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157.孤独(ミラ・アムリア視点)

 言われた通りに部屋を訪れると、そこには私の知らない人物が佇んでいた。茶髪でスラリとした体形の美形の男性だ。しかし使徒様の部屋の中にそんな男性がいることの不自然さの前では、見た目など些末なこと。


 当然警戒して何かおかしな動きをすればすぐに人を呼ぶ気でいると、「準備はいいわね?」と使徒様の声が聞こえた。……それも目の前の男性から。


「その姿は……?」


「これ? 女神の使徒だとバレたら大変なことになるだろうから魔法で変装してるだけよ。私のお父様の若い頃のイメージでね」


 ……やはり変装した使徒様だった。ただ侵入者でなくて良かったとはいっても、それはそれで問題がある。こうやって抵抗なく話しているあたり、本人に自覚はないようだけれど。


「変装の魔道具は現在取引に規制が掛かっているので入手は困難なはずです。そんなもの、この国の人間でもない貴女様が調達など……」


 つまりそれは使徒様が相手だからと国からの許可もなしに魔道具を与えた者がいるということ。その動機はもはや考えるまでもないが、国として見過ごすことは出来ない。


「魔道具の力は借りてないわ。私の純粋な魔法よ」


「なんという……」


 しかしなんと使徒様は魔道具に頼らずに、この変装を実現させていると言うではないか。さらっと仰っているが、それだと私では試す前から無理だとわかるほど高度な魔法を行使し続けていることになる。


 魔道具の力を借りずにとなると、一挙手一投足すべてに途轍もないイメージ力が絶えず求められるはず。女神からもたらされた魔力だけでは到底成し得ない、使徒様の魔法を扱うセンスとその努力量が垣間見えた瞬間だった。


「魔法に関して貴女たちの常識は私には通用しないわよ。それじゃ行きましょうか」


「きゃっ!」


 魔法で変装しているとは思えない自然な動きでこちらに近づいてきた使徒様が、そう言いながら私を軽々と抱き上げる。変装の魔道具と同様の原理で外見を変えているらしく、見た目は男性なのに、肌に伝わるその感触は間違いなく女性のものという、とても不思議な感覚だった。


 いくら気が進まないとはいえ、わざわざ抱えなくとも逃げはしないのに。


「使徒様にこのような……それに出口はあちらですよ」


「そんな正々堂々正面から出ていく訳ないでしょ」


 内緒で抜け出していた時とは状況が違うのだし、警備の者に説明して堂々と出掛けるのだろうと思っていた。しかし何故か彼女はそのまま部屋の入り口の扉から遠ざかるように歩き始めた。


 ……というかそもそも使徒様は昨日の晩、一体どうやって抜け出したのだろうか。


 その答えは、行きついた先が寝室ではなく窓際だったことで察しがついてしまう。しかも梯子やロープすら用意していないのに窓を開け放ち、その縁に足をかけているではないか。


「えっ……うそ!? ここ四階ですよっ!? …………ひゃああああああ!」


 こちらの焦りなどまるで気にしない様子で、使徒様は構わず私ごと空に向かって跳躍した。




 ……しかし空中に飛び出したというのに、この身に降りかかってくるはずの重力を感じない。それどころか飛び出してきた窓が、使徒様の肩の向こうで下へ下へと遠ざかっていく。


(空を飛んでいる、の……?)


 頭を持ち上げると頭上は視界を妨げるものがないからか、普段見ているものよりも更に広々とした夜空が広がっていた。逆に頭を下げれば王都ヘクセルシアと王宮がどんどん小さくなっていく。


 窓から飛び出したこと自体驚きだったのだ、身体強化を使って着地するのだという予想の更にその上を平然と突き進む使徒様。それにただ流されているだけで、いつの間にか梟と同じ目線で景色を見ることが出来てしまっている。


「綺麗でしょう?」


 声がして視線を正面に向けると、そこには涼しい顔をした男性の横顔があった。そうだった、このお方は今変装の魔法と飛行の魔法を同時に行使していることになるではないか……。


 見たところ風を操って飛んでいるみたいだけれど、こちらだって相当な魔力とコントロールを要求し続けるタイプの魔法だ。私ならいくら魔力があっても出来る気がしないほどの魔法を軽々と扱ってみせるその姿はとても輝いて見える。


 正直なところ、このたった数分で女神と話をしたことなどよりもよっぽど、使徒というものの価値と、その常人との格の違いを思い知らされた気分だった。


「……はい。この世のものではないような、幻想的な光景です」


 私が素直に感想を伝えると、使徒様はやさしく微笑んだ。


(うっ……近い……)


 思わず胸がドキりと高鳴ってしまう。中身が使徒様とはいえ、美形の男性に抱きかかえられているなんて、よくよく考えれば明らかに普通の状況ではない。加えて空まで飛んでいるのだから、もはや恋愛小説や夢物語の域にまで足を突っ込んでいるではないか。


 父親の若い頃のイメージとさっき仰っていたけれど、女の私でも見惚れる美貌を持つ彼女の親もやはり美形なのだなとしみじみ思う。


 異国の者であることがわかる白い肌、騎士たちのように筋骨隆々でなくても確かな性差を感じる喉元、鼻筋も通っていて、精悍な顔つきの中でも特に目立つその赤い目は優しく細められて私に向けられている。


 こんな状況……平静でいられるはずがない。


「それに……」


「それに?」


「中身が使徒様だとわかってはいるのですが、殿方にこうして抱えられていると思うと……」


 何を勝手に盛り上がっているのだと思われてしまうだろう。けれど既に心臓が痛いほどに脈打っていて、このままでは身が持ちそうにない……。恥を忍んで「あまり近づかないで欲しい」とお願いする。


「ふふ、可愛いね」


 不意に耳元に響いた甘い囁き。


 使徒様の顔を出来るだけ視界に入れないように顔を伏せていたのが仇となってしまった。直後に背筋から首筋、後頭部にかけてをゾクゾクするものが駆け上がっていく。


「なな、な……ッ!?」


 その予想外の攻撃に頭が痺れて真っ白になってしまい、咄嗟に抗議しようと顔を上げたところでまともに言葉が出てこない。しかも目の前にある顔は妖しく微笑んでいて、そんな私の様子を明らかに楽しんでいる。


 だから言ったのに、全然聞いてくれない……なんて意地悪なお人だろうか。


(でも、この感じ……)


 どこかこれまでに見てきた使徒様とは違う親しみやすさを感じる。あの女神の使徒にからかわれるなんて考えもしなかったのに、ここにきてこのやり取りに心地良さを覚えている自分がいる。


(これも私が勝手にイメージを押し付けていたってこと……?)


 本来の彼女を見ようとしていないと言われた私が言うのもどうかとは思うけれど、それに興味が湧いてきたのは事実だった。果たして彼女の言う「使徒ではなく一人の人間としての、本当の自分」というのはどんなものなのだろうか。


 外套ごしに伝わってくるこの人の体温が、そんな期待をじんわりと温め、膨らませてくれている。




◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇




 夜のプルーレに降り立った使徒様は私にフードをかぶらせ、背中を右手で軽く押しながら賑やかな飲み屋街を歩き始めた。


 既に住民に変装した姿を覚えられているのか、周囲から掛けられる声に笑いながら対応している。いつの間にか声まで違っているので、これも恐らく魔道具ではなく魔法で変えているのだろう。


 その端麗な容姿はともかく、彼らへ受け答えしている様子はまさに平民のそれで全く違和感がない。むしろ王宮で貴族たちの挨拶を受けていた時と比べると、こちらのほうが自然ではないかと思えるほど。鼻歌まで歌っていて本人も上機嫌だ。


 私はそんな彼女をもっと観察したいという思いはあるものの、見上げようにもフードをかぶっていてはそれも難しい。下手に周囲に私の存在がバレてしまっては不味いので、頭を持ち上げるに持ち上げられず、耳を大にして音から得られる情報を一生懸命拾うしかなかった。


 それをもどかしく思っているうちに、目的地らしき店に到着したようだ。




 店に入るなり、沢山の着飾った若い女性が集まってくる。しかし貴族女性が着るドレスよりも遥かに露出が高く、私からすれば品がないとも取れるような格好をしている。まさか使徒様はこのような格好の方が好みなのだろうか。


 しかしそんなものは些細なことだった。この後私が見ることになる光景と比べれば……。


「そういえば教えてくれた王都のお菓子屋さんのケーキ、早速食べてみたけど美味しかったよ~!」

「ほんと? 良かった~! アタシも教えてもらった調理法でお魚食べてみたの、とっても美味しかったわ! あれなら料理下手なアタシでも続けられそう!」

「でしょ? ちゃんとタンパク質摂った方が二日酔いにも良いからね」

「ねぇねぇ~美容にいい体操、もっと教えてよ~!」

「ん~? じゃあ次は――」

「えっ!? これキツくない!? いたたた……」

「あっはっは! 身体硬いな~! でも無理しちゃダメだよ、いけるところまででね~」

「カレに浮気されて捨てられちゃったの~……」

「ほらぁ言ったじゃん、その男ヤバいって~」

「だってぇ~……。アタシこれからどうしたらいいの~!?」

「馬鹿な男と別れられて良かったってポジティブにいこう? もっと自分に自信を持ってこ!」


 それからしばらく見聞きしたものの全てが、私にとって衝撃だった。


 目の前で絶えず行き交っている言葉の洪水。お店の女の子たちの話題はそれぞれまるでバラバラなのに、それに嫌な顔をすることなく対応している使徒様。まったく途切れる気配のないそれは、女の子が自分以外の話にも乗り掛かることで更に混沌としていく――。


 開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。今こうやって楽しそうに笑っている使徒様は王宮で見てきた彼女の姿から完全に対極にいる。溜め込んだ鬱憤を発散しているのだろうから、これが通常運転とまではいかないかもしれないが、騒がしいことで有名なこの国の平民たちに引けを取っていない。


 頭を大きな金槌で殴られたような気分だった。


(これが本当の使徒様……)


 こちらが使徒としての自覚が足りないと憤慨していたアレですら、彼女からしてみれば我慢に我慢を重ねたものだったというのが嫌でも伝わってくる。それなのに加えて人々を導けとまで要求してしまっては反発されてしまうのも無理はない。


 巫女として最も身近に身を置いておきながら、これまで私は一体何を見てきたのだろうか。


 そもそも巫女の役目とは何だ。


(使徒に無理をさせること? 本人が望まない結婚をさせること? ……ううん、違う)


 使徒の理解者として人々との間に立って、こんなおしゃべりすらも簡単には出来ない特別で孤独な彼女の味方になることではないのか。それなのに外部からの防波堤にならなければならないはずの自分が一緒になって彼女を責め立てていたなど……。


 己の馬鹿さ加減に嫌気が差す。


 ミゲルとローザリアの王太子のプロポーズ勝負を控えている以上、王宮での生活からは逃れられないのだから、このようなお喋りの場は今後も必要になるだろう。問題にならないよう、私が上手く取り持っていかなければ。




 ……そう考えを改めたというのに、他でもない私がそれを台無しにしてしまった。他の客が絡んでくるという予想外の事態に直面し、あまりにも無礼な態度で使徒様の憩いを妨害する男に対して熱くなりすぎてしまったのだ。


 私がこの町にいることを周囲を納得させるため、そして何も知らずに無礼を積み重ねていた男を守るために、彼女は自ら魔法を解いて素性を明かした。明かさせてしまった。私が出すぎた真似をしたせいで……。


 店の女の子たちに別れの挨拶をした時の使徒様の寂しそうな声が頭から離れない。


 使徒様は「また別の姿で変装すればいい」と仰っているけれど、イメージを一挙手一投足まで固め直すなんて常人には計り知れないほどの困難を伴うだろう。それなら大丈夫かと納得してはいけない。


 失われた憩いの場の代わりを用意しなくては……。それが彼女の努力を台無しにしてしまった私の償い。


 しかし王宮の人間では先程のような会話はまずできないし空気感も違う。かといって彼らを差し置いて平民を王宮に連れてくるのは不可能だろう。そういう意味では、こうやって王宮を抜け出して息抜きすることを選んだ使徒様の選択は間違っていない。


 そもそも使徒様がストレスを抱えて王宮を飛び出していたなどと周囲に説明出来るわけがない。お世話すら出来ないと判断されてしまえば私は遠ざけられ、巫女としての立場も失ってしまう。使徒様を守ると誓ったのに、それすらも出来なくなってしまう。


 だからすべて私一人でやるしかない。


 このお方の居場所と心を守らなくては――。


(これまで距離を置いていたのに急に詰めて不審がられない……? 口調もあの子たちみたいに砕けた方が良いのかしら? 話題はさっきの様子を見れば何でも良さそうよね……)


 プルーレの町を発ってから自室で眠りにつくまでの間、私の頭の中は使徒様のことで一杯になっていた。


 王宮で暮らし始めた頃も彼女の健康の維持のために頭を悩ませていたけれど、今は健康は健康でも「心の健康」について考えているのであの時とは少し違う。


 一般的にどうすればいいかではなく、どうすれば彼女が喜ぶかを考えるのだ。お店で楽しそうに話をしていたあの姿を目標にして、それを想像しながら考えるというのは思いのほか心地良い。




「お……おはよう、使……レオナさま……さん」


 翌朝、胸が痛いくらいに脈打ちながら発したぎこちない挨拶に驚愕し、目に見えて生きいきしだした彼女を見れば、私の決意を受け入れてもられたことがすぐに伝わってくる。


「私さぁ、この国の人はアルメリア教に傾注し過ぎだと思うの!」


「あら奇遇ね! 私もどこぞの使徒さんはアルメリア教に興味がなさすぎると思ってたの!」


 これを境に距離が一気に縮まって、気安い関係になっていく。


「いやいや、ミラも啓示を受けたならアルメリアがどれだけヤバい奴かわかってるでしょ!?」


「…………」


「こらー! 目を逸らすなー!」


 彼女のことが一人の人間として、とても大事な存在になっていく。


 レオナが使徒で、私が巫女。今でもこの関係性は心の中で完全には切り離せていない。


 きっとレオナなら「そんなのもうすっかり忘れてた」と笑うだろう。


 それでも私にとってそれは未だに大事なことに変わりはないのだ。


 彼女との間にただの友人であること以外にも繋がりがあることが、たまらなく嬉しいのだから。




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