭き門なんですけど」
「ふーん。まぁそれはあんまり興味ないかな……」
興味があったらわざわざ貴族の身分を捨ててハンターになったりしない。国というか貴族にもう興味も未練もない私には一生縁が無さそうだ。
「依頼の階級付けの基準とするために魔物にも階級が付けられていますが、ハンター側の階級と完全なイコールではないので注意が必要です。特にC級からは一人で相手するのが厳しくなってくるので、そのあたりからパーティを組むのをギルドとしては推奨しています」
「パーティって固定じゃなくて一度限りのものでもアリ?」
「はい、全然アリですよ。固定で組む前にお試しでとかも良くあります。ギルドとしては手続きの簡略化と、安全の確保、揉め事の回避のために出来るだけ固定で組んでくれた方が嬉しいですけどね。ただ固定は固定でメンバー内でそれぞれ別々の依頼を受けるのは禁止されるという縛りもついちゃいますけど」
深くは知らないけれど、名前が世間に知られているパーティも中にはあったりするらしい。まぁ別に有名になりたいわけじゃないんだけど……。
「聞いといてなんだけど、私にはあんまり関係ないかも」
するとここで突然、これまでほんわかとしていた受付嬢さんの表情が険しくなった。
「自分は一人で大丈夫とか慢心したらダメですよ! C級から亡くなったり怪我で引退する人が激増するんですから!」
「わ……わかった、わかったから……」
実際そんな感じでリタイアする人を沢山見てきているのだろう、彼女はとても真剣だ。いくら私が強くてパーティが必要なかろうと、ここは下手に反論する場面ではなさそうだ。
「ええと、どこまで説明しましたっけ……まぁ、とりあえずこんなところですかね。成人していること以外に条件はありませんから、ご納得いただけましたらこちらにサインをお願いします!」
「はーい……っと」
差し出された誓約書には依頼において不正を働かないだとか、犯罪を犯した場合には刑が重くなるといった文面も見えるのだけれど、この辺りは説明しなくて良かったのだろうか……。まぁとりあえず私さえ読んでいればこの場は問題ないので気にしないでおくことにする。
サインをした私は受付嬢さんに書類を返す。
「――はい、ありがとうございます。ええと、レオナさんですね! 私はモカって言います! これから宜しくお願いしますね!」
「こちらこそよろしくね」
「登録に関してはこれで終了です。あとは依頼を受けたい時は壁際の掲示板から依頼書を選んでここまで持ってきてくださいね」
「うん、わかった」
モカさんは掲示板の方向を手で示しつつ、スタンプを押したりして私の書類の処理を続けている。そんな彼女に手を振って私はカウンターから離れた。
(私が受けられる依頼の出てる掲示板はっと……)
「よぉねえちゃん! 今日からハンターの仲間入りだってな?」
モカさんが示していた方向の掲示板から探していこうとしたところに大柄な男の三人組が近づいてくる。色黒で毛深い、一言で言うととても男臭くてガラの悪そうな感じだ。
「えぇ、まぁ一応そうなるわね……」
この静かな空間にモカさんの元気な声が響いたのだから、私が登録したての新人であることは当然バレている。……まぁこれについては仕方ないし彼女を責める気もない。あの元気な声に癒されたのも事実だし。
「女ハンターは大変だぜ? 非力なもんだから危険な依頼には手が出せねえで安くて安全な依頼しか出来ねえから、辞めて別の職に逃げるような奴らばかりだ」
「私はそうはならないわ」
「強がらなくてもいいぜ、俺のパーティに来な? アッチの世話してくれりゃ戦えなくても構わねえからよ。C級に上がるまでの間もちゃんと面倒見てやるぜ」
何がパーティだ、仲間じゃなくてただの愛人募集じゃないか。後ろの男二人もニヤニヤ笑っている。
(はぁ~……結局こういう輩か……。いくら私が美人だからって、ここまでコテコテなのが寄ってこなくても良いでしょうに……)
ちらりと周囲のハンターを観察してみると、こちらに向けられている視線は好奇心が七割、残り三割がうんざりといったところだった。まともな人間はたった三割しか居ないのかと頭が痛くなってくる。
モカさんもあわあわと焦った様子で顔でこちらを観察していた。そういえば特別な理由がない限りハンター同士のいざこざは基本的に当事者同士で解決しろとかさっきの誓約書に書いてあったので、ギルド側に助けを期待しても無駄っぽい。
(ここは今後似たようなのが寄ってこないようにキッチリわからせるべきかしらね……)
舐められっぱなしでは第二・第三の輩がやってきてしまう。こういうのは最初が肝心だ。
「それって娼婦に堕ちるのと何も変わらなくない? むしろ臭そうなアンタたちを相手にしないといけないぶんマイナスじゃないの」
『ワハハハハハ!』
『いいぞネエちゃん!』
周囲から笑いが巻き起こり、拍手や口笛、囃し立てる声でこれまで静かだった空間が一転して賑やかになっていく。その反応を受けた先頭の男はニヤつきながら、バキバキと首や拳を鳴らし近づいてくる。
「俺たちは親切心で言ってやってるんだがなぁ……。仕方ねえ、この『鉄拳』のゴレアン様が現実ってやつを教えてやるしかねぇなぁ?」
「私は忙しいの。さっさと掛かって来なさいよ、この三下」
「上等だコラァ!!!」
私のわかりやすい挑発に激昂した男は単純な右ストレートを繰り出してきた。お師匠様とは比べ物にならないほど遅いし隙だらけ。何が『鉄拳』だ。
私は踏み込んでその拳を左手でいなしながら、右の拳で顎にアッパーをお見舞いしてやる。
「ふごっ……」
綺麗にカウンターをもらった男は情けない声を出して崩れ落ちた。
「てめぇっ!?」
その光景を見て二人目が両手で掴みかかってくる。私は軽く身体強化の魔法を使って垂直に跳躍してそれを躱し、すぐ足元に見える男の背中を右かかとで後ろに向けて蹴り抜いた。そしてそのまま蹴りの勢いでくるりと一回転して着地する。
「がっ……ひゅ……」
後ろからの衝撃に二人目の男は前方に吹き飛び倒れたまま、浅い息を繰り返している。当たり所的に上手く呼吸出来ないのだろう。
「くっ……」
残った最後の一人がこちらを睨んでくるが、前の二人があっけなくやられたのを見て襲うのを躊躇しているようだ。
「アンタはどうすんの? 来ないならさっさとこいつらを連れて目の前から消えて?」
「……くそっ!」
三人目の男は私と戦うのを諦め、動けない二人を両肩で支えながらギルドを出て行った。正直相手にするのは面倒だったので消えてくれたのはありがたかった。
『ヒュー! やるねぇ!』
『今の動きヤバくね!?』
『俺も蹴ってくれよネエちゃん!』
その光景を見た周囲は更に湧き立っている。しかしその一方で私はそんなハンターたちに腹が立って仕方がなかった。
(こっちはアンタたちを楽しませるためにやってるんじゃないのよ……!)
私は心の中で大きく舌打ちをする。ハンター間のいざこざにギルド側は手を出せなくても他のハンターたちには関係ないはずだ。こちらが迷惑しているのは明白だったのだから、間に入るくらいしてくれても良かったじゃないか。
こんな状況でゆっくりと依頼を探すなんて出来そうにない。私もここから出て行くとしよう。
背後の騒ぎを無視して薄暗い室内から出ると、外の眩しさに思わず目を細めた。
(依頼はまた後にして、とりあえず住むところを探すかな……)
というかむしろ登録よりもそちらを先に終わらせるべきだったかも。自覚はなかったけれど、私もなんだかんだ新しい環境に浮かれていたみたいだ。もうお師匠様と一緒じゃないのだから、もっと地に足を付けてやっていかないと。




