148.一時の別れ
「どうしてそんな……」
これまであれほど真っすぐに追い求めてくれていたのに、何故今になってそんなことを言い出すのだろうか……。
「ミゲルは本当に優秀な男だ。共に過ごした時間こそ多くはないが、それでも俺が彼に勝っているところが見つからないくらいには全てにおいて秀でている」
つまりその辺りにコンプレックスがあるということだろうか。
「だからって……!」
しかしそれでも納得いかない。
私が求めているのは私のことを理解したうえで尊重し合えるような人。能力的に優秀かどうかなんて尺度で結婚相手を探した覚えはない。それはクリスも痛いほど理解しているはずだ。
「もう女神の使徒なんてものにまでなってしまったのだ、そんな立場の人間にはローザリアは小さすぎるのではないか……?」
「……ッ!」
そんな自虐的な呟きに最初は唖然としたものの、すぐさま怒りがこみ上げてくる。
自分たちの故郷を、自らが治めていく国を、そんな言葉で卑下するなんて有り得ない……。私がこの国に来たのだってローザリアの皆が大切だったからだということすらも忘れてしまったのか。
「こ……この国の人間で女神の使徒を敬わない者などいないというのはミゲルの言う通りだろう……?」
私が睨み付けていることに気付いたクリスが慌てた様子で言葉を捻りだしている。相変わらずそれは見当違いのものでしかないけれど。
敬われたいなどと思ったことなどない。このような称号を有難がるような私に見えるのか。
……どうやらまた最初の頃のように思い込みで暴走しているらしい。こちらの考えなどこれっぽっちもわかっていないではないか。
いい加減私もただ受け身でいてはいけない。目を覚まさせて正しい道へと戻るようにするのも、この人を愛した私の役目だろう。
こちらが身体強化を強めながら近づくと向こうもただならぬ空気を感じ取ったのか、魔力の反応を強くしながらも後ずさりを始めた。
「何故そのように怒っているのだ……!? 卿のことを想っての話だというのに……!」
(いや……違う……!)
私はその言葉を聞き逃さなかった。
焦りからだろうか、相手は致命的な間違いを犯したのだ。
これまでクリスがおかしなことを言い出したと思っていた、その認識が一変する。
(こいつは……クリスなんかじゃない!)
クリスならこの状況で『卿』なんて呼ばない。そんな他人行儀なものではなく、しっかりと『私』を見て『レオナ』と名前を呼んでくれるという信頼がある。
私のことをまるで分かっていない人間が、私のことを想っている風に囁いているだけ――そう気付いてしまえばここまでの違和感の全てに納得がいった。
他人がクリスの姿でそのような言葉を吐くのは彼に対する侮辱だ。そんなものを私が許すとでも思っているのか。
「どこの誰だか知らないが不愉快だ。――失せろ」
『ドゴォ!』
怒りを乗せた拳がクリスの偽物の腹に深く沈み込み、軽く吹き飛んでそのまま壁に激突する。
「ぐ……ぁ……ッ!」
崩れ落ちた相手の姿がまるでモザイクのタイルが一枚一枚剥がれ落ちるように変化していく――。
「……ふぅん、騎士団の団長様がねぇ」
偽物の正体はミゲル陛下の側近の青い髪の男性だった。……名前は忘れちゃったけど見間違えることは流石にない。これほどの人物が動いているのだからミゲル陛下の息が掛かっていると見ていいだろう。
覗き見の次は偽物を寄越してくるなんて、初日からあの手この手と飛ばしすぎではないだろうか。
「レオナッ!」
私が気絶した団長の襟元を掴んで引きずって連行しようとしていたところに、また聞き覚えのある声が響いた。今こんなことがあったばかりなので少し警戒してしまうが、こうして改めて見るとまったく雰囲気が違うのだなと少し反省する。
「クリス……今度は本物みたいね」
「あぁ、やはりこちらにも来ていたか……。こんな時間に魔力が高まっていく反応があったからもしやと思ったのだが……」
少し息を切らせて駆け寄ってきたクリスが私の手元で揺れている男を見て安堵している。
「『こちらにも』ってことはクリスにも?」
「あぁ、例の第二騎士団の女性の団長だった。君の姿で『ミゲル陛下には敵わないから諦めろ』と言われたよ。そんな無責任なことを君が言うはずがないという確信があったし、『コレ』も反応していたから惑わされることはなかったが」
そう言いながらクリスは右手を持ち上げた。その人差し指には銀色のリングに爽やかな緑色の宝石のついた指輪が嵌められている。
「看破の魔道具だ。ロートレック子爵令息が使っていた変装の魔道具がフレーゼで作られたものだったのでな、その対策としてヴィルヘルムに作らせておいて正解だった」
「そんなものが……というか色々と初耳なのだけど……」
クリスに案内されて初めて魔法研究所を訪れた際にダードリー卿と話していたのはこれのことだったのだろうか。変装される可能性があると事前にわかっていればもっと楽に気付けたのではないのか。
私が連絡の不備に呆れてみせると、クリスは気まずそうに目を逸らした。
「うっ……それは申し訳ないと思っている……。あの頃から君の騎士長就任やシャルの結婚に向けた準備でバタバタしていたからな……。調査が終わるまではフレーゼには特に訪問する予定もなかったものだから後回しにされていたんだ」
「……まぁ惑わされずに済んでいたので良しとしましょうか」
「そう言ってもらえると助かる……。この後ミゲルにその男を突き出すとして、今のうちに話しておきたいことがあるのだが」
「何かしら?」
「ミゲルに期間中は君との接触を遠慮して欲しいと言われていることだし、俺は一度国に帰ろうと思っている。指輪を取りに戻らないといけないし、陛下に報告も必要だ。ウィリアムたちの内の誰かに任せる手もなくはないが、戦力的な不安もあるしな」
「寂しくなるけど、仕方ないわね……」
「俺も君と離れたくはないのだが……」
護衛がたった四人というのはお忍びだからこその少数精鋭であって、クリスがフレーゼの人間に私を手に入れるための障害として認識されている現状では心許ないというのは確かだ。初日からこれだけ仕掛けてきているのだから、今後さらに過熱する可能性も否定できないので用心するに越したことはない。
「まず間違いなく、これからの一年間は君にとって辛いものになるだろう。孤独に苛まれ、自分を見失うこともあるかもしれない。……だがどうか心を強く持って耐えて欲しい。君の帰りを待つローザリアの皆がいることを忘れないでくれ。俺が必ず……君を迎えにくる」
クリスは私がここ数日で味わわされている感情を正確に把握してくれている。そしてそれが今後も私を苦しめることになることも……。
上辺だけの偽物とは違う、私という人間を心から理解して、愛して心配してくれているからこその言葉に心底ほっとしている自分がいる。
――やはり私にはこの人しかいない。
目の前の愛する人と一緒になるためなら何だって耐えてみせよう。
「……うん。待ってるから」
掴んだままだった男を放り投げ、人気のない真夜中の静かな王宮のテラスで、私たちは熱い抱擁を交わした――。




