154.使徒と巫女
対峙した男は熊みたいに大きな身体に髭面、歳は四十過ぎくらいだろうか。まくられた袖から覗く前腕はとても太くて毛深い。
(なんだかゴレアンたちを思い出すわね……)
身体が大きいとそれだけで威圧感が出て相手を委縮させられるから便利そうだ。ナンパ目的で寄ってこられたりしないだろうし。
……いや、でもそれは流石に隣の芝が過ぎるか。いくら負の側面をこれ以上ないほどに経験してきた私でも外見で得をしている自覚はちゃんとある。一目惚れされる容姿があったからこそ今のクリスとの関係があるのだから、いい加減ぶつくさ言うのは止めにしないと。
「お、やる気かレオン? 二度と店に来たくなくなるようにしてやるよ!」
「話すのは初めてだろう? 何で名前を知ってるんだ?」
「女どもが事あるごとに『レオンさ~ん!』って騒いでりゃ覚えるに決まってんだろ!」
どうやらそれが羨ましかったらしい。とはいえ青筋を立てるほど怒らなくたっていいじゃないか。
「大きい身体して小さいことを言うね。まぁいいや、ここだとお店に迷惑が掛かるから外に出ようか」
「ハッ! 店の心配が出来るなんて余裕だなぁ、優男さんよ!」
そう挑発しながらも大人しくついてくる大男。さっきのキーラさんの話からして、何か壊しでもしたら多分弁償とか出来ないだろうし、彼としても困るのだろう。
お店の外に出てまた向かい合う私たち。揉め事の雰囲気を感じ取った通行人たちが好奇の眼差しを向け始める。
「――待ちなさい!」
そこに何故かミラさんが割って入ってくる。はっきり言って負ける要素はないし、彼女の出番なんてないはずなのに。
キーラさんたちもすぐに気付いたぐらいだ、周囲の人々も普通なら居るはずのない巫女の登場に騒然となってしまっていて、大男も目をぱちくりさせている。
「ありゃ巫女様じゃないのか?」
「こんな場所に来られるお方じゃないだろ……」
「でもあのお顔は確かに巫女様だと思うわ」
「このお方はこのような喧嘩をして良いようなお方ではありません! 身の程を弁えなさい!」
彼女は周囲の目など全く気にしない様子で声を張り上げた。
(ちょっとぉぉぉ!?)
何のためにこれまで冗談で誤魔化していたと思っているのか。貴女のような立場の人間がそんな言葉遣いで擁護する相手ってだけで普通じゃないのがバレるじゃないか。
きっと敬わなければならない相手だという意識が強すぎて我慢出来なかったのだろうけれど、それは悪手ですよお嬢さん……。
「あの男は何者だ?」
「一緒にいるってことは恋人か何かとか?」
「それでも二人でこんな場所には来ないだろ普通……」
案の定、ただの喧嘩を興味本位で眺めていた人々が次々と私を「誰だこいつ」という目で見始めているではないか。
「巫女様? ……いやいや、あんな店に巫女様なんて居るわけねぇ。男には戦わきゃならねぇ時があるんだ、女は引っ込んでろ! 紛らわしい見た目してんじゃねえ!」
「なっ……!? 『輝杯』のアムリア家の人間に向かってそのような乱暴な言葉を吐くとは……恥を知りなさい!」
ただ目の前の女性を雑に扱ってしまったのはとてもよろしくない。なんせ相手は紛れもない本物の巫女で、れっきとした貴族なのだ。知りませんでしたじゃ済まないかもしれない。
まさか偽物認定されるとは思っていなかったのだろう、言い返されたミラさんも不快感を露にしている。普段はお淑やかな彼女でもやはりその辺りのプライドは持ち合わせているようだ。
そして何となくそうなんだろうなと思っていたけれど、やはりこの国の人は杯の種類で相手にマウントを取るようだ。今回は身分差が露骨にあるからそれ以前の問題とはいえ、同じ平民同士でもその辺りで差がつくのだから、差別される『虚杯』でなくても大変だ。
(あぁ~……もう仕方ないなぁ……)
この男のように絡んでくることなんて平民の間では別に珍しくもないことなのに、このままじゃ不幸なことになってしまう。普通こんな場所に来ないことはその通りなのだし、流石に可哀想だ。
「やはり所詮は品のない平民ね。ここは『銅杯』の身の程知らずに楯突いたことを後悔させて――」
「はいストップ~」
更に前のめりになっていたミラさんの肩を掴んで制止させる。気付いて振り向いた彼女は私の視線を受けて少し冷静になったのか、バツの悪そうな表情を浮かべて後ろに下がっていく。
私は前に出て変装の魔法を解いた。ここに彼女がいることと、彼女を止められること、その両方を周囲に納得させるにはもうこうするしかない。
「ごめんなさいね、彼女は本物の巫女様なの。だからお互いのためにすぐに謝罪してくれるかしら」
こちらの姿が突然変わったものだから、目の前の大男は硬直してしまっている。ただ周りからはすぐに驚きの声があがる。
「使徒様だ!」
「魔人や魔物の群れからポルサトール港を守ったという!」
「なんとお美しい……」
そして予想通り跪いて祈りを捧げ始めた。
やっぱり変装の魔法を使っておいて良かった、でなければ最初の訪問の時点で即バレしていただろう。
「ほ、本物……? 巫女様も……使徒様も……?」
「そうよ」
周囲の反応から間違いないと察した大男はみるみる顔が真っ青になっていく。
「……す、すみませんでしたぁぁぁぁ!!!」
そのまま大声で謝罪しながら走り去ってしまった。まだ絶妙に無礼な気もするけれど、ひとまずこれで良しとしよう。
軽く安堵の息を吐きながら周囲を見回すと、人だかりのそのほぼ全員に祈りを捧げられている状況になってしまっている。これではまたお店に戻ってお喋り再開とはいかなさそうだ。
「……しょうがないわね、帰るわよ」
「ひゃっ!?」
またミラさんを問答無用で抱き上げる。
「お店のみんなも、楽しい一時をありがとう」
祈りはしていないものの、呆気に取られたままのお店の女の子たちに苦笑いしつつ、私は王宮へと飛び立った。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「申し訳ございませんでした……」
特に会話もないまま辿り着いた自室でミラさんを下ろすと、彼女は早々に頭を下げた。
「ホントよ、もうレオンの姿でお店に行けなくなっちゃったじゃない……。イメージを定着させるの大変だったのに~……」
「うぅ……」
少しわざとらしく恨めしい視線を送ると、彼女は縮こまってしまった。とはいえ彼女を連れて行くと決めたのは私なのだから責任は私にある。
それに気に入っていたお父様の見た目で行けないだけで、行こうと思えばまた別の変装で行けば良いのだ。面倒ではあるけれど、そこまで怒っている訳でもない。
「……それで、私がどんな人間だか少しは理解して貰えたかしら?」
彼女はこくりと頷いた。
「侯爵相当の爵位をお持ちとは思えないくらいに、平民との距離が近いのですね。正直、貴族女性として見ればはしたないくらいですが……」
これまでの敬う姿勢は何処に行ったのか、その酷い言われように思わずガクッと身体の力が抜ける。
「――ですが、お店の中での使徒様はとても自然で、王宮では見たことがないほどに生き生きとされていて驚きました。それだけ私を含め周囲の者が、貴女という人間を見ようとしていなかったということなのでしょう」
「人生の約半分を平民として生きてきたからね。でもその平民だって使徒だとわかった途端にあの調子よ。本人たちにその気はなくても、私からすればありのままの自分を拒絶されているようなもの。この国にはもう『私』の居場所なんてないのよ」
ミラさんは視線を下に向け、じっとしたまま動かない。ただその表情は最初のような申し訳なさからくるものではなく、一生懸命さが滲み出ている、少し必死にもとれるようなものだった。
それからしばらくしてミラさんは「少し時間をください」と言って退室し、この日はお開きになった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「お……おはよう、使……レオナさま……さん」
「へっ……!?」
翌朝。いつも通りの時間に起こしにきたミラさんの、そのぎこちない挨拶に耳を疑った。
眠気など一瞬で吹き飛び、思わず跳ね起きて声のした方向を向くと、そこには顔を真っ赤にしたミラさんの姿が。
「あのお店の女の子たちを参考にしてみたのですが……」
「それって……」
「せめてこの部屋の中くらいは貴女の居場所が作れたらと思いまして……」
味方に引き込めないかという理由で今回お店に連れて行ったのは確かなのだけれど、実の所そこまで期待はしていなかった。まさか本当に効果があっただなんて……。
あの真面目でお堅い彼女が歩み寄ろうとしてくれているのだ、嬉しいに決まっている。
「ありがとう、凄く嬉しい!」
「ただ一つお願いがありまして……」
「うん? どうしたの?」
「部屋の外では女神の使徒らしい振る舞いを続けて頂きたいのです。お辛いのは重々承知しておりますが、この国の者にとってそれだけ使徒という存在は特別なものなので……」
手当たり次第にありのままの私を見せて回って欲しくないということか。彼女にとっても今回の出来事はショックが大きかったのだろう。
私もこれだけ不満を漏らして相手に合わさせておいて、相手側の女神の使徒を素直に敬いたいという気持ちまで否定するのは良くない気がする。
周囲に理解者がまったくいなくて溜め込むしかなかったこれまでとは違うのであれば、そのくらいは我慢出来るはずだ。
この国での私の居場所はこの部屋だけで良い。時が来れば私はローザリアに帰るのだから、多くは望まない。
「わかったわ。……ただしこの部屋では遠慮はしないからね! 名前も呼び捨てで敬語は禁止! 私の愚痴や世間話にも付き合ってよね!」
「あはは……」
ミラは私の有無を言わさぬ宣言に苦笑いを浮かべた。
フレーゼ王国でも気の置けない友人が出来ました




