156.使徒らしく(ミラ・アムリア視点)
王宮に戻ってすぐにパーティが開かれ、それも終わった後は教会本部にある私室に戻る。ドアが閉められた音がした途端に力が抜け、私は部屋に着いて早々ベッドに飛び込んだ。
「お行儀が悪いですよ、巫女様!」
上着を片付けていた侍女が当然そんな行動を許すはずもない。
「わかってる、わかっているわ……」
「……何かあったのですか? 部屋を出る時にはあれだけ心を弾ませていらしたのに」
「今でも浮かれているのには違いないのだけど……」
使徒様が見つかった――それはフレーゼの人間にとって特別で、重大な意味を持っている。私もアルメリア教の巫女として歴史的な場面に立ち会えたことを誇りに思う。
でも……いや、だからこそ、今の私の胸の中はこんなにもモヤモヤしているのだろう。
ふわりと手のひらに触れる毛布をぎゅっと握り込む。
ミゲルが使徒様を王妃として迎え入れようと動くなんてことは、この国の政治に少しでも関心のある者であればわかっていたこと。アルメリア教に関わる事象は全てフレーゼで管理する。それが宗教国としての権威でありプライドであるからだ。
巫女として教会に入ったと同時にミゲルが私との婚約を解消したのはこの時のため。最初の女神の啓示で使徒が女性であることが判明していたから。解消されてしばらくは訳がわからずに沈んでいたけれど、後になってようやく自分が蒔いた種だったことに気付いた。
ミゲルは何としてでも使徒様を手に入れるつもりだ。たとえローザリアの王太子との仲を引き裂いてでも……。それが申し訳なくもあり、それだけ彼に求められているのが羨ましくもある。
「これからは巫女として使徒様の身の回りのお世話をすることになったの」
「まぁ! その巫女様をお世話をしている私も鼻が高いですわ!」
(そう、これは光栄なことのはず……)
私も本来は背後に控えているであろう侍女のように喜ぶべきなのだろう。しかし毛布に顔を埋めたまま、素直に喜ぶことが出来ないでいる。
女神の声を聞く役目は今後は使徒様が直々に行うことになる。それは今日のライベルト山での私との違いを見れば明らかだ。つまり巫女はもはやお役御免。しかしそのまま放り出す訳にもいかないから、こうして世話役に宛がわれたと見て間違いない。
今後はそうして世話をしながら、ミゲルが彼女に気に入られるための情報収集をしていくことになる。意図は理解出来るとはいえ、よりにもよって私にさせようとしている辺り、女心をわかっていない。
使徒様が現れてからは万事がこんな調子だ。探し出すことを使命とし、誰よりもその出会いに焦がれてきたはずなのに、いざその時が来てみると手放しで喜べないことばかり。
呑み込まなければならない感情、従わなければならない立場、それらが渦を巻いて己の矮小さを思い知らせようとしてくる。
(こんなことじゃいけないわ……私は巫女として、全ては使徒様のためを考えてお仕えしなくては……)
私個人の気持ちなど、この国では必要とされていない。とっくにそれはわかっているはずなのに、今の私は気持ちが湧き出るのを止められない。
何も考えずにこのまま毛布にくるまれて眠れたなら、一体どれだけ楽だっただろうか。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
そうしていざ使徒様の傍につくようになって真っ先に感じたこと――それは「本人に使徒としての自覚が全く足りていない」ことだった。国中の貴族が挨拶に訪れても引き攣った笑みを浮かべるだけで、使徒らしいことを何もしようとしないのだ。
お陰で本物の使徒なのか不安に思う者たちが続出しており、ミゲルや我々教会の上層部が保証してなんとか納得させている。皆の前で堂々と何か一言でも安心するよう語りかければ解決するようなことすらしない。私にはそれが不思議でならなかった。
こちらは女神の声を聞いた直後から巫女として与えられた役目を果たすべく日々努力してきたというのに……。もし私が逆の立場、巫女ではなく使徒だったなら、もっと上手く立ち回れるのにと思わずにはいられない。
その温度差を目の当たりにし、たまらず苦言を呈してみても、のらりくらりと躱されてしまう。次第に苛立ちが募り始め、それを隠すように会話も必要最低限になっていく。
不敬を働きたいとは流石に思わないし、ミゲルに伝わって遠ざけられてしまえば、私の居場所は遂になくなってしまう。とても情報収集が出来るような状況ではないが、それでも必死だった。
そんなある日、使徒様がやけに欠伸をしていることに気付いた。人前ではなんとか我慢されているけれど、その回数は普段よりも明らかに増えている。
(睡眠時間はしっかり確保してあるはずなのに寝不足……?)
スケジュールは過密にならないように調整してある。ということは何か上手く寝付けない要因があるのだろう。部屋の環境は当初からそう変わっていないので、体調や心的なものかもしれない。
何にせよ世話役として主人の体調管理は第一。すぐにでも原因を突き止め、改善しなければ。
『コンコン』
「お休み中のところ失礼します」
その日の晩、王宮内を警備する人間以外はすっかり寝静まった頃、私は使徒様の寝不足の原因を探るために部屋を訪れた。てっきり起きていてノックにも反応があるものと思っていたのに、特に反応はない。今日はたまたま眠れているのだろうか。
部屋の中は魔道具の明かりがほんの僅かに灯っているだけで、真っ暗でないにしてもとても薄暗い。静まり返った室内を寝室に向かって歩く私の足音だけがやけに大きく響いている気がする。
そして辿り着いた寝室の中はやはり真っ暗闇だった。折角眠れているのなら起こしては悪い。一応様子の確認だけしてさっさと退散した方が良いだろう。
明かりを小さく灯してベッドにそっと近づいてみる。
――が、目の前の光景に言いようのない違和感を覚えた。目の前の毛布はこんもりと膨れているけれど、じっと観察していても呼吸で動いていないように思う。というかそもそも人の気配すらしていないような……。
「使徒様……ッ!?」
思い切って毛布をめくってみると、なんと中にはシーツや枕、クッションが詰め込まれており、部屋の主の姿など何処にもなかった。睡眠不足の原因が体調不良などではないと理解した瞬間、強烈な脱力感に襲われる。
「……呆れた。心配した私が馬鹿みたいだわ……」
それにしても一体どこに消えたのだろうか。
ただ夜風に当たりに行っただけならまだ良い。しかし王宮の外にまで抜け出していた場合、それが周囲に知られたら大騒ぎになってしまう。
彼女はこの国に来て日が浅く、聞いた話ではまだポルサトール港周辺しか知らないはずなので、こうして抜け出してまでして向かいそうな場所など皆目見当もつかない。こんな状態では今から外を探し回るのはまったく現実的ではないだろう。
「明日、直接問いただすしかないわね……」
結局心配事は別の心配事に置き換わっただけで何も解決せず、ただただ私の睡眠時間が削られただけだった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「使徒様、夜に抜け出して何処に行かれているのですか?」
その翌朝、私は真っ先に彼女を問い詰めた。陽の光が差し込んでいて、本来ならば気持ちの良い朝の空気が、その瞬間にずしりと重くなったのを感じる。
「……何のことかしら?」
「とぼけないで下さい。最近は明らかに目覚めが悪くなっていますし、その原因を探ろうと昨晩お部屋を伺ってみれば、中はもぬけの殻ではありませんか!」
しらを切ろうとしている所に私が追い打ちをかけると、バツの悪そうな顔をして視線を逸らす使徒様。やはり何か我々に対して後ろめたいことをしていたらしい。
「ちょっと町の酒場に飲みにいっただけよ……」
「お酒が必要でしたら我々に言って下さればすぐにご用意いたします」
「そうじゃなくて、私は町の人とおしゃべりがしたかったの」
しかもその理由は侯爵相当の爵位を持った貴族とは思えない、なんとも世俗に塗れたものだった。平民と話をしたところで一体何が面白いのか、私にはまったく理解出来ない。
「女神の使徒ともあろうお方が、何故そのような低俗な……」
使徒のお言葉というだけで多大な価値が生まれるというのに、発信する場所や相手すら精査せずに、ただおしゃべりしようというのだから頭が痛い……。やはり使徒としての自覚は皆無のようだ。
それどころか女神から与えられた魔力以外にも貴族としての地位や、その抜群の容姿、剣の技術などを備えている時点でまるで話し相手として釣り合っていないではないか。
「……女神の使徒だからって何?」
「えっ」
「今言ったわよね、女神の使徒が飲み歩くなって。何でしちゃいけないの?」
私が溜め息を吐いていると、彼女の声のトーンが大きく下がり、これまでに感じたことのない圧が全身にのし掛かってきた。相手が苛立っているのは明白だったが、ここで押し黙ってしまっては改善の見込みはゼロになってしまう。
私は緊張で張り付いて中々声が出てこない喉に力を込める。
「貴女様はこの国の……いえ、全世界の希望なのです! 皆を導く使命をお持ちのお方が遊び歩いていては周囲に示しがつかないではありませんか!」
「何それ?」
「……ッ!?」
しかし目の前の彼女は使徒としての自覚を持つどころか、私の渾身の主張を鼻で笑っている。
「私の使命は来たる人類の破滅を防ぐことだけよ、女神は人々を導けなんて一言も言ってない。……なのに貴女たちは何で私に勝手にそんなものを押し付けようとしてくるの?」
(まさか……そんな!?)
女神が本当にそれしか使徒に課していないとなると、これまでの意識の低さにも納得が出来てしまう。
(わざわざ私に啓示を与えて探させるような真似をしておいて、本当に……?)
それが本当であるならアルメリアの雷で力を与えた際に、その使命を彼女に直接伝えるだけで良かったではないか。女神ほどの存在が取る行動としては随分と無駄が多すぎる。嘘であって欲しい。
しかし私を睨み付けるその目を見れば、嘘を言っているようには到底思えなかった。
「貴女たちはね、私を一人の人間として見ていないのよ。敬っておけば勝手に自分たちを導いてくれる道具だとしか思っていない。私がそんな国を好きになると思う? そんな国の王を伴侶に選ぶと思う? ……もし本当にそう思っているのなら、頭がお花畑もいいところだわ」
ここぞとばかりに投げつけられる言葉は辛辣なものばかり。使徒であることに何の思い入れもない彼女からしてみれば、我々は勝手に熱くなっているだけの、ただただ結婚を妨害してくる邪魔者でしかないのだ。
私から見てもどうしようもないほどに、この国の人間と彼女との間に致命的な認識の差があるように思う。これではもう彼女をこの国に迎え入れることなど不可能ではないだろうか。
「今晩またこの部屋に来なさい、いい機会だから私がどんな人間か見せてあげるわ。夜は寒いから外套ぐらいは用意しておいてね」
「……ッ!? まさか……」
使徒が見限った宗教国として周囲から笑われる未来しか見えないせいで言葉を失っていたところに突然、彼女がそう言い放つ。「夜」「寒い」などの言葉から察するに、私を連れて昨晩のように外出しようというのだろう。
平民たちと話すことに変わらず価値を見出せないものの、もはや有無を言わさぬその提案に、私は唯々諾々と従う外なかった。




