15.★謎の弟子(バルゲル視点)
まずはここでの暮らしに慣れるところからだ。修行だ訓練だなんてものはその後でいい。
翌朝、もう動けると言うので家の中や表の井戸、畑を案内する。向こうから身の回りの世話をすると言い出したんだ、家事は全てやってもらう。
試しに昼飯を任せてみると、有り合わせの物でさっと作ってみせた。材料はウチにある物だけだから豪華にはなりようがないが、味は中々のものだった。
更には次はいつ町に買い出しに行くのかまで尋ねてくる。聞けば塩などここでは手に入らない物をそれまで持たせないといけないからだと言う。家の中の物を見て、完全に樹海の中だけで暮らしているのではなく、たまに町に出ていることを見抜いたようだ。
(お前さん本当に伯爵のところの子供だったのか……?)
正直なところお嬢様相手に家事を任せるというだけでも結構な勇気が必要だったのだ。料理が普通に出来ることだけでも驚きだというのに、近頃のご令嬢は在庫の管理まで初日から自ら進んでやるものなのだろうか。
料理ひとつ取ってみてもこんな調子だ。
洗濯を任せてみれば、井戸からの水汲みを簡単にこなし、ベッドからシーツや毛布をはぎ取り、綺麗な物以外、着ている物ですら全て出せとまで言ってくる。
丁寧に手洗いされたそれらは今、家の前にずらりと干されて並んでいる。
そして俺は今パンツ一丁で家の前に置かれている椅子に座り、畑に水をやっている彼女を遠目に眺めながら呆然としているところだ。晩飯用に魚を獲りたいから後で川に連れていけとも言われている。
(ホントに何者だよお前さんは……)
ここまで使用人のするような仕事をテキパキとこなす令嬢など俺は見たことがない。使用人を雇う余裕すらない貧乏貴族の娘ならわからなくもないが、領主の娘だったらしいではないか。
その後も川で稲妻の魔法を使った豪快な方法で魚を獲って持ち帰り、それらを焼く傍らで、追加で二品も作ってしまった。
俺一人なら汚れた服を着たまま、昨日の残りのスープだけで済ませていただろうことを考えると、今日一日だけで生活の質がとんでもなく上がっているのが良くわかる。
ここまで一切文句を言わず積極的にやってきた彼女だったが、唯一風呂が無いことだけには不満を漏らし、ぶー垂れていた。午前中に川で水浴びしてこいと言うとしぶしぶ納得してくれたが。
……と思ったら、就寝前にもう一つ訴えてきた。暮らす上で必要な物が足りなさすぎるから、やっぱり一度街に連れていけという。特に衣類やリネン類、食器などが全く足りず、調味料や石鹸もまだ必要だと。
それは別に構わないが、ここから一番近い街であるベルモント伯爵領のディオールへは俺の足ですら移動に丸一週間は掛かる。
それにレオナは付いてこれるのか聞いてみたところ、「距離や方角もわからず彷徨うのならともかく、ただお師匠様に付いていくだけであれば問題ないと思います」と、これまた頼もしい返事が返ってきた。
この買い出しをだらだら先延ばしにすると嫌な予感しかしなかったので、さっさと終わらせるために明日からディオールへ向かうことにする。
やっと一日が終わる……。
俺自身は大したことをしていないのに、何故か酷く疲れた。きっと明日以降はもっと疲れることになるのだろうと思わずにはいられない。
洗濯され綺麗になった、何故か爽やかな香りのする毛布をかぶり俺は眠りについた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
翌朝、手元にあるだけの獣の毛皮や魔石を袋に詰め込む。前回訪れた時からそこまで日が経っていないので大した量ではないが、今回は色々と入用になりそうなので換金しておきたい。
魔石は魔物の体内から獲れる石のことで魔力の容れ物になる貴重なものだ。これらは魔道具に用いられる素材として取引されており、大きい程価値が高くなる。その大きさは魔物の強さに比例するので、強い魔物の多い樹海で暮らす上での主な収入源になっている。
それといくらかの水と食料を詰め込み、二人で樹海を駆けだした。
迷うことがないといっても普通に歩いていては時間が掛かりすぎるので走る。特に今回は荷物も少ないのだし、体力があるならば走ってしまうに限る。
休憩を挟みつつ、ひたすら樹海を走り続ける。
確かにレオナはしっかり付いて来られている。見た感じ少し走り難そうだが、それは恐らく靴のせいだろう。服も買う予定らしいので、その時に靴について忘れずに伝えておかねば。
相変わらず表情の変化に乏しく何を考えているのか良くわからない面をしている。とはいえペースが若干落ちてきているので流石に疲れてきてはいるらしい。
日が暮れてきたので、たき火をしながら家から持ってきた食い物で腹を満たす。
晩飯後は俺に任せて寝てくれれば良いのだが、レオナはさっきから剣を握りしめて周囲を警戒し続けている。どうやらフォレストウルフに追われていた時の記憶が根深いようだ。
「俺と一緒なら奴らに襲われることはねえから警戒しなくていい。一日中走って疲れてんだろ、寝られる時に寝とけ。明日持たねえぞ」
俺に指摘され、自分が必要以上に気を張っていることにようやく気が付いたのだろう、珍しく何をやっているんだと言わんばかりのバツの悪そうな顔をしている。
「……そうだったんですね。ではお言葉に甘えて……おやすみなさい」
そうしてようやく身体の力を抜いて眠りについてくれた。あっという間に寝入ったのでやはり疲れていたのだろう。
たき火の爆ぜる音と、たまに吹く風の音、あとは魔物の鳴き声だけが聞こえてくる樹海の闇の中で、俺は彼女に頼まれた通りに一人で生きていける力をつけさせる為には何を教え、何を鍛えなければならないのかといったことを考え、今後の計画を練る。
十歳とは思えない、変わった子供だというのは間違いない。
テキパキと家事をこなせるほど要領も良く、俺についてこれる体力と根性もある。まだ剣や魔法の腕前は確認していないが、あの時の殺気や魔法の使い慣れ具合からしても期待は出来そうだ。
成人までの期間でどこまで伸ばせるのか今から楽しみだというのが本音だ。
「……いで」
機嫌良く、くつくつと笑っていると突然どこからか声がした気がした。
周りを見渡し、そのまま横で眠る少女へと視線を落とす。
(……ぁ? 寝言か?)
「……いかないで……お父様……お母様……」
少女の目から零れ出た涙がたき火の明かりで照らされ、きらめきながら頬を伝っていく。それを間近で目撃してしまった俺は右手で顔を覆い、項垂れた。
十歳の令嬢には見えないとこれまで散々言ってきたが、結局それは表面的なものでしかなかった。目の前で涙を流しながら眠る彼女の姿は疑いようもないほど年相応だったのだ。
ついさっきフォレストウルフから受けていた影響を目の当たりにしたばかりではないか。
昨日一日考える暇もないくらいに絶えず動き回っていたのも、表情の変化に乏しく淡々と話すのも、両親を目の前で失った心の傷からくるものだと何故想像すら出来なかったのか。
(何を浮かれてやがる……この大馬鹿野郎が……ッ!)
きっかけこそ向こうから押しかけられた形とはいえ、人様の子供を預かっているということへの自覚のなさに俺は心底自己嫌悪した。
(今この娘に必要なものは……安らぎか)
昨日の様子からハンター以外の道を選ぶ気は一切なさそうだというのは理解した。ハンターとして自ら進んで孤独な生き方に身を投じようとしているこの娘には、確かに生きていくための知識や技術は必要だろう。
だが今彼女に最も必要なものはそんなものではない、心の傷を治すための休息だ。身体の傷は魔法で簡単に治せるが、心というものは時間を掛けて治す以外に方法はないのだから。
それをしないまま世の中に送り出してしまえば、何かしら不幸な結果を招くことになるだろう。押しかけとはいえ一度決めた師匠役だ、弟子を不幸になどさせたくはない。
俺の家は彼女が安らげる場所と言えるのだろうか。生活に慣れるよりも先に、まずは環境作りから始めなければならないのではないか。
(まさかこの俺が、こんな繊細な役目を背負わされる羽目になるとはな……。似合わねぇにも程があるぜ、まったく……)
さっさと買い出しを済ませ、帰ってきたらすぐに鍛え始めれば良いと楽観していただけに、その前途多難な道のりに思わず天を仰いだ。
そこにはこれからどのようにこの娘と接すれば良いのか、まるでわからない俺の心を映しているかのように、頭の上には樹海の木々が作り出した闇が広がっていた。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
その後も危なげなく進み、無事ディオールの町に到着した。今は昼飯には少し早いくらいの時間なので先にレオナの服を揃えてしまうとしよう。
『洗い流し』
俺はレオナに向けて洗浄の魔法を使う。これから人に会うのだから走って汗塗れの姿なのはよろしくない。
突然魔法の水に包まれて何が起こったのかわからず目を丸くしている彼女を見ていると、その表情をほんの僅かでも動かせたことに少し嬉しくなる。
物凄い勢いで教えてくれとせがまれたので帰りの道中で教えると約束し、綺麗になった俺たちはまっすぐに服屋へと向かった。
「何をどれだけ買うかは決めてあるのか?」
「はい、大体は。後の細かいところはお店の人と話して決めてきますね」
そう言って彼女は店に入っていく。
話をしていた店員がにこやかに頷いたと思ったら、レオナは店の奥に消えていった。
(……ん?)
店の奥に何かあっただろうか。
良くわからないまましばらく待っていると、上下はレザージャケットとホットパンツ、靴も動きやすいショートブーツに変えて、その長く美しい金髪を一つにまとめて垂らしたレオナが奥から姿を現した。
見るからにお嬢様だった出で立ちが、一転して溌溂とした少女へと変貌している。着ている物は全身茶色でどうしようもなく地味だが、その明るい金髪と、ホットパンツにした事で露になったその白く長い脚がとても眩しい。
更に店員から同じようなセットをもう一つ受け取り、下着や肌着らしきものもいくつか抱えて店から出てくる。
「お、おい……金はどうした? 支払ったようには見えなかったが……」
「着ていたお洋服を買い取ってもらいました。生地が良い物だったので」
(そんなに高かったのかあの服は……。それにしても――)
「……良かったのか? 売っちまって」
これでもう見た目すらも貴族ではなくなってしまった。思い出の品と呼べる物も、その手に持つ剣だけになってしまったのではないか。
「思い入れが無いとは言いませんけど、これからまだ大きくなるんです。いずれ着られなくなる物を後生大事に抱えていても仕方ありません」
「あぁ、確かにそうかもしれんな……。おかげでこっちは予定よりも金が浮いたから、俺らで持てる範囲でなら事前に言ってた物以外にも家に欲しい物を買ってもいいぞ」
「それは嬉しいです。何が良いかしら……」
「まぁそれは昼飯でも食いながら考えてくれや」
嬉しいと言いつつも特別嬉しそうな顔ではないのだが、心なしか声が弾み、纏う雰囲気が柔らかいものになっていることに気が付いた。
(なるほど、表情じゃなくてもこういう所に感情が出てはいるんだな……)
少しでも居心地の良い場所にしてくれるならそれで良い。
数日前にたき火の前で決意した通り、確かにそう思っていたのだが、自重を捨てた彼女の本気を俺は甘く見ていた。