149.厄介な相手(ミゲル視点)
「ご、ご報告申し上げます!」
突如謁見の間に飛び込んできた騎士が衛兵に付き添われながら声を張り上げる。その顔面は蒼白で服装も乱れれているので、報告の内容が不穏なものであることは火を見るより明らかだった。
「そのように慌てて一体どうした?」
「正体不明の魔物が出現し、それが更に魔物を呼んだことでポルサトール港が大混乱に陥っております!」
「なんだと!?」
「現在現地の戦力と、何故かその場にいたローザリア王国の王太子殿が対処に動いていますが……」
「ローザリアの……クリスが?」
思ってもみない人物の名前が挙がったことに思わず眉を顰める。奴がフレーゼに来るなどという連絡は受けていないのだ。あれだけ真面目な性格だというのに連絡を寄越していないところに引っ掛かりを感じる。
「『即座に動かなければ場合によっては本当に国が亡ぶ』と伝言を預かって参りました」
そう言って騎士は懐から白く滑らかなハンカチを差し出した。そこにはローザリア王家の紋章がしっかりと刻まれている……偽物ではなさそうだ。
(何かしらの目的があって訪れたが、目の前の緊急事態を無視は出来なかった――といったところか)
状況や奴の性格的にでまかせの可能性は限りなく低いとみても構わないだろう。わざわざ姿を晒してまで寄越した助言だ、ありがたく聞き入れるとしよう。
「……いいだろう、出陣の準備だ! スレイ、ティルテ、ただちに騎士団に連絡を!」
『はっ!』
(さて、どうなるかな……!)
現地では一体何が俺を待っているのか、いつぶりになるかもわからない出陣に昂っていた自分がいた。
――しかしそれは三十分ほど遅れて追加でやってきた伝令によって中止を余儀なくされる。しかしそれからもたらされた情報は、無駄に終わった出陣の準備のことなど最早どうでも良くなってしまうほどの衝撃を我々に与えた。
「クリスに同行していた女性が女神の使徒だと……!?」
「はい! 女性の左腕に現れた光輝く聖痕も、雨雲もない空からアルメリアの雷が降り注ぐ瞬間も、魔人が崩れ去る前に身体にアルメリアの紋章が刻まれていたのも、全てこの目で確と見たのです!」
興奮しきりの騎士から情報を聞き出すのには苦労したが、それが進めば進むほど周囲が騒然となっていき、この場が熱を帯びていく。
俺自身も心が湧き立つのを抑えられない。ミラが女神より賜った言葉通りに、女神との関りを持つ者が現れたとあれば興奮しない方が難しい。長年伝えられてきているアルメリア教の歴史の中でもこんなことはなかったのだから。
「私はお伝えするために一足先に参りましたが、今頃こちらに向かっているところでしょう」
「では今のうちに情報をかき集めなければ! その女性の名や容姿は?」
「異国の白い肌、肩に届かない程度の透き通るような淡い金髪、切れ長の赤い瞳は吸い込まれそうで、なんといいますか……現実離れした美しさでございました」
――素晴らしい、流石女神の使徒なだけある。早く実物をこの目で拝んでみたいものだ。
そこまでは惚けたようにすらすらと説明しておきながら、騎士は何故か急に歯切れが悪くなる。
「ただその……『レオナ』と呼ばれていたところまでは把握しているのですが……驚きと焦りのあまり家名や出身地などについては確認するのを失念しておりまして……」
「……この馬鹿者! 今のこの状況ではそれが一番重要だというのに!」
「申し訳ございません!」
現場がそれだけ女神の使徒の登場に興奮していたというのが想像出来てしまうところがまた哀しい。
「それだけ美しい容姿であるのなら、あちらの国で何かしらの話題になっていてもおかしくない。信号の魔道具を持たせてローザリアに潜伏させている者にすぐさま連絡を取れ! それ以外にも、もうあまり時間がないが王都を中心に各地で情報を集めさせよ!」
そうして情報をかき集めたところ、そのレオナという女性はS級ハンターとして業界内では有名人だということがわかった。その女神から賜ったでろう力を振るって人々を魔物の脅威から護っているのだろう。
国内からはその程度の情報しか得られなかったが、ローザリアにいる諜報員からは他にも様々な情報を聞き出すことが出来た。
以前クリスが「女の尻を追い回す王太子」と噂されるようになった時は俺も一体何をしているのだと呆れたものだが、その相手こそがそのレオナという女性だったのだ。
奴ならばその力の価値と尊さを見誤ることなどないだろうし、当然の選択ともいえる。しかしそれをただ黙って見過ごすことなど出来るわけがない。幸いにも今のところクリスが結婚したという話は聞いていない。それならばまだ間に合う、この国に彼女を迎え入れなければ。
この国の王である俺以外の男が、女神の使徒の寵愛を受けるなんてことはあってはならないのだ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
彼女が王都ヘクセルシアに到着したと連絡が入ったのはその数日後。臣下たちは俺から見ても情けないくらいに浮足立っている。
だが彼らも実物を前にすると畏敬の念が勝つらしく、その誰もが恭しく祈りを捧げ始めた。
「……おぉ! 其方が!」
一方の俺は彼女のその美しさを目の当たりにして浮ついていた。女神の使徒というだけでなく、ここまで美しい女を手に入れることが出来れば俺の未来はもう約束されたようなものではないか。
「ミゲル!?」
「……む、あぁクリスか。息災で何よりだ。お前も彼女と共に民を救おうと動いてくれたそうだな、感謝する。――さて、それでは名前を伺ってもよろしいかな? 早馬からの情報にはなかったのでね」
だが問題はどうやってこの男を彼女から引き離すかだ。既に騎士長としてローザリアに囲われている現状ではそれは容易なことではない。
――考えろ。これは俺にとって人生最大の分岐点となる。天国か地獄かを決める重要な場面で失敗は許されない。
ライベルト山の遺跡で女神の使徒としての立場を確固たるものとした彼女。目の前で舞台が光り輝き、姿を消してしまうのを目の当たりにしてしまえば最早疑いようもない。
彼女の帰還を待っている間も俺はひたすらにこの後取るべき選択を考え続ける。
「……ならば仕方あるまい、これはもう戦争しかないな」
――そして辿り着いた結論がこれだ。
戦争などしたくないのは誰でも同じ。だからこそ、こちらが頑なな姿勢を崩さなければ何かしらの条件を差し込めると踏んだ。
どの道俺が女神の使徒を手に入れることが出来なければ宗教国としての権威は失墜したも同然。破滅も戦死も俺にとってさしたる違いはない。
結果的になんとかプロポーズ勝負をするところにまで持ち込むことが出来た。これなら彼女に選ばれさえすれば白黒はっきりつくのでクリスも黙らせられるだろう。
「それでもやらなければならないことがある。……其方にならわかるだろう?」
「俺は俺で必死なのだ、わかりたくもない」
そんな俺の立場をクリスはわかっていながら譲ろうとしないのだから薄情な男だ。――必ず引き離してやるぞ、覚悟しておけ。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「さてと……」
俺と団長二人は執務室の奥に作られた、臣下の中でも一部しか知らない秘密の部屋の扉を開ける。そこには大量の魔道具の画面が並び、椅子に掛けた一人の男が食い入るようにそれらを見つめている。
「これはこれは……ミゲル陛下」
「首尾はどうだ?」
俺の入室に気付いた男――ゴードンがこちらを振り返る。
ここは王宮の各地に設置された監視の魔道具の制御室。国内に蔓延っている変装の魔道具の使用者をあぶり出すために作られた場所だ。
「女神の使徒様とその一行に関してはまだ何も。ただ厨房に出入りしている業者のうちの一人が何やら怪しい動きをしております」
「そうか。ネズミに関してはスレイ、お前に任せるぞ」
「承知いたしました」
俺はレオナのいる客室の画面を覗き込む。レオナは正面のソファーに腰掛けていて、画面の端には使用人から説明を受けるミラの姿もある。レオナの近くで情報収集させるために世話役に任命したのだ。
今のところ特に彼女に変わったところはない。しかし油断はできない。女神の使徒であることはもう疑いようもないが、その姿も本物であるかまでは確証がないのだ。
(風呂や就寝までは流石にボロは出さないか……)
将来妻になる女の風呂なのだから俺が直々に確かめてやろう。本物であればその超一級品であるその肢体をゴードンに見せるなどもっての外だ。あれは俺の物だ。
「……む?」
すると画面のなかのレオナに動きがあった。片手を持ち上げて掌の上に同じくらいのサイズの魔力の塊を作り、そのまま床に落としたのだ。
だが、ただ魔力が弾けただけで特別なにか変化が起こったようには見受けられない。
(何をしている? 遊んでいるのか……?)
困惑しながらも目を離せずにいると、レオナは何故かまた魔力の塊をその手に作り始めた。……しかも今度のそれは先程よりも明らかにサイズが大きい。
その魔力の塊が先程と同じように床で弾けた瞬間――
「うおっ!?」「んぐう……」「きゃあっ!」
一瞬にして俺の身体の中を何かが駆け抜けていった。……初めての感覚だったが間違いない、今のはレオナの魔力によるものだ。
「今のは一体……」
「……どうやらレオナの仕業らしい」
「この距離でですか!?」
ティルテの言う通りこの部屋と客室とでは結構な距離がある。だが女神の使徒にとってはそんなことなど問題にすらならないらしい。
『ブツッ!』
この場の全員が驚きを隠せない中、更なる異変が起こる。
部屋の中の画面すべてが一斉に映らなくなったのだ。
「何っ!?」
「こ……これは……! 王宮内に設置された監視の魔道具のすべての反応が消失しております!」
「まさか……!」
監視の魔道具の存在に気付き、今の魔法で王宮全体に設置されたそれらを破壊したとでもいうのだろうか。……だがこの状況ではそうとしか考えられない。
「何ということを! これらの魔道具に一体どれだけ掛かっていると思っているんだ!」
ゴードンはその被害額に頭を抱えてしまった。だがいくら壊したのがレオナだと確信していたとしてもそれを追求することは不可能だ。その瞬間を覗き見ていましたなどと言えるはずがない。
「やはり女神の使徒ともなると尋常ではないな……」
「例の作戦はどう致しましょうか?」
「……続行だ。我々は足を止めてはいられない」
作戦とはこちらが変装の魔道具を使って二人の仲を引き裂くというものだ。もちろんそれも容易くいくとは微塵も思っていないが、そこから何か少しでも情報が得られるのであれば、する価値は充分にある。
――その日の深夜。
二人の帰還を待っていた俺の元にティルテが戻ってくる。しかしその重い雰囲気を見れば結果などわかりきっていた。
「その様子だと失敗したようだな」
「はい……王太子に偽物だと見破られました。『このような二人きりの状況であれば彼女は俺のことをクリスと呼ぶ』と……。既に随分と気安い仲になっているようです」
「姿は見られたか?」
「申し訳ございません。戦闘になり魔道具の維持が難しく……」
奴は生真面目で努力を怠らない性分なので剣の腕も鈍らなはずはない。制御しようがない女神の使徒はともかく、クリスも一筋縄ではいかない相手だと嫌でも思い知らされる。
「だろうな」
だがそれもわかっていたこと。それでも俺に引く選択肢などないのだ。
「……まぁ言い訳はなんとでもなる」
そう……それがたとえ作戦に失敗し、気絶したスレイを抱えた当人たちの前だったとしても……。




