143.苦戦
「この……ッ!」
私はすぐさま魔力の塊を地面に叩きつけて『全てを見通す波紋』を発動し、探知に引っ掛かった魔物を『刺し貫く棘』で処理していく。
しかし殲滅し終えた端からまた湧いて出てきているのが魔法を使わなくとも肉眼で確認出来てしまっていた。本当ならそれも処理してしまいたいところだが、私には他にやらないといけないことがある。
「……クリス! 魔物は海面に近い高さの地面からしか湧き出ていない、住民を高台へ避難させて! そしてみんなを守って! アイツの相手は私が!」
目の前のクリスに指示を飛ばすと、アイツの相手は私にしか務まらないと感じたのはクリスも同じだったようで力強く頷き返してくれる。
「了解した! こちらは任せて目の前の相手に集中してくれ! ――アンドレス! 衛兵を集結させ町の外への動線を確保しろ! ウィリアム、残り三人とすぐに合流し、湧き出る魔物を片っ端から片付けるぞ!」
「はっ!」
「お、おぅ……」
クリスはすぐに他の面々に指示を出して動き始めた。もうこちらのことを見向きもしていないのは、私を信用してくれているからこそだ。
私は飛翔の魔法を使って飛び上がり、黒い何かと対峙する。これまで手を出してこなかったのはコイツが今の状況を楽しんでいるからだというのは何となくその雰囲気から伝わってくる。
現に逃げ惑う住民たちの様子を眺めながらくつくつと笑っている。
「アルメリアに飼いならされた者たちの哀れなことヨ……」
「うるさいわね、虚杯だとか慈悲だとか……もう妙な宗教はうんざりよ!」
これ以上勝手な真似をさせないよう、身体強化を全開にして斬りかかる。さっきの突進を見れば手加減出来るような相手ではないのは火を見るより明らかだ。
私が負けてしまえば他に誰もこいつに敵う者などいない。フレーゼの住民も、ローザリアの住民も、使用人の皆も、ブリジットも、クリスもみんな殺されてしまう。
――絶対に負けられない。
気迫を乗せた剣をこいつは両手の爪を伸ばして弾いてくる。流石に相手も全くのノーガードで戦うことは出来ないらしい。
金属がぶつかる激しい音が絶え間なくポルサトールの上空に響き渡る。
「グフフフ……なかなかやるではないカ。ならばこれならどうダ!」
(うわっ!?)
突然距離を離したかと思えば、相手の腕がぐにゃりと伸びてこれまでとは違う軌道で私に迫ってくる。寸でのところでそれを弾くが、もし防げていなければ心臓に穴が空いていたかもしれない。
ただでさえ漆黒の身体には立体感がなくて距離を測りづらいというのにこんなことまで出来るのか。
「そんなもの別にアンタの専売特許なんかじゃないわよ!」
こちらも『幻影の刃』を伸ばして斬りかかる。
「ぬゥ……見えない刃カ。だが素直な軌道だナ」
相手は反応が遅れて初撃が肩を軽く掠めたが、それでもすぐに防御し始める。
(調子に乗っていられるのもここまでよ! くらえ……っ!)
そこで私は『幻影の刃』の形状を鞭のように変化させる。軌道に大きなしなりが加わり、強烈な遠心力の乗った斬撃がこれまでよりも少しだけ遅れて相手に到達する。
「なニッ!?」
あちらも明らかに手応えの違う攻撃が混ざったことに驚いている。見えない刃だと言っていた通り、相手は私の腕の動きから攻撃の軌道やタイミングを予測して防いでいるようだ。思っていたのとは違うタイミングで重い攻撃が来るのはさぞかし面倒くさかろう。
すぐに防御に入らなければ通常の斬撃を喰らうが、そうするとタイミングをズラされた強烈な攻撃を受けるのに苦労する羽目になる。そこに『幻影の刃』を使わないフェイクも時折混ぜれば更にそれらの攻撃力が増す。
先程よりも不規則な金属音が響く。不規則な理由は攻撃タイミングが変化したことと、いくらかの攻撃が弾かれずに命中して相手の身体を抉っているからである。
流石にこれは厳しいと感じたのか、相手は一度大きく距離を取った。その真っ黒な身体の抉られた部分はうねうねと動いていて、ゆっくりとだが傷が塞がっていっているように見える。
「なるほド、この戦い方では少々分が悪いナ……。ここはやはりこの世界の敵らしくやるべきカ」
『グオオオオオオオオオオオオ!!!!』
そう言って身体を縮こませたかと思うと、大の字に身体を拡げてまた咆哮をあげた。もしやと思い眼下を確認すると、町の外れの方向からおびただしい数の魔物が現れ、人々に迫ろうと動きだしていた。最初のはどうやら全力ではなかったらしい。
イルヘンの村のゴブリンを彷彿させる光景に焦りが募り始める。
更に周囲を見回せば、クリスたちが戦闘の手を止めて住民たちを避難させる動きに切り替えているところだった。皆もあれと戦うのは無謀だと判断したようだ。
(くっ……やはり私が倒すしかないか!)
はっとして奴の方に視線を戻すと、奴の口が弧を描いて気持ち悪い笑みを浮かべていた。
その様子を見て私は確信する。奴は私が助けに入って隙を作るのを待っているのだ。今だってこちらが魔物たちに完全に気を取られていたのに攻撃してこなかったのだから間違いない。
しかし奴の狙いが判っていたとしてもやるしかない。このままでは皆が魔物の群れに飲み込まれてしまう。
ならばどうやって処理するかを考えなければ。
あの規模になると『全てを飲み込む双竜巻』を使わなければ殲滅は難しい。ただ魔力を他の魔法に割いていては威力が足りない。だから一度地上に降りて身体強化なども切らなければならない。
奴が見ているなか地上で十秒も隙を晒してはいられないだろうし、降り立つ前に最大限準備をしておいて、地上で飛翔の魔法と身体強化を切って残りを完成させるのがベストだろう。
私は両手に風をイメージした魔力を作り始める。
「フフフ、その程度で殲滅出来るのカ?」
――うるさい、そんなことは百も承知だ。
反応は帰さず無言のまま相手を睨み付け、この場での限界まで風の魔力を作り上げてから私は地上に向けて移動を開始する。
高速で地面が迫ってくる中、ちらりと背後を見れば奴が後ろから追いかけてきていた。その顔にはやはり気持ち悪い笑みを浮かべている。
着地際、地上から二メートルほどのところで勢いを殺し、飛翔の魔法も身体強化も切って落下しながら『全てを飲み込む双竜巻』の完成を急ぐ。
「グハハハァァァァァァァ!!!!」
奴が減速などおかまいなしに突っ込んできているのが聞こえてくる声の距離感でわかる。
「『全てを飲み込む双竜巻』!!――――ぐうッ!!」
着地と同時に発動し、それを見届けることすらせずに身体強化を全開にしながら振り返って上空からの攻撃に備えると、一秒もしないうちに強烈な体当たりを伴った両手の爪での攻撃が襲い掛かってきた。
『旋風』のような風の壁をイメージする暇すらなく、無意識の中で作り上げられた純粋な魔力の盾を両手で支えるように相手の攻撃を受け止める。着地して膝立ちの状態から振り返って上空からの強烈な攻撃を受け止めたので体勢を維持出来ず、私は地面に仰向けになって上からの攻撃に耐える形になる。
「グフフフフ!! 女神にお守り役を押し付けられて災難だったなァ! これ以上こき使われぬように今ここで引導を渡してやるゾォォォォ!!!!」
(くそっ……!)
竜巻が轟音を上げて離れていく。完全ではないが、それでも九割方は殲滅出来るはずなのでそれはまだ良い。問題は目の前の相手をどうするかだ。覚悟していたこととはいえ、かなり不利な状況になってしまった。
ただでさえ力量がほぼ互角の相手だというのに、向こうは私が他のみんなを守らないといけないという弱味を理解して積極的に突いてくるのが厄介過ぎる。
とにかく何としてでもこの攻撃をやり過ごし、形勢を立て直さなければ。
『ボグッ』
その時私の右脇腹にハンマーで殴られたような痛みが走った。その鈍い音と共にメキメキと骨が軋み、折れる音がいやに鮮明に鼓膜まで届いてくる。
「ごはっ……!?」
内から込み上げてくるものによって口の中に鉄の味が広がり、思わず吐き出した。しかし開かれたその口は吐き出すだけ吐き出しておいて、続けて空気を取り込むことを拒否してくる。
苦痛と衝撃に顔を歪めながらも痛む身体の右側面を確認すると、奴の脇腹から伸びた黒い腕らしきものが深々とめり込んでいた。私は相変わらず魔力の盾でもって相手の両手による攻撃を防いでいるにも関わらず、だ。
(なによ……腕を伸ばすのが精々でそれ以上形は変えられないのかと思ったら、やっぱりもっと色々出来るんじゃないのよ……!)
これまでずっと使わずに隠していたあたり、相手の方が上手だった。
これは油断や驕りではなく、本気を出して戦うという経験の少なさから生まれた隙――。
出力を抑えて人間を相手にするのとも、本能のままに襲い掛かってくる魔物を相手にするのとも違う、確かな知恵を持った未知の強敵に対する警戒、心構えがこれでも足りていなかったのだと認めざるを得ない。
(くそっ……くそくそくそっ……!)
たった一撃、されどこの状況では大きすぎる一撃だった。レベルの高い戦いほど小さな歪みが戦況に大きな影響を及ぼし、命取りになるということを嫌でも思い知らされる。現に本来であれば治癒の魔法で即座に癒せるもののはずなのに、この状況では治すに治せない。
痛みで攻撃を防ぐ手が震え、力が抜けていく。
呼吸が出来ないために酸素が足りず、息苦しさと共に徐々に頭が霞がかっていく。まだこの状況を打破する策を見つけ出さなければならないというのに。
いつの間にか滲んでいた涙で視界がぼやけている。
このまま負けてしまうのか。
結局私はまたレッドドラゴンの時のように、大事な場面で理不尽に抗うことが出来ないのか。
――違う。
今の私はあの頃とは違う。
大切なものが、守りたいものが沢山できた。
私のこの力はそれらのために使うと誓ったのだ。
たとえ困難であろうとも、失敗しようとも、もう私は逃げないと決めたのだ。
(私は……『いばら姫』レオナ・クローヴェルは……最期まで諦めるものか!!!!)
『ピシャッ――』
諦めかけていた私が奮起したのと同時に、まるでそれと呼応するように、まだ昼時だというのに日光よりも明るい光がほとばしり目の前が真っ白になる。対峙している光を飲み込む黒い怪物すらも白く染め上げ、姿が見えなくなるほどの閃光――。
『ドッガアアアアアン!!』
「グオオオオオオオオ!?」
大地を引き裂くような音と同時に奴の苦悶に満ちた声があがる。
真っ白だった視界が徐々に落ち着いてきて、目に飛び込んできた光景――それは奴が稲妻を帯び、仰け反って動けなくなっている姿だった。
突然の状況の変化に困惑する私。
「い"っ……!?」
こちらにまでその稲妻が届いたのかと思うほどの痺れを感じて左手を持ち上げると、アンドレスが聖痕と呼んだ模様の周りが本当に稲妻を帯びてバチバチと音を立てていた。
「うっ……あ"あ"あ"あ"あ"!!!!」
何故そうしようと思ったのかはわからない。
ただただ必死だった私は身を起こして、口の中が血で溢れていてとても大人の女が出すようなものではない声を張り上げながら、目の前で仰け反っている相手にその左手を叩き込んだ。
奴の漆黒の身体に刻み込まれたのは金色に輝くアルメリアの紋章。
それを中心として、奴が纏っていた闇がまるで枯れ葉が風に飛ばされていくかのように剥がれはじめた。
「ワハハハハ! 平気で神々の掟を破って世界に干渉してくる女神の必死さを見ましたか我が主ヨ! これならば向こう百年、笑い話に困ることはないでしょウ!」
どう見ても自らの身体が崩れようとしているというのに、奴は何故かとても楽しそうに笑っている。
「また次の時代に相まみえるのを楽しみにしていよウ。――さらばダ」
そんな捨て台詞を残して完全に闇が消え去ると、中から一人の人間が姿を現した。それは皮鎧を身に付けた黒髪の中年男性で、そのまま仰向けに倒れてしまった。
私は彼をじっと見つめたまま口に残る血を吐き捨て、治癒の魔法で傷を癒して立ち上がる。
「――――レオナッ! 大丈夫か!?」
そこにクリスたちが駆けつけてきてくれた。心配そうに尋ねる彼の視線を追いかて自分の姿を確認すると、衣服は破れ、吐いた血で赤く汚れてしまっていた。
「えぇ……。正直もうダメかと思ったけど……」
私は先程まで戦っていた相手の方に目を向ける。するとこちらの視線の先にいるものを見たクリスは何故か目の色を変えた。
「それは……その姿はまさか……!?」
そしてすぐに私の脇を通り過ぎて男性の傍に駆け寄っていく。
「ヴォルフ! 何故こんなところに!?」
何やら顔見知りらしい。クリスが彼の上体を起こして呼びかけると意識を取り戻したらしく、うめき声を上げながらゆっくりとその赤い目が開かれていく。
「うぅ……。その声は……クリスか……?」
「そうだ! 一体何があったのだ!?」
「よくわからねぇ……いつものように魔物を食った途端、身体から……黒い霧みたいなのが噴き出して纏わりついてきたんだ……」
「黒い霧……」
そう言いながらクリスはこちらを向いた。私は彼があの黒い怪物の正体だったのだという意味を込めて頷き返す。
「その後のことは何も覚えてねぇ……ここはどこだ?」
「ここはフレーゼのフィデリオ港だ」
「ここが……?」
ゆっくりと首を回して奴との戦いでボロボロになった町を確認し、困惑する男性。
私がその様子を黙って見ていると、周囲を見回していた彼と目が合った。理由まではわからないが、彼は私を見て弱々しいながらも嬉しそうに眉を持ち上げている。
「おぉ……例の別嬪さんじゃねぇか……なら目的は果たせたんだな」
「……あぁ、全て其方のお陰だ」
彼は満足げに頷いている。
「だが、どうやら世話掛けちまったみてぇだな……」
(……っ!?)
するとなんと申し訳なさそうに話す彼の下半身が真っ白な灰になり、崩れ始めたではないか。どうやら一度その黒い霧に身体を乗っ取られてしまうとタダでは済まないらしい。
クリスもすぐにそれに気付いて息を呑んでいる。
「……クリス、頼みたいことがある」
「どうした?」
「俺みてぇなのが今後また現れないよう、もし見つけたら助けてやって欲しいんだわ」
「他でもない其方の頼みだ、任せてくれ」
男性は安堵した様子で、明るく笑ってみせる。
「お前さんにそう言ってもらえりゃ安心だ。……もう胸が一杯だから例の飯はまた今度頼むわ」
「気が向いたらで構わない、それがいつであろうと歓迎しよう。――友よ」
「あぁ……王宮の美味い飯か……楽しみだ」
その言葉を最期にみるみるうちに灰化が進み、クリスに友と呼ばれた男性は彼の腕からすり抜け、風に消えてしまった。表情を見るに、彼は安らかに逝けたのだろう。
少しの間を置いてから静かに立ち上がったクリス。
「知り合いだったの?」
「あぁ。彼が居なければバルゲルに会うことも、今この場にいることもなかっただろう。……俺の恩人だ」
「そう……」
「彼には『悪食』という二つ名がついていて、日常的に魔物を食べる習慣があった。得られた情報を整理すると、今回のあの黒い魔物はそれが原因で生み出されたと見て良いだろう」
その二つ名であれば耳にしたことぐらいはある。明らかに女神と敵対している存在が、アルメリア教で禁忌とされている行為から生まれたというのは腑に落ちやすい。
「だが彼自身は辛い境遇の中、美味しいものを食べることを人生の楽しみにしているとても気の良い奴だった。確かに其方や人々を危険に晒した張本人ではあるのだが……どうか許してやって欲しい」
「……私は別に彼に恨みなんてないわ」
先程のやり取りを見れば黒いのとは別物であることはすぐにわかる。クリスの恩人だというのであれば尚更私には嫌う理由がない。
「……ありがとう」
するとそこに背後から大勢の足音が聞こえてくる。振り返るとアンドレスを先頭に、避難していた大勢の住民たちが戻ってきていた。
しかもまたその場に跪いて祈り始めたではないか。
「――女神の使徒よ、教えに伝わる魔人から我らをお救い下さったことに深く感謝申し上げます。このことにつきましては国王陛下に報告しなければなりませぬ故、どうか王宮までご同行願えますでしょうか」
アンドレスがこれまでの態度を一変させ、丁寧な言葉遣いで恭しく頭を下げてくる。
「仕方がないとはいえ、面倒なことになったな……」
その様子を見て、隣のクリスはそう小さく呟いた。




